晴。
朝から蝉がうるさい、夏という感じがする。アブラゼミと、クマゼミ? 恥ずかしながら、鳴き声でどれだとかは、よくわからない。ぼーっと聞いている。
今朝の最低気温は28℃だそうだ、エアコンなしでは寝られなかった気がする。ヨーロッパの酷暑で、フランスでは数少ないエアコンの設置を求めて殴り合いまで起きているとか。
わたしは不健全なことにコンテンツ消費ばかりしていて、頭の中がちょっとうるさくなっていた。やはりというか、本を読むのがいちばん頭の中がうるさくなる。昨日はだから、これでもクールダウンしたつもりなのだ。でも、一日中何もせずぼーっとしているのも、それはそれで不健康なのかも知れないしな。
いちばん精神にとってふつうに(?)「健全」な生活はたぶん、手近にいる人たちとテキトーにどうでもいいことをダラダラしゃべったり、一日二三時間程度「仕事」をしながら、興が乗ったら歌ったり、踊ったりという生活なんだろうが、「有意味」なことばかりしている我々は、もうそんな一日は、なかなか送れなくなった。
わたしたちは、かしこくなりすぎたし、周りの人間から切断されて、孤独になりすぎた気がする。
わたしたちの課題は、この合理的な効率化社会に、いかに「健全」で「無意味」な生活を取り戻していくか、ってことなんだろうな。なんで二十一世紀にもなって、我々は社畜として長時間ハードワークせねばならんのか? それは、我々が洗脳されて管理・収奪されているからだ、ってね。
暑いので老父に早く畑から上がってもらわないといけないから、バスタブの掃除を早めにする。
ファブリツィオ・シオヴェッタというピアニストを聴く
晴。
NMLで音楽を聴く。■ブラームスの 七つのピアノ曲 op.118、三つの間奏曲 op.117、四つのピアノ曲 op.119、七つの幻想曲 op.116 で、ピアノはファブリツィオ・シオヴェッタ(NML)。2024年の録音。
ファブリツィオ・シオヴェッタ(1976-、今年50歳)はスイス出身のピアニスト、「シオヴェッタ」は「キオヴェッタ」とも。わたしは2019年にバッハ、シューベルト、モーツァルトなどをまとめて聴いてその「心のきれいさ」にひどく感心したようだ。検索してもあまり引っかからず、ちょっと意外、もっと言及があってよさそうに思えるんだが。
AI君によれば「ジュネーヴ音楽院で学び、巨匠パウル・バドゥラ=スコダやジョン・ペリーらに師事しました。音楽学や文学、数学にも精通する高い知性を持ち」とあって、なかなかに興味深い。

■ハイドンのピアノ・ソナタ第三十三番 Hob.XVI:20、第五十三番 Hob.XVI:34、第三十一番 Hob.XVI:46、ソナタ ヘ短調 Hob.XVII:6 「ピッコロ・ディヴェルティメント変奏曲」、十二の変奏曲 変ホ長調 Hob.XVII:3 で、ピアノはファブリツィオ・シオヴェッタ(NML)。2013年の録音。


ハイビスカス、7.12 に撮ったもの。
昼。
(メモ。2025年のAI技術への各国の民間投資額は、1位がアメリカの2858億ドル、2位が中国の124億ドルで、日本は14位の11.1億ドル――これは1位アメリカの 1/200以下、8位イスラエル、9位オーストラリアの半分以下であるという。こんなことは我々一般人にはどうでもよいことかも知れないが、日本の企業経営者がなにを考えているか、推測する一助にはなるだろう。事実上、日本には世界的IT企業は存在していないし、その分野で世界に既に追いつこうともしていないのは明白である。ま、そんなことは、どうでもいいんだろうが。)
(ちなみに、日本経済の没落の原因について AI君に訊いてみたところ、少子高齢化、産業構造の転換(産業のデジタル化・IT投資)の失敗、デフレマインドの定着の三つを挙げていた。これも、どうでもいいことなんだろうな。)
夜。
U-NEXTで SAO-P 劇場版二作を観る。「プログレッシブ」はアスナが主人公やな。特に二作目がいつも泣けてしまう。SAO はデスゲームの戦闘もすごい迫力なんだけれど、結局僕はラブストーリーとして観ている気もする。「キリアス」皆んな好きだよね笑。恋するめっちゃ強い女の子、の代表的作品だよな。
