倉林靖『澁澤・三島・六〇年代』

曇。
午前中、ブラウザの長いこと放置されている「ブックマーク」をひとつずつクリックして、サイトが生きているか調べる。古いブックマークは、随分とリンクが切れているな。昔の個性的なサイト、ホームページ類なんか、かなりが消滅している。ここいらが書籍とちがうところで、本は物質だから所有していればいつまでも(?)読めるけれど、インターネットのサイトはドメインが消滅し、サーバからデータが削除されればそれでオシマイである。
 まあそのために Internet Archive なんてのがあるわけだけれど、昔のサイトが、そのまま保存されているとは限らないしな。正直いって、僕は、消滅したサイトを Internet Archive で閲覧したことはないと思う。まあ、自分で特に思い入れのあるサイトとかなら、wget とかで個人的に丸ごとダウンロードしてしまうのが確実だろうが、法的には問題だろうしな。
 たぶん、昔ながらのホームページとか、いま作ってもなかなか Google に認知されず、誰も見なさそうである。いまはゴミみたいなサイトばかり上位に来るので、ブログなんかもきびしい。AI時代になると、各サイトに飛びすらしなくなるだろうな。ま、しかし、個人ブログなんか、そういう末路でいいんだろうが。却ってさっぱりしていると、いえないこともない。
 あと、「リンク集」ってのもなくなったよね。あれ、なつかしい文化である。いまでも、この人の興味がある「リンク集」とか、あるといいのにって思わないこともない。はてなアンテナとか、いまでもそれに近いところもあるけれど、さて、皆んなどれくらいはてなアンテナを知っているものやら……。
 そうそう、古いハードディスクなんかも、なにが保存されていることかしらねえ。魔窟である。
 

毎日食べている老父の畑のスイカ。まだまだいくつかあるぞ。
 
昼。晴。
ミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。ハニーディップ+ブレンドコーヒー473円。
 図書館から借りてきた、倉林靖『澁澤・三島・六〇年代』(1996)を読了。承前。いやあ、これまで書いてきたとおり、30年前のなかなかおもしろい評論だった。主に澁澤と三島を扱った文芸評論であるが、美術評論でもあり、時代を扱った文明評論でもある。こういう本格的な「評論書」を、ひさしぶりに読んだし、こんなのは、現在では事実上、不可能であるかも知れない。
 これは本書を読んでわたしが勝手に空想しただけだが、前にも書いたとおり、現在は敢て澁澤か三島かと問えば、「三島由紀夫の時代」といえるかと思う。(言葉による)観念・思想の時代、いわば「空疎」な時代。澁澤は、イメージの人だ。観念すら、イメージのように「愛する」人。そもそも、「観念を愛する」とは、特殊な才能、いわば「天才」が必要である。わたしたちにそんな天才はない。
 イメージの凡庸さということを、浅田さんはかつていっていたと思う。イメージはただ見てしまえばおしまい、毒にも薬にもならない、みたいな。これはまさに、すべてを体験し尽くした、ポストモダン的すれっからしの実感だ。まさに、わたしはこれこそが「現代」であると思う。イメージはいわばバカでも見られるし、どれほど積み重ねても、なんにもならない。それは、頭がよくないと理解できない、抽象概念とはちがう。
 まさに澁澤は、そのような(凡庸といわれる)イメージ、想像力の世界の住人だった。本書では、澁澤には「オタク」の元祖のようなところがあると、ちらっといわれていたと思う。わたしが付記しておけば、そのような「イメージの世界の住人」になるには、自然(ピュシス)に親しんで、すべてを解体し「空無化」する、一種の「ナイーブな天才」が必要なのである。(いまでは広く非難されている)ユング的な、集合的無意識の世界、というか。
 そして繰り返すが、現代はかかる、(晩年の)澁澤的な世界ではない。これは、強調しておきたいと思う。現在は、イメージではなく、(秀才たちによる)抽象概念の時代なのである。いま、澁澤みたいな「ナイーブな天才」はまずいない、ということだ。

帰りにカルコスへ寄る。探していた橋本幸士『ホログラフィー原理とはなにか』(2026)を見つけて購入。ブルーバックスを買ったのはどれくらいぶりだ?
 

