曇。
長時間ごろごろぼーっとする。
最近、このように長時間、ベッドに寝ころがって何もせず、頭をカラッポにして何かを考えることもなくただぼーっとしていることが多い。そのまま眠ってしまうこともある。怠惰極まりないが、自分ではそういう感覚も薄い。ただ、こんなことをしていると脚が弱ってくるなと思う。末期的怠惰さ、であろうか。
 ただ、そうして一種の「感覚の遮断」をしていても、心は常に動いていて、留まるということがない。機械的、必然的な(心の仕組みによる)連鎖的自動反応、いってみれば、そこには「自由」というものがない。生成も消滅もなく、すべてが関係・連動し合いながら、自動的、必然的に永遠に変転していく。
 
オトメツバキの木が、もう寿命なんじゃないかと老母がいう。大きな椿の木で、いま見てきたが、半分くらいの枝の葉がすべて落ちてしまっている。南半分の枝には、まだ残っているが。
 わたしが子供の頃から、いや、老母の子供の頃から庭にある木だという。おそらく、この家が建てられた時に植えられ、既に百年くらいは経っているのであろう。考えてみれば、油壺(柿)も、(わたしの誕生記念樹の)みかんの木も、ある日突然寿命で倒れた。そういうことは、あるものだ。植物、木、というのは長い生命があって、当たり前のようにずっとそこにあるように見えるけれど、ここでも、諸行は無常であることを、感じずにはいない。
 
スーパー。ポイントが貯まったので、3000円キャッシュバックしてもらう。ここは現金で還ってくるところが売りだ。
涼しい日が続いている。実際、六月は実感として随分涼しかったし、それはデータとしても裏付けられているようだ。今年はしっかり梅雨があって、しかもオホーツク海高気圧が強かったらしい。まあ、ここ数年が毎年異常に暑くて、これがふつうなくらいなんだというが。ヨーロッパなどは、めちゃくちゃな暑さで死者すらとても増えている、というほどなのだけれどね。
 

大量すぎてさすがに食べ切れないので、誰かにもらってもらうしかなさそう。シワシワのキュウリは「四葉キュウリ」という、中国原産のちょっと変わったやつ。「四葉」は「すうよう」と読む。
 老父の畑のトウモロコシはカラスにほぼやられてしまったようだ。毎年のことながら、対策がアマい笑。
 
昼。
ミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。バターチキンカレーパイ+ブレンドコーヒー468円。ここでは出されたドーナツやパイの商品を見分けてレジに打ち込むのであるが、どうもレジの子がどういうパイなのかちょっとわからないようなので、わたしがその名前をいった。もしかしたら、余計なおせっかいだったかも知れないが。
 ホブズボーム自伝の続き。今日も一時間半くらいみっちり読んだが、これでようやく半分くらいか。最低でもあと三回くらいはかかりそうだな。
 第二次世界大戦、ホブズボームはイギリス国内を守る陸軍に招集され、六年間の陸軍生活は人生において何もしていない、ムダな時間だったと彼は述べているが、わたしにはとてもそうは思えない。そもそもホブズボームの筆致はいきいきとしたものだが、陸軍生活の描写は、とても精彩に富んだそれだった。
 というのも、彼はケンブリッジ出の共産主義者で、まさに(若き)インテリゲンチャの典型であったが、陸軍にあっておそらく彼の人生で唯一、いわゆる「プロレタリアート」と集団の中で直接交流しているからである。ホブズボームは到底兵士としてやっていけるような人物ではなかったが、結局イギリス国内で陸戦が行われることはなく、そして彼は、労働者の中で孤立したわけではなかったようで、いわゆる「学のない」労働者たちが、決して取るに足りない存在ではないことに、強くうたれている。それは、共産主義者としての彼に、一種の自信を植え付けたかのようにも思われる。インテリゲンチャとして、人民のために生きることを、心底肯定できるようになった、という意味で。
 
