お互いの(直接的)共感可能性を失った時代 / 「僕は友達が少ない」(2011)を観る

曇。
 
NML で音楽を聴く。■モーツァルトジート長調 K.574、ピアノ・ソナタ第十六番 K.545、アダージョ 変ホ長調(K.516 から、オラフソン編)、ガルッピのピアノ・ソナタ ハ短調〜第一楽章、モーツァルトのピアノ・ソナタ第十四番 K.457、アダージョ ロ短調 K.540、「アヴェ・ヴェルム・コルプス」(リスト編)で、ピアノはヴィキングル・オラフソン(NMLCD)。
 承前。初心者向けの「やさしいソナタ」といわれるピアノ・ソナタ第十六番がじつに愛らしい。また、弦楽五重奏曲第四番 K.516 のアダージョのピアノ編曲は、ヴィキングルがこの音楽を愛していることが伝わってくる。ピアノ・ソナタ第十四番は王道的演奏で(緩徐楽章の、短調に転調する中間部の美しさ!)、わたしの(恥ずかしながら)あまり知らない K.540 は、曲の魅力がよくわかった。で、最後はリスト編曲の「アヴェ・ヴェルム・コルプス」なんてのをもってきながら、違和感なくまとめてしまう。まったくすばらしい。
 ヴィキングル・オラフソンは時に「アイスランドグレン・グールド」なんていわれたりするが、グールドとは随分とちがった演奏家だと思う。グールドはよくも悪くもその「異常性」が直ちに明らかなのに対し、ヴィキングルはちょっと聴いただけではむしろ平凡のようでもあり、つまりはわたしたちの「日常」部分で勝負している。そこが、まずはちがうところだ。
 
 
スーパー。いまにも雨が降りそう。ポイント3000円分、現金で還ってきた。
 
昼。
世界史ではいちおう、古代、中世、近代・現代、というような歴史的区分をする。いまや、その「現代(モダン)」が終わり、次の時代に入ったことが明確になってきた。それは既に聡い人たちによって「ポスト・モダン」という名が付けられているが、それではあんまりだから、何百年か経ったあと、(それでも人類が生き延びていれば)別の名が付けられることであろう。
 この時代の特徴はいろいろあるが、ひとつは「人文学」が死んだ時代であると特徴づけることもできるだろう。すなわち、人間が「メディア」(=記号、情報)という中間的媒介(medium)なしの、お互いの(直接的)共感可能性を失った時代、というものである。記号や情報の媒介は、直接的な共感可能性を殺す。それは、人間を非常に孤独な存在にするだろう。そして、高度資本主義による、精神、文化面の世界的な画一化と、貧困化。感情の幼稚化と記号的理性の独裁。人間精神からの「自然」の消滅と全面的都市化。
 ってのは、これまで散々書いてきたことだけれど。
 
ミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。ハニーディップブレンドコーヒー451円。
 岩田慶治道元との対話』(文庫版2000)を読み始める。副題「人類学の立場から」。生きた仏教とすっかり縁のなくなってしまった日本人は、本書を読むといいよ。干からびた仏教学ばかりが進む現代日本。それにしても、わたしは既に道元の死んだ歳を超えているのだな。凡人は困ったものである。
 帰り、金属団地脇の街路樹のハナミズキが、きれいに咲いていた。いまにも降りそうな天気は何とか降らないでいる。
 

 
夜。
僕は友達が少ない』(2011)第12話(最終話)まで観る。やー、特にこれといったドラマはなく、最初はペースがつかめなかったが、バカバカしい日常系に近いとわかるとおもしろくなったな。ラブコメ成分はそこまで強くないが、しかし、女の子たち(+男の娘ひとり笑)が皆んなかわいいねー。とりわけ二人のメインヒロイン、いつもいがみあっている(でもほんとは仲がいい)夜空と星奈が甲乙つけがたいかわいさ。ツンデレだし笑。主人公の小鷹は、最初はよくわからなかったけれど、次第に好感がもてるようになった。こういう作品は、いまはちょっとないね。2期も観る。

 
僕は友達が少ない NEXT』(2013)第4話まで観る。2期。おもしろい。1期よりラブコメ成分が強いな、いい感じ。って、俺バカか笑。