ブレイディみかこ『ヨーロッパ・コーリング・リターンズ』

曇。

衆議院議員野田聖子さんが夫の話題でツイッターでめちゃめちゃに叩かれているが、皆んなよく知らないんだな。僕は反自民で選挙区もちがうので野田さんに投票したことはないが、地元(岐阜県)で見えてくる彼女の像は、気骨ある政治家だよ。夫が元暴力団員と高裁が認定したということだが、政治家として不利であるとわかりながら、よく敢てそういう人と結婚したと思うし、子供は難病だけれど、それでもそれを受け止めてたくましく働いておられる、なかなかやる、とわたしなんかは見ていたんだけどね。まあ、自分の見方が絶対だとは主張しないけれど、皆さん、あまりにも短絡的に叩いているのではないの?


NML で音楽を聴く。■バッハのフランス組曲第三番 BWV814 で、ピアノはアンドレイ・ガヴリーロフNMLCD)。■ギボンズ(1583-1625)の三声のファンタジア集で、ヴィオラ・ダ・ガンバジョルディ・サヴァール、あとは不詳(NML)。たまたま聴いたが、年末にふさわしかったかも知れない。

ハイドンのピアノ・ソナタ第五十三番 Hob.XVI:34 で、ピアノはヴィルヘルム・バックハウスNMLCD)。


昼から珈琲工房ひぐち北一色店。ブレイディみかこ『ヨーロッパ・コーリング・リターンズ』の続き。骨のある本で、なかなか手ごわい。読んでいると、緊縮財政がいかに弱者のためにならないか、反緊縮が国家まで富ますかということが、実感としてひしひしとわかってくる。緊縮財政は、国家による投資の抑制であるから、逆に国力を低下させるとまで、言い得るかも知れない。また、緊縮財政は新自由主義の究極の進化形であると、ブレイディさんはいっている。
 こういうと怒る人がたくさんいると思うが、反緊縮政策だったアベノミクスは、ベストだったわけではないけれども、やはり基本的に正しかったといわざるを得ない。わたしは安倍元首相がまったく好きになれなかったので、野党が反緊縮策を主張できなかったのは、何ともなさけなくなる。この「戦い」は、まだ終わっていない。

肉屋へ寄るも、買おうとしたものが予定の賞味期限に届いていなかったので、買わずに帰る。

夜、雨。
ブレイディみかこ『ヨーロッパ・コーリング・リターンズ』読了。

 
ゲーテの『イタリア紀行』を読み始める。

ブレイディみかこさんに驚く

曇。

老父が新しいPCを買い、Windows 11へのアップグレードをやらされたことは前にちょっとだけ記したが、その後、プリンターが使えなくなってしまった。老父はPCを買った家電量販店に持ち込んでいろいろやってもらったが、結局 Windows 11 の不具合らしく、10にダウングレードさせることになった。で、朝から Windows 10 の設定をやらされる。老父はとにかく自分で設定したIDやパスワードをきちんと記録しておかないので、メーラーの設定などに丸一日かかってしまった。あー疲れた。あと少しで夕飯の時間ですよ。


ブレイディみかこさんの『ヨーロッパ・コーリング・リターンズ』を少しづつ読んでいると、イギリス(あるいは西洋世界)と日本の大きなギャップに驚かされる。特にその、右派と左派のあり方のちがいは、ほとんど180度ねじれていたりすることに気付かされて、まさに目からウロコだ。イギリス(あるいはヨーロッパ)の経済政策を見ると、右派が緊縮、左派が反緊縮であるが、日本ではそれがほぼ真逆だ。例えば、アベノミクスは反緊縮であったことを思え。日本の左派は緊縮、新自由主義的で、結果的に弱者の味方ではないのである。
 しかし、そういうことよりも、この本を読んでいると、日本では右派も左派も、反人間的であるように見えてくる。日本では(特に経済的)弱者が声を上げるという慣習(?)がなく、虐げられているのに「自分が悪いのだ」と引きこもってしまう。そして、連帯もない。これはわたしもそうだから、よくわかる。何か、わたしのようなクズが、声を上げるのは恥ずかしいという感覚。そして、強者の方も、弱者はカワイソーだから、助けてやらないといけないみたいなのが、ヒューマニズムだと思っているところがある。社会全体に、「下からの目線」がないのだ。雨宮処凛さんのような、例外がいないわけではないけれど。
 今日は少し読んだだけだけれど、「アジテート、エデュケート、オーガナイズ」(p.209)という言葉を知って、また目からウロコが落ちた。イギリスでは、左派がよく使う言葉だそうだが、日本にはこの三つのどれも、存在しないじゃないか! 「組合、だいじ。」(p.210-211)っていうのも、このところ考えていることを一言でいわれた気がした。ブレイディさんの皮膚感覚と「常識」は、我々一般の日本人に大きく足りないところを教えてくれる。
 が、たぶん我々は、ブレイディさんがきちんと読めていないよね。ある非常に優秀な若い人がこんなことを書いていた。