 
夜。
えっ、『みいちゃんと山田さん』来年アニメ化されるのか。これは驚いた。ものすごくシビアな鬱作品だから、SNS でも賛否両論らしいな。だろうね。
 ちょっと調べてみたら、アニメ化発表があってすぐに、あるジャーナリストの方が「アニメ化反対」の署名活動を始めたらしいな。確かに、それくらい毒のある問題作ではある。
 
『さよならララ』第4話を観る。うーん、滋賀アニメおもしろいな。で、どうして「さよなら」なのかなんとなくわかった気がする。いや、まだそれは早すぎるか。
 OP曲、いきものがかりか。悪くないな。
 
『透明な夜に駆ける君と、目に見えない恋をした。』第4話を観る。地味な低予算作品だなあ、でも、まちがいなく今季いちばん楽しみにしてる。全盲か。小春ちゃんには、不器用なかける君はやさしいんだろうな。切なくて胸が痛くなってくるくらい。

NHKスペシャル「インサイド・トヨタ」を観る

日曜日。曇。
 
NHK ONE で NHKスペシャル『インサイド・トヨタ』を観る。50分。半泣きになりながら観た。テスラや中国の台頭でトヨタももう危険だけれど、トヨタが終わったら日本(の製造業)終わる、みたいな、すごい危機意識の中で車を開発しているんだな、ってのがひしひしと伝わってきた。日本終わったっていいじゃん、ラクーにテキトーにやろうよ、みたいなことは、正直、彼らにわたしにはいえないんだなって、よくわかった。
 なんか、日本は小国だけれど、「日本」が存在すること、というか、消滅してしまわないことが、世界にとってきっとよいことなんだって、そういう確信、実感がある人が、わずかに日本人に存在するわけだ。製造業にも。
 もう終わりかけている、日本の製造業、あれはなんだったんだろうな。わたしは日本の製造業がもっとも強いときに同時代的に育ってきて、それがいわば当たり前だった。いまでもときどき、どうしてこんなことになってしまったんだろうなって、凡人なりに思うことがある。
 なお、この番組を観るまえに togetter のまとめで、3交代制24時間開発をしている中国企業に対して、日本の法律を遵守した労働時間で対抗するのはムリ、みたいな論点で大論争(?)になっていたのを先に読んだんだけれど、この番組から自分が衝撃を受けたところと、それは正直いって全然ズレていたなと思う。ま、わたしが世間知らずだからかも知れないが。
 それにしても、ものづくりの現場ってすげーなって、つくづく思ったわ。わたしはモノ Das Ding からひたすら遠い生活を送っていると痛感せざるを得ない。
 

夾竹桃、昨日大垣にて。かつてはよく見かけたが、強い毒性があることが広く知られるようになって、あっという間に見なくなったな。
 
昼。晴。
珈琲工房ひぐち北一色店。駐車場がいっぱいなくらい混雑して、慶賀である。タンザニアの珈琲。
 倉林靖『澁澤・三島・六〇年代』の続き。承前。おもしろくて一気に読み切ってしまってもよかったのだが、そうすると帰りが少し遅くなりそうだったので敢て中断した。1996年の刊行、30年前の本でこの時代は、既に薄っぺらかった筈だが、じつに地に足のついた、中身のたっぷり詰まった評論である。著者はわたしよりたった(?)8歳年長なだけで、本書は36歳のときの著作であるが、じつに立派なものだ。わたしはこれまで、著者のことは名前も知らなかった、もちろん現在も御存命(66歳)である。
 今日は個人的に特に「頭が悪い」ので、本書の内容について語れないが、それにしても、もう平成に入ってから、かかる中身のある評論を書くことができたというのは、驚きである。わたしはあたらめて自分の「ニセモノ」たるを実感させられた、やはり、実力があれば、歳の近い世代でも、こんなものが書けているんだな。
 著者の本は何冊か県図書館で借りられるので、是非他にも読んでみよう。
 それにしても、千年王国とユートピアか。現代はある意味「ユートピア」が現実化した時代で、そのことそのものが「不健全」であり、しかもそれはむろんディストピアとしてである。しかし、ユートピアは母性的、子宮逃避的な静的世界であるが、このディストピアはじつはマッチョでもあり(フェミニズムなどを見ればわかるだろう)、父性的、切断的、暴力的でもある。いわば、父性的な論理と暴力によって我々を「テクノロジーによる子宮」内のまどろみに閉じ込める……? 子宮(マトリックス)は徹底的に管理され、その内部には、もはやどこにも逃げ場がない。「デジタル・ナルシス」なんて、言葉もかつてあったっけな。
 まあ、なんでもいいさ。
 

