NHKスペシャル「変貌の超大国アメリカ 第1集 国家改造 影の設計者たち」を観る

未明起床。
NMLで音楽を聴く。■フランクのヴァイオリン・ソナタ イ長調で、ヴァイオリンは矢部達哉、ピアノは横山幸雄(NML)。1997年の録音。矢部達哉は1968年生まれ(現在58歳)、横山幸雄は1971年生まれ(現在55歳)。
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外は雨で、六時でもまだ真っ暗だ。朝食にハムキュウリトーストとゆで卵を食う。
 
午前中、雨の中を老母と可児の産直市場(「湯の華市場」)へ行ってくる。もう、凡そ買うものは決まっているな、魚である。
 どれもこれも新鮮でおいしそう、まずは夕飯用にお刺し身盛合せ、いつものスーパーのとはモノがちがうが、値段は同じようなもの、じつにお得に思える。あとは、イカをいろいろ、生のとか、一夜干し、唐揚げなど。銀鱈の西京漬け、桜えび。
 八百津の「おかず味噌」はいつも買いたくなる(アツアツのご飯に載せて食う)。それから、花豆が売っていれば是非欲しかったが、これは残念ながらなかった。
 車で片道45分(外気は13℃で冷える)、帰宅していま買った「魚屋のにぎり鮨」をお昼に、これは定番で、安くておいしい。
 

ニチニチソウ(日々草、Catharanthus roseus)、一昨日散歩中に。
 
昼。
NHK ONE で NHKスペシャル「変貌の超大国アメリカ 第1集 国家改造 影の設計者たち」を観る。49分。
 アメリカにおける「プロジェクト2025」の話。僕は、恥ずかしながらこの本(?)のことを知らなかった。アメリカにおける100以上の保守系シンクタンクが集結して書かれた「政策集」で、トランプは「プロジェクト2025」との関係を否定しているが、その執筆者が多く、第二次トランプ政権の要職に就いている。
 番組のまとめたところに拠れば、「プロジェクト2025」の主張するのは大ざっぱにいえば、大統領権限の強化、厳格な移民政策、多様性(DEI)の排除、など。第二次トランプ政権で、本書の掲げた政策の、半数以上が既に実行されたといわれる。
 彼らの主張するところでは、官僚機構こそが(大統領を超える)「悪の権力」(Deep State)なのであり、それを解体することで、権力を(民衆に)取り戻さねばならない、という。
 一方では、ICE(アメリカ合衆国移民・関税執行局)の力が著しく強化され、「不法移民」を強制送還するため、強権的な取り締まりが行なわれている。ICEに逮捕された移民は既に56万人、関連する死者は60人以上といわれる。
 「プロジェクト2025」の政策の「柱」として、次の四つの目標が掲げられている。「家族を、アメリカの生活の中心として復活」「行政国家を解体」「我が国(アメリカ)の主権・国境の防衛」「(キリスト教の)神が与えた、自由な個人の権利の確保」の四つ。アメリカを建国当時の国に近づけるという、保守的で宗教的な野心である。そして、アメリカの姿そのものを、変質させようとしている。
 最後、番組は「プロジェクト2025」の支持者たちが分裂したことをいっていた。自由貿易を支持する者たちが、トランプ政権の関税政策に反対しているのだ。彼らもまた、一枚岩ではないようだ。
 いずれにせよ、アメリカの「民主主義」が、ゆらいでいる。アメリカの新右翼たちは、金持ちにとっていちばんよい世の中を求めているのであり、有象無象がどうなろうが、知ったことではないのだ。
 
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Nスペを観て。上の感想の解説になっていると思う。法治国家としてのアメリカの終焉か。アメリカでは既に三権分立が機能していない。資本主義による国家統治。最後、柄谷行人の理論で見事に説明できるということが、わかってしまう。
 

10.7 坂祝にて。

「ハーモニー」(2015)を観る

日曜日。晴。
心をととのえたあと、ものすごく眠くて長時間、ベッドに腰掛けてうとうとする。
それにしても、高齢の老両親は朝早くから町内のことやら家のことやらいろいろやって、へろへろになっている。いったい、わたしはこんなことでいいんだろうかと思わずにはいられない。
 