そういや、劇場版SAO の完全新作の、制作が発表されたな。「アリシゼーション」の続編らしく、楽しみだけれど、「プログレッシブ」の新作でもよかったよなー。
諏訪哲史『岩塩の女王』
晴。
夏の朝の匂い。蝉が鳴く。
NMLで音楽を聴く。■ショパンのポロネーズ第二番 op.26-2、第一番 op.26-1、第四番 op.40-2、第五番 op.44、第六番 op.53 で、ピアノはラザール・ベルマン(NML)。1972年の録音。

■リストの ピアノ・ソナタ ロ短調、「シューベルトの十二の歌」〜No.8, 2, 4、「詩的で宗教的な調べ」〜No.7 葬送、「モーツァルト:ドン・ジョヴァンニの回想」で、ピアノはブライアン・ワリック(NML)。ブライアン・ワリックはアメリカのピアニストで、共感覚の持ち主(音の色が見える)であるという。アルバム一枚すべてを聴いた。

スーパー。暑いせいか店内ガラガラ。昨晩『さよならララ』を観ていたらはとっぴーの着ぐるみが存在していることが判明したが、ここでは見たことないな。

ホオズキ(鬼灯)、一昨日撮ったもの。
昼寝したあと、老父の畑のスイカを食う。よく冷えて甘くうまい。
コメダ珈琲店各務原那加住吉店。たっぷりアイスコーヒー620円。ひさしぶりのコメダであり、ひさしぶりのアイスコーヒー。ホット珈琲のときはいつもブラックで飲んでいるのだけれど、これもひさしぶりにガムシロップ+ミルクを入れて甘いアイス珈琲を飲んだ。
図書館から借りてきた、諏訪哲史『岩塩の女王』(2017)を読了。承前。「ある平衡」「幻聴譜」「蝸牛邸」を読んだ、ひさしぶりに畏怖すべき小説、素敵におもしろい幻想短篇集だったな。著者としては六年ぶり、小説の言葉を失ってしまってからのそれというが、言葉の構築で異世界を生ぜしめる感覚を味わったのは、わたしとしても何年ぶりであろうか。銅版画のような、モノクロの夢幻世界。
喫茶店を出て外気37℃の酷暑の夏が、まさにゆがんで別世界におもえて目眩がする。これぞ、文学の楽しみではないか。
諏訪さんの未読の小説、『ロンバルディア遠景』や『領土』、また文藝評論集の『偏愛蔵書室』も読んでみたくなった。
(アメリカ軍が3夜連続でイランを激しく攻撃している。トランプはホルムズ海峡を通過する船舶から20%の通航料を徴収するといい、ルビオ国務長官はアメリカのすべての手段をもって ICC (国際刑事裁判所)を解体するといった。これはまさにいまや世界最強のアメリカこそが「法」を破壊する国になり、世界最悪の「ならずもの国家」となったことを示している。世界が終わりつつあるか。)
夜。
『聖痕のクェイサー』第9話まで観る。おもしろい、ただのつまらんエロじゃないな。作画もレヴェルが高いし。
こともなし
曇だが蒸し暑い。
頭の中に霧がかかったようで何も考えられない。充分眠ったのに眠く、しばらく二度寝する。予想もしないような夢を見る。
ひどく暑いので、黙々と家のことをやっている老両親が心配である。老父には早めに畑から上がるようにいう。若いわたしが、冷房の効いた部屋でのんびりしてるというにな。
「ペシャワール会報」 No.168 に目を通す。アフガニスタンは最貧国のひとつで、そのいちばんの課題は(地球温暖化によると考えられる)大規模な干ばつとゲリラ豪雨であるという。これは世界的に一般にほぼまったく知られておらず、わたしもこんな機会に思い出すのみだ。PMS は従来の水路の構築に加えて、溜池の造成を始める計画だという。アフガニスタンのタリバン政権は、国際的に承認されているとはいえず、国内はなかなか安定せず、行政能力もまだまだ低いという。

木槿(ムクゲ Hibiscus syriacus)、昨日庭で撮ったもの。
昼。
冷やし中華を食う。
老父の畑のスイカを食う。よく冷えて、甘く水気たっぷりでうまい。
●室井摩耶子: 伊熊よし子のブログ