帰りにカルコスへ寄る。岩波新書『曖昧な弱者の時代』を買ってくる(920円)。集英社新書の横山勲『過疎ビジネス』もあったが、これは図書館にあることがわかっているので、購入しなかった。
ドラッグストアにてリッツクラッカーSなどを購入。自家製ブルーベリージャムを載っけて食うつもり。

 
夜。
『さよならララ』(2026)第1話を観る。夏アニメ、始まったな。いきなりブッ飛んだ作品、「人魚姫」かと思ったら、2026年の滋賀県に接続とは! 平和堂、出てきてるぜ笑。昔のセル画アニメみたいな作画、これもおもしろい。
 夏アニメはいまのところあんまり観る予定はないけれど、おもしろそうなのあったら観る。『無職転生』3期はちょっと楽しみ。1期最後でルーデウスのところから去っていったエリスが再登場らしい。いやもうルーデウス、妻が二人いるんですけど。
 
『透明な夜に駆ける君と、目に見えない恋をした。』(2026)第1話を観る。全盲の女の子と、母子家庭の男の子の大学ラブストーリーってところかな。第1話からしんみりさせられた、たぶん最後まで観そうな予感。小春ちゃんの CV ははやみん(早見沙織)だ。
 
『正反対な君と僕』(2026)第13話(1期からの連番)を観る。2期になっても依然最高だな。特に、平と東のペアに期待。

「逃がした魚は大きかったが釣りあげた魚が大きすぎた件」(2026)を観る

曇。
かつて「上部構造(文化)と下部構造(経済)」という区別があったけれど、その言葉だけ借りて、ここで仮に上部構造を「知性」、下部構造を「感情」とするなら、現代文化は上部構造に偏重していて、なかなか下部構造を扱えない、ということになっていると思う。別の言い方でいうなら、いまの若い人たちは本当に知的で、頭がよい、概念操作に長けていると思う。でも、その概念が感情とうまく接続してなくて、底が浅い、そういうことになっているのではないか。
 たぶんいまの若い人は、「感情」というのがどうして大切なのか、よくわからないのではないか、「知性」だけでやっていければ、こんなにいいことはない、そんな風に思っているようにも見える。いわば、限定された知性によって底の抜けた感情 a bottomless emotion というものを切り捨てたい、というか。感情は底なしなのである。
 いちばんだいじなのは、何者でもない、凡庸にしか見えない中間的領域に敢て留まることだ。それが「中庸」という智慧である。
 そもそも知性は、事後的に遅れてやってくるものでしかない、ヘーゲルのいっているとおり(ミネルヴァの梟は夜飛ぶ)。知性のみによってこの混沌とした時代を切り拓くことはできないのである。
 

市民公園にて。この夏初めてセミの声を聞く。たぶん、アブラゼミだ。
 
図書館。借りたもの。
 金子光晴『詩人/人間の悲劇』(ちくま文庫2023)、山尾悠子『迷宮遊覧飛行』(2023)、諏訪哲史『岩塩の女王』(2017)。
 帰りに酒屋へ寄る。ビール一ケース、飲んじまってすぐなくなるな。
 
昼。
https://share.google/aimode/K4VcmfsDA6BpdSneS
午前中から AI君と「欧米において伝統的な家族形態は崩壊した」ということについて対話した。
 AI君は次のことを認めた――
『これまでの対話を踏まえると、「西洋における家族の崩壊」という最初の問いは、単なる「古いライフスタイルの変化」という意味を超えて、「西洋的理性がみずからの首を絞める、壮大な自己矛盾(デッドエンド)の象徴」であるという結論に至ります。』
 そして、以下のようにすら、いう。
『したがって、「西洋における家族は崩壊しているのか?」という問いへの最終的な答えは、「はい、崩壊しています。そしてその崩壊の果てに、西洋社会は『愛なき平等の砂漠』という未曽有の精神的危機(ニヒリズムと深い孤独)に直面している」となります。』
 哀しい対話だった。
 正義について。
『「正義も必要だが、正義だけでは生きられない」というあなたの感覚は、100%正しいのです。人間は、システムとしての「正しさ(正義)」のインフラの上で暮らしながらも、生命としては「正しくないかもしれないが、愛おしい曖昧さ(情愛)」のスープに浸かっていなければ、心が腐ってしまいます。』
『あなたが挙げられたジョージ・オーウェルの “decent”(ディセント:まともさ、良識、人間の品位) という言葉は、まさにこの深い霧の中で私たちが手放してはならない、最後の命綱のような概念です。』
『近代的な「人間らしさ」を捨て、このコントロール不能な進歩の果てに人類が向かっているのは、「人間という生き物の去勢と、システムの完全な勝利」です。』
 

