晴。
 
大垣。
朝から猛暑日ミスタードーナツ大垣ショップ。36種のスパイスで作ったカレーパイ+ブレンドコーヒー457円。とてもお腹が空いていたので、エビグラタンパイ242円をあとで追加する。
 『網野善彦 対談セレクション2』の続き。増田義郎さんとの対談(1985)を読む。しかし、網野さん、いろんな新しいことを考えておられたな。感心する。古代・中世において、日本人が「日本」といって具体的にどこからどこまでを「日本」と意識していたか。つまり、「国家」の像。(先日も書いたが)パフォーマンスをする王権、あるいは、「権力」と「権威」の二重性。日本人と海、あるいは「海民」としての日本人、また、隔てるものではなく、繋ぐもの(交通路)としての海。そして網野さん独特の有名な、貨幣経済と「無縁」、絆を断ち切るものとしての貨幣、市場(いちば)。
 その他、細かいことも含めれば、無数の「独創性」がある。このようなのが、いったいのちの世代にどこまで受け継がれているのか、わたしはまったく知らないけれども。もういまは、網野さんがよく読まれた、民間の歴史ブームなんてのはない(そういえばかつて斎藤美奈子さんが、網野さんを好んで読むサラリーマンとかをバカにしていたっけ)。一種の終末意識が支配的であるようにも見える。

「スティング」(1973)を観る

曇。
蝉時雨。
 
【第170回】災害対応に女性視点を生かすには|世の中ラボ|斎藤 美奈子|webちくま
東日本大震災後、あちこちから聞こえてきたのは、避難所には衝立さえない場合もあり、着替えや授乳など女性のプライバシーが守れる場所が確保されていないという声だった。』
 なるほど、勝手にリーダーになった人権意識の低いおっさんが仕切る避難所か、同じおっさんながら、ゾッとしないな。「皆さん私たちは家族です。衝立はいらないですね」キモすぎるだろう、いったい女性はどこで着替えたり、授乳したらよいのか。炊事は女性がやればいいとか、ひどいよね。こういうところで、国民の「民度」というのが出てくるのであろう。自戒せねばならない。
 
Brahms - Symphony No. 1 in C minor, Op. 68 | The Cleveland Orchestra, Franz Welser-Möst | YouTube
ブラームス交響曲第一番 op.68 で、指揮はフランツ・ウェルザー=メストクリーヴランド管弦楽団
 
NML で音楽を聴く。■ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第二十八番 op.101、第二十七番 op.90 で、ピアノはディナ・ウゴルスカヤ(NMLCD)。重心が低いということについて考える。op.90 の終楽章がこんな風に(深く?)弾かれるというのはあまり聴いたことがない。
 
 
Nobuyuki Tsujii performs a solo recital: Bach, Liszt, Ravel, Kapustin | medici.tv
ヴェルビエ音楽祭2024 での、辻井伸行君の演奏会配信。大げさにいうと、度肝を抜かれる出来だった。
 バッハのフランス組曲第五番 BWV816。え、辻井君、バッハも弾くのだったか。正直いってまだ指は温まっていないけれど、素直でじつによいバッハ。そしてバッハの深みへしっかりと至っている。これが稀だ。
 リストの「巡礼の年 第二年補遺 ヴェネツィアナポリ」。わたしはこの曲集をよく知らない。わりと地味な曲が多くて、「巡礼の年」の中で演奏機会は少ないのではないか。しかし辻井君、リストにありがちな空疎な演奏でなく、内実のある、しかも技術的に冴えたすばらしいそれだった。もうここで、お客さんは大盛り上がり。
 ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」。まさかこのシンプルな通俗曲でボロ泣きさせられるとは。お嗤い下さい。
 カプースチンの 八つのコンサート・エチュード集 op.40 が、演奏会のメイン・ディッシュ。カプースチンは辻井君が得意とする作曲家で、現代音楽+ジャズという感じ。めっちゃ複雑でむずかしいんだが、あざやかに弾き切っている。お客さんも、一音たりとも聴き逃せないと集中しているのが伝わってきた。フィニッシュするとブラボーの嵐。すばらしかった。
 