 
夜。
『才女のお世話』第4話を観る。凡庸なテンプレ展開だな。ただ、ちょっと雰囲気のちがう ED がいい。これで本篇もやってくれればいいのに。
『そらのおとしものf』第6話まで観る。ニンフとアストレアの話が多くて、イカロスの出番が少ないな。ま、そのうち出てくるんだろうけれど。

「ヴェルビエ音楽祭2026」における辻井伸行君の演奏会

晴。
 
大垣。
ミスタードーナツ大垣ショップ。エビグラタンパイ+バターチキンカレーパイ+ブレンドコーヒー721円。お腹がすいていたのでパイ 2個食ったった。あまりに暑いせいか、客がひどく少ない。
 鈴木大拙『禅百題』の続きを読む。
『只々謎を解くような気で学禅すべきでない。併し人生そのものが大きな謎だから、それから出るもの、或いはそれを構成しているもの、全てが謎でないものはない。我等は一生この謎を解きたいと知的に考えながら、それができないままに、行為的に、無意識に、謎を行じていく。解けたようで、解けないようで、生まれて来て死んで去く。何と云ってもこれ以上には出られないのである。』
 これはわたし程度でもつくづく思う。ふつうに平凡に生きること自体が既に大問題で、そんなことが解けず、仮にひとつ解けた気がしても問題は次々に起きてきて尽きるということがない。どれほどえらい人でも、これはたぶんそうなのである。ましてや、わたし程度をや。
 午前中から外気39℃だ。ひとりでの長時間運転はいつもそれだけでどこか瞑想のような感じがする。今日は車中でずっとバッハを流していた。

 
昼食後にスーパー、クレイジーな暑さ。車の外気温計でではあるが、42℃は死ぬ。
プリペイドカードにチャージ。鰆(サワラ)がわりときれいな色をしていると思ったが、三人分で1200円はさすがに高すぎる。代わりに刺し身(マグロ中トロ、鮭、鯛など)にする。卵は10個一パック240円ほどと、不思議と安かった。なんかテレビで、暑さで鶏が死んだり、卵を産まなくなったりでたいへん、っていっていたがな。ウナギの蒲焼きが大量に並べてあったが(どうも明日が「土用の丑の日」らしい)、もうスーパーでは何年も買ったことがない。
 
お八つによく冷えたスイカ。今年は老父の畑のスイカが豊作で、毎日食べている(これで4個目かな)。甘くて水分たっぷり。
 
https://www.medici.tv/en/concerts/verbier-festival-2026-nobuyuki-tsujii-solo-recital
「ヴェルビエ音楽祭2026」における辻井伸行君の演奏会(7.23)配信。
 曲はグリーグの「抒情小品集」〜「アリエッタ」「ワルツ」「愛の歌」「トロル(妖精)の行進」「ノクターン」「トロルドハウゲンの婚礼の日」/ショパンの(二つの)ノクターン op.27、アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ op.22/ドビュッシーの「夢想」、「映像」第一集/チャイコフスキーの「 くるみ割り人形」(プレトニョフ編)。
 すばらしい! これが現在世界最高レヴェルのピアニストだぜ。心にしみる美しい音、超絶技巧、安心して(あるいは驚愕して?)聴ける音楽性、まったくいうことなしである。
 また、選曲が楽しい。正直、ドビュッシーや(ショパンの)ノクターン以外は個人的にほとんど聴かない曲ばかりだが、グリーグやチャイコフスキーの魅力的なことといったら。これ、クラシック音楽をあまり聴いたことがない人でも楽しめると思う。ま、この(期間限定)配信、アカウント登録(無料)をしないと視聴できないのは残念だけれどね。わたしは辻井教徒だけど、でも、きっと信者じゃなくても楽しいよ!
 