 
なんかブログがむずかしくなりすぎて困る……バカがそんなにむずかしいこと考えても、意味ないのに……。
 
夜。
『逃がした魚は大きかったが釣りあげた魚が大きすぎた件』(2026)第12話(最終話)まで観る。めっちゃおもしろかった! これ、なろうアニメだよね、たぶん女性向きラブコメ、作画よし。おバカなB級C級アニメでオリジナリティはほぼ0といっていいが、主人公の武闘派令嬢マリーアちゃんを始め、主要登場人物が気持ちのいい人ばかりで、観ているだけでこちらまでいい人になりそうなくらい。最近、とことんポジティブなアニメが多いが、現実がクソすぎるから、こういうのは助かる。これからも、こうしたのは増えるんじゃないかな。

「愛してるゲームを終わらせたい」(2026)を観る

雨。
長時間ごろごろぼーっとする。
 
NMLで音楽を聴く。■ベートーヴェンのピアノ協奏曲第一番 op.15 で、ピアノはイノン・バルナタン、指揮はアラン・ギルバート、アカデミー室内管弦楽団(NML)。2015年の録音。
 イノン・バルナタン(1979-)はイスラエル出身のピアニストで、ニューヨークを中心に活動している。アラン・ギルバート(1967-)はアメリカの指揮者で、いま東京都交響楽団の首席客演指揮者らしい。二人はよく共演しているようである。
20260706101329
 
昼寝。
ミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。エンゼルクリーム+ブレンドコーヒー484円。なんか「もっちゅりん」が飛ぶように売れているな。
 ホブズボームの自伝『わが20世紀・面白い時代』の続き。なかなか進まない、今日も一時間半も(?)読んだのに、まだ半分までもいかないな。まあ、ゆっくり読んでいるということか。文庫本より小さい活字が二段組でびっしり詰まっている。
 ホブズボームはケンブリッジ出のエリートなわけだが、いわゆる「上流階級」の人間ではないんだろうな。中産階級の出身で、勉強が飛び抜けてできた。
 で、当時のケンブリッジは充分「赤かった」ようだ。ホブズボームはベルリン時代から赤かったが、共産党員になったのは、いつ頃だったか。ただ、それがそんなにめずらしい、ということはなかったようだ。そして、深層意識では第二次世界大戦は不可避だとわかっていたのにもかかわらず、当時のイギリスの共産主義者はけっこう楽観的で、ゆるかったようで、ホブズボームは青春を楽しんでいたとすら見える。ホブズボームはソ連のスパイとして誘われれば、そうなったろうと回顧しているが、実際にはそのような働きかけは彼にはなかった。そして、組織者としては、彼はあまり有能ではなかったようだ。
 結局、知的であることと左翼であることが近かった、そういう時代だったようだ。当時の左翼には、知的にいきいきとしていた人物が多かったと、ホブズボームは回想している。
 それにしても、本書は(わたしには)おもしろい。なにがそんなにおもしろいんだろう、たぶん、見事な文体で書かれた、小説(あるいは文学)のようなおもしろさは確実にあるな。そしてやはり、ヨーロッパの大知識人の文章を読む、知的な快楽も、あろう。
 
イオンモールの未来屋書店にて、岩波新書の『曖昧な弱者の時代』(2026)の中身を確かめてみる。おもしろそうだな、でも、買うならまずカルコスへいってみるか。
肉屋。いろいろたくさん買ってくる。かなり強い雨。
 