昼。
U-NEXTで『ハーモニー』(2015)を観る。監督はなかむらたかし、マイケル・アリアス、119分。
 故・伊藤計劃の SF小説のアニメ化で、先日『虐殺器官』を観ての視聴。最初から最後まで一瞬たりとも目の離せない、緊張感のある傑作だった。特に批評も詳しい感想も書こうと思わないが、それでも少しだけ。
 この作品で心に残ったのは、ひとつは「意識の消滅」という現象、もうひとつは、未来において全世界が、精神の(電脳化的)コントロールにまで至る、極端な「管理社会」になっていること。
 正直いってわたしには、「意識」というのがよくわからない。意識は例えば、「表象」とはちがうのか。この作品では「痛み」などが意識と結びつけられていたが、意識が消滅すれば、痛みなどもなくなる、ということなのか。そして人間の精神は、「究極の平安」(本作のいう「ハーモニー」)を得る、と。はたしてそうなのか。意識は混沌なのか。
 もうひとつの、極端な「管理社会」。本作の日本では、個人の健康状態(精神のも含む)などがすべて直接的に電子ネットワークで国家(?)に管理され、「不健康」なことが、したくてもできないような社会になっている。いわば、完璧な健康社会。
 確かに、いまの世の中は、既に「健康を強制する社会」になりつつある。このままいけば、本作の世界に通じるような、そんな世の中に実際になっていくだろう。
 ただ、そんな世界を完璧に構築するのには、莫大なインフラへの投資、そしてシステムの管理のコストがかかるだろう。いってみれば、本作には、資本主義がまったくといっていいほど、考慮に入っていない。これはたぶん、伊藤計劃の全作品に共通することではないか。(特にアメリカの)エスタブリッシュメントどもはいまや自分をいわばサイボーグ化し、「永遠の命」をマジで望んでいるが、貧乏人どもにそれを分けてやるなど、まったく考えておるまい。
 そして、薬物などによる精神(=心?)のコントロールは、現在でも既にかなり進んでいるが、さて、我々の心はじつに「平安」から、どんどん遠くなっているように見える。世界は(SNSや学術論文など、精神的なものも含む)「暴力」に覆われており、今世紀は「暴力の世紀」になると、わたしは予想しているくらいだ。本作のようにいわば「心の平穏な」未来へ向かう可能性は、現時点では前世紀よりも、可能性が低いように、わたしには思える。
 わたしは、人間が「動物」(あるいは自然、ピュシス)から離れていけばいくほど、(一般に思われているのとはちがって)我々は暴力に近づいていくように、個人的に予想しているのである。
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ハーモニー

ハーモニー

  • 沢城みゆき
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夜。
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昔のラブコメ、恋愛アニメ談義(笑)。個人的なリンクで誰も見ないと思うけれど、中ではネタバレ全開なのでいちおう注意しておく。なお、ここでは AI君、結構細かい事実がまちがっているので、それも注意。

津野海太郎『歩くひとりもの』 / 「B型H系」(2010)を観る

晴。
また最初からかよと思う。何度やっても、結構不安なもんだ。でもまあ、完全に0からってことはないのだが。
 
スーパー。三倍ポイントの日。柿が高い、二個で700円のとかある。毎日自家産のを食っているので、もちろん買わないのだが。
おじいの数値のため、毎日老母が献立に苦労している。魚をどうするか、そもそも岐阜(海無し県)だからあまり入ってこない上に、またどれも高くなった。鱈(タラ)の切り身を三人分買おうとしたら、千円を大きく超えてしまう、却下。結局、尿酸値にはよくないが、鰹のタタキにする。添え物として使う、かいわれ大根と山芋も買う。
なーんか、いろいろ買ったら大量になってしまって、買い物カゴに山盛りだ。会計が(三日分で)一万円を超えてびっくり、かなわんなあ。
 

10.27 イオンモール各務原からの帰りに。
 
昼。
先日 YouTube動画を観ていたら、AIによって「大失業時代」がやってくることは不可避と、浅田さんがいっていた。そうなんだろうか、そうなのかも知れんな。なにせ、いまいちばんコストカットの対象になっているのは、人件費だから。労働者を AI とロボットに代行させることができるというなら、そうなるかも知れない。へんな時代だ、我々はいったい、なんのために生きているのか。
 
酒屋へ行ってプレミアムモルツ「香るエール」 350mL×24 を買う、4818円。
ここの道の街路樹がサルスベリ(百日紅)なんだが、さすがに(長いこと咲く)花が終わったな。晩秋、か、外気21℃。
 
