「白聖女と黒牧師」(2023)を観る

曇。
よく眠れてすっきりした朝だが、喉のいがらっぽさだけ少し残る。それより寝すぎで腰が痛い。いずれにせよ、今日も一日おとなしくしているつもり。
 
昼寝。

ユキノシタ(雪の下)。次々と咲いてきた春の花ももうおしまい。
 

吉本隆明全集28 1994-1997』を読み始める。何もしたくないときに読める本が本当に減った。吉本さんはいつ読んでもおもしろい。
『究極の意味で理想の都市とは何か? これは大真面目に論じるのも愚かなことです。人間にとって一番、理想の状態ははっきりしていますよ。それは、端的に二十四時間、全く働かないこと。ボタンを押せば食い物がひとりでに出てきて、自分の好きなものが食べられる。それからどこかへ遊びに行きたくなったら、ボタンを押せば、椅子が自動的に移動してゆく。眠くなったら、また別のボタンを押す。そうするとするすると自動的にベッドメーキングされて、横になる。(中略)(要約。これじゃ糖尿病になるっていうのなら、ボタンを押して海岸へ行って遊べばいい。森林浴、運動も、したければボタンで行ってすればいい。)(改行)だれが何と言おうと、僕はそれ以外の理想はないと思う(笑)。これこそが「欲望」の理想ですよ。簡単明瞭なことじゃないですか。この簡単明瞭な事実を、思想家や主義者はしばしばねじ曲げて、目隠ししてきた。認めようとはしなかった。何かしら理想の大義名分で飾りたてようとしてきた。どうしてこの「欲望」の姿を、認めようとしないのか。自分自身が、そこから自由になれもしないくせにね。』(「都市から文明の未来をさぐる」p.39-40)
 これは強力な人間理解だと思う。しかし、ここには他人との関係性がない。世界は、他者がいるからこそ、楽園であり、地獄なのだ。ずっとひとりでいられるなら、話はまた別だが。
 
『いまだかつて人類は、環境に不適合を生じて滅びたということはないのです。ある人種が戦争で滅びたとか、殺し合いをして滅びたということはあります。けれども文明の進行方向に従ったがゆえに、滅んだということはないんです。歴史的に一度もない、ということはこれからもおそらくないと言えます。ですから文明が発達すれば、その精一杯の範囲内で人類は適応性を発揮して、新たに環境に適合する諸条件を必ず見つけ出すと思います。そういう面に関しては、僕はひじょうに楽観的に考えます。』(「都市から文明の未来をさぐる」p.52)
 吉本さんは「加速主義」者そのものだな。「人新世」をどう考えるか。わたしはその点、悲観的なのだと思う。吉本さんのように楽観的になれない。ただ、人類が近い将来滅びたところで、どってことないと思うくらいには楽観的(?)あるいは楽天的だが。いつかは必ず滅びるのだ。いつ滅びたって、似たようなものである。ただ、滅びに対して自分なりに抵抗したいと思うところもあるが。
 結局、極論をいうと、吉本さんは人間の世界が完全に人工化し、いわゆる「自然」「生態系」というものが周りになくなってしまっても、まったくかまわないのだと思う。「自然」と共存し、生態系の一員として生きる、ということは、必要がない。その意味で、都会人の典型だ。もっとも、田舎でも事情は同じだが。
 
『都市が人の欲望を刺激し、吸引する。その同じ欲望を、農村はまったく味方につけることができないでいます。』(「都市から文明の未来をさぐる」p.36)
 現代の田舎者の少なからずが、都会に憧れるのはまちがいない。「田舎で暮らすとか、何の罰ゲーム?」ってね。何度も書くが、飛騨の高校生の八割が、卒業して地元を離れるという。
 特に田舎の若い女性が、都会へ出ることがわかっている。田舎には、彼女たちを満足させる職業がない。古くさい田舎は、女性にやさしくない。田舎は、刺激的じゃない。
 やはり、吉本さんのいっているとおり、欲望の形態が問題なのだと思う。
 

 
夜。
『白聖女と黒牧師』(2023)第12話(最終話)まで観る。いやー、たわいなくもとってもいい作品だった。聖女様と鈍感な牧師さんの「恋」が尊すぎて浄化される。アニメってのがそもそもイノセントなのだが、これはその中でもとりわけイノセント。原作は少女マンガなのかな? その割に、女の意地の悪さが出ていないと思う。
 ED 好きなのは前に書いたが、ずっと観ているうち OP も悪くないなって思うようになった。OP曲は ClariS の中ではいちばん好きかも。

調べてみたら、原作は少年マンガということになっていた。なるほど。このイノセントぶりはそうか。全然話題にならなかった作品だけれど、僕の好きなアニメ YouTuber は評価してたんだよねー。どうでもいいがその人、仕事が忙しくて新作動画が全然出ていなくって、わたしはさみしいのである。