祝日(憲法記念日)。晴。
(我々のいちばんの問題点は、「生きていない」ということだろう。生のリアリティが感じられなくて、どうして生きているといえるのか。恐ろしい時代である。「知」が生を殺すとは、既に散々いわれてきた陳腐な真実であるが、こんなことをあらためていわねばならないとは。象徴構造は、生のリアリティそのものに比べれば本当に貧しいものだ。
善良さへの志向性。ってむずかしいことをいわなくても、ふつうに、素朴に善良に生きるということ。どうして我々は、マウンティングし、幼稚なナルシシズムを満たす、そんなことばかりしているのか。凡庸でいいのに。いわゆる素朴な無名の民衆、「地の塩」というものが、消滅した時代。インターネット、恐るべし、である。)
午前中、気分がよかったのでひさしぶりに一時間あまり散歩。陽射しが強くなってきたが、まだ快適に歩ける。世界がすばらしく美しく、いつもながらとてもカメラには収められない。
ゼニアオイ。
いつの間にか今年も用水に水が流れ始めた。
葦(アシ)。
ユウゲショウ、らしい。
矢車菊(ヤグルマギク)。
レンゲ(蓮華)の咲く田んぼも少なくなったが。小学校への通学路とか、かつては一面にレンゲ田だったような記憶がある。
左下はシロツメクサ。
アメリカフウロ、らしい。
わかりますかね、ジャガイモの花ですよ。
ムラサキカタバミ、らしい。
ニゲラ、らしい。
さくらんぼかな。
ガザニア、かな。
どこかのお宅の、すばらしい芍薬たち。
カタバミ。
テッセン(鉄線)。
蝶やツバメが飛び回っている。
本当にいい日和で、歩いてよかった。こんな日はめったにない。
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昼。
妹一家来訪。老父の「傘寿のお誕生会」をやる。ホールケーキを買ってきてくれて、「80」ってローソクも点けて、皆んなでハッピーバースディ・トゥ・ユーを歌う。妹夫婦、孫たち(わたしからすれば甥たち)、やさしーねー。老母が作った老父の「記念アルバム」を見て、笑い合う。さても、じい、長生きできてよかったねえ。
老母が夕食の用意をしている間、他の者たちは散歩。近所に大きな古墳が二つあるので、わたしが先導して一時間くらい歩く。なんか好評だったようで、よかったな。
夕食はいつものおばあちゃんの料理。もう(飲める人は)皆んなアルコールが入って、楽しくやる。上の甥っ子が学生なのはあと一年間だけだし、もうこんなことはないかも。平凡な幸せ、これでまったくいいのだと思う。これ以上、特に何もいらない。
夜。
風呂を出て一時間あまり眠る。