伊熊よし子さんというのはどういう方かよく存じ上げないが、いま、音楽について書かれる日本のプロで、わたしが(知る限り)唯一よいと思っている人。もっとも、このブログでしか知らないが――褒めるにせよ、いいかげんな褒め方を絶対にされないのを心強く思っている。いまの日本のクラシック音楽のライターは、いってみれば、いいかげんな形容で、心にもないおべんちゃらばかり書いているから。また、深い知識がおありになるのに、上から目線になったりとか、へんに物知りぶったりも絶対されない。こういう言葉をきちんとだいじにされる方は、他にほとんど(いや、まったく?)いないのである。って、わたし程度のいうようなことではないけれど。
#
ミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。エンゼルフレンチ+ブレンドコーヒー484円。
ホブズボーム自伝『わが20世紀・面白い時代』の続き。おもしろくて今日も一時間半くらい読んだが、これでようやっと第十三章まで(本書半分といったところか)。
いちいち感想を書くには及ばないんだが――フルシチョフによるスターリン批判(1956)がイギリス共産党に及ぼした大嵐、これはホブズボームのいうとおり、コップの中の嵐にはちがいないながら、彼らにはたいへんな激震であった。そんな記述がなぜおもしろいのか、わからないといえばわからないが、人間の愚かさと高貴さは、こんなところにも出ていて、なんの普遍性もないとは、いえないだろう。
ホブズボームは結局、それでも共産党を離れず、後年、そのことについてはメディアなどから何度も訊かれることになるが――彼の答えのひとつは、彼の共産主義が、少年時に、それも中央ヨーロッパで始まっていたから、ということになる。いわば、非中心における、スターリン以前からの、もっとも古参の左翼であった。それから――ホブズボームは明確にはいっていないが、1956年の激震によって党を離れるということが、そう、カッコよくないというか、卑怯というか、そういう気持ちがあったことが、行間にほのめかされている。少なくとも、わたしはそう読んだ。
おもしろいのは、それを過ぎて六十年代になると、冷戦下において、資本主義の「黄金時代」という、よき時代が始まることである。ふつうに暮らしていても、生活がどんどん「豊か」になっていく、それと共にロック音楽の登場などの「文化的切断」が起きていくのである。そしてホブズボームは再婚して子育てに入り、ペンネームを使いながらジャズ評論家のような仕事もすることになる。歴史家としても著名になりつつあり、影響を与える存在になっていく。彼の人生は、自分の予期を超えた「平穏期」に入っていくのである。
興味深いのは、平和運動で広く知られる哲学者バートランド・ラッセルが、ソ連がまだ核兵器をもっていない時代、そのうちソ連が核保有国になるのは自明として、その前にアメリカがソ連を先制核攻撃すべきだ――そういう思想の持ち主だったということだ。ラッセルのような人でも、「民衆の命」などははっきりいってどうでもよいこと(=計算の対象)なのであった。ラッセルは後年、それをいわれるのをひどく嫌がったそうだが、まあ当然だろうな。現実はそんなこと(アメリカによる先制核戦争)にはならなかったのだが、(西洋の)知識人における「正義=机上のチェス・ゲーム」というものがいかなるものであるかを、これなどはよく例証しているように思える。

6.29 カラフルタウン岐阜のフードテラスにて。
夜。
『透明な夜に駆ける君と、目に見えない恋をした。』第2話を観る。感動させにきてることはわかってるんだけど、健気な全盲の女の子とか、オレ、こういうの弱いわ。来週が待ち遠しい。
そうそう、OP も ED もひとりも人が出てこない、もちろん、意図的になんだろうな。
『さよならララ』第2話を観る。いやー、2026年の滋賀・大津と十八世紀デンマークの「人魚姫」かー、わけがわからんな。一気に心つかまれたぞ。しかし、HOPカード会員登録とか、マジでわけわからんわ笑。平和堂、スポンサーかなんかか? そもそも、なんで滋賀?