まさに現在最強のオールラウンダー、最強の「天使」。辻井君はなぜか日本中心に演奏活動をしているのだが(ありがたいことである)、ヨーロッパでもこのレヴェルの音楽家が何人いることか。辻井君のピアノは素直なのでクラシック音楽をよく知らない人でも入りやすいと思うんだが、わたしのようなガチ勢にも、それはそれは感動を与えてくれる。ほんと、天才と同時代を生きる幸せを感じさせてくれるのだ。
 アンコールはラフマニノフの「ヴォカリーズ」、リストの「ラ・カンパネラ」、ショパンエチュード op.10-12。2024.7.21のライブ録音、なお、配信を聴くには無料会員登録が必要。
 

 
昼。
鈴木大拙 講演「最も東洋的なるもの」1963年録音 - YouTube
日本人でももう鈴木大拙はわからなくなっているな。腕がこっちに曲がるのは自由、反対の方に曲がらないのは不自由というが、「東洋的」にはそうではないのだと。東洋では「自由」は「みずから由る」のであり、曲がらないのも自由なのだ、そこが西洋人にも、現代日本人にもわからない、だから、それをはっきりと意識的に自覚しなければいけない、と。
 って、いまではほんと日本人にも伝わらないよね。日本人の精神は表面的にはもはや西洋化し切っており、現代日本はその意味で東洋でない。たぶん、アジア諸国の民衆も、同じ道を辿るだろう。大拙博士、大拙居士、の精神を深く体現しなければならないが、困難極まりない道である。
 でも、深いところでは、日本人はまだあまり変わっていないのも事実だ。アニメなんかには、アニメは幼稚だが、よくも悪くもそういうところが出ているとわたしは思う。もっとも、それも、いつまで続くことか。
 

 
https://x.com/KawamotoNao11/status/1816733569706057925
ペダンティックなのは単に小説を面白くさせるためですし(知的な要素を総動員しつつバカに突き抜けるが私の理想とする小説です。単に知的なだけなら全く十分ではない。小説では凄まじいバカに中途半端な知性は敵わない)、事実を厳密に追究するのは「リアリティ」ではなく「小説内のリアリティ=誠らしさ」を追究するためで、下手なフィクションより事実の方が大抵面白く、嘘8:事実2より、事実9:嘘1の配合比率なら読者を上手く騙せるからです(笑)。』
 いや、ほんと、たんに知的なだけの小説はおもしろくないですよね。ただ、バカに振り切りつつ、同時に高度に知的な達成にもなっていたのが、とってもユニークで凄くてかつおもしろかったです(恥ずかしながら、わたしはペダンティズムが好きみたいです)。楽しい小説をありがとうございました。
 
夜。
ガヴリーロフのピアノでフランス組曲を聴く(第一番、第二番、NML)。
 
SAVE MY HEART(野水いおり) - YouTube
再掲。昨日からヘビーローテしている。何がいいんだろう。2013年リリース。
 
U-NEXT で『スティング』(1973)を観る。監督はジョージ・ロイ・ヒル、主演はポール・ニューマンロバート・レッドフォード。超カッコよくて超おもしろかった! まあ、有名作ですよね、クライム・コメディとでもいうのか知ら、仲間の弔い合戦を誓う、詐欺師たち一世一代の大バクチ。最後、カッコよすぎて泣きそうになったわ。むずかしい映画はわからんけれど、こういうエンタメは大好き、って語彙なさすぎだろ笑。129分。

岐阜県美術館の「神戸智行-千年を描く-」展 / 川本直『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』

晴。絹のような薄い雲がところどころに。
夢。世界のバランスが崩れているので、まわりの余計な魔力を吸収して別空間へ送り込む球体ゲートを作り上げる。様々な魔法を組み合わせて、ものすごく考えて作った。
 
起きてしばらくぼーっとしているのだが、わんわんと蝉時雨が反響する。
 
第318回:新聞は必要です(鈴木耕) | マガジン9
『いやはや、マスメディア批判の山である。「マスゴミ」という言葉が集中豪雨のように降りそそいでいる。ちょっと待ってほしい。』
『ぼくは「マスゴミ」という言葉を(他の人の文章の引用を除いて)まったく使わない。むろん、ゴミのような記事はときおり散見するにしても、新聞というメディア自体はやはり必要なものだと思っているからだ。』
 まともな感覚だと思う。昨日も書いたが、ゴミはむしろ我々日本の民衆なのだ。
 それから、ジャーナリストはひとりの人間なのだから、よく考えて、すべからくしっかりと自分の意見を持たねばならない。ジャーナリストだから不偏不党という態度は、まちがっている。それを前提とした上で、公平でフェアな報道をする、努力をすべきだ。自分の意見のない人間に、どうしてよい取材・報道などできるだろうか。
 
