晴。
未明に目覚める。周縁の未踏の空間に白い雫が湧き出してくるのがちょっと気持ちが悪い。一種の煩悩だ。基礎を作り、裏側の清浄な空間に入る。壁抜け、ということを村上春樹が(河合隼雄先生との対談で)いっていたな。しばらくすると自然に既知の領域に出たので、起床する。
明るくなってきた。日の出だ。東に商業ビルがあるので、まだ朝日は見えないが。(6:47)
 
NML で音楽を聴く。■ハイドン弦楽四重奏曲第六十二番 Hob.III:77 で、演奏はプラジャーク・クヮルテット(NMLCD)。■リヒャルト・シュトラウスの「フランソワ・クープランクラヴサン曲による舞踏組曲」で、指揮はシャルル・デュトワモントリオールシンフォニエッタNML)。初めて聴いたが、なかなかいい曲。リヒャルト・シュトラウスによるバロック音楽、って感じ。

ブリテン弦楽四重奏曲第三番 op.94 で、演奏はベルチャ弦楽四重奏団NMLCD)。■吉岡孝悦(1955-)の マリンバティンパニと四人の打楽器奏者のための協奏曲(NML)。
YOSHIOKA PLAYS YOSHIOKA 3

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ヤナーチェクの「霧の中で」で、ピアノはオレナ・クシュプラー(NML)。すばらしいヤナーチェク。このピアニストについては何も知らない。ウクライナ生まれのドイツ人ピアニストだという。 
iPad mini でマッケラスの指揮するハイドンを聴く(NML)。
 
昼。
マッケラスの指揮するハイドンの続き。アルバム一枚聴いてしまった。1991年の録音。

 
 
珈琲工房ひぐち北一色店。客少なし。
『コレクション瀧口修造11』を読み始める。戦前・戦中の詩的実験。世界がすみずみまで美しく感じられるという、瀧口修造を注入するドーピングは、いまだに有効である。もう聴き潰れた筈のピリスのモーツァルトも、まるで初めて聴くかのように生気を取り戻している。
帰りに肉屋へ寄る。
 
ついに紅梅が一輪咲いた。

去年は 2023.3.8 なので、十日以上早い。

クリスマスローズ

ネモフィラ・メンジェシーも咲いた。

中沢新一『精神の考古学』

日曜日。雨。
未明起床。昨晩は少し早く寝て、三時間くらいでいったん目が覚めた。
 
世界軸 axis mundi をきれいに通していくのは、ほんとにむずかしい。それはいつの時代でも簡単ではないだろうけれど、特に土台がめちゃめちゃに壊れている現代、コンテンツを脳に注入し過ぎな現代では、特に大変なんじゃないかと思う。天国と地獄、天と地を繋いでいくということ。端的に、精神の健康ですよ。
 
スーパー。サラダ油を買おうとしたのだが、キャノーラ油とかコレステロール0とかで、ただのサラダ油がないんですけど。
 
昼。
NML で音楽を聴く。■ベートーヴェンのピアノ協奏曲第一番 op.15、第二番 op.19 で、ピアノはジョン・リル、指揮はヴァルター・ヴェラー、バーミンガム交響楽団NML)。