珈琲工房ひぐち北一色店。
 図書館から借りてきた、津野海太郎『歩くひとりもの』(文庫版1998、元版1993)を読み終えた。なんにもいうことはないけれど、じつに楽しく読めた。気取らない、やさしい言葉で書かれているけれど、最近読んだ中で(自分には)いちばん知的な本だったな。
 いい文章を読むと、読みながらいつも自分のことばかり考える。自分のやっていることの無意味さ、まあわたしには定番の感覚だが、それを覚えるのは決まってよい本を読んでいるときだ。
 ほーんと、わたしたち(?)のやっていることは、なぜ無意味なのか。それはたぶん、わたしたちが大したことないくせに、さらにお互いに(人間関係を)切断されているからだと思う。いまや、東京のように人があふれている場所でも、他人と意識を共有して生きている人が少なくなったという、印象がある。ましてや、田舎においてをや。ま、しかし、こんなのは印象にすぎない。
 おもしろい本がない。わたしの精神が硬直化しているからだろうが、それにしても、どいつもこいつも、(わたしも含めて)自分の孤独な妄想ばかり、書き連ねていやがる。書物で、でもね。
 さて、ひぐちのコーヒーチケットを一冊買う、九枚綴4600円。お金を払って、思わずチケットを受け取らずに立ち去るところだった。わたしは昔からよくこれをやるんで、本屋でも、買った本を受け取らずにそこから立ち去ろうとしたのは、一度や二度ではない(笑)。

 
#
 
夕方、45分散歩。なんか無意味なものばかり、41枚も撮ってきた。わたしもまた「歩くひとりもの」だ笑。


フウセンカズラ(風船葛)の若い苗、だそうである。

大型視線誘導標(デリネーター)だってさ。
 
夜。
『ロメリア戦記』第5話を観る。ロメリア隊、なんとか凌ぎ切ったな。EDを観ていたらちょっとうるっときた。
『チー付与』第4話を観る。おもしろいな、哀しい話とギャグが一体化している。で、殺し屋はどう出てくるのかな。
 
『B型H系』(2010)第12話(最終話)まで観る。ちょっと古くさいけれど、めっちゃおもしろいラブコメだった! まあ、観たっていうのが恥ずかしいような作品だが笑。
 主人公の山田は、学校一の美少女なんだけれど、頭の中は H なことでいっぱい。エチ友百人作るのが夢なんだが、とにかくまず一人目っていうことで、平凡な地味系男子の小須田を選ぶ。で、よくある話、彼のことをピュアに好きになってしまうんだけど、それを自分では絶対に認められない、ってな。そのツンデレぶりがかわいらしい。
 原作は四コマ漫画で、女性作者ってのはよくわかる。最後の方はかなり際どい内容だけれど、そのときに女の子がどう扱われたいか、すごくリアルだよね。
 よくも悪くも、いまはこういう作品はないよな、昔はいい時代だった。なんていうか、いまはアニメにこういうイノセンスは、なくなってきているように思える。
 作画も、OP, ED も共にいい。てか、この頃の作画の方が、好きなくらいまである。

こともなし

昧爽起床。雨。ぽつぽつ降っている。
長時間ぼーっとする。
 
使用していたクラウドサービスの不具合で長期ダウンしていた NML がようやく復旧した。(たぶん)使うクラウドを替えて、システムを再構築したらしい。
NMLで音楽を聴く。■ブラームスの交響曲第三番 op.90、第四番 op.98、第一番 op.67、「大学祝典序曲」 op.80 で、指揮はブルーノ・ワルター、コロンビア交響楽団(NML)。1960, 1959, 1959, 1960年、ワルター最晩年のステレオ録音。
20261030081057
 
●「ノー・リーズン」の土地で――パレスチナ医療支援に参加して(香山リカ) | イミダス
『「2週間前、イスラエル兵が突然家にやって来て、こうしていったんだよ。ほら、庭の折れた木に旗が立ってるだろう。イスラエルの国旗だよ」
 彼の説明が終わらないうちに、私は思わず口にした。
「これって犯罪じゃないの? ホワイ? どうしてこんなことをされたの?」
 彼は、ほとんど表情を変えずに答えた。
「ノー・リーズン」
 理由はない。
 思えば、この旅はその連続だった。なんの説明もないまま何時間も待たされる。車が突然、停まる。学校や診療所がなくなる。たむろしていただけで狙撃される。突然、家や家畜を奪われる。
 そんな経験をするたび、話を聞くたびに、当初、私は「なぜ?」と言いたくなっていた。
 しかし、次第に「理由なんてないのだ」ということがわかってきた。それどころか、尋ねることさえ許されていない。すべては「ノー・リーズン」のまま進んでいき、それに従う以外のチョイスは与えられていないのだ。』
 

