「Winny」(2023)を観る

日曜日。曇。
 
NML で音楽を聴く。■ブルーノ・マントヴァーニの「一声で」で、演奏はトリオ・ヴァンダラー、「アッルンガレーセ」で、ヴァイオリンはジャン=マルク・フィリップス=ヴァルジャベディアン、ピアノはクレール・デゼール(NMLCD)。■シュトックハウゼンピアノ曲 V, VII, VIII で、ピアノはデイヴィッド・チューダー(NMLCD)。1959年の録音。■ヨゼフ・スークのセレナード op.6 で、演奏はオルフェウス室内管弦楽団NMLCD)。よい。■ヴィヴァルディのフルート協奏曲 ヘ長調 op.10-1 で、フルートはパトリック・ガロワ、オルフェウス室内管弦楽団NML)。

ヴィヴァルディ:フルート協奏曲集

ヴィヴァルディ:フルート協奏曲集

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イチゴ初物。

 

 
昼。雨。
『Winny』の金子勇さんの失われたED法を求めて...いたら見つかりました - Qiita
金子勇さんのED法を実装してMNISTを学習させてみた - Qiita
Qiita の記事で天才プログラマー・故・金子勇(1970-2013)さんのことをひさしぶりに思い出し、U-NEXT で映画『Winny』(2023)を観てみた。もう、半分くらいは泣いていたし、最後は号泣してしまったが、そんな風に感情的に観るべき映画ではないだろう。
 金子勇さんのことは知らなくても、P2Pファイル共有ソフトWinny」のことを知っている人は少なくないだろう。このソフトを使って「著作権侵害行為」が行われたり、PC がウィルスに感染して公的な情報が一般に流出したりして、最後は「Winny」の作者である金子さんが逮捕される(2004)など、社会的な事件になった。この映画は、その発端から地裁裁判までを描いたものである。事件が詳しく扱われているので、それに関しては映画を観られたい。その価値のある映画だと思う。
 「Winny事件」の本質は、映画の中でも出てきたが、例えばナイフで殺人が行われた場合、ナイフの製作者を罪に問えるのか、というものだ。わたしはこの事件のことをそこまで詳しくは知らなかったのだが、映画によると、コンピュータ技術のことをよく知らない警察が、世間の「空気」や警察(あるいは国家)の内部事情などで、金子さんを逮捕したようである(そのあたりのことは、もちろんはっきりとはわからない)。日本でよくある「出る杭は打たれる」であり、また日本人によくある強い「世間の嫉妬心」もあったことだろう。勤務先の東京大学も、金子さんを切り捨てた。
 「Winny」は当時の最先端技術であったが、P2P型ネットワーク技術は、いまでも進歩中であり(例えば「ビットコイン」などのブロックチェーン技術)、金子さんの逮捕で、日本のソフトウェア技術の発展がどれほど阻害されたか、計り知れないともいう。
 そして最高裁で無罪が確定してほどなく、金子さんは42歳の若さで亡くなる。個人的な話だが、映画で描かれた金子さんの子供時代は、田舎で最先端のコンピュータ雑誌を見ながら、町の電気店でパソコン(当時は「マイコン」といっていた)をいじるというもので、まさにわたしも岐阜のそういう小学生だった。『ASCII』とか『I/O』などの雑誌が田舎の本屋に並んでいる映像はわたしの記憶と同じで、なつかしすぎてたまらない。金子さんは、わたしと同世代だった、その中の突出した存在だったのだ。
 監督・脚本は松本優作、主演は東出昌大。126分。 
夜。
寝ころがって iPad mini でバッハのイタリア協奏曲を聴く(NML)。マルティノヴァのこの演奏は 1.23 に聴いた。
 もう一度聴く。強引なところはあるが、活きのいい演奏。
 
バシュラールを読んで早寝。

イタロ・カルヴィーノ『柔かい月』

深夜いったん目覚める。また眠り、朝七時起床。結局、九時間以上寝たか。
気取った中年の細身のおっさんが踊る夢、口にバラでも咥えていそう。場末の小さな喫茶店、でもないな、白っぽい板張りの、小さなスペース。レコードで音楽が流れる。
曇。いや、黄砂か。
 