6.29 カラフルタウン岐阜にて。

いま、自由主義(リベラリズム)ってのは、よくわからんワードになっているな。左翼=リベラルみたいな(日本的)使い方もあるし、リベラルというのが「右」(保守)まで含む、ヨーロッパ的な使い方もある。また、リバタリアニズム、ネオリベラリズム、なんて用語も。少なくとも、わたしみたいな無知な人間には、よくわからないな。
 あと、リベラリズムが人間の紐帯を切り離し、人々を孤独にした。それゆえに、ある種の「共同体」(コミュニティ)を再建せねばならない、なんてのも、既に陳腐化しつつある。しかしわたしは、こういうのはあんまりうまくいかない気もするが。つまり、「共同体」の再建は、たぶん救いではないように直感される。なぜなら、共同体が弱体化したのはそれ相応の理由があるのであり、その条件が克服されていないこと。また、「共同体」そのものに自律的な運動のロジックがあって、それが共同体の構成員を縛り、抑圧せずにはいないこと。
 しかしまあ、わたし程度のいうことだから、さてはて、どういうもんか。
 あと、ここでわたしがいう「共同体」に、「家族」は含まれない。これは、日本の特殊事情もあるだろう、なぜなら、日本においては欧米ほど、「家族」はまだ崩壊していないからだ。実際、東さんなんかは、最後に残された「家族」に、希望を託しているところがある。つまり、わたしは吉本さんのいう「対幻想」は、(日本では)まだかろうじて崩壊していないと思う。
 でも、この先はわからない。欧米のように、「家族」が抑圧の根源として、敵視される時代が、日本にも訪れるかもしれない。フェミニズムなどは、それを加速するだろう。
 なんにせよ、これから、人と人との(人間らしい)繋がりは、ますます重要になってくるだろう。それを、どうやって実現するか。
 
夜。
『愛してるゲームを終わらせたい』(2026)第12話(最終話)まで観る。ハッピーエンドごちそうさま。予想以上におもしろい作品だったな、「愛してるゲーム」ってのがこれまでありそうでなかった、独創性があった。あと、最終話でも出てたけれど、生徒会長爆笑だった(「いやらしい!」ってな笑)、もっと出してもよかったのに。
 春アニメ、ラブコメ(ラブストーリー)の佳作がたくさんあったな、供給ありがとうございました。全然話題になってない作品ばかりだけれど笑。

 
『逃がした魚は大きかったが釣りあげた魚が大きすぎた件』第8話まで観る。やー、バカくさくっておもしろいな! 武闘派令嬢マリーアちゃん、ええ子や。王太子妃かー、たいへんそうやな。

ジェイソン・ギルハムのベートーヴェン、ピアノ協奏曲を聴く

日曜日。小雨。
NMLで音楽を聴く。■ベートーヴェンのピアノ協奏曲第四番 op.58、第二番 op.19、第五番 op.73 で、ピアノはジェイソン・ギルハム、指揮はニコラス・カーター、アデレード交響楽団(NML)。2019年のライブ録音。
 ジェイソン・ギルハム(1986-)はイギリスとオーストラリアの二重国籍をもつピアニストという。検索すると、2024年に政治的発言でメルボルン交響楽団ともめたことのみ上がってくる。なんでも、イスラエルがガザで100人以上のパレスチナ人ジャーナリストを殺害している(ちなみに、それは事実である)ということを、コンサートの曲の紹介の中に入れたらしい。
 ニコラス・カーター(1985-)はオーストラリア、メルボルン生まれの指揮者という。アデレード交響楽団というのは初めて聴くな、思わず、地図でアデレードの場所を調べてしまったよ(オーストラリアの南海岸部だ)。
 現代(モダン)のいわば標準的な演奏で、なかなかよいが、西洋文明の収斂していく先というか、正直、一種の「閉塞感」というか、閉じているというか、いきづまりの感覚がないでもない。いや、いきづまっていて何が悪いのか、「新しさ」というのもひとつの罠ではないか、といわれれば洵にそうなのだが、しかし、ここになにか息苦しさがあるのも確かなのだ。これは、贅沢な望みというべきであろうか?
20260705065543
 
