「神のみぞ知るセカイ 女神篇」(2013)を観る

晴。
 
ガソリンスタンド。
母診察。これで当分ないな。
肉屋。ここのソーセージを買ってみる。駐車場で、きれいな声で鳥が鳴いていた。カワラヒワかな、ちがうかも知れないが。。
 
昼。
インドネシアの大統領選で、現政権が好き勝手やっている、「民主主義の危機」だ、ってのであるが…。まあそれはわからないでもない、確かに権力の「私物化」ということが行われているようにも見えるが、一方で現政権は人気がある。それは、安定した経済成長をインドネシアにもたらしているからだ。結局、我々民衆はおまんまが食えているかが何よりも大事だ、それは動かせない。それ以上のものを政治に求めるとなると、どうしても言葉、概念を中心にして、それに力を付与していくことになる。その結果、「人権」や「民主主義」といった概念によって、最悪、人を殺すようなことが常時起きている、それは例えばアメリカという国を見れば明らかだろう。気に入らない国にはすぐにミサイルをぶち込むそれである。
 概念に力を与えるということは、ほんとに悩ましいことだ。所詮、概念などというものは、かしこい人間にはどうとでもなる。(現実にあっては、「欧米のダブルスタンダード」なんてのも、残念ながらないわけでない。)かといって、現代政治において、概念を放棄してしまうことも、実際は不可能だ。なぜなら、概念を持つ国が力も持つから。「知」というのは現実的パワーだからである。
 まあ、わたしなんかはバカだから、「善良さ」や「常識」や「献身」みたいなものがなくなってしまった政治って、いったい何だろうという素朴な疑問が消せないんだけれどね。しかし、政治学には「善良さ」や「常識」や「献身」という項目はないのである。
 
iPad mini でマレイ・ペライアの弾くイギリス組曲第三番を聴く(YouTube)。
 

 
ミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。ストロベリーカスタードフレンチ+ブレンドコーヒー462円。ストロベリーカスタードフレンチ初めて食ったが、なかなかうまいじゃないか。
 岩波新書『ケアの倫理』(2024)を読み始める。フェミニズムの書なので、めっちゃむずかしい。フェミニズム、むずかしすぎて、頭の悪い、不勉強な人間には読めん。でも、第二章のキャロル・ギリガン『もうひとつの声で』(原著1982)の読解は、おもしろくて興奮させられた。ギリガン、相当に深いところまで考え抜かれたフェミニズム本なんだな、という印象を受けた。例えば、「他人にいうべきこと」は剛直に、簡単にいえるけれど、「本当にいいたいこと、思っていること」を語ろうとすると、へなへなした、どちらつかずな、ためらうような、自分というものがはっきりしていないような言葉になってしまう。そういう言葉は、自我が未発達なように、ネガティブに捉えられてしまう、ということ。そういう視点がそれまでのフェミニズムに欠けていた、というところがあるが、人間性に対する深い洞察だな、って思った。
 なので、第三章(まだ途中までしか読んでいないが)でいわれる、そんなことを語ったギリガンのそのベストセラーが、当のフェミニストからすら、猛烈に批判されたというのは意外だった。ギリガン自身も意外だったらしい。まあ、それについては書かない。続けて読む。
 
帰りにカルコスに寄る。ちくま学芸文庫種村季弘コレクション(諏訪哲史編)、講談社現代新書の『正義とは何か』など、新刊書を買う。
 
 
『ケアの倫理』の続き。頭に湧き出た妄想。
フェミニズムの主張することを論理的に展開してみれば、人類に「男」と「女」の区別があるのが無意味、あるいは不正、ということになりそうである。つまり、男性でも女性でもいいが、どちらかの性だけ存在させることが、むしろ望ましい。(いまのところ)それでは人類が種として存続していけないが、科学が進めば、人工授精、人工出産や培養などによって、単一の性による種族の維持が可能になるかも知れない。そうすれば、「女性差別」なんてものは当然なくなるし、「男性中心社会」「男性優位社会」もなくなるし、人が「男らしさ」「女らしさ」の弊害に陥ることもない。男性同士、女性同士だって「恋」も「セックス」もできるでしょ。それがフェミニストの考える、ユートピアではないか。
 わざわざ「ケアによる結びつき」として家族など再定義されなくても、いっそ家族というものもなくしてしまえば、家族の問題はなくなる。ケアは、専門の職業人によって、対価を払って遂行させればよい。それでフェミニズムにとって、何か問題であろうか? もはや、「家父長制」に、悩まされることもないし。
 という思考実験。
 
あらゆる正義は暴力だ。つまり、「力」と結びついた概念である。そういう暴力がいけないというのではないが、とにかく、正義を主張するというのは、暴力を選択することである。
 
まったく、こんなめんどうなことを考えていると、ぎっくり腰が悪化するわ。クソだし。
人類はたくさんの大切なものを捨てて、進歩していく。すばらしい新世界だこと。
 

 
夜。
俺の YouTube のリコメンド画面が恥ずかしすぎて他人に見せられない問題。
 
神のみぞ知るセカイ 女神篇』(2013)第12話(最終話)まで観る。1期2期が神アニメだったので、3期が最高傑作だってどういうことだよと思っていたのだけれど、ホントにそうだったよ。展開が切なすぎて、胸が痛くなった。初めは予想だにしなかった子が、メインヒロイン(といっていいのか?)だった。ああほんと、思い出すだけで胸が痛い。しかしこれ、ハッピーエンドかわからないよね、そうでなかったら、メインヒロインがかわいそうすぎる。まあ、これ以上はいわない。観る人を選ぶと思うが、自分にはこれまでで最高クラスの、神アニメだった。

1期2期は大笑いしていたのに、3期はシリアス、というより、悲劇だった。平凡な女の子の、ちっぽけな恋愛。世界の運命なんかに、何の関係もない。ふいを突かれた主人公の驚愕と、そうせざるを得ない、避けようのない選択。ああ、ちょっと振り返るだけで、悲しくなってきた。