Brahms - Symphony No. 2 in D major, Op. 73 | The Cleveland Orchestra, Franz Welser-Möst | YouTube
ブラームス交響曲第二番 op.73 で、指揮はフランツ・ウェルザー=メストクリーヴランド管弦楽団。なかなかよい。
 
昼。
川本直さんが『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』についてのわたしの拙い感想に関して、つぶやいてくれたみたい。ほんと、わたしは失礼なこと書いてるよ。
https://x.com/KawamotoNao11/status/1816308485350719689
 

 
冷房の利いた部屋に垂れ罩めていてもしかたがないので、岐阜県美術館へ「神戸智行-千年を描く-」展を観に行ってきた。一般800円。



神戸智行さんは1975年生まれの岐阜市出身で、いまは大宰府に住んでおられるそう。ジャンルは日本画で、太宰府天満宮に24面の襖絵が奉納されるのを記念しての展覧会ということである。特にいいたいことはありませんが、素直できれいな絵ですね。撮影可だったので、以下いくつかどうぞ。






夏休みのせいか、子供たちが引率されて見に来ていた。常設展示の方も、親子連れがいました。


 
 
帰りに珈琲工房ひぐち北一色店に寄って読書。
 『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』第四部まで読み終える。「本文」は最終部で、アレクサンドロス大王(三世)の短い生涯(文献的蘊蓄がペダンティックでカッコいい)と、ジュリアンの死が重ね合わされる。ここまで来るとフェイクというより、若さを失って人生の凋落を突きつけられるジュリアンとカポーティの姿が、ちょっと痛ましいような。結構しんみり。だから、グレン・グールドのピアノが召喚されても、飛んでもないスノビズムなのか、それともガチなのか、どうなんだろうね。
 さて、あとは「訳者あとがき」だ。もちろんこれも小説の一部、知的な仕掛けで、どう語られるか楽しみ。
 
川本直『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』(文庫版2023)読了。「訳者あとがき」を読む。その虚々実々のペダンティズムに圧倒された。これを読むと、現代日本人の文芸評論家兼翻訳者の文体から、高い教養をもつ西洋文化人の文体(を日本語に移し替えたもの)まで、様々な文体が見事に駆使されているのがわかる。すごいね。圧倒されてしまって感想が書けない。
 また、巻末の「参考文献」、これがまた凄そうだ、まだ、詳細に見ていないけれどね。いや、こんなに知的ですてきにおもしろい小説は、ひさしぶりに読んだよ。自分ごときには読むにしんどくもあったが、掛け値なしの傑作でした。

 
雷雨。
 
夜。
デート・ア・ライブ』(2013)第12話(最終話)まで観る。おー、シリアス展開、一段落だな。しかし、全然終わってない。2期以降はどうするかなー。なんと、5期まであるらしい、とんだ人気作だ。じつにバカバカしいんだけれどね。ED が何種類もあって、その中でも十香が走ってるやつ(どうしても「インフィニット・ストラトス」ED を思い出す)が好きだ。何でかわからないけれど、じんと来る。
SAVE MY HEART(野水いおり) - YouTube
 
『義妹生活』静かで、めっちゃ地味だな(第4話)。いままで観たことがない感じ。

こともなし

薄曇り。
ラジオ体操へ行く子供たちの声で目覚める。
 
雷雨沛然。何年ぶりかの、すさまじい雨。轟轟たる風と雷鳴。
あわてて窓を閉めたが、本が少し濡れてしまった。
 
スーパー。土用丑の日なのか、うなぎで埋め尽くされている。別に買わない。
雨已む。外気25℃まで下がる、涼しい。
 
昼。
(中国の仲介で、パレスチナハマスファタハが和解し、統一政府を作ることで合意したそうだ。まだこれからのことは不明だが、実現すればかなり大きな成果だと思う。中国はイランとサウジアラビアの和解・国交回復も仲介・演出しており、中東におけるプレゼンスを強めている。日本を含む、西側諸国は警戒するだろう。
 しかし、アメリカをトップとする西側諸国にうんざりしている中東の民衆には、むしろ歓迎されるのではないか。極東の一民衆であるわたしも、中東におけるアメリカや(日本を含む)西側諸国の偽善的政策には、かなり納得できないものを感じているので、中国が自国の利益を狙ったものながら、悪い感じは正直あまりしない。しかし、中国は本気で西側諸国に対抗しようとしているのかな。)
 