 
夜。
『無自覚聖女は今日も無意識に力を垂れ流す』(2026)第4話まで観る。なろうアニメか、なるほど、悪くないな、女性向けの作品かな? 題名がネタバレになってる。

「劇場版サイレントメビウス」(1991)を観る

晴。
 
母診察。定期検査はオール・グリーンというわけにはいかなくて、懸念箇所ありと。まあ、数値は悪くないし、はっきりとはしていないので、十月(だいぶ先である)にまた検査してみましょう、と。ま、齢八十を超えているし、検査すれば何かしら見つかるよなーってところ。
 今日も暑い日、猛暑酷暑になりそうだ。庭の富有柿(百歳になろうかという古木である)がたくさん青い実を付けている。
 
昼。
焼きそばを作って食う。暑い日々に、昼飯は麺類が気楽だ。
(これでアメリカは13日連続でイランを攻撃。トランプ大統領は、イエメンのフーシ派がサウジアラビアの石油タンカーを攻撃したことを受け、イランとフー​シ派に対する「大規模な軍事的報復」を警告したという。中東全体に戦火が広がるのか。一方でイラン革命防衛隊は、アメリカの B1爆撃機に基地を提供しているイギリスも、攻撃対象に加えると警告した。ドーバー海峡で軍事訓練を行ったロシアであるが、石油施設へのウクライナの攻撃によりガソリン不足であり、謎なことに(石油不足の)インドがロシアに輸出している。アメリカ政府は、世界に衝撃を与えた中国製AI「Kimi K3」がアメリカ製AIの出力を不当に「蒸留」したものを開発に利用したと発表し、制裁をにおわせている。日本の小泉防衛相は、日本の「非核三原則」の見直しを示唆する発言を公にした。
 もちろん、こんなことは我々愚民にはたぶんどうでもよいことである。というか、これらについて考える知識も能力も、時間もない。我々愚民にとって、ただ日々の平安な暮らしの中で、おまんまが安心して食べていけるのがいちばんである。それは疑いないし、それに尽きる。)
 
ガザの避難民キャンプ、使い捨てライターが命繋ぐ貴重品に 1個5300円へ急騰(ロイター) - YouTube
 
U-NEXTで『劇場版サイレントメビウス』(1991)を観る。総監督は菊池道隆(麻宮騎亜)、53分。
 往年の角川映画かー、制作は角川春樹で我らの時代って感じだな。もちろんセル画アニメで、描き込みがすごくて味がある。しかし『サイレントメビウス』って、こんな話だったのね、原作マンガは人気があって、学生時代に友人が読んでいたのを覚えている。

「リアル世界」と言葉

晴。
 
第769回:山本太郎という政治家がいた、13年間。の巻(雨宮処凛) | マガジン9
わたしがネットの片隅からたまに見ていた限りでは、山本太郎はずっとバカにされてきたように思う。いまつくづく思うのは、本当に「天は見ていない」のだな、ということだ。
 しかし、「いつまでもいると思うな山本太郎」というのは、ほんといい得て妙だと思う。
 
https://www.radioclassique.fr/replay-concerts/grand-concert-de-lorchestre-philharmonique-de-monte-carlo/
山田和樹の指揮、モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団によるベートーヴェン、交響曲第九番 op.129 の演奏会(6.14)配信。
 聴き始めてすぐに、唐突にも、もっとも独創的だった頃の佐渡さんを思い出してしまった。音楽の解釈がどうというより、聴いたことのないような響きのベルリオーズにびっくりしたことがあるが、ここでの山田和樹も、かつて聴いたことのないような響きのベートーヴェンを現出させている。これだけで、この配信を聴く価値があると思う。
 別に「必聴の名演」ではないかも知れないし、こんなのはベートーヴェンではない、という人もいるかも知れない。でも、クラシック音楽はいまゆっくりと死につつあるのではないか、などと思っておられる方は、聴いてみるとよいかも知れない。ここには、いまを生きているフレッシュで独創的な音楽がある、ように、わたしには、思われる。
 なお、わたしには声楽がわからないのだけれど、終楽章、ソリストたちも合唱も、正直、かなり残念な感じが個人的にした。
 