雨の中の秋明菊。
 
昼。
雨の中、県営プール。涼しいのでだいぶ温水になってきた。年配の女性たち(おばあさんといってはいけません)が15人くらい、大挙して(?)いらしていた。他にも4人ほど泳ぎ、すべてのレーンが埋まっていた。
帰り、なんとなくさみしい気分で、即興の「地球の滅亡する歌」(?)を歌いながら運転する。
 
ハンナ・アレント『政治の約束』(文庫本2018)を読み始める。第一章「ソクラテス」第二章「政治思想の伝統」を読んだ、というか、わたし程度には一行たりとも理解できなかった筈だから、まあ、目を通した、というところ。
 アーレントの強調する「複数性 plurality」、むずかしい言葉だが、つまりは、人間はひとりで生きているわけではない、ひとりでは生きていけない、ということか。つまり「政治」を考える上でも、自分の頭の中だけで抽象概念をこねくり回すのではなく、他者と同一空間を共有しながら、考える、ということ。仮にわたしの理解がそれほどまちがっていないとして、じゃあ、アーレント自身は、そのように考えることができたのか。
 アーレントは「コモンセンスの衰退」ということをいっている。これは訳本では「コモンセンス」が「共通感覚」と訳されているが、わたしには「常識」と訳した方が、個人的にしっくりくる。日本語で「感覚が衰退した」というのは、ちょっとよくわからない。でも、実際にアーレントは、「感覚が衰退した」と訳すべき、議論を展開しているのだよな。ここではアーレントが言葉(西洋語)にひきずられているようにも思えるが、たぶんわたしの誤読であろう。
●https://share.google/aimode/VuRU5ktr33WmZ2SFW
 
夜。
『B型H系』(2010)第5話まで観る。山田……。

妹夫婦来訪

晴。
未明起床。肌寒い。
 
●資本主義の「切断」に対抗する、東洋的「受容」の論理 ──デジタル敗戦の地で、ぼくたちが「まともな人間関係」を取り戻すための試論 - Marginalia
ふとしたことから始まったAI君との対話が、意外に創造的なものになった。なにをもって資本主義に対抗するか、それは「(贈与的な)人間関係」がキーになる、ということ。リンク先はAI君によるエッセイ風の、その簡潔なまとめ。
●https://share.google/aimode/A0xijRRFRpkDsIZyh
もとの対話。
 それにしても、僕らの時代(昭和の終わり)までは、理系と文系を融合していくのが大事なチャレンジになっていたな。でも、いまは文系的な、抽象的な思考(文明論)を、「土と緑と生き物」に関する感性に接続していくのが、重要になってきていると思う。つまり、動物(つまり自然、ピュシスそのものの)としての人間を重視するという。
 

10.9 家族でいった三方五湖レインボーラインの山頂公園から。
 
妹夫婦来訪、老母への誕生日プレゼントをもってきてくれた。ありがたいことである。
 皆んなで「ひぐち」にて昼食、楽しくおしゃべりをする。大人になった甥っ子たちも元気で頑張っているようで、若い人についての話はいいなと思う。しかし、いまの子は、コミュニケーション能力が(僕らの頃より)高い感じだなあ。ほーんと、いろいろやってるよ、大したもんだ。若い世代、心配することはないのかも知れない。
 帰宅しても散々しゃべって、あと、近所の(おいしい)ケーキ屋へ全員分のケーキを買いにいってくれる。わたしはひさしぶりに、チーズケーキとか食ったよ。
 夕方になって、帰っていった。半日楽しかった。
 
夜。
『生徒会にも穴はある!』第4話を観る。ひさしぶりに超バカくさいアニメだな、こういうの大好き。観ていて気が晴れる。生徒会のアホな面々、どいつもこいつもめっちゃ愛すべきキャラだ。梅で妄想している会長がかわいい。でも梅とこまろがいい関係なんだな。さても、来週が楽しみ。
『どうも、好きな人に惚れ薬を依頼された魔女です。』第4話を観る。ハリージュ様、その独占欲は……。
『塩対応の佐藤さんが俺にだけ甘い』第4話を観る。アホくさ、いけどまだ観てる。