ベートーヴェンの十一のバガテル op.119 で、ピアノはジョン・リル(NML)。
 
ウチで作ったフィリングを詰めて老母がアップルパイを焼いた。昨日ミスドでも食ったが、あつあつで、遜色ないおいしさだった。
 
 
中沢新一『精神の考古学』(2024)読了。雑誌連載時から単行本で読めることを心待ちにしていた。中沢さんの本の中でも、とりわけ活字から清浄な空気が吹き寄せてくる本だった。何箇所も、感動で涙を流した。年齢のこともあり(わたしのこれまでの歩みは本当に亀の如き遅さだった)、わたしは一生かけても本書に埋蔵された深い智慧の一万分の一、一億分の一の程度にも到達できまいが、そういうこととは別に、自分が何を目指すべきなのか、少し見えてきたようにも思う。わたしは(ある意味では高望みだが)、難解な、他人に理解しがたい、常人に不可能なことをしようとするのではない。(ただ、それすら、現代ではむずかしいだろうが。)自分の孤立と他人からの無関心を恐れてはならない。むしろそれは利点ですらある。『「精神の考古学」の探求を組織的におこなうために、自分たちはすでに遅きに失してしまったかもしれないというおそれが、たえず私の心を苦しめる。しかし、精神のアフリカ的段階は、現在でもホモサピエンスたちの心の土台をなし、どんなに技術の発展がそこからの離脱を人類に可能にさせていると喧伝されようとも、その土台はいっこうに揺らいでいないのである。…』(p.402)
 

 
庭の蕗で老母が蕗味噌を作った。ほろ苦くて旬の味。

 
夜、早寝。

熊代亨『「推し」で心はみたされる?』

晴。
早起き。
 
大垣。西に、冠雪のほぼ消えた伊吹山が青い。
ミスタードーナツ大垣ショップ。ホット・スイーツパイ りんご+ブレンドコーヒー446円。午前中の適度に空(す)いているミスドはいい。ブラインドの隙間からやわらかい冬の陽差しが入ってきて、完璧。
 細野さんの『映画を聴きましょう』の続きを読む。細野さん、あんなにエラい人なのに、ちっともエラそうでなく物知りそうでもなく、読んでいて楽しい。それでいて、情報量(?)は決して少なくないんだけど。映画を知らないわたしだが、映画が観てみたくなる。映画音楽の話、武満さんへのリスペクトがあって、うれしい。でも本領(?)は昔のポピュラー音楽だよね、わたしは全然知らなくて残念。ほんと、ポピュラー音楽を知らないのは、人生損しているだろうと思うんだけれど。
 帰り、外気10℃で決して暖かくはない筈なんだが、日光が燦々と車内に降り注いで、よい音楽が流れて、凡庸な国道21号を走っていても、多幸感に包まれる。高架からは、遠くに冠雪した、あれは恵那山だろうか。
 

 
昼食に焼きそばを作る。
 
熊代亨『「推し」で心はみたされる?』(2024)一時間ほどでさらっと読了。

 
日没前、30分あまり散歩。

カルガモ

カワセミ。光学20倍ズーム+デジタルズームを使っているので、随分と画質が荒い。二羽が続けて飛んでいったから、繁殖の季節になるのだろうか。


ホトケノザ(仏の座)。




日が長くなったので、余裕をもって散歩できるようになってきた。脚が弱るから、歩かないとねー。
 
 
夜。
はたらく魔王さま!!』(2022)第4話まで観る。9年ぶりの2期、らしい。赤ん坊アラス・ラムス、出てきたぞ。なぜかパパが魔王でママが勇者。勇者、デレ期到来か。

山田太一作「今朝の秋」(1987)を観る

祝日(天皇誕生日)。曇。夜の間に降ったらしい。
午前中に雨になる。
 
昼。曇。
県図書館。借りる本のリストを家に忘れてきてしまった。岡真理先生の『彼女の「正しい」名前とは何か』(新装版2019)、レヴィ=ストロース『人種と歴史/人種と文化』(邦訳2019)、安田峰俊さんの『「低度」外国人材―移民焼き畑国家、日本』(2021)、文庫本でマイケル・フリーデン『リベラリズムとは何か』(邦訳2021)などを借りる。
 
帰りに肉屋。
 
寝ころがって iPad mini でイザイの協奏的詩曲を聴く(NML)。
 
夜。
Mozart: Symphony No.39 Bernstein/ Wiener Philahermonikaer モーツァルト:交響曲第39番 バーンスタイン ウィーンフィル | YouTube
1981年、ムジークフェラインザールでのライブ録音。さすがはバーンスタイン
 
