「僕は友達が少ない NEXT」(2013)を観る

昧爽起床。曇。
よく寝た。
 
昨日アップしたのとはちがう色の牡丹が咲いた。こんな色の、前からあったっけ?

フランス菊が咲き出した。ネモフィラは丈夫だな、長いこと元気に咲いている。
 
小説、映画、ドラマ、マンガ、アニメ、音楽、ゲームなどのコンテンツにおける暴力表現の氾濫を見ると、我々が(少なくとも想像力における)暴力を好んでいる、望んでいることは明らかだ。これは現在が管理社会で、安全・安心をほとんど「強制」されることに対する(動物的な)対抗措置なのであろうか。それとも、人間は本質的に暴力を好むといえるのか。
 スポーツをしたり、スポーツを見ることの愛好も、暴力の代替措置であるとも考えられる。
 
Bruce Liu spielt Rameau, Chopin & Liszt | ORF-Radiothek
ブルース・リウの 2024.2.24 東京コンサートの期間限定配信から、ショパンのピアノ・ソナタ第二番 op.35 をつまみぐいして聴く。特に驚きのない演奏。ブルース・リウは 2021年のショパン・コンクール優勝者であるが、いまはポリーニアルゲリッチのようにはいかないなと痛感する。
 同じコンサートより、ラモーの「クラヴサン小曲集」「新クラヴサン組曲集」からを聴く。これは惹き込まれた。ラモーはそれほど聴いたことがないので、よい演奏はありがたい。才能ある若手が、往年の大ピアニストがあまり演奏しなかった曲をやってくれるというのは、いいな。ほんと、ラモーなんかはそれにぴったりだと思う。全部でほぼ20分。
 なお、ブルース・リウは CD でラモーを録音しているが(NML)、この演奏会の方がいきいきしていてずっといいと思う。同じ曲で比較してみるとよくわかる。この録音は NML でかつてちょっとだけ聴いたが(2023.11.22)、やっぱり、それのみで演奏家の才能を判定するのはムリだな。演奏家が、時によってちがう演奏をするのは当たり前なのだから。
 でもまあ、「才能」って何だかよくわかんないもんだけどね。例えばアルゲリッチの才能を疑う人はいないだろうが、じゃあアルゲリッチがいつもすばらしい演奏をするかというと、そうとは限らないわけだし。
 

 
昼食のパスタに自家製パセリと初物タマネギ。うまい。
 
ミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。カスタードクリーム+ブレンドコーヒー462円。
 岩田慶治道元との対話』の続きを読む。道元ってきわめて厳しい人で、『正法眼蔵』なんてとてもわたしには読めないだろうと敬して遠ざけてきたのだが、本書を読むと、わからないなりに読んでいいんじゃないかと思い始めた。道元からの引用を読んでいると、そんな感じ、架蔵して眠っている岩波文庫本にでも、目を通してみるか。
 しかし、岩田慶治という人、こんな東洋的精神のかたまりのような人が、かつてはまがりなりにもアカデミズムの中に存在できたなんて、驚きである。いまでは不可能なのではないか、知らんけど。もっとも、アカデミズムの中で、当時でもたぶんまったくの異端、傍流の人だったろうが。
 
ひさしぶりにカルコス。2.13 以来か、本当に行かなくなってしまった。無くなったら困る本屋なのだから、もっと行かないととは思うけれど、本はあまり買っていけないことになっているしなあ。
 今日の釣果。ちくま学芸文庫で『概説 人工知能』(2024)。西野嘉章チェコアヴァンギャルド』(平凡社ライブラリー2024)。岩波文庫でカントの『人倫の形而上学 第一部』(文庫2024)、ゲルツェン『ロシアの革命思想』(文庫2024)。「これは欲しい」と思う本だけ買ったが、文庫本4冊で6000円超えかよ、きびしいなあ。
 ちくま学芸文庫で『資本論』の新訳が刊行され始めたが、最初はレジにもっていこうとしていたのだけれど、あやうく思いとどまった。
 新書本も何か買おうと思っていたが、いろいろ見ても気が滅入るばかり。いや、こちらの感性がにぶっているだけでしょうけれどね。
 

 
道元との対話』を第三章まで読む。わたしごときに本書がわかるとはいえないんだけれど。そもそも、テキトーに眺めているだけで、読んでいるとはいえない(わたしはどんな本でもそんなものだ)。でもまあ、わかんないともいえない。ただ、わたしは余計な知的にむずかしすぎる本を読み過ぎで(どーせ、よくわかっていないのだ)、それらを解体し尽くしていないということは確か。って、たんに未熟なだけなんだけど。
 
夜。
夕飯に蕗(フキ)とじゃこの当座煮。蕗は採れたてのせいか、やわらかくてクセもなく、みるみる減っていった。
 
僕は友達が少ない NEXT』(2013)第12話(最終話)まで観る。2期はラブコメ成分多い。やー、最後までぬるま湯で終わると思っていたので、修羅場展開はちょっと驚いた。まあしかし、またうやむやなのかな、そこはよくわからなかった。でも、このダブルヒロイン、選べないでしょ、原作はどうなってるのかな。
 どうでもいいが、うすうすそうじゃないかと思ってたけど、これ、聖地は岐阜とか名古屋だよね。各務原と犬山の間の犬山橋とか、名鉄でえっと思い、JR名古屋駅構内で確信した。いわれてみれば、JR岐阜駅のホーム待合室もそうだ。岐阜市内の長良公園は知らなかったが。てか、買い物で名古屋へ行くってんだから、舞台は(いちおう)岐阜ってことかな(群馬も混じっているらしい)。岐阜はアニメの聖地、かなり多くてうれしい。って俺バカ?

調べてみると、なるほどー、原作の舞台ははっきりと岐阜や名古屋がモデルになってるのね。アニメでは関東が混じっているというわけか。また、原作の終わり方も調べた。まーこれはどう終わっても不満が出るよねー、仕方がないと思う。