アニメ「トニカクカワイイ(シーズン2 )」ノンテロップED - YouTube
夜のかたすみ - YouTube
アニソンが頭の中でぐるぐる回っているバカで幼稚なわたくし。
 
NML で音楽を聴く。■ハイドンピアノ三重奏曲第二十一番 Hob.XV:21 で、演奏はトリオ・ヴァンダラー(NMLCD)。なかなかチャーミングな曲。
 
 
1~3月の自分のブログ本を読む。
昼飯のエンドウと玉ねぎの味噌汁がうまかった。あと鯛みそ。
 
老母が市民講演会を聴きにいくので、産業文化センターまで送っていく。
帰りに肉屋、カレー肉やラーメン用焼豚など。
新緑のいちょう通りをポニテの女の子が大胆にヘソを出した格好で歩いていた。田舎だけれど、おしゃれしてるんだなあ。曇っているのに、外気27℃。
 
裏庭。

山吹。

シャガ。
 
「ぐるぐるライブ」畑 健二郎先生描きおろしミュージックビデオ - YouTube
 
夕方、老母を迎えにいく。
ドラッグストアへ寄る。どこもセルフレジ化が進んでいるな。
 
 
イタロ・カルヴィーノ『柔かい月』(元本1971、文庫版2003)を読み始める。脇功訳。モダニズム、軽さ、ナンセンス。
 何か読もうと積ん読の中からテキトーに引っぱり出した。カルヴィーノ、ひさしぶりに読むな。澁澤龍彦カルヴィーノ、好きだったのを思い出す。いまでも読まれているのか知ら。
 
夜。
イタロ・カルヴィーノ『柔かい月』読了。ナンセンス。しかし、わたしが例えば数論幾何の専門書を読んでも、ある人には意味のあるそれが、わたしには同じくナンセンスである。そしてそのようなナンセンスは、読書においてわたしの常態だ。

はてなブログタグで「イタロ・カルヴィーノ」を検索していろんなブログを覗いてみたが、まったく「文学」好きには多くうんざりさせられるね。わたしは「文学」というものがわからないが。でも、カルヴィーノみたいなのは、決してきらいでない。
 
『トモちゃんは女の子!』(2023)第5話まで観る。おもしろい! トモちゃんは「女の子として見られてない!」って思ってるけど、全然そんなことないよね。また、トモちゃんの友だちがいい。癖が強いけれど、みすずもキャロルもちゃんと親友してる。続きが楽しみ。

ベアトリーチェ・ラナというピアニストを聴く

昧爽起床。晴。黄砂飛ぶ。
 
NML で音楽を聴く。■ショパンのピアノ・ソナタ第二番 op.35 で、ピアノはベアトリーチェ・ラナ(NML)。昨日この曲をつまみぐいしたので、全曲聴きたくなって NML で適当に選んで聴いてみた。このピアニストについては何も知らない。強引で乱暴な、いわば荒削りな演奏だが、大きさと深みがあってじつにおもしろい。よい意味で野蛮な演奏。ベアトリーチェ・ラナ(1993-)はイタリア出身で、ヴァン・クライバーン・コンクールで銀賞その他の受賞歴があるが、これがコンクールで評価されたとはちょっと驚く。ま、大きなダイヤの原石といえ、それが評価されたのだろうな。すっくと直立する世界軸 axis mundi には素直に感心した。音はきれいとはいえない。

■同じディスクにベートーヴェンの「ハンマークラヴィーア・ソナタ」が収録されている。正直いってこのソナタは長くてしんどいので、頻繁に聴くわけにはいかないが、一枚のディスクに若手がショパンベートーヴェンの大曲を収めるとはなかなかにナマイキ(?)なので、ちょっと聴いてみた(NML)。結論からいうと、ショパンと同じようにスケールの大きな演奏だが、(わたしには)あまりおもしろくない、あちこちつまみぐいしただけで終わった。晩年のベートーヴェンを演奏するには、まだまだ人生経験が足りない、とでもいった感じ(本当に彼女の人生経験が浅いといっているわけではありませんよ、たんなる比喩です)。
 なお、検索していると彼女のディスク、「ゴルトベルク変奏曲」の録音の記事が結構ある。へー、大曲を好んで演奏するのかな、ナマイキだ(笑)。ちなみに「ゴルトベルク変奏曲」を録音するピアニストはいまはとても多くて、このしんどい曲を、いちいち聴いていられない。ほんと、グレン・グールドの影響はすごいな、ってなる。
 
