チョ・ナムジュ『サハマンション』

深夜起床。ぼーっとする。
 
NML で音楽を聴く。■モーツァルトの 二台のピアノのためのソナタ K.448 で、ピアノはマリー=ルイーズ・ヒンリクス、クリスティアン・ツァハリアス(NML)。2024.3.19 に二度聴いた演奏。同じ演奏を聴き返すことがめったになくなっているわたしなので、めずらしいことである。
■ガルッピのピアノ・ソナタ ヘ短調〜第一楽章、モーツァルトのロンド K.494、C.P.E.バッハのロンド ニ短調チマローザのピアノ・ソナタ第四十二番(オラフソン編)、モーツァルトの幻想曲 K.397 (断章)、ロンド K.485、チマローザのピアノ・ソナタ第五十五番(オラフソン編)、ハイドンのピアノ・ソナタ第四十七番 Hob.XVI:32 で、ピアノはヴィキングル・オラフソン(NML)。
 新しい時代を切り開いてゆく、稀な精神たるヴィキングル・オラフソンの、モーツァルトを中心としたアルバムを、半分くらい聴く。ヴィキングルは才能ということでいったら、現在もっとも才能あるトップ100人の音楽家を合わせたより、才能があるだろう――なんていうのは、冗談みたいなもので、無意味なことではあるが。聴いていて、心底驚嘆、驚愕すると共に、やっぱりこういう才能は現れるものなんだなとつくづく思う。

 
Concert de clôture du Festival de Pâques, avec Renaud Capuçon - Radio Classique
シューベルトピアノ五重奏曲 イ長調 D667 で、ヴァイオリンはルノー・カピュソン、ヴィオラはポール・ジーンタラ、チェロはユリア・ハーゲン、コントラバスはロレーヌ・カンペ、ピアノは藤田真央。いわゆる「ます」五重奏曲。
 速めのテンポのキビキビとした演奏で、演奏者たちの息もぴったりであり、なかなかよかった。2024.4.7、エクス=アン=プロヴァンス復活祭音楽祭におけるライブ録音。なお、この曲の演奏は配信の後半である。
 
朝。晴だけれど薄雲がかかっている。
二度寝する。
 
コダーイの「夏の夕べ」で、演奏はオルフェウス室内管弦楽団NMLCD)。
 
スーパー。五倍ポイントの日。春キャベツが一玉280円もするぞ(買わない)。ガラポン抽選会があって6度回したが、ぜんぶ白玉(ハズレ)だった。
暖かい。夏日の予報。
ウチの桜の花は終わったな。
 
昼寝。
 
珈琲工房ひぐち北一色店。チョ・ナムジュ『サハマンション』の続き。承前。暗鬱な小説だな。
帰りにドラッグストアへ寄る。外気25℃。
 
 
図書館から借りてきた、チョ・ナムジュ『サハマンション』(原著2019、邦訳2021)読了。斎藤真理子訳。チョ・ナムジュはベストセラー『82年生まれ、キム・ジヨン』の著者で、わたしも『キム・ジヨン』は読んだがもう詳しいことは覚えておらず、日本ではフェミニズム小説として流通しているという印象とだけ。
 本書は巨大企業の独裁統治する管理都市国家「タウン」を背景にしているディストピア小説とでもいえ、諸事情から「タウン」に住めないいわばアウト・カーストの住む、老朽化した「サハマンション」を舞台にしている。サハマンションの住人たちは、「生きる目的」もなく、生きていてもちっとも楽しそうでない、閉塞して、ただだらだらと日々を消費しているだけ、というように描かれている。ラストは企業統治の「真実」に少し迫りそうでもあるが、結局よくわからない終わり。
 まあ、「管理社会を批判的に描いた」といえるかも知れないが、わたしにはあんまりおもしろい小説ではなかったし、社会風刺、社会批判が小説の目的なら、出来がよいとはいえない気もする。ただただ、やる気、生きる気のない人たち、たとえ声を挙げ行動しても、結局しぼんでしまう、というような小説。それは、決して独裁企業体のせいばかりではない、たぶん著者のせいなんだろうとわたしは思う。サハマンションも、「タウン」と大してかわりはない、サハマンションは(「タウン」とちがい)管理されていないように見えて、じつはそうでない。それが現代というなら、そうなのかも知れないが。管理社会で「管理」するのは権力であり、暴力であるように見えるが、それにちがいはないけれど、つまるところ、じつは自分の心が自分を「管理社会」に合わせて管理しているのだ。
 
夜。
僕は友達が少ない』(2011)第4話まで観る。