加藤喜之『福音派――終末論に引き裂かれるアメリカ社会』

晴。
●https://share.google/aimode/A7XoVIqwwTEmVCw0J
進化心理学は疑似科学ではないのか?という疑問について。
●「進化心理学」はどこまで正しいのか?|河田 雅圭
進化学の権威による、進化心理学へのガチの批判とされるもの。
 
スーパー。よく蓮根(レンコン)を買うなあと思ったら、いまが旬だって、ああ、そうだったな。唐揚げ用の鶏肉と、鮭の切り身を買う。食パンはいつもわりと高いのを買っているのだけれど、高いせいか売れていなくて、残っているのが賞味期限の近いのしかない。
早朝からぐっと冷える。風邪を引かないようにしないとな。
 
昼。
(国際報道番組でフランスのここ最近の、学生デモが大規模化して、暴動にまで発展している例のやつについて解説があったけれど、なんであんなことになってるのか、いまひとつよくわからなかった。そもそも学生たちが主張しているのが、学習環境の悪さ、みたいなことだったでしょう。フランス中の学生が参加するような、大規模デモで主張するほどのことなのか、って、文化のちがうわたしのような日本人には、わかりにくいんだよなあ。なんか、学生たちに、それ以上の不満というか、モヤモヤがあったとしか、考えられない感じがする。
 もっとも、さすがに「暴力革命」の伝統のある国だよね。政治=暴力、ってのが、染み付いているのだと思う。だから、すぐに暴動に発展する、というところもあるだろう。
 我々日本人は、デモで世の中がよくなるとか、ましてや暴力でとか、あまり思わないんじゃないか。おとなしく、権力に服従する国、そういう傾向は否めないと思う。ただ、それは悪いことなんだろうか、日本の民主主義が成熟していない、証拠なのか。
 フランスのデモは、ヨーロッパ中に拡大するかも知れない。また、フランスで政治状況を変える、つまり、中道のマクロン政権が退陣し、極右か極左が政権につくことを、あと押しするかも知れない。
 フランスで極右が政権についた場合、ヨーロッパの情勢は一気に混沌化する可能性がある。EUを弱体化させ、最終的にその崩壊への道が始まるかも知れない。
 日本はまだまだ平和やなあ、あの高市政権にしてすら。)
●https://share.google/aimode/yxoGZW48FZcMuMPnz
 

クサギ(臭木)の蕾と花、10.20 近所にて。
 
珈琲工房ひぐち北一色店。
 図書館から借りてきた、加藤喜之『福音派――終末論に引き裂かれるアメリカ社会』(2025)を読了。第四章「福音派の指導者としてのブッシュ――二〇〇〇年代」第五章「オバマ・ケアvs.ティーパーティ――二〇一〇年代前半」第六章「トランプとキリスト教ナショナリズム――二〇一〇年代後半」終章「アメリカ社会と福音派のゆくえ」を読んだ。
 少し前に話題になった本で、なるほど、とってもおもしろかった。著者は優秀だな、それゆえ、わたし程度のレヴェルを超えていたのは残念だった。たぶん、わたしは本書をきちんと理解できていないと思う。
 本書はアメリカにおけるキリスト教「福音派 Evangelicals」が、いかにアメリカ政治と密接に関わってきたかを記述しているといって、いいだろう。じゃあ、その「福音派」とはなにか。
 その源流は「ディスペンセーション主義」というもので、本書に拠れば「できる限り聖書の記述を文字通りの意味で読もうとする解釈の方法を指す」という。ここでいう聖書は(ユダヤ教の)「旧約聖書」も含み、それゆえアンチクリストとの最終戦争(ハルマゲドン)が起きて特定のキリスト教徒のみが救われ、そのあとは「千年王国」が築かれる、ということまで、(文字どおりに)信じる立場である。いわゆる「(キリスト教)原理主義」。それに属する人たちの中で、原理主義という言葉をよしとしない人たちが、「福音派」を名乗った、ということらしい。二十世紀の半ばくらいの時期のことである。
 福音派の発想は、ある意味で荒唐無稽なものである。ただ、これは一種の保守主義と結びついていた。「古きよき」アメリカらしい価値観を守ること、つまり伝統的な家族の尊重、(生命の尊重からの)人工妊娠中絶の否定、資本主義の肯定(あるいは共産主義の否定)、宗教(キリスト教やその「神」)を信じることなど。これは時期によって異なり、政治との関わりも時代によって、人によってちがう。しかし、大統領選挙に長年大きな影響力をもち、また、直接、大統領と関係する――そういう大統領は少なくなく、最近ではトランプ大統領がそれなのだ。
 あとは本書に直接当たられたい。これ以上いうことはないが、個人的に、キリスト教の「闇」というか、合理主義がいかなる場所に人をつれていくか、ということを感じた。福音派の存在の大きさは、むしろその「合理性」というか、説得力にある。頭のよい人間は、どんなことでも正当化できる、そんなことを、個人的に(勝手に)感じた。アメリカの「分断」は、言葉のもたらすそのお互いの合理性(あるいは説得力)ゆえに生じるのである。
●https://share.google/aimode/1aRDdfTRWMsTCT0Mc