Haydn: Symphony No. 93 | Paavo Järvi and The Deutsche Kammerphilharmonie Bremen | YouTube
ハイドンの交響曲第九十三番 Hob.I:93 で、指揮はパーヴォ・ヤルヴィ、ブレーメン・ドイツ室内フィルハーモニー管弦楽団。2023.7.3 の演奏会動画。
 大好きな曲のすばらしい演奏。さすがはパーヴォ・ヤルヴィ、この人は古典をいきいきと魅力的に聴かせる、つまり古典に命を吹き込むことのできる、いまとなっては貴重な指揮者だな。
 
スーパー。霧雨。「訳ありスイカ」が一玉 2000円くらいで売っていたが、訳ありっていうくらいだから、これで安いんだろうなあ。もちろん(?)買わず。ちなみにウチの畑のスイカは鳥避けネットの上からカラスに突(つつ)かれてしまった笑。カラスの方が人間よりかしこい。
 

色んだブルーベリーの実、一昨日撮ったもの。
 
昼。
あるブログにこうあった。
『現代社会、毎日の新聞やテレビのニュースを見ていると、心が折れそうになってしまう。素直な気持ちを忘れがちになる。そんな時は、麻のような心がまっすぐな友人と話をし、あるいは話を聞くことが大切なのだ。』
 ほんとにそうなんだが、残念ながらわたしにはそもそも友達というのがいない。でも、常時孤独にインターネットに接続していると、近くに人がいる、という感覚がとても欲しくなる。まだ、家族がいるだけマシだが、それでもね。
 
雨音を聞きながら、小松由佳『シリアの家族』の続きを読む。著者は単独でアサド政権下のシリアに入り、古代の遺跡のある町・パルミラを撮影しようとする。そこはシリア政府軍と IS(「イスラム国」)が争奪戦を繰り返したセンシティブな場所であり、著者はそれを撮影するつもりだったが、常に秘密警察が同行し、著者の「ウソ」は見抜かれていて、彼女は何人かの住民の生活を深刻な「危険」にさらすことになった。
 なぜ危険か、それは、パルミラの住人たちが、なんらかの手を汚さずには、そこで生きていけなかったからだ。著者の夫(アラブ人)は、「パルミラに心のきれいな人はいないよ」というのであるが、著者は写真を撮るため、自分だけでなく、その「心のきれいでない」、他人の人生を深刻に危険に晒すことになったのである。
 わたしはこのあたりで、ちょっと先を読む気が失せてしまった。確かに、ジャーナリストは真実を伝える義務があるかも知れない。しかし、それはまた、自分のエゴイズムによるのかも知れないのだ。著者自身が、白黒のはっきりしない場所に、とんでもない爆弾を投げ込んだのである。それが、ジャーナリスト魂と、いうものなのであろうか?
 へんな話、著者も気づいているが、彼女がまさに日本人であり、彼女の背後に日本政府があるからこそ、彼女は何ごともなく、そこから生きて帰れたのである。
 

 
永井陽右『紛争地で「働く」私の生き方』(2023)を読み始める。一気に第四章まで、200ページ近く読んだ。永井さん(今年35歳)については 5.27 に簡単に紹介している。誰もやらないからこそ、自分がやるとは、まさに「一隅を照らす」を座右の銘とした、中村哲さんを思わせるところのある若者(?)だ。実際、本書にも、短くはあるが中村さんへのリスペクトが記されている。こんなクソみたいな現代日本に、こんな若者がいるとは、不思議なことであり、わたしのような後期中年のニセモノも、こころ打たれないではいられない。