たとえば、ライターのブレイディみかこのような「サッチャーにはエンパシーがなかったから彼女は労働者階級に冷淡で残酷な新自由主義政策を実施した」的な物言いは、「思いやりのある人が政治家になれば世の中は良くなる」といった単純な世界観に基づいたものであるだろう*1

頭が超よくても、読めないものは読めないのだな。所詮この程度か、って、落ち込んでしまう。この人の方が、よっぽど単純だ。日本のかしこい学者たちの少なからずも、ブレイディさん的な皮膚感覚と「常識」をバカにして、冷笑しているのはよく見かけるところだしな。でも、ブレイディさんは頭だっていいと、僕は思ってるんだけどね。

知識人ではない、我々バカな一般の日本人の「常識」が、アップデートされねばならない。究極的に、いまの日本の没落もそこにあるように、わたしには妄想されてしまう。いや、妄想にしても、それほどひどい妄想ではない筈だ。無知と、我慢のしすぎと、あきらめ。もう一方で、そういや、「高慢と偏見」、ってのもありましたね。

夜。

たまたま iPad miniYou Tube 動画をごろ寝見していたら出会った。辻井君の「喜びの島」っていうのに惹かれて試聴してみたら、以前よりさらによくなっているような。技巧的にむずかしい曲の筈だが、つぶ立ちのよい硬質な響きで、すみずみまでクリアなタッチ。邪念というものがひとかけらもなく、ドビュッシーの音楽が純粋にみずから鳴っているような感じがする。これほどのレヴェルのピアニストは、世界広しといえど、いま他にどれくらいいるだろう。iPad の貧弱な音でさえ、とても惹かれる。

そしたら、過去のサントリーホールでの演奏会がちょうどライブ配信されているところだった。ベートーヴェンの第四ピアノ協奏曲の終楽章しか聴けなかったが、これもよかった。辻井君の四番を聴いたのは初めて。指揮の三浦文彰とARKシンフォニエッタはよくは知らないが、こちらもメリハリの効いたすばらしい演奏。若手の日本人中心(だと思う)でかほどの演奏を聴かせるとは、クラシック音楽もしっかりと日本に根付いたんだなと思わされる。

PC + USB DAC + ヘッドホンで上の「喜びの島」を聴き直してみた。ほんとすごい。辻井君の技術はあまり言われないけれど、テクニシャン中のテクニシャン。こんなクリアな「喜びの島」は初めて聴いた。あと、最後はふつうはこれみよがしにドカンって終わるんだけど、辻井君はフワっと終わっているのも、らしくておもしろい。

*1:ちなみに、指摘しておくが、「思いやりのない人が政治家になれば世の中は悪くなる」という命題から「思いやりのある人が政治家になれば世の中は良くなる」という命題は、論理的に導き出すことができない。「A⇒B」であるとき、「¬A⇒¬B」であるとは必ずしもいえないのである。この文章を書いている人は、そこがわかっていないか、意図的にごまかしているか、いずれかである。

こともなし

晴。

午前中、ごろごろぼーっ。

昼から「ひぐち」へ行くも、休みだった。年内はもうやっていないのかな。(後記:考えてみたら定休日でした。てへぺろ

ぼーっとしながらよちよち散歩。














 

夕方、スーパー。

仏壇の電球がひとつ切れたのだが、古い接続端子のがもう売っていない。というので、豆電球だけ買って、それに古い端子を付けろと仏壇屋のおやじがいう。んで、苦労して電線のビニールを四箇所剥がして繋げるという、電気工作をする。ようやく出来て、仏壇へもっていったところ、何かちがう。切れているのは別の球のようだ。ソケットから抜き、球を交換してみたところ、灯りが点きました。いちおう、電気工作したやつもうまく点灯したのだが、結局この豆電球は、老母がどこからもってきたのか不明。何か徒労だった笑。

夜。
ダラダラする。Ruby 3.1 をインストール。

こともなし

朝から雪。
昨晩は『吉本隆明全集16』をあちこちひっくり返してから寝る。『戦後詩史論』は後半がめっちゃおもしろい。
吉本さんを読んで、いまは言葉が氾濫しすぎて、擦り切れているなといつものごとく痛感する。言葉に対する不感症。

昼でも0.2℃だって。寒い筈だ。今日は冬眠していよう(いつもだけれど笑)。

冬眠中。

NML で音楽を聴く。■ハイドンのピアノ・ソナタ第五十三番 Hob.XVI:34 で、ピアノはツィモン・バルト(NMLCD)。■リゲティの六つのバガテル(NMLCD)。めっちゃ上手い。■リゲティのフルートとオーボエのための二重協奏曲で、フルートはジャック・ズーン、オーボエはダグラス・ボイド、指揮はクラウディオ・アバド、ヨーロッパ室内管弦楽団NMLCD)。なかなか不愉快な曲で、さすがはリゲティって感じ。■ドビュッシーの「版画」で、ピアノはセルジオ・フィオレンティーノ(NML)。1962年のライブ録音。音質はひどく貧弱だけれども、悪くない。フィオレンティーノ(1927-1998)というピアニストはまったく知らないが、Wikipedia によると演奏活動はほとんどおこなわず、知る人ぞ知るという存在だったとのこと。