 
夜、早寝。

ピアニスト、ツォトネ・ゼジニゼを少し聴いてみる

晴。肌寒い。
昧爽起床。
●Beethoven - Piano Concerto No. 3 - Bernstein / Zimerman - Musikverein Vienna 1989 - REMASTERED | YouTube
 ベートーヴェンのピアノ協奏曲第三番 op.37 で、ピアノはクリスティアン・ツィマーマン、指揮はレナード・バーンスタイン、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団。1989年9月の録音。
 動画タイトルに remastered とあるように、音がなかなかよくてハッとさせられる(ピアノの音が美しい)。演奏は巨匠たちによるもので、もちろんいうことのない、すばらしい(いや、すごいというべきか)ものだ。これが超一流の演奏家のあたりまえ。
 ツィマーマンは当時32歳かあ、いまはこんなすごい若手はいないかなあって思わされる(いや、そんなことはなくて、古くさいわたしがわからないだけなのだろう)。彼ももう次の誕生日で古希ですか。
●W. A. Mozart - Oboe Quartet in F Major K.370 - Angel Luis Sanchez Moreno | YouTube
 モーツァルトのオーボエ四重奏曲 K.370 で、オーボエはアンヘル・ルイス・サンチェス・モレーノ、他。2023年、第13回国際オーボエコンクール・東京における録音(ファイナル・ラウンド)。少し崩れるところもあるが、悪くない。
●Beethoven, Ludwig van: Sonate für Klavier Nr.27 e-Moll,Op.90 Pf. 桑原志織 | YouTube
 ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第二十七番 op.90 で、ピアノは桑原志織。2013.8.18、ピティナ・ピアノコンペティションの全国決勝大会セミファイナルにおける録音。
 桑原志織さん(1995-、現在31歳)は去年のショパン・コンクール予選のときからなかなかいいと思っていた。これは13年前(まだ十代後半か)の演奏。
 