「マリッジトキシン」(2026)を観る
日曜日。曇。
朝から椋鳥たちがうるさいと思ったら、色んできたブルーベリーの実をネットの上から食っているじゃないか。もー、鳥たちの方がかしこいな。
●Deutsches Symphonie-Orchester Berlin | YouTube
藤田真央のピアノ、ケント・ナガノの指揮、ベルリン・ドイツ交響楽団によるベートーヴェン、ピアノ協奏曲第三番 op.37 の演奏会(7.10)動画。
第一楽章を聴いてみた。ケント・ナガノによる凡庸な、期待を大きく下げる導入のあと、藤田のピアノが入ってくると一瞬で雰囲気が変わる。藤田真央、さすがの才能を感じるな。ただ、その藤田でも、わたしにはベートーヴェンはむずかしいように感じる。藤田はベートーヴェンを自分に引き付けて演奏できるけれど(これがすでに才能の証拠である)、まだ、自分をベートーヴェンに合わせて演奏することはできない、ようにわたし程度には思えるな。だから、自分精一杯のベートーヴェンにはなっていると思う。
それにしても、現代において古典をやることがいかにむずかしいか。もはや我々はなかなか、ベートーヴェンのように「巨大」「偉大」ではいられないのである。でも、藤田真央はまだ弱冠27歳、すばらしい才能であるし、前途有望なのはまちがいないな。
って、わたし程度があんまり何様で、ゴメンね。

6.29 カラフルタウン岐阜にて。
昼。
●ガザの音楽院はテントで音楽を続けている | office yamane
『世界中にはコンサートで純粋に楽しむ、という機会を持てない人たちも多数いる、ということを決して忘れてはならないですね。私たちがそのような方々に直接的に出来ることはそう多くはないのかもしれませんけれど、恵まれぬ、厳しい環境にいる人々へ想いを馳せ、より多くの人たちが平穏に暮らせる日が来ますようにと祈りたいです。偽善だと言われるかもしれませんけれども、それでも。』
米屋。ハツシモ10kg だが、米袋を5回使ったことにより100円引き、あと、誕生月というのでなぜか 1kgで30円引き(つまり、10kgで300円引き)があって、6880円で済みました。
餃子の王将。生餃子3人前を持ち帰りで買ったのだが、日曜日の昼なのでめちゃ混雑していた。「餃子の王将」って繁盛していない店を知らないくらいなんだけれど、それが結構つぶれるという謎。
あるブログで見かけた言葉、十九世紀、クリー族(北米先住民)のそれだそうである。
『最後の木が死に、/最後の川が毒され、/最後の魚をとり終えたときに、/人はようやく/お金は食べられないときづくのだ。』
人の心が論理機械化し、「最後の人間」が死に絶えるまで、あとどれだけだろうか。先進国の人間はなべてサイコパス化しつつある。
伊藤昌亮『曖昧な弱者の時代』(2026)読了。
金子光晴の自伝『詩人』を読み始める。
夜。
『マリッジトキシン』(2026)第13話(最終話)まで観る。うーん、ちょっと予想外れた、婚活アドバイザーの城崎(しろさき)とくっつくと思ったんだけどな。2期以降ということか、って、2期あるんかね。(後記。2期制作決定! 来年の冬アニメだってさ。)
前にも書いたけれど、OP, ED めちゃカッコよかった。話は後半ちょっとクオリティ落ちたけれど、ま、これで充分じゃね? バトルアクションもまあまあだったし。
こともなし
晴。雲多し。
●「命に対して軽すぎる」 国民民主・玉木雄一郎氏の「尊厳死の法制化」発言 いまだ消えぬ批判の背景とは?:東京新聞デジタル