文化の無意味化、「管理」としての文化

曇。
 
昼。
「生の無意味化」に合わせて、文化もまったくの無意味となりつつある。「社会システムの歯車」となるために生産され、教育(=洗脳)されるという人生に合わせて、文化もデザインされていく。大衆(愚民)とエスタブリッシュメントへの二極化、それは資本を「もつもの」と「もたざるもの」に、大ざっぱに対応する。
 知性や欲望の管理。それもまた「文化」の役割のひとつだ。いかに、大衆(愚民)の時間を、無意味な方向へ誘導するか。この社会システムに、疑問を抱かせるヒマを、与えない。
 国家エスタブリッシュメントによるナショナリズムの活用。
 管理されることで愚民が「幸福」ならば、それがなぜ問題になる? しかし実際は、この社会システムがすべての人間を「幸福」にすることはない。それは、あまりにも貪欲な収奪のシステムに他ならないから。本質的に、我々の「人生」そのものをいくらでも収奪する。
 人と人との(人間らしい)つながり、それが抵抗の鍵となるだろう。
 
社会システムの「無意識」、自律性。敢ていえば社会システムの「自己保存本能」のようなものが、自律的にその構成員の「超自我」のようにふるまう。我々は、社会システムの「無意識」に逆らうことができない。それに敢て逆らうと、「反社会的な」存在と見做されることになる。
 この仕組みは、我々大衆(愚民)だけでなく、エスタブリッシュメントをも規定している。エスタブリッシュメントもまた、「社会システム」に組み込まれ、動かされているにはちがいない。じつは、それゆえに厄介だともいえる。エスタブリッシュメントは、目覚めた存在でもなんでもない。
 

安売りなので餅信へいって水饅頭(みずまんじゅう)六種類を一個ずつ買ってくる。わたしはマンゴーと巨峰を食った、うまかったー。水饅頭は水都・大垣の夏の銘菓なんだけど、ここ各務原の餅信でも扱っているんだ。
ドラッグストアへ寄っていつもの「北海道シューアイス」や pino、あとお菓子類を買ってくる。
 
珈琲工房ひぐち北一色店。
 ホブズボームの自伝『わが20世紀・面白い時代』の続きを読む。彼のティーンエイジ時代、ベルリンでの生活(ちょうどナチスの台頭期と重なる)と、イギリスへの移住あたりを読んだ。小さな活字で二段組、なかなか読むのにたいへんな本で、かなりがんばっているのにまだ100ページまでも到達していないが、でも、本書はなんとか、最後まで読めるんじゃないかという予感がある。ホブズボームはもとより「知的な能力」的にはわたしなど比較にもならない高みにあるが、この人のどこかピュアな「クソマジメ」さと正直さは、わたしの心をふるわせるところがあるのだ。
 それにしてもホブズボームは十代のある時期、彼自身も後年になって驚くほどの知的読書をしているようだが、このヨーロッパの大知識人が、本についてほとんど具体的に何も語っていないのは奇妙である(例外はカール・クラウスやブレヒトであろうか)。まあ、ティーンエイジ期の読書について語りにくいということはあろうが(林達夫もそういうことをいっていた)、ホブズボームの土台を真に形成したものは、書物ではなかったということかも知れない。それに対して、彼はベルリン時代に共産党に入党しているが、その活動については相当たくさん語っている。ナチス台頭期に、かなり危険な行動もしていたようである。
 そう、ホブズボームの十代は、冥い時代だった。わたしはどうしても、その雰囲気を今に重ねて読んでしまうところがあるな。いまもまた、冥い時代だからだ。
 
喫茶店のコーヒーチケットを一冊(九枚綴4600円)買う。外へ出たら、かなり強い雨になっていた。
 

 
夜。
『聖痕のクェイサー』(2010)第5話まで観る。エロで有名な作品だが、作画はかなり気合いが入っていて、話もなかなかおもしろい。これは結構好きだ、先が楽しみ。