■上でショパンがおもしろかったので、練習曲集 op.25 を同じベアトリーチェ・ラナのピアノで聴いてみる(NML)。一般的にショパンの練習曲集 op.25 は op.10 に比べ、落ち着いていて詩的、そんな風にいわれることが多いと思うが、なるほど、ラナのショパンの抒情的な表現は見事なもので、じっくり聴かせる第7曲が、この曲集のラナのベスト演奏なのかも知れないなと感じた。こういう表現もできるんだな。しかし、最後の二曲のようなバリバリとちょっと強引に弾いていく魅力もあって、このピアニストの大きさと(特に)深さはやっぱりめったにないもの。うん、ラナにショパンは合っていると思う。 

 
スーパー。火曜日にプリペイドカードをチャージすると10,000円につき 50ポイントくれる、ってのがあったのだが、そのサービスはもう終了した筈だったんだよね。でも、知らぬ間に延長されていて、今日(金曜日)チャージして 200ポイント分損した笑。
今日は液体物をやたら買って重かったー。
 
昼寝。
ハッピーターンとクランキーチョコとむぎ茶で休む。

 
クララ・シューマン(1819-1896)のピアノ協奏曲 op.7 で、ピアノはベアトリーチェ・ラナ、指揮はヤニック・ネゼ=セガン、ヨーロッパ室内管弦楽団NML)。クラシック音楽の歴史の中で女性の作曲家はきわめて少なく、クララ・シューマンはその中で大物なので、最近はいろんな曲が掘り起こされ、次々と録音されている。わたしは怠惰なのでクララはあまり聴いたことがなく、聴いてもピンときたことがなかったが、これはおもしろかった。クララ・シューマンが独創的な作曲家だったことを初めて実感した。
 この曲はクララがまだ14歳のときの作品で、オーケストレーションなど、ロベルト・シューマンが手を貸して作曲されたそうである。初期ロマン派の清新なロマンティシズムを感じる。 

 

庭のアマドコロ。
 
夕食にエンドウの卵とじ、その他野菜中心の献立を食べる。
 
丸岡章『概説 人工知能』(2024)にざっと目を通す。副題「ディープラーニングから生成AIへ」。 
早寝。

「僕は友達が少ない NEXT」(2013)を観る

昧爽起床。曇。
よく寝た。
 
昨日アップしたのとはちがう色の牡丹が咲いた。こんな色の、前からあったっけ?

フランス菊が咲き出した。ネモフィラは丈夫だな、長いこと元気に咲いている。
 
小説、映画、ドラマ、マンガ、アニメ、音楽、ゲームなどのコンテンツにおける暴力表現の氾濫を見ると、我々が(少なくとも想像力における)暴力を好んでいる、望んでいることは明らかだ。これは現在が管理社会で、安全・安心をほとんど「強制」されることに対する(動物的な)対抗措置なのであろうか。それとも、人間は本質的に暴力を好むといえるのか。
 スポーツをしたり、スポーツを見ることの愛好も、暴力の代替措置であるとも考えられる。
 