東京大学が学費を年10万円増額することの特集を、新聞で読んだ。国が研究費を出してくれなくて、それを学生に転嫁するということで、東大の先生方には呆れ果てた。国も国だし、学者も学者だ。終わっているな。まあ、わたしなんかにあまり関係のないことであるが。)
 
(日本人の政治意識の転落ぶりはすさまじく、さらに底を窺わせない勢いである。X(Twitter)や YouTube などの SNS論壇、SNS政治の体たらくは、この先のことを考えると恐怖を感じるほどだ。良質なジャーナリズムの形成に向けて、意識していく必要があると、わたしごときは思ってしまう。外国のメディアに学ぶところは多い。なお、経験則からいって、「マスゴミ」とかいっている物知り連中こそ、ほぼ例外なくゴミと断定してまちがわないのではあるまいか。確かに日本のジャーナリズムはダメだが、それは我々国民のレヴェルの素直な反映でしかない。ゴミは我々なのである。)
 

 
ミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。エンゼルクリーム+ブレンドコーヒー473円。
 『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』の続き。第三章を読み終える、これでようやく半分越えというところか。頽廃作家たちとウォーホルとローリング・ストーンズによる、テレビ番組のドタバタの描写とか、大したもの。傑作小説というのは動かないな。でも、長い頽廃小説を読む、知的体力がなくなったのを痛感する。100ページ程度を読むのがなかなか大変。
 それから、わたしはアメリカの60年代を、あまり知らないね。ベトナム戦争と、ヒッピー・ムーブメントの時代。ウォーホルなど、アメリカン・ポップカルチャーにあまり興味がないし(ウォーホルの展覧会へ行ったことはあるし、展覧会カタログまでもっているが)、バロウズもいちおう読んだというだけ。ノーマン・メイラーは読んだかなあ、記憶にない、ピンチョンは挫折。カポーティは『ティファニーで朝食を』と短篇のみ。ケルアックはとても惹かれてよく読んだが、本書の精神とは真逆だ。そもそも、ビートニクやヒッピー・ムーブメントは根がマジメで、本書の頽廃気質に合わない。
 いずれにせよ、本書は傑作。ただ、知的すぎて、読者はなかなか多くなさそうだ。著者は古典期ラテン文学の素養もすごい。感心するというか、とてもかなわないな。
 
イオンモールのフードコートを、岐阜県警の警官3人が巡回していた。めずらしいな、夏休みになったからかな。
 
夜。
第684回:「時代についていけない高齢者」予備軍の一人として、タッチパネルにキレた高齢男性に思わず同情してしまう。の巻(雨宮処凛) | マガジン9
『というか、最新機器を導入することによって一定の世代や層を排除することが可能、ということに気づき、ちょっと怖くなった。それが「悪用」された先には、どんな世界が待っているのだろう? 』
『しかし、特定の層を排除する場所は、あっという間にあなたを排除する場所になるだろう。』
『そして突き詰めれば、多くの人が素敵だと思うような場所は、健康で清潔で、体脂肪率が一定以下で収入とルックスが一定水準以上の「誰もが素敵だと思う人」しか入れない、なんてことになっていくと思う。』
 雨宮さんによれば、韓国では既に「ノーキッズゾーン」とか「ノーシニアゾーン」とかいう場所があるらしい。ほんと、どんな現実だよと思う。日本でも、わたし=田舎者は驚かされるのだが、「スマホQRコードを読み込んで注文」という店があるのだな。え、わたくし、スマホをもっていないのですけれど。排除されてる…。
 
 
デート・ア・ライブ』第10話まで観る。なるほど、バカバカしいと思っていたが、シリアス展開が来るとは。あのコが精霊とはねー。あとで最後まで観る。
 
アーリャちゃん、御馳走様(第4話)。「いま、他の女のこと考えてた?(ぎゅぎゅーう)」わはは。しかしCパート、アーリャちゃんはおもいっくそビンタとあそこまでしておいて往生際が悪いし、お姉ちゃんはわかんないように宣戦布告ですな。久世妹もいるし、あー、ほんと、昔のラブコメだわ、これは。恥ずかしすぎる笑。しかし、こんなものを喜んで観ているわたしの、バカで幼稚なことといったら!
 