恥ずかしながらよく知らなかったのだが、国民民主党の玉木党首は、医療費削減の文脈で終末期医療における「尊厳死の法制化」を主張している(2024.10.12)。玉木という人間はとても信用できず、これだけで、玉木と国民民主党を支持してはいけないことがわかる。
これは、人として決して踏み込んではいけない領域だと思うのだが、じつは、世界的にその流れは強まっている。世界には安楽死が法制化されている国があるが、それらの国ではなんということだろう、「社会のお荷物であるような人間は積極的に死を選ぶべきだ」というような圧力が、既に存在していることが、わかっている。まことに、いかなる時代であろうか、いまというのは。
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NMLで音楽を聴く。■ベートーヴェンの 七つのバガテル op.33、六つのバガテル op.126、十一のバガテル op.119、他で、ピアノはジョン・オコーナー(NML)。ジョン・オコーナー(1947-、現在79歳)はアイルランドのピアニストで、日本ではほぼ無名だと思うが、わたしはこれまで、結構聴いてきている、わたしに合うのだろう。優秀録音で知られる TELARC からたくさん CD が出ていて、ベートーヴェンやモーツァルトなどが NML でも聴ける。

スーパー。三倍ポイントの日なので客が多い。こんな日に限って、あまり買うものがないんだけれど。卵10個入パック238円は安い。
ふと、醤油の類がものすごくたくさん種類があることに気がつく。軽く二十種類以上はある。どういうもんだろうな、驚く。
ドラッグストア。こちらでたくさん買う。と、500円サービス券が発行されたのだった。

黒にゃんこ、一昨日柳ヶ瀬周辺部にて。
昼。
ブログ本(4.1~6.30)落掌、二時間ほどかけておおよそ読んだが、まあまあじゃね?自画自賛。
珈琲工房ひぐち北一色店。
諏訪哲史さんの『岩塩の女王』(2017)を読み始める。幻想短篇集とでもいうかな。諏訪さんはわたしの(数少ない)同世代の作家であり、また、現在ほとんどいない、名古屋在住の文学者、でもある。
諏訪さんの四冊の楽し(くも哀し)いエッセイ集はすべて読んだ。小説は『アサッテの人』(芥川賞受賞作)と『りすん』を読んだが、いずれもとってもおもしろい、実験的な現代小説だった。そして本書はたぶん、諏訪さん本領の、幻想文学である。わたしは幻想絵画も幻想文学も好物であるが、いま残念なことに、幻想画家も幻想文学者も、ほとんどいない、いたとしても、(わたし程度が勝手にいうが)ほぼニセモノしかいない、という感じがする。
まあ、現代という底の浅い貧しい時代にあっては、本質的に(?)、幻想絵画も幻想文学も不可能ではある。可能であるとすれば、諏訪さんみたいに(テレビやインターネットなどは無視して)書物のみに引き籠もって、一日五時間くらい読書に専念するしかあるまい、とも思われる。
一種「病的」な文体がなんとも好ましく、ああ、わたしの文体もさぞかし病的なんだろうなと、親近感を覚えるが、これはわたし程度の傲慢であろう。短篇「無声抄」「岩塩の女王」「修那羅」を読んだが、どれもすばらしく、中でも「修那羅」は傑作だと思う。わたしは泉鏡花の幻想譚を思い出したが(これが正当かはわたし程度にはわからない)、それに、少年愛的な強いエロティシズムを融合して、じつに読み応えがあった。
それにしても、わたしはバブル期から平成、令和に至る「幼稚な世界」に既にどっぷり浸っている者であるが、小説ばかりは、幼稚で底の浅い現代の小説は、残念ながら読もうとしても、読むことができない。底が浅すぎて、読んでいて文章が直ちに解体してしまい、意味が読み取れないからである。なんともひさしぶりに、現代小説を読んだという感じ。