Bruce Liu spielt Rameau, Chopin & Liszt | ORF-Radiothek
ブルース・リウの 2024.2.24 東京コンサートの期間限定配信から、ショパンのピアノ・ソナタ第二番 op.35 をつまみぐいして聴く。特に驚きのない演奏。ブルース・リウは 2021年のショパン・コンクール優勝者であるが、いまはポリーニアルゲリッチのようにはいかないなと痛感する。
 同じコンサートより、ラモーの「クラヴサン小曲集」「新クラヴサン組曲集」からを聴く。これは惹き込まれた。ラモーはそれほど聴いたことがないので、よい演奏はありがたい。才能ある若手が、往年の大ピアニストがあまり演奏しなかった曲をやってくれるというのは、いいな。ほんと、ラモーなんかはそれにぴったりだと思う。全部でほぼ20分。
 なお、ブルース・リウは CD でラモーを録音しているが(NML)、この演奏会の方がいきいきしていてずっといいと思う。同じ曲で比較してみるとよくわかる。この録音は NML でかつてちょっとだけ聴いたが(2023.11.22)、やっぱり、それのみで演奏家の才能を判定するのはムリだな。演奏家が、時によってちがう演奏をするのは当たり前なのだから。
 でもまあ、「才能」って何だかよくわかんないもんだけどね。例えばアルゲリッチの才能を疑う人はいないだろうが、じゃあアルゲリッチがいつもすばらしい演奏をするかというと、そうとは限らないわけだし。
 

 
昼食のパスタに自家製パセリと初物タマネギ。うまい。
 
ミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。カスタードクリーム+ブレンドコーヒー462円。
 岩田慶治道元との対話』の続きを読む。道元ってきわめて厳しい人で、『正法眼蔵』なんてとてもわたしには読めないだろうと敬して遠ざけてきたのだが、本書を読むと、わからないなりに読んでいいんじゃないかと思い始めた。道元からの引用を読んでいると、そんな感じ、架蔵して眠っている岩波文庫本にでも、目を通してみるか。
 しかし、岩田慶治という人、こんな東洋的精神のかたまりのような人が、かつてはまがりなりにもアカデミズムの中に存在できたなんて、驚きである。いまでは不可能なのではないか、知らんけど。もっとも、アカデミズムの中で、当時でもたぶんまったくの異端、傍流の人だったろうが。
 
ひさしぶりにカルコス。2.13 以来か、本当に行かなくなってしまった。無くなったら困る本屋なのだから、もっと行かないととは思うけれど、本はあまり買っていけないことになっているしなあ。
 今日の釣果。ちくま学芸文庫で『概説 人工知能』(2024)。西野嘉章チェコアヴァンギャルド』(平凡社ライブラリー2024)。岩波文庫でカントの『人倫の形而上学 第一部』(文庫2024)、ゲルツェン『ロシアの革命思想』(文庫2024)。「これは欲しい」と思う本だけ買ったが、文庫本4冊で6000円超えかよ、きびしいなあ。
 ちくま学芸文庫で『資本論』の新訳が刊行され始めたが、最初はレジにもっていこうとしていたのだけれど、あやうく思いとどまった。
 新書本も何か買おうと思っていたが、いろいろ見ても気が滅入るばかり。いや、こちらの感性がにぶっているだけでしょうけれどね。
 

 
道元との対話』を第三章まで読む。わたしごときに本書がわかるとはいえないんだけれど。そもそも、テキトーに眺めているだけで、読んでいるとはいえない(わたしはどんな本でもそんなものだ)。でもまあ、わかんないともいえない。ただ、わたしは余計な知的にむずかしすぎる本を読み過ぎで(どーせ、よくわかっていないのだ)、それらを解体し尽くしていないということは確か。って、たんに未熟なだけなんだけど。
 
夜。
夕飯に蕗(フキ)とじゃこの当座煮。蕗は採れたてのせいか、やわらかくてクセもなく、みるみる減っていった。
 
僕は友達が少ない NEXT』(2013)第12話(最終話)まで観る。2期はラブコメ成分多い。やー、最後までぬるま湯で終わると思っていたので、修羅場展開はちょっと驚いた。まあしかし、またうやむやなのかな、そこはよくわからなかった。でも、このダブルヒロイン、選べないでしょ、原作はどうなってるのかな。
 どうでもいいが、うすうすそうじゃないかと思ってたけど、これ、聖地は岐阜とか名古屋だよね。各務原と犬山の間の犬山橋とか、名鉄でえっと思い、JR名古屋駅構内で確信した。いわれてみれば、JR岐阜駅のホーム待合室もそうだ。岐阜市内の長良公園は知らなかったが。てか、買い物で名古屋へ行くってんだから、舞台は(いちおう)岐阜ってことかな(群馬も混じっているらしい)。岐阜はアニメの聖地、かなり多くてうれしい。って俺バカ?