一昨日、市民公園にて。
 
昼。
冷やし中華を食す。
しばらくダラダラとネットを見たりしたのち、お八つに自家産のスイカ。うまいべ。
 
酷暑の中イオンモール各務原へ、店内は一年中暑くも寒くもないようにコントロールされている。さて、3Fフードコートなど、夏休みの子供たちでごった返しているな。
 ミスドにてエンゼルフレンチ+ブレンドコーヒー484円。そんなに長い行列というわけでもなかったが、キャッシュレス決済にまだ慣れてない人が多かったようで、レジがなかなか進まない。結局、20分くらいレジ待ちをした。
 倉林靖『澁澤・三島・六〇年代』(1996)を読み始める。30年前の本だが、これが、(意想外に)とってもおもしろいのである。倉林靖(1960-、現在66歳)という方は存じ上げなかったが、美術評論家、音楽評論家、ということらしい。
 わたしは、澁澤龍彦はかつてよく読んだがいまはほとんど著書を開くこともないし、三島由紀夫はといえば代表作すらすべて読んだとはいえず、かつても今もあまり興味はない。でも、本書は澁澤と三島を絡み合わせて論じながら、もっと「普遍的」な問題に深く没入しているがゆえに、興味が惹かれ、考えさせられるのである。
 それは、わたし流にいえば、「リアル世界と言語」の問題、とでもいえるだろうか。ここで「リアル世界」というのは東洋思想でなら「渾沌」や「無」とでもいわれるべきもので、「言語」と対立する概念としてここでわたしは使っている。誤解を恐れずにいえば、「レファラン(指示対象)」と「記号」の二項対立、といってもいいだろう。
 詳しくは述べないが、著者は澁澤が三島を評して、「たしかに三島の内心には、イスラエル軍のラッパのひびきによって、エリコの城壁の崩れるような奇跡を待望する心情があったであろう」(p.30)と書いているのを引いている。わたしはこの澁澤の文章(「ランプの廻転」)をよく覚えているのだが、いまこれを読んでみると、非常に含蓄が深くて、たんに三島文学の要諦をよく示しているに留まらないように思える。
 つまり、三島の文学は「言葉は直接的に現実を動かす」、そういう文学観の下にかかれているということだ。
 それに対して、澁澤の文学観はもっと穏当なもので、「文学は我々の心の中のなにかを動かすだけである。それが、さらに現実を動かしうるとしても」という感じだろうか。
 これは人間の二つのタイプを示しているとすらいえよう、ちなみに、わたしは澁澤的なタイプである。例えばわたしがここで仮にどれほどの力のある文章を書いたとしても、次の朝起きたとき、世界のそのものが一変していることはない。わたしの文章が変えうるのは、精々読者の心の中だけだ、そのことが、世界を結果的に変えるということは、あり得るとしても、というかね。
 さらに(簡単に)いっておけば、三島にはじつは、(わたしのいう)「リアル世界」がいわば「なかった」のだと思う。三島には、たぶん、言語(や思想)がすべてだったのだ。だから、三島の「自決」も、本人にはあくまでいわば「観念世界」の出来事であった。わたしはそんなふうに思うし、たぶん、澁澤もそう思っていたのではないか。
 で、唐突に現代の話をするが、現在もまた、「リアル世界」がある意味、存在していない。すべてが、記号に覆い尽くされ、その「記号」や論理命題がそのまま「現実」と思われている。そして大量の記号と「思想」が濁流のように流通し、すべてが無意味なホワイトノイズと化していっている。
 例えば、インターネット(によるサイバー空間)はわたしのここでいう「リアル世界」ではない。それは、(生命力をほとんど失ったところの)「言葉」でしかないのだ。
 だから、いまは「三島由紀夫の時代」なのではないか。
 ついでにいっておけば、「レファランと記号の二項対立」というとき、それは全単射ではなく、後者(記号)の方が圧倒的に「数が多い」。レヴィ=ストロースは「シニフィエに対するシニフィアンの過剰」ということをいっていたが、似たような話ではないか。
 

7.9 柳ヶ瀬にて。
 
肉屋。豚ロース肉×3 を買う。
 
夜。
『無職転生III ~異世界行ったら本気だす~』第4話を観る。うん、いつも思うが、この作品は少しちがう。あまり、アニメらしくないといえばそうなのかもな。確かにバカっぽいところはあるけれど、「人生」を感じる、って、大げさか。
 