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●第768回:原発避難者への東京都の惨すぎる仕打ち〜避難者に届いた1200万円の請求。の巻(雨宮処凛) | マガジン9
夜。
『マリッジトキシン』第11話まで観る。
永井陽右『紛争地で「働く」私の生き方』
晴。
どれだけでも眠れる。半分ウトウトしながら、何かひとつの言葉が思い出せないと、ずっと考えている。どこか、精神が閉じている感覚、ちょっとよくない。が、こういうのはジタバタしてどうにかなるものでもない。
午前中、長時間ぼーっとする。
暑い日、セミも鳴いている。これまで初夏の格好をしていたが、盛夏向けの半袖Tシャツ一枚に替える。
昼。
県営プール。外気33℃でこれくらいのはこれまでもあったが、昨日から盛夏に入ったという感じだ。必ずしも外気温にかかわらない、この感覚はなんだろう。湿度もありそうだが、たぶんそれだけじゃないだろうな。ま、科学的には気のせい、ということになるのかも知れないが。
今日は正直、プールへ行くのはめんどうな感じだったが、脚が弱っているような気がしたし、まあ、めんどうでも行くのである。実際に泳ぎ始めれば気にならなくなるのだがね。
図書館から借りてきた、永井陽右『紛争地で「働く」私の生き方』(2023)読了。この人は、いつか自分の番が来るだろうといっている。つまり、自分もまたいつか殺害されることを予感しながら、仕事に邁進しているのだ。
以前、著者と内田樹の対談をネットで読んだことがある。内田樹も立派な生き方をしている人だが、この若者(?)にはかなわないだろうなと思った。まことに、この日本においてあり得ないような人だし、さて、こういう若い日本人がいることについて、わたしはどう思うのか。
このクソみたいな国でクソみたいな暮らしをしている自分――なかなか容易でない。
伊藤昌亮『曖昧な弱者の時代』(2026)を読み始める。ロウアーミドルで「明確な(経済的)弱者」ではないにもかかわらず、自分を「忘れられた弱者」と認定し、「明確な弱者」とちがって公的な支援を受けられていない人々――著者が「曖昧な弱者」と呼ぶのは、そんな人たちであろうか。彼らには、「明確な弱者」に対する一種の「嫉妬心」があり、そのような存在(高齢者、生活保護受給者)が公的支援を受けることを心情的に許せない、そういうところがある。外国人が、「日本で優遇されている」として、そのような対象になることもある。
いわゆる老害批判。事実として抑えておくべきなのは、ここではざっくりというが、日本で優遇されているのは「高齢者」ではなく、「高所得者」だということである。日本は、(世代間ではなく世代内の)経済的な格差が「たいへんに大きい」というタイプの国なのである。それは忘れてはいけない。
だから、「再分配的正義」という観点から見るならば、であるが、象徴的な言い方をすれば、日本において金を奪い取るのは「高齢者」からではなく、「富裕層」からであるべきである――とそうなる。あくまでも、正義、からいうなれば、であるが。そこが、よく理解されていないのではないか。
#
夜。
『マリッジトキシン』(2026)第7話まで観る。なにこれ、全然話題になってなかったと思うけれど、めっちゃおもしろいじゃん。最強の殺し屋(毒使い)と結婚詐欺師のバディかー、下呂は結局たぶん、城崎(しろさき)とデキるんだよなあ。城崎、ほんとに女じゃないの? それから、OP, ED 共にカッコええ、クールだな、必ず観ている。