調べてみると、なるほどー、原作の舞台ははっきりと岐阜や名古屋がモデルになってるのね。アニメでは関東が混じっているというわけか。また、原作の終わり方も調べた。まーこれはどう終わっても不満が出るよねー、仕方がないと思う。

こともなし

晴。黄砂か?
 
昼食に高野豆腐と初物のエンドウを炊いたもの、家族旅行で買ってきた鯛みそなどを食う。
 
PC メイン機のバッテリーランプが高速点滅してバッテリーエラーを示していたけれど、バッテリーをいったん外して再び装着したところ、ランプが消えた。この PC は 2015.9.3 に購入したもので、もう8年を超えて使っている。基本的に、外付けディスク(いまは SSD)に Linux Mint を入れて、Windowsデュアルブートの形にして(メインは Linux Mint で)使ってきた。
 
Ruby で遊ぶ。AtCoder ABC348, 349 など。
 
牡丹咲く。


なんか怠惰な一日だった。
 
夜、早寝。

お互いの(直接的)共感可能性を失った時代 / 「僕は友達が少ない」(2011)を観る

曇。
 
NML で音楽を聴く。■モーツァルトジート長調 K.574、ピアノ・ソナタ第十六番 K.545、アダージョ 変ホ長調(K.516 から、オラフソン編)、ガルッピのピアノ・ソナタ ハ短調〜第一楽章、モーツァルトのピアノ・ソナタ第十四番 K.457、アダージョ ロ短調 K.540、「アヴェ・ヴェルム・コルプス」(リスト編)で、ピアノはヴィキングル・オラフソン(NMLCD)。
 承前。初心者向けの「やさしいソナタ」といわれるピアノ・ソナタ第十六番がじつに愛らしい。また、弦楽五重奏曲第四番 K.516 のアダージョのピアノ編曲は、ヴィキングルがこの音楽を愛していることが伝わってくる。ピアノ・ソナタ第十四番は王道的演奏で(緩徐楽章の、短調に転調する中間部の美しさ!)、わたしの(恥ずかしながら)あまり知らない K.540 は、曲の魅力がよくわかった。で、最後はリスト編曲の「アヴェ・ヴェルム・コルプス」なんてのをもってきながら、違和感なくまとめてしまう。まったくすばらしい。
 ヴィキングル・オラフソンは時に「アイスランドグレン・グールド」なんていわれたりするが、グールドとは随分とちがった演奏家だと思う。グールドはよくも悪くもその「異常性」が直ちに明らかなのに対し、ヴィキングルはちょっと聴いただけではむしろ平凡のようでもあり、つまりはわたしたちの「日常」部分で勝負している。そこが、まずはちがうところだ。
 
 
スーパー。いまにも雨が降りそう。ポイント3000円分、現金で還ってきた。
 
昼。
世界史ではいちおう、古代、中世、近代・現代、というような歴史的区分をする。いまや、その「現代(モダン)」が終わり、次の時代に入ったことが明確になってきた。それは既に聡い人たちによって「ポスト・モダン」という名が付けられているが、それではあんまりだから、何百年か経ったあと、(それでも人類が生き延びていれば)別の名が付けられることであろう。
 この時代の特徴はいろいろあるが、ひとつは「人文学」が死んだ時代であると特徴づけることもできるだろう。すなわち、人間が「メディア」(=記号、情報)という中間的媒介(medium)なしの、お互いの(直接的)共感可能性を失った時代、というものである。記号や情報の媒介は、直接的な共感可能性を殺す。それは、人間を非常に孤独な存在にするだろう。そして、高度資本主義による、精神、文化面の世界的な画一化と、貧困化。感情の幼稚化と記号的理性の独裁。人間精神からの「自然」の消滅と全面的都市化。
 ってのは、これまで散々書いてきたことだけれど。
 
ミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。ハニーディップブレンドコーヒー451円。
 岩田慶治道元との対話』(文庫版2000)を読み始める。副題「人類学の立場から」。生きた仏教とすっかり縁のなくなってしまった日本人は、本書を読むといいよ。干からびた仏教学ばかりが進む現代日本。それにしても、わたしは既に道元の死んだ歳を超えているのだな。凡人は困ったものである。
 帰り、金属団地脇の街路樹のハナミズキが、きれいに咲いていた。いまにも降りそうな天気は何とか降らないでいる。
 

 
夜。
僕は友達が少ない』(2011)第12話(最終話)まで観る。やー、特にこれといったドラマはなく、最初はペースがつかめなかったが、バカバカしい日常系に近いとわかるとおもしろくなったな。ラブコメ成分はそこまで強くないが、しかし、女の子たち(+男の娘ひとり笑)が皆んなかわいいねー。とりわけ二人のメインヒロイン、いつもいがみあっている(でもほんとは仲がいい)夜空と星奈が甲乙つけがたいかわいさ。ツンデレだし笑。主人公の小鷹は、最初はよくわからなかったけれど、次第に好感がもてるようになった。こういう作品は、いまはちょっとないね。2期も観る。

 
僕は友達が少ない NEXT』(2013)第4話まで観る。2期。おもしろい。1期よりラブコメ成分が強いな、いい感じ。って、俺バカか笑。

こともなし

晴。薄曇り。
夢。東大の受験日当日に、受験票をなくして試験が受けられない。まあいいかと思って、本命の京大の受験票を探してみると、これもない。あちこち探す。
ひさしぶりに夢をよく覚えていた。まだ他にも断片的に覚えている映像がある。
 
NML で音楽を聴く。■ハイドンピアノ三重奏曲第十八番 Hob.XV:18 で、演奏はトリオ・ヴァンダラー(NMLCD)。■モーツァルトピアノ三重奏曲第六番 K.564 で、ヴァイオリンはヴィルモーシュ・サバディ、チェロはチャバ・オンツァイ、ピアノはマルタ・グヤーシュ(NMLCD)。これでサバディ、オンツァイ、グヤーシュによるモーツァルトピアノ三重奏曲全六曲を聴き終えた(厳密には、あとディヴェルティメント K.254 がある)。余計な自意識のようなものが感じられない演奏で、じつに気持ちがよかった。配信のいいところは、こういう無名だが自分に合った演奏家と出会えることだ。CD時代では、不可能だったろう。■メンデルスゾーン交響曲第一番 op.11 で、指揮はパーヴォ・ヤルヴィチューリッヒ・トーンハレ管弦楽団NMLCD)。パーヴォ・ヤルヴィは重心が低くて好ましい。メンデルスゾーンの「凡庸さ」は、すばらしいんじゃないか?
 
 
昼飯にシメジとツナの炊き込みご飯、三葉の卵とじに三葉の味噌汁。
(今日の「キャッチ!世界のトップニュース」が興味深かった。イランのイスラエルへの報復攻撃だが、イランが紛争拡大の意思を示していないのであまり深刻に考えていなかったけれど、イランがイスラエルへ直接大規模攻撃したのは初めてで、その意味でやはり深刻なのだと。今後は、イスラエルの出方次第ということらしい。アメリカは、イスラエルのいかなる報復措置にも参加しないというメッセージを出している。以上、番組からの知ったかぶりで、わたしが知ってもどうしようもないこと。)
 
県営プール。夏日。
万札をくずしたいのでプール近くのコンビニで何も考えずポカリスエットを買ったら、900ml もあるやつだった(179円)。デカッ。
金華山に連なる山々の新緑が美しい。街路樹のイチョウの芽吹き。
帰りに肉屋。
 
夕方、コンビニまで歩いて車の保険料を支払いにいってくる。
4.1 に、わたしが生まれて此の方ずっとあった最寄りのバス停がなくなった。次のバス停と近かったので、統合されてコンビニの前へ移ったということだろう。
 
夜。風呂から出て寝ころがってぼーっとしているうちに、そのまま眠ってしまう。