デート・ア・ライブ』続きはまた今度。ロシア語のデレがすごすぎた。

こともなし

晴。
目覚めるとまず蝉時雨。
 
Brahms - Symphony No. 4 in E minor, Op. 98 (Cleveland Orchestra, Franz Welser-Möst) | YouTube
ブラームス交響曲第四番 op.98 で、指揮はフランツ・ウェルザー=メストクリーヴランド管弦楽団。たぶん、ウェルザー=メストは偉大な指揮者ではない。この演奏も、シリアスではあるが何となく軽く、重々しくはない。平凡。でも、この「平凡」はすばらしいんじゃないか。どういったらいいかわからないのであるが、過不足がなく、わたしはこの程度(よくない言い方である)でほんと充分なのである。実質があって、ブラームスをきちんと表現していて、満足できるよい演奏だった。
 
 
昼から県営プール。学校が夏休みに入ったせいで、僕が上がるとき子供たちがドッと入ってきた。水が冷たくて気持ちがいい。青い空。
同じ敷地にある長良川球場から、高校野球の、応援の声や音楽が聞こえてくる。金属バットの打球音。翻る新聞旗。
運転しながら飲むポカリスエットが沁みる。外気は39℃、まさに猛暑だ。
 
冷房の利いた部屋で、(ホット)インスタントコーヒーとクランチシュガーコーン。
何をする気も起きない。
 
ブログ本(2023年の10~12月)を読み返す。
 
夜、早寝。

こともなし

晴。
すごい蝉時雨。
 
母診察。
モスバーガーのドライブスルーで昼食を購入。
肉屋へ寄る。しかし暑いな。既に外気37℃ある。
 
一箇月ほど前に近所の TSUTAYA が閉店した。あとには酒屋と100円ショップが入った。やはりもはや本屋も、レンタルショップも無理があるな。わたしも既にネット配信に移行し、TSUTAYA にはずっと行っていなかったもんな。
 

昨年の今頃のブログ本を読んでいたら、オミナエシが咲いているとあった。そしたら、老両親によれば、今年ももうとっくに咲いていると。今月六日くらいに咲いたらしい。暑くて庭に全然出ていなかったので、気づかなかったよ。
 去年も老父のスイカが豊作だったらしい。でも、今年はほんとによく出来ていて、去年よりもすごいんじゃないかと思う。おいしいやつを、7回くらい食った。
 一年前のブログ記事を読んで、客観的に見て、価値がないなあと思う。でも、自分で読むのはおもしろい。
 
夜。
『負けヒロインが多すぎる!』話題になって関連動画も上がりまくっているので、つい観始めてしまった(第2話まで)。ウワサどおり(?)、作画のレヴェル、高いな。どうでもいいような話(それがおもしろい!)に、A-1 Pictures の作画力が軽く実力を出してる感じ。話は、クラスのモブ男子が負けヒロインたちにウザ絡まれるという、何それ展開で、笑ってしまった。続きが楽しみ。
 
ついでに、気になっていた『義妹生活』も観始める(第3話まで)。こっちはかなり陰気で、静かで、リアルで、めんどくさい話。たぶん、ラブストーリーになる筈、ここまで、すごく見応えがある。納得ずくだった陰陰滅滅とした静かな義兄と義妹の関係が、少しずつ変わっていく。他人をほとんど信用したことがない、凍っていた沙季の心がゆっくりと融けていくのが、見事に描かれている。
 そっかー、でも、悠太君、女性不信だったか。これはまたややこしくなりそう。
 検索してみる。なるほど、原作は Webマンガか、ちょっと見てみたが、そんなに深刻ではないな、ラブコメの感じがするくらいだ。アニメは、随分と暗い雰囲気だけれど。

「あさがおと加瀬さん。」(2018)を観る

日曜日。晴。
蝉時雨。今朝はわりと涼しい。
 
スーパー。暑い。なぜか客少なし。アクエリアス2L×6 の一箱を買う。アイスクリームを二箱買う。
 
昼。
いまの時代を無分別知の中で生きていくこと。無分別知は分別知を含んでいるから、それは可能なのだが、実際には容易でない。社会全体がほぼ全面的に分別知で動いているから、無分別知から自然に導かれる素朴な生き方と、あまりにも乖離してしまっている。特に、我々大衆が分別知の中で生きるようになった。人生というのが、「記号化」されてしまっている。
 