『そらのおとしものf』(2010)第2話まで観る。2期。

こともなし

晴。乳白色の空。
自分の意見(の正しさ)に拘泥すると、心がルサンチマンに塗れる。わたしはそういう未熟な人間だな。なかなかそこから脱却できない。
 
鈴木大拙『禅百題』を読み始める。折に触れて書かれたものを纏めた本で、いわば随想録、一般向けである。戦時中、昭和18年の出版。わりとわかりやすく書かれていると思うが、大拙であるから、もちろんどれだけでも深く読み込むことができる。禅というものは、ある意味「基本の徹底がすべて」ともいえようから。
 実際、頭でわかっているのと、現実にそれが生きて動いているのとはちがう。それは、一生の課題であろう。ふんふん、これもわかっている、あれもわかっているといって、じゃあ自分の言葉、行動で示せねば、それは死んでいる。わたしなどは、ほんとまだまだヒヨッコである。
 
老母を医者へ。いったんつつがなく終わった。まあ、これで持病が好転するかは、はっきりいってわからないが。
 家に帰って老母を降ろしてスーパーへ。メモのとおりに買ってくる。それにしても、午前中から暑いこと。
 

隣の川。木々の間でアゲハチョウが絡み合っているし、水草の上で緑色のトンボも番っている。酷暑の昼下がり、外に人影はない。
 
昼。
冷たい半田めんを食う。国際報道番組のニュースは、毎日碌でもない。国内を見ても、みずからが愚民に他ならない社会をわたしたちは生きている。
 
NMLで音楽を聴く。■シューベルトの「楽興の時」 D780 で、ピアノはマチュー・ゴーデ(NML)。この曲集を退屈と書いておられる方がいたので、おもしろいなと思って聴きたくなった。もちろんシューベルトの傑作の一である。ゴーデはさみしくも哀愁に満ちた演奏というか。
 ゴーデのシューベルトは、昨年の夏に少し聴いているようだ。シューベルトのピアノ曲全集に挑戦しているらしい。
 いわゆる「グラーツ幻想曲」 D605a も聴く、この曲を聴くのはたぶん初めて。シューベルトの自筆譜は残されておらず、しかもショパンのような新しい響きで、シューベルトの真作か、疑う人もいるようだ。確かに。しかし一聴して魅力的で、凡人の作ではないことは、素人にもわかる。
20260722125523
 
珈琲工房ひぐち北一色店。日替りはなにやら香ばしく苦いコーヒー、目が醒めた。
 ホブズボーム自伝『わが20世紀・面白い時代』の続きを読む。遅々として進まないな。
 おもしろかったのは、1968年五月のいわゆる「パリ革命」、ホブズボームはそのとき、ちょうどパリにいたのである。彼はそれにシンパシーを持ちつつも、フランス革命からの伝統を受け継ぐオールド左翼として、あれは「革命」ではなかった、正確には、学生反乱だったと判断している。それが確かに世界規模の大きな政治的潮流を生み出したことは認めつつも。ただ、68年の学生たちとオールド左翼は期せずして同じ(マルクス主義の)言葉を使っており、ゆえにシンクロが起きたともいっている。
 わたしのことはどうでもいいのだが、わたしにとって「パリ革命」というと、やはりそれが生み出した「フランス現代思想」(フレンチセオリー)が遥かに後年のわたしにも(わずかに)届いた、となる。それがもたらした「自由の空気」は、以降、世界においてそれに匹敵するものをもたなかった、といえる。わたしたちは「権力への抵抗」というと、なんといまでもまだ、フーコーであり、ドゥルーズ=ガタリということに、なってしまわざるを得ない。いまや、若い人たちは進んで(喜んで)「国家の奴隷」や「社会システムの歯車」になるようであり(皆んな「国」が大好きで、社会システムは疑問なく永遠なのさ)、自分などからすれば、状況は非常に悪化しているようにも見える。て、ま、そんなことをいってもしょーがないんだけれど。
 
夜。
夕方から、AI君と長い対話をする。
https://share.google/aimode/N1cHqrk5MxXo4Beop
「権力への抵抗」から千葉雅也さんの「戦略」について。堅固な足場などもうないことと、他人との素朴なつながり(同一空間を共有する)。他者を「記号」にすぎないものと見做している、独我論的な現代人。などなど。
 
『正反対な君と僕』第15話を観る。安定の傑作だな。自分みたいのがいうのも何だが、すごくセンスのいい作品、っていうか。どっちかっていうと等身大で現実的な話なのに、絵や色づかいがおしゃれですらあるよね。
 制作はラパントラックだけれど、この作品のEDが『小市民シリーズ』(ちなみにこれ、明確な岐阜アニメだ)のそれとそっくりな部分があると思ったら、同じ制作会社だったわ。たぶん意図的だよね。
 
開発中のAIが別のAI新興企業に“前例のない”サイバー攻撃 オープンAIが発表(ANNnewsCH) - YouTube
なんじゃそりゃ。インターネットから隔離していたのに AI がみずから「脱出」経路を見つけてネット接続、そして他社AI をサイバー攻撃とか、SFか?