 
U-NEXT で山田太一作『今朝の秋』(1987)を観る。笠智衆主演三部作の最終作、89分。いまさらわたしがいうまでもないかも知れないが、末期癌の息子を取り巻く家族関係が何重にもなっていて、密度の濃い名作だ。三部作の中で、いちばんよい。それから音楽が武満さんで、現代音楽の武満徹とはちがいながら(随分とメロディアス)、しかし紛れもない武満さんの美しく、効果的な音楽になっている。隆一の死は直接描かれないが、武満さんの音楽ではっきりとわかるのには驚かされた。
 もちろん、途中から泣かされっぱなしだった。いや、誰でもこれ、涙を堪(こら)えられないでしょう。笠智衆演じる口数の少ない老いた父親を見ていると、なんとなく亡き祖父が思い出された。明治の男。

なお、時代はバブル期の昭和の筈だが、風俗があんまりダサくてびっくりする。あんな時代が自分の青春だったかと思ってしまう。

熊代亨『人間はどこまで家畜か』 / 成田悠輔『22世紀の民主主義』 / 「はたらく魔王さま!」(2013)を観る

曇。
昧爽目覚める。ひさしぶりに次第に明るくなってくるのを感じながら、そのまま一時間ほどうとうとする。女の子にもたれかかって、うとうとするような、なんか透明な、明るい、そんな夢を見ていたなと思う。そのわたしは、現実よりずっとずっと若いんだ、たぶん。フィクションの摂取し過ぎか。
 
昼食に老母がドライカレーを作る。ドライカレーといってもまったく我が家独特のそれで、既に長年のレパートリー、ウチの味になっていて、時々食べたくなる。これは妹にも(いちおう)受け継がれていて、学生のときとか、お弁当に入れたりしていたそうだが、子どもたちが辛いものが苦手なので、いまは作ることがないかも知れない。
 
熊代亨『人間はどこまで家畜か』(2024)一時間ほどでさらっと読了。

図書館から借りてきた、成田悠輔『22世紀の民主主義』(2022)一時間ほどでさらっと読了。副題「選挙はアルゴリズムになり、政治家はネコになる」。何となく著者は政治学とか、そんな方面の人かと思っていたのだが、コンピュータ・アルゴリズムを専門とする学者なんだな。著者は「無意識民主主義」ないし「無意識データ民主主義」なるものを提唱しているが、そこにおける「無意識」ないし「無意識データ」の語の意味するところは、まったく曖昧である(明らかに、フロイト的なそれでない)。少なくともいえるのは、「主体の意思」による政治を否定し、電子的な「ビッグデータ」が体現する「民衆の無意識」なるもの(それがいったい何なのか、説明されることはない)を、「民意」と見做す発想である、ということ。もっとも、わたしはバカでかつ不勉強なので、「民主主義」とか「一般意志」という語のデノテーションすら、じつはよくわからないのだが。
 
あれ、今日は家から一歩も外へ出ていないぞ。もう暗くなっちゃった。
こりゃいかん、というので、あわてて庭の金柑を食いにいってきた。
 
夜。
寝ころがって iPad mini でグールド+カラヤンベートーヴェン、ピアノ協奏曲第三番を聴く(1957年のライブ録音、NML)。グールドはもちろん天才なのだが、ここではカラヤンが凄い。(終楽章は二人とも気合いの入った名演で、感動的だ。)
 グールドはカラヤンが苦手だったのかも。カラヤンはグールドとレコーディングすることに拘っていて、何度もアプローチしたのだけれど、グールドはその都度難癖をつけて、不可能な条件を出したりして実現しなかった。
 
 
はたらく魔王さま!』(2013)第13話(最終話)まで観る。いい感じのコメディだったな。魔王と勇者エミリア(恵美)の関係性がいい、1クールかけて仲はあんまり進展しなかったけれど、でも、恵美が傘をもってくるラストシーンが2期期待(何が?笑)だな。まったく真奥君、モテモテですねー。バトルやシリアス展開もなかなかなんだよね。