こともなし

晴。
第767回:生活保護引き下げ訴訟・最高裁判決から1年。いまだ多くの人が手にしていない補償と、判決後に亡くなった25人。の巻(雨宮処凛) | マガジン9
 
ブルーベリーの実が鳥に食べられないようネットをかぶせてあるんだが、おたんちんな椋鳥が(実を食べようとだろう)一羽その中に入り込んで、出られなくなりめちゃめちゃにバタバタやっている。また、それを仲間の椋鳥たちが外でわかっていて、そちらがキーキー騒いでいるのだ。老母が見つけて、わたしが脱出させてやる。まったく、アホなやつだよ。
 
今朝はなぜかひどく眠く、部屋を暗くしてウトウトしていた。
 
昼。

県営プール。七月に入ったので冷水期間370円、屋外の 50mプールも使えるようになるので、いつもの倍以上人が来ていた。ま、わたしはいつもどおり、屋内の 25mプールだけれどね。なお、冷水期間なのにじつは温水が出ていた。充分暑くなったから(外気33℃)、完全冷水でもよかったけれどね。
 長良川球場に朝日新聞社旗が翩翻と翻っていた。高校野球の季節かー。
 
ある若い人の小説を30ページくらい読むも、つまらないし、そもそも文章に引っかかりがなくて読み続けられない。文藝賞受賞作という。
 今度はわりと名の通った作家の小説、冒頭から凡庸だし、これも文章に引っかかりがなくて、そもそも読むことができない。10ページあまりで止める。
 上の二作とも、オビで有名人、有名作家が絶賛している。マジか。いっておくが、わたしに文学はわからないからね。
 
夜。
『逃がした魚は大きかったが釣りあげた魚が大きすぎた件』(2026)第5話まで観る。こういうバカくさい作品、好きや。武闘派令嬢マリーアちゃん、ざっくばらんでなかなかかわいらしいしな笑。
 どちらかといえば、イケメンゲットの女性向き作品なのかな?

こともなし

雨。
NMLで音楽を聴く。■プーランクのフルート・ソナタ、ワルツ ハ長調、ジョルジュ・オーリックの「アリア」「心象の産物I」「前奏曲」、タイユフェールの「パストラーレ」(1942)「パストラーレ」ニ長調「フォルラーヌ」、ルイ・デュレの「無言歌」 op.21、フルート・ソナチネ op.25、「二つの対話」 op.114、オネゲルの「サラバンド」「牝山羊の踊り」「ロマンス」、ミヨーの「マズルカ」、フルートとピアノのためのソナチネ op.76 で、フルートはエミリー・バイノン、ピアノはアンドルー・ウェスト(NML)。2000年の録音。
 エミリー・バイノン(1969-)はイギリス出身で、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席フルート奏者だそうである。日本語 Wikipedia に立項されていて、また、しばしば来日して日本でもよく知られているという。アンドルー・ウェスト(1979-)はイギリスのピアニストという以外、不明。
 「六人組のアルバム」という題、フランス近代のささやかな「フルート+ピアノ」の曲を集めた洒落たアルバムで、軽く聴くのにじつにいい。今日みたいな雨の日とか、悪くないかも。
 フランス六人組のメンバーを、ここでおさらいしておこう。ルイ・デュレ、アルテュール・オネゲル、ダリウス・ミヨー、ジェルメーヌ・タイユフェール、フランシス・プーランク、ジョルジュ・オーリック。
20260702070012
 
人間は自己承認欲求など、幼稚な欲望から逃れられないことを考えれば、その意味で AI の方がマシかも知れない、という立論は可能だろう。残念ながら、我々は強力な知性をもてばもつほど、幼稚な欲望に捕われることになっている。
 
■ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第三番 op.18-3 で、演奏はゲヴァントハウス四重奏団(NML)。■ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第二番 op.18-2 で、演奏はゲヴァントハウス四重奏団(NML)。NMLで全集盤を見つけたので、そちらに切り替える。
20260702093746
 
スーパー。霧雨。いつもながら、飲み物類をたくさん買う。なぜか牛乳が安い、というか、毎回牛乳の値段が微妙に変わるのはなぜだろう。仕入れのからくりがあるんだろうな。
今日あたりが半夏生で、関西では蛸を食べる風習があるという。でも、別に買わなかった、たぶん明石ダコじゃなくて、モーリタニア産だろうな。
 