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●Tsotne Zedginidze performs Ravel's Gaspard de la nuit at the 2023 Verbier Festival | YouTube
 ラヴェルの「夜のガスパール」〜「オンディーヌ」で、ピアノはツォトネ・ゼジニゼ。2023.7.19 ヴェルビエ音楽祭にて。
 ツォトネ・ゼジニゼは伊熊よし子さんの簡潔なブログ記事で知ったピアニストで、2009年ジョージア生まれ、今年で弱冠17歳であり、バレンボイムなどに「一世紀にひとりの逸材」「二十一世紀のモーツァルト」等といわれ、いまヨーロッパで大人気なのだという。これは3分程度の動画で、確かに今のバレンボイムに似ていなくもない、優しい、透明なピアニズムに聴こえるが、もちろんこれだけではなにもわからない。なんともいえない。
 なお、AI君によれば、ゼジニゼはまず作曲家として、高く評価されているという。「5歳から作曲を始め、現代音楽の語法を取り入れた高度な作品をすでに多数発表して」いる、と。なるほど。
●Poulenc - Aubade | Tsotne Zedginidze | Sir Simon Rattle | BRSO Akademie | YouTube
 プーランクの「オーバード」で、ピアノはツォトネ・ゼジニゼ、指揮はサイモン・ラトル、BRSOアカデミー。録音年代は不明。
 この曲は恥ずかしながら、初めて聴くが、一種のピアノ協奏曲みたいだ。ラトルがさすがで、すぐに耳が惹きつけられる(当たり前か)。ピアノもクセがなく安定していて、クオリティはとても高い。でもどちらかといえばラトルの高い実力が目立ってしまうのは、これはもう、どうしようもないところであろう。ピアノの方を一種の伴奏と捉えれば、すばらしい演奏といっていい。
●Zedginidze: Spring (Live) | YouTube
 ゼニジゼの「春」で、ピアノはツォトネ・ゼジニゼ。2022年のヴェルビエ音楽祭にての録音。10分あまりの、ゼニジゼ自身の曲。なお、この演奏会全体の録音(曲ごとにバラけてはいるが)が YouTube で聴ける。
●ラフマニノフ/ピアノ協奏曲 第3番 ニ短調 作品30| ツォトネ・ゼジニゼ - ワシーリ・ペトレンコ - NHK交響楽団 | YouTube
 ラフマニノフのピアノ協奏曲第三番 op.30 で、ピアノはツォトネ・ゼジニゼ、指揮はヴァシリー・ペトレンコ、NHK交響楽団。2026.7.17 の演奏会録音(NHKホール)。なお、一年間の限定配信である。
 ほぼ最新録音でポピュラー曲だから、とりあえずゼニジゼを聴いてみたければ、気になる人は多そうだ。わたしの苦手な曲で、ところどころつまみ食いして聴いた。
 第一楽章冒頭から非常に遅い。ピアノはどこか淡々と弾いているが、音には独特の美しさがある。第二楽章も遅く、ピアノパートはまるで現代音楽のように構造的、立体的に(?)弾かれている。むずかしそうなところでも、技術は充分。
 演奏としては、たぶん終楽章がいちばんだろう(楽章全体を聴いた)。X線を照射したかのような、見事にクリアな美しいピアノ(技術的にもすばらしい)、ペトレンコもまずまず元気。
 全体として、ロマンティックとは正反対の方向にある演奏じゃないか。ペトレンコはピアニストに合わせているのだろう、どことなく印象が薄い。ラフマニノフで盛り上がりたい人ならガッカリする?
 以上、わたし程度がわかったようなことを書いてごめんなさい。それにあくまでも、つまみ食いですからね。
 
あと、リンクはしないが、(YouTube の)ヴェルビエ音楽祭2022年でのシェーンベルクやバルトークはお勧めである。今日聴いたところでは、プーランクがベスト。
 印象としてはツォトネ・ゼジニゼはいわば「現代音楽ネイティブ」であり、最初から現代音楽を完全に消化していて、ふつうに当たり前として弾く。自分で作曲もする。ただ、昔の人が「違和感のある音楽」として演奏した、いわば攻撃的、鋭角的な「現代音楽」(ばかりではないが)よりおもしろいかは、それはわからないといえよう。正直、ふつーで、拍子抜けさせられるところが、自分には確実にあった。
 

庭の富有柿、10.16 に撮ったもの。
 
昼。
銀杏の炊き込みご飯など、すべてまったくの田舎飯。これがうまいんだよ。銀杏は、10.9 に家族で敦賀や三方五湖を訪れた際、道の駅にて買ったもの。
 
ドトール イオンモール各務原インター3Fソラザダイニング店。アイスコーヒーL 400円。
 少し前に話題になった、加藤喜之『福音派――終末論に引き裂かれるアメリカ社会』(2025)を読み始める。序章「起源としての原理主義」第一章「『福音派の年』という転換点――一九五〇年代から七〇年代」第二章「目覚めた人々とレーガンの保守革命――一九八〇年代」第三章「キリスト教連合と郊外への影響――一九九〇年代」を読んだ。
 なかなかおもしろいが、(予約が入っているので)明後日には図書館へ返却せねばならない。これは、なんとか明日一日で読み切るかな。
 ちょっと暑い、まだ夏日だ。帰りに肉屋とドラッグストアへ寄る。

 
夜。
U-NEXTのポイントで『パリに咲くエトワール』(2026)を観る。120分。
 傑作「コードギアス」シリーズなどロボアニメで知られる谷口悟朗監督による、擬似ジブリアニメ。悪くはない計算し尽くされた「名作」だが、わたしには正直かなーり退屈だった。上流階級のお嬢様たちによる、第一次世界大戦直前のおフランス留学ごっこ、なんていうと辛辣すぎるかも知れないけれど。確かにかなりジブリっぽいが、あの過剰さはなくて、きれいに枠に収まった作品になっている。とにかく「名作」を作りましたって感じはあるので、それを素直に楽しめばよかったのかも知れない。