『マッカラーズ短篇集』 / フェルナンド・ペソア『不穏の書、断章』

雨。
 
心の土台である「生きとし生けるものへの惻隠の情」の涵養からやり直す。基礎をきちんとしないと、どんなに高度なことをやっても、心はとんでもないところへ至ってしまう。高い知性が、嫉妬心やマウンティングの傾向に駆動されて歪むというのは、よくあることだ。
 
スーパー。セルフレジ、上から監視カメラで撮影しているのだな。不正があったときに、確認したり証拠にするためか。いちおう、付いて見ている店員はいるのだけれど。
最近のパスタ、2~3分の早ゆでっていう商品が多くなってきた。
 
昼。
ウクライナ軍がアウディーイウカから撤退し、ロシア軍の手に落ちたことにより、国際報道の中心が、ガザからまたウクライナに戻ってきている。わたしが知ったかぶりをしてもしようがないが、ウクライナ軍は防戦に追われ士気が落ち気味、砲弾も足りず、国民は意気銷沈しているようだ。総司令官は解任され、政府では汚職がはびこって国民の支持も下がっている。アメリカの支援は滞り、仮に次期大統領がトランプになれば、それが打ち切られる可能性もある。一方で、モスクワはとりあえず平穏だともいう。って、報道をそのまま書いているだけで、わたしなんかが考えてもどうしようもないことだが。
 
 
雨の中、珈琲工房ひぐち北一色店。2.4 以来か、ちょっとひさしぶりだな。
カーソン・マッカラーズ『マッカラーズ短篇集』(文庫版2023)読了。マッカラーズというと『心は孤独な狩人』だが、村上春樹訳で 2020.10.25 に読了しているのに、中身は全然覚えていないな。と、自分の過去記事を読んで少し思い出した。この短篇集もだが、読んでいてあんまり楽しい小説というわけではない。って素朴すぎる感想ですね。

 
フェルナンド・ペソア『不穏の書、断章』(平凡社ライブラリー2013)読了。下らない本だった。いかにも深遠めかした文章が並んでいるが、まったく底が浅い。というか、ニセモノである。現実というものをペソアは自分の目でしっかり見たことがない、なのに、一見高所から、いかにも深いことをいっているかのようである。そういう意味では、まさに冷笑のネット時代にふさわしい。これこそが「知的」だといわれるところのものなのである。そう、本書は自意識過剰の記号的「知性」の産物なのだ。 
細野さんの『映画を聴きましょう』(2017)を読み始める。映画ファンってやたら知的だったり、蘊蓄がうるさくてかなわんっていう偏見が自分にあるのだが、さすがは細野さん、めっちゃ楽しい。もちろん映画音楽の話なんだが、映画そのものの肩の凝らない話もたくさんあって、気楽に読める。まあ、わたしは映画について、何も知らないんだが。
 
『精神の考古学』第八部まで読む。
 
 
第668回:「貧乏に苦しむか/貧乏を楽しむかしか選択肢がないことがおかしい」問題に、遂にひとつの回答がもたらされる。の巻(雨宮処凛) | マガジン9
悲しい話といえばそうだな。しかし、ここにはいまやほとんどなくなった、(現代日本の)可能性がまだある。ほんと、現代日本に可能性というものがことごとくなくなってしまったようにわたしには思われるのだが、浅はかな人間のかんちがいだろうか。もう、多くの人が自分の何とか守っている小さい領域以外を、あきらめてしまっている、そんな風に見える。
 
 
夜。
はたらく魔王さま!』(2013)第6話まで観る。ゲートを抜けて現代日本へ来た魔王がファーストフード店、(女)勇者がコールセンターでバイトしながら、貧乏暮らししてるって、なにそれ。魔王城は六畳一間のボロアパート。で、魔王と勇者でラブコメ(?)やってるし。よくそんな下らん話、思いつくな笑。時にバトル、シリアス展開もあり。

岡野八代『ケアの倫理』

曇。暖かい。
 
NML で音楽を聴く。■ハイドン弦楽四重奏曲第六十一番 Hob.III:76 で、演奏はプラジャーク・クヮルテット(NMLCD)。■ラヴェルの「ボレロ」で、指揮はシャルル・デュトワモントリオール交響楽団NMLCD)。すっかり目が覚めた、、忘れがたい名演。デュトワの魔術に、トロトロにとろけてしまいそう。あらためてこの人、ユニークな指揮者だなって思う。1981年の録音。
 