 
夕飯はすき焼きだい。

夜。
宇宙よりも遠い場所』第5話まで観る。

SAO Extra Edition を見返す。

松田道雄『日常を愛する』

日曜日。晴。
寝る前にアニメとか You Tube 動画を観てばかりというのも何なので、超ひさしぶりに数学書を読んでみたら、全然読めなかった笑。なので、松坂和夫『現代数学序説』(ちくま学芸文庫)でリハビリをして寝た。アニメよりすっきり目覚められるというのは、僕にとってアニメがしんどいからだろうな。数学がラクということではなくて、所詮わたし程度では数学が身に食い込んでいないということ。

寒い。
カルコス。すっかり月二回のペースになってしまったな。日曜日のせいか駐車場はいっぱいで、喜ばしいことである。
 買おうと思っていて買えたのは、ちくま学芸文庫の『ワインバーグ量子力学講義』全二冊、まあわたしに読めるのかという疑いがあるが笑。それから、これは入らないのかなと思っていた、猪木武徳先生の『社会思想としてのクラシック音楽』。webちくま(だったっけ)で連載されていたときから、読むたび圧倒されて、単行本化されたらきっと買おうと思っていた。ちゃんと本屋にあってうれしい。
 北村太郎の『センチメンタルジャーニー』は、ねじめ正一の『荒地の恋』を読んだので。オビによると北村の自伝、絶筆だそう。草思社文庫というよく知らないエディションである。
 たまたま店頭で見かけたのが、ゲーテの『イタリア紀行』の新訳(全二冊)。これはシブい。古典新訳文庫にはときどき驚かされる。『イタリア紀行』はわたしはじつは原書をもっていて、学生のとき背伸びしてドイツ語の勉強に使おうと丸善で買ったのだ。岩波文庫をたよりに少し読んだが、もちろん途中でうやむやになった笑。岩波文庫版を通読したのは、さていつ頃のことだろう。しかし、買ったのはいいがこの新訳、全訳なのだろうか。

図書館から借りてきた、松田道雄『日常を愛する』読了。深い感銘を受けた。これまで何冊か松田さんの本を読んでいるが、一見ひどくやさしそうな文章だけれども、たぶんよくわかっていなかったと思う。松田さんには知的能力も到底及ばないし、感情の深さもさらに遠く及ばない。そもそも、そんな言葉では、松田さんの書くものを形容できないであろう。
 わたしは日々思っている。いまだって優れた人、かしこい人はたくさんいる。また、真面目で献身的な人だって少なくない。進んで人のために長く働き、世に知られない人だっているだろう。しかし、敢てまちがっているかも知れないことをいうけれども、そういう真面目な地の塩というべき人たちの、大きさが、いまの時代には足りない。真面目な人たちの力が足りないのだ、浅いのだ。松田さんの文章に感動して、ついこんなことを書いてしまった。自分のことをオミットしているつもりはない。

こともなし

曇。

スーパー。おせち料理の材料なども買ってくる。魚介売り場では、今日はさかなクンの歌ではなくて、山下達郎を流していた。

20211225160551
センリョウ(千両)。
 
車を洗う。年に一度くらいはね。でも、半年点検のときに洗車してくれるので、さほど汚れていなかったけれども。

肉屋。かきいれ時だな。すき焼き用牛肉、600g 買ったった笑。

NML で音楽を聴く。■ブラームスクラリネットソナタ第二番 op.120-2 で、クラリネットマイケル・コリンズ、ピアノはミハイル・プレトニョフNMLCD)。■エルガー弦楽四重奏曲 op.83 で、演奏はマッジーニ四重奏団(NML)。

■バッハのフランス組曲第一番 BWV812 で、ピアノはアンドレイ・ガヴリーロフNMLCD)。

夜。
ハイドンのピアノ・ソナタ第六十番 Hob.XVI:50 で、ピアノはツィモン・バルト(NMLCD)。■シェーンベルクの室内交響曲第一番 op.9 で、指揮はクラウディオ・アバド、ヨーロッパ室内管弦楽団NML)。

Sciarrino: Autoritratto

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サルヴァトーレ・シャリーノ(1947-)の「夜の自画像」で、指揮はクラウディオ・アバド、ヨーロッパ室内管弦楽団NML)。■スクリャービンのピアノ・ソナタ第三番 op.23 で、ピアノはジャン=ルイ・ストイアマン(NML)。ほえー、かっこえーピアノ。スクリャービンよりロマンティックな作曲家はいない。
Piano Sonatas

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そういえば、先日の朝日新聞に掲載された、吉田純子氏によるベルナルト・ハイティンク追悼記事がよかった。吉田氏は朝日新聞クラシック音楽担当の人だと思うが、これだけきちんとした評価が書ける人がまだ新聞社にいるのだな。以前から、どんな人なんだろうと思っているのだが。ここを見ると、東京芸術大学音楽学部の楽理科を出て、さらに大学院まで行っておられるのか。歳はわたしと近い。