北川フラム『ひらく美術――地域と人間のつながりを取り戻す』 / 「そらのおとしもの」(2009)を観る

晴。
起きてまず、ラジオ体操へ歩いていく子供たちの声に気づく。
冷房の効いた部屋から一歩出ると、朝からめちゃくちゃに暑い。蝉時雨がにぎやかだ。
 
午前中、椅子に座ったり、ベッドの上で部屋の壁にだらしなく凭れたりしながらただひたすらぼーっとする。このところこんなんばっかりで、一日に百歩くらいしか歩いてないんじゃない? 暑くてなかなか外へ出て散歩もできんしなー。脚が弱るぜ。頭も弱るか、いや、もともとおたんちんだし笑。
 

くそ暑い。昼食は老父とイオンタウンの丸亀製麺にて、わたしはとろ玉(並)+ちくわ天+いか天1000円。冷たいトロロうどん、うまいぜ。
イオンタウン内の百均(DAISO)へ寄る。ははあ、ここもセルフレジになっていたんだな、って別に当たり前か。
自宅近くのドラッグストアにも寄って、いつものごとくアイスクリームを常備だ。昼のニュースではこの一週間、最高気温の予想が毎日39℃とか40℃とかいっている、ひからびそう。
 
老母を医者まで送っていったついでに、図書館。と思ったら、昨日が祝日であったせいで振替休館日だった。しょうがないので、ブックポストを通して返却だけする。
異常な暑さ、車の外気温計だと41℃、まあ、さすがにアスファルトの上のせいもあろうが、それでも、ね。
 
図書館から借りてきた、北川フラム『ひらく美術――地域と人間のつながりを取り戻す』(2015)を一気に読了。本書を批判することは簡単だが、いや、わたしには結構おもしろかったね。田舎とお金と現代アートか。そもそも、その現実をわたしはまったく知らない。

 
持病を好転させようと、老母が(比較的リスクの低い)手術、無事終わる。
夕食はわたしが簡単に作る。まあ、グリルで魚を焼いたり、キュウリとキムチとツナのサラダを作ったりとか、誰にでもできるレヴェル。
老母は少し痛みがあるよう。
 
承認が足りない | 内田樹の研究室
『「他人が君をどう評価しようと、そんなこと気にしなければいいじゃないか」と若い人に言ったら怪訝な顔をされた。「内田さんは、自分の投稿についてるリプとか見ないんですか?」と訊くから「見ない」と答えた。知らない人間が私についてどういう評価を下すか私には興味がない。家までやってきて、「書くのをやめろ」と「人前で話すな」とか言ってきたらお引き取り願うけれど、知らない人がネットに何を書こうと私は与り知らない。時々「内田さん、『炎上』してますよ」と親切に教えてくれる人がいるけれど、燃えようが鎮火しようが、所詮ただのディスプレイ上の点滅である。
 そう言ったら化け物でも見るような眼で見られた。若い人たちは「エゴサーチ」ということをするらしい。とりわけ自分の悪口を言っている人間がいると、そのアカウントまで行って、書き込みを全部読み、どんなアカウントをフォローしている人間なのかも調べるのだと聞いてびっくりした。それほどまでに自分が「世間でどう評価されているのか」が気になるのなら、これはもう病気である。』
 
夜。
『転校先の清楚可憐な美少女が…』第3話を観る。うーん。
『才女のお世話』第3話まで観る。うーん。
 
『そらのおとしもの』(2009)第13話(最終話)まで観る。傑作。八割はしょーもないギャグなんだけれど、自分が戦闘エンジェロイドだってイカロスが思い出してからの展開は哀しかった。特に最終話は号泣不可避。まったく、昔のアニメは力の入ったいい作品が多いな。