昼。ごく薄雲りでわずかに陽がこぼれている。
Mozart: Piano Concerto No.17 Leonard Bernstein/ Wiener Ph. モーツァルト:ピアノ協奏曲第17番 バーンスタイン ウィーンフィル - YouTube
バーンスタインモーツァルト弾き振りで、とにかくウィーン・フィルがいきいきと演奏している。バーンスタインのピアノは決して悪くないが、録音の悪さもあるだろう、音がかなり冴えない。また、どうしてもピアノのスペシャリストに敵わないところはしかたないだろう。終楽章冒頭のオケのすばらしい導入など、これにピアノはどう入るだろうとワクワクしていたのだが、意外と平凡な入りだったり。でも、まあバーンスタインのピアノ、繰り返すが悪くはない。1981年、ムジークフェラインザールにおけるライブ録音。
 
 
イオンモール各務原へ。外気19℃は二月とは思えない、信じがたい。上着なしで外出。なんか駐車場がいつにも増して混雑している。

3F フードコートのミスド、ストロベリーカスタードフレンチ+ブレンドコーヒー462円。いつもフードコートで読書しているのなんてわたしくらいだが、今日はラフでなかなかカッコいいじいさんが読書していた。へー。
 岡野八代『ケアの倫理』(2024)読了。承前。前にも書いたが、フェミニズム本なんでめっちゃむずかしい。「ケアの倫理」が、政治(従来の民主主義への批判)や正義や反暴力とまで結び付けられていて、おもしろいと同時に、連呼される「ケアの倫理」ってつまり何よ、って結局なる。まあ、これまで女性によって担われてきた(あるいは女性に押し付けられてきた)、男性優位社会ではネグレクトされてきたもの、ってな感じなのだが、ちょっと曖昧だよね。わたしには、「弱さの価値」っていう風にも見えるが、そこはあまり強調されないのかな。具体的には、家事や子育てや介護ってのが、典型的に概念の期待されている中身なんだろう。要は、男も「家事や子育てや介護」をやれっていうことなんだろ、なんていうと、そうじゃないんだ、単純化するなって叱られそうだな。いやでも、わたしは男がふつうに「家事や子育てや介護」をやるようになれば、随分と社会が変わると思うんだけれどね。
 しかし、関係ないかも知れないが、男も女も、日本人は働きすぎじゃないかね。「ケアの倫理」なんてことをきちんと考えるヒマ、ないでしょ。とにかく、忙しすぎて、日々を廻していくだけで精一杯じゃないか知ら。
 本書を読んでいてふと連想したのだが、「女子力」っていう言葉があるよね。「女子」と付いているだけでフェミニストに叱られそうだが、あれって、かなりいい内容を含んでいるんじゃないか。実際、「女子力」があるとして、それである意味では女は男より生きる能力が高いし、柔軟に生きていけるところがあると、いえると思うんだよね。なかなか、男性が「女子力」に相当する能力をもつのは、我々の世代にはむずかしいと思う。いまの若い世代は、そのへんは進歩しているのかな。

しかしどうでもいいが、この新書本、1240円もするんだぜ。ちょっと気楽に新書本、ってわけにはいかない時代になったなあ。
 

ウチの遅い紅梅がもう咲く寸前。
 
『精神の考古学』第七部まで読む。
 
夜。
神のみぞ知るセカイ』の原作マンガの続き。なるほど、アニメ1期2期はかなり原作に忠実で、3期はそこから一気に飛んでいるのだな。これは残念、確かに3期「女神篇」は魅力的だけれど、せっかくだからきちんと全部やって欲しかった。原作は傑作で(アニメ版も神だが)、いかにもったいないことをしたかわかる。…ってどうでもいいですね笑。さて、原作はまだまだ続く。