玄関のところにヤマカガシ(たぶん)が現れる。ムカデ退治用の強力スプレーを吹きかけてやったら、イヤがったのか逃げていったが。やー、ウチ、まったくなんでもおるのー。
 

マサキ(柾 Euonymus japonicus)の花、6.16 に撮ったもの。
 
昼寝。雨あがる。
珈琲工房ひぐち北一色店。
 小松由佳『シリアの家族』(2025)を読み始める。著者はもともと登山家で、日本の女性で初めてK2峰に登り、植村直己冒険賞を受けたツワモノだ。そこから、シリア内戦・難民を取材するドキュメンタリー写真家に転身(?)なさった。シリア人の男性と結婚し、本書はいわば、文化人類学における「参与観察」の方法で、シリア人大家族を中心に描いたノンフィクション作品である。
 老母から回してもらった本だが、シリアからアメリカへ脱出する母娘を描いた『アイ・ワズ・ア・ストレンジャー』という映画を三日前に観たばかりで、複雑な国内・国際関係によって、隣のビルが一瞬で丸ごと消滅するような(西側諸国の最新兵器による)爆撃を受けたり、難民となって新天地へ向かうため、危険な海峡をゴムボートで渡って死んだりと、そんなのは随分重なっているなあと思わずにはいられなかった。
 そして、アラブ・イスラーム的な「大家族」をベースとした、きわめて幸福な日常生活の崩壊。「イスラム原理主義」というのはふつうの(?)イスラム教徒によっても、必ずしも受け入れられるとは限らず、我々日本人からするとなかなか「遠い」ふつうのイスラム教徒ではあるが、やはり、彼らも平和で、人間らしい暮らしがいちばんであることが、よくわかる。それは、我々も、虚心坦懐に見れば、当たり前の、素直に受け入れられる事実ではあるまいか。
 それにしても、権力者、政治家たちの国家的・共同体的エゴにより、我々はどれだけ多くの無辜の人たちを殺し、不幸にしたら気が済むのであろうか(わたしがいうのは、強権的暴力的なアサド政権などだけではなく、偽善的な西側諸国首脳たちも含む)。そんな、ナイーブなことを、つい、いってみたくなる。なぜ、わたしたちは、日常生活から国家規模に至るまで、ただお互いに仲よく暮らす程度のことが、こんなにむずかしいのか、とか。ま、いつもいっているどうしようもなくナイーブなことだけれども。
 
読書し終えてコーヒーチケットを出すとき、喫茶店のチーフ(?)の方から、「明日からチケット期間(いつもより安く買えるのだ)なので、またよろしくお願いしますね」といわれる。もう、チケットが残り少なくなっているからな、宣伝というよりは、いつもひとり孤独に読書している常連に、声をかけて下すったのだとわかっている。
 肉屋へ寄る。めずらしく牛カルビなど、買う。駐車場で、なんでもない青い空の写真を撮ったりする。

 
米軍と自衛隊、オーストラリアの低木地帯で合同訓練 その目的は(BBC) - YouTube
我々愚民がどう思おうが、戦争は確実に近づいている。中国は幼稚にも、軍国化する日本に圧力をかければその軍事国家化が止まるだろうとでも思っているかのようだし、高市政権は外交の失敗がなかったかのように硬直してふるまうことで、愚かな国民の高い支持を得ている。双方とも子供じみているが、お互いに「意地を張り合って」いて、もはや事態を止めることがきわめてむずかしくなっている。国家の暴走を、止めることがむずかしい。
 
ロシア軍、ウクライナ東部要衝コスチャンチニフカに圧力 陥落は時間の問題か(ロイター) - YouTube
 
夜。
七時半になってもまだ外がはっきりと明るい。日が長いな。
 
『とんがり帽子のアトリエ』第13話まで観る。