少し昼寝してから、クランチシュガーコーンを食って、麦茶を飲む。夏だなあって感じ。
 
 
猛暑日に、珈琲工房ひぐち北一色店。駐車場がいっぱいなくらい混んでいた。
 文庫版『網野善彦 対談セレクション2』の続き。山口昌男さんとの対談(1985)、二宮宏之さんとの対談(1988)を読む。山口さんとの対談が断然おもしろい。対談から10年前に山口さんが日本史家を盛大に disった論文の話もおもしろかったが、何といっても天皇制をめぐるやり取りである。御存知のとおり、山口さんはいわゆる「パフォーマンスをする王権(天皇)」みたいなのを強調したのだったが、網野さんが「暴力をもつ権力者としての天皇」はどうなのかと、半分おもしろがりながらであるが、山口さんを追い詰めて、躱そうとする山口さんをなかなか逃さない。結局、山口さんは、自分はコスモロジー(宇宙像)の中心にある王権というものを(いちおう)強調したのであり、別にどちらの立場も大事なんだ、という感じでごまかしているのだが、これは山口理論をよく浮かび上がらせているな。
 しかし、いまから思うと、こういう古典的な権力論というのは、現在ではあまり意識されないな。いまは、「王権」というか、権力が、「資本主義の奴隷」になっている時代だから。例えば、我々の世代もそうだが、一般人が、天皇というものを意識することはもうあまりなくなっていると思う。実質的に、権力は資本主義の要請に移行した。そして、古典的コスモロジーは消滅し、代わりに資本主義的価値観が我々を動かす「世界像」になっている。
 そして、いわゆるサイバー権力への移行。東さんが「環境管理型権力」と見事に整理したタイプの(見えない)権力へ、それが移りつつあるのだ。権力がインターネットと緊密に結合した社会を、ある時期の東さんや、また最近では成田悠輔といった若い論客が唱導している。いまの中国で先端的に進んでいるように、国民をスマホで管理する(不可視の)権力が、世界化することになるだろう。パフォーマンスする王権(それはいまでも、権力のコマーシャリズムで使われている)どころではない。まったく、網野さんや山口さんの議論していた古典的権力は、何だったのだろうという感じがする。いや、もちろん、現代でも無効になっているわけではないのだが。
 

 
夜。
(地球のミライ)温暖化は新フェーズへ | NHKスペシャル「2030 未来への分岐点」暴走する温暖化 “脱炭素”への挑戦 | SDGs | NHK - YouTube
最近では、ホリエモンが「地球温暖化はウソ」という動画を上げていた。もちろんそういう人は世界中にいるけれど、日本はちょっと異常であり、温暖化が事実であることを示す科学的証拠も、またそれをいう人も、そうでないのに比べ、圧倒的に多いというのが世界的な現状であることを、もう少し日本人(特に若い人)は知った方がいい。もちろん、主張する人数が多いから真実、というわけではないが、とにかく「世界の常識」を知った方がいい、というのは確かだと思う。へんな話、世界のビジネスもその状況の下で回っているのだから。
 
細野晴臣 - PLEOCENE (Visualizer) | YouTube
なつかしいなあ、『オムニ・サイトシーイング』かあ、若い頃の個人的な同時代音楽っていったら、これだった。これとか、『メディスン・コンピレーション』とか、どれだけ聴いたことか。中沢さんとの共著の『観光』も、繰り返し読んだし。いまという絶望の時代から見ると、信じられない楽天性があったな。
 
 
あさがおと加瀬さん。』(2018)全3話を観る。切り抜き動画で知った百合アニメで、ピュアで繊細なストーリー、なかなか感動させられた。山田、めっちゃかわいいじゃん、時々頭にぴょこって豆の芽が生えたりして(笑)、加瀬さんがベタ惚れするの、わかる。
 作画のクオリティも高く、水彩画のような背景が雰囲気によく合っている。最終話 ED曲の「明日への扉」、いい曲だと思ったら、有名曲のカバーなのね、これもよかった。

配信は現状 U-NEXT だけか、もったいない。それから、ネットを見ていて知ったのだが、先日観た『フラグタイム』と同じスタッフが制作したんだな。そういわれるとなるほどってなる。『フラグタイム』ほどシリアスじゃないけれどね。