家族で大野町の野古墳群など

きれいに晴れた。
ちょっと風邪気味なのかな。鼻水が出るし、喉の調子がよくない。
 
しかし思うが、昨日読んだ小林信彦さん、文章は軽くてうまいけれど、そんなに気楽に読めないよね。小林さんの認識として、昔と比べたら今なんかクソ、その中で比較的まともなものを拾い上げようってスタンスだから、それが伝わってきてこちらはちょっと落ち込むことになる。そりゃ、おっしゃるとおり、だとは思うんだけれど、我々貧しい時代の人間は、それなりにやっていくしかないので。
 
ガソリンスタンド。レギュラー163円/L というのは、安いのか高いのか。
 

 
またまた老母の古墳研究(?)につきあって、いろいろいってきました。メインは、岐阜市歴史博物館の「ここまでわかった!岐阜の古墳」展と、それから(揖斐郡)大野町の「野(の)古墳群」探訪です。
九時すぎに出発、岐阜市歴史博物館は岐阜公園内にあります。


岐阜公園は古い公園で、あんまり今風じゃないです。インスタ映えしないというか、フォトジェニックでないというか。地味だし。ま、岐阜市もいろいろやってはいて、織田信長で売り出そうとしています。

金華山と(小さいですが)岐阜城

岐阜市歴史博物館です。「ここまでわかった!岐阜の古墳」展はわたしたちには結構おもしろかったんだけれど、閑散としていました。たった310円ですよ。

わたしは勾玉に惹かれます。勾玉は胎児から来ているともいいます。



瑪瑙の勾玉。
頂いてきたパンフレットの地図がなかなかおもしろくて、ちょっと熱心に見てしまいました。それから、展示の最後に、仏教が伝来すると古墳の時代が終わるとあって、結構説得力を感じました。つまり、権力を誇示するものが、大規模土木工事に代わって、先進国より輸入された、(当時)最新モードの精神(あるいは知的)世界となる、ってことです。少なくともわたしは、そう考えたことはありませんでした。実際にその頃、各地で古墳が造られなくなり、代わりのように寺が造られるようになります。

岐阜公園歩道橋から眺めた美濃西方の山々がきれいでした。
 
ずっと西の、(揖斐郡)大野町へ。30分くらいで、大野あけぼのミュージアム(大野町埋蔵文化財センター)です。これから行く「野(の)古墳群」からの出土品や、大野町の歴史を描いた映像作品を見せてもらいました。大野町は、条里制がわりと早くに施行され、地名にもその名残りがあるそうです。

以下、野古墳群です。

モタレ古墳。

不動塚古墳。

円墳、方墳など。

登越古墳。ここ最大の古墳です。

南屋敷西古墳。後円部が一部壊れています。

南出口古墳。金メッキのしてある見事な鏡(鎏金獣帯鏡、五島美術館蔵)が出土しています。

景色ものどかでよかったです。
 
昼食はコメダ珈琲店揖斐大野店にて。ついでに、大野町バラ公園へ。バラがいちばんいい季節です。老父がバラ一鉢を購入。大野町はいま、柿とバラの町です。


すぐ近くに、歩いて上磯古墳群。これは亀山古墳で前方後円墳ですが、近くに前方後方墳が二基あります(行きませんでしたが)。

北の揖斐の方の山々です。
 
帰りに「道の駅 パレットピアおおの」へ寄って、明日のパンやその他食材を買いました。わたしは「ダイヤレモン」というサイダーを買ってみる。

あとは一路帰宅、午後三時に到着。計6時間ほど遊んできました、総走行距離 57.9km。朝あんまり調子がよくないかなという感じだったのですが、なんとか大丈夫だった。外気20℃くらい、暑くも寒くもなく、陽射しもまだ刺すほどでなく、いい日和でした。
 
#
 
夜。
半世紀近く生きてきて、苦手なのは「スポーツ」ではなく「暴力」なのだと気づいた日(雨宮処凛)
雨宮処凛さんはマジでいまのリアルに触れている。わたしはそのことを確信している。生きづらい人には、雨宮さんの文章をお勧めしたい。もしかしたら、多少は生きやすくなる、ヒントがあるかも知れない。
 雨宮さんはかつてリストカットの常習者であり、他人を呪う冷笑系陰キャバンギャだったそうである。それがいまは、陽キャとの異文化交流(って何かユーモアがあって、可笑しくないだろうか)が大事だっていえるようになった(陽キャの方も、陰キャと付き合って利益があるっていうんだから、ほんと誰だって他人の役に立ち得るのである)。「最底辺」から、何とか脱出してきた、貴重な人生航路を進んできた方なのだ。
 わたしはというとかつては陰キャでも陽キャでもなかった、というか、田舎のエリート予備軍の一員だったが、いまはカスの陰キャであろう。というか、孤立している。ま、それはそれで、生きていくしかない。なるべくならばマウンティングもせず、幼稚なナルシシズムにも煩わされず、人知れず田舎で平凡に生きていければくらいの気持ちで、暮らしているんだが、どんなもんだか。
 いや、そんなことはどうでもよかった、君が生きづらいなら、雨宮処凛さんをきっと読んでみるんだぜ。おじさんとの約束だよ。
 
 
上で書くのを忘れていたが、野古墳群と大野町バラ公園の近くで、ひさしぶりにカエルの鳴き声を聴いた。バラ公園の近くではアマガエルの声だったが、野古墳群ではそうではなかったそうなので、もしかしたらトノサマガエルだったかも知れない。
 自宅で、ほんとにカエルを見なくなった。アマガエルは先日老母が鳴き声を聴いたそうだが、かつてあんなにいたトノサマガエルはもう何年も見ない。調べてみると、トノサマガエルはいま、絶滅危惧種に指定されているのだという。両生類の減少は世界的なものだそうで、原因はいろいろのようだが、やはり生息環境の変化が大きいらしい。
 まったく、カエルがいなくなるような時代を生きるようになるとは、考えてもみなかった。すべては繋がっている。わたしは愚かなので、何かの終わりをしみじみと感じている。