ブレイディみかこさんに驚く

曇。

老父が新しいPCを買い、Windows 11へのアップグレードをやらされたことは前にちょっとだけ記したが、その後、プリンターが使えなくなってしまった。老父はPCを買った家電量販店に持ち込んでいろいろやってもらったが、結局 Windows 11 の不具合らしく、10にダウングレードさせることになった。で、朝から Windows 10 の設定をやらされる。老父はとにかく自分で設定したIDやパスワードをきちんと記録しておかないので、メーラーの設定などに丸一日かかってしまった。あー疲れた。あと少しで夕飯の時間ですよ。


ブレイディみかこさんの『ヨーロッパ・コーリング・リターンズ』を少しづつ読んでいると、イギリス(あるいは西洋世界)と日本の大きなギャップに驚かされる。特にその、右派と左派のあり方のちがいは、ほとんど180度ねじれていたりすることに気付かされて、まさに目からウロコだ。イギリス(あるいはヨーロッパ)の経済政策を見ると、右派が緊縮、左派が反緊縮であるが、日本ではそれがほぼ真逆だ。例えば、アベノミクスは反緊縮であったことを思え。日本の左派は緊縮、新自由主義的で、結果的に弱者の味方ではないのである。
 しかし、そういうことよりも、この本を読んでいると、日本では右派も左派も、反人間的であるように見えてくる。日本では(特に経済的)弱者が声を上げるという慣習(?)がなく、虐げられているのに「自分が悪いのだ」と引きこもってしまう。そして、連帯もない。これはわたしもそうだから、よくわかる。何か、わたしのようなクズが、声を上げるのは恥ずかしいという感覚。そして、強者の方も、弱者はカワイソーだから、助けてやらないといけないみたいなのが、ヒューマニズムだと思っているところがある。社会全体に、「下からの目線」がないのだ。雨宮処凛さんのような、例外がいないわけではないけれど。
 今日は少し読んだだけだけれど、「アジテート、エデュケート、オーガナイズ」(p.209)という言葉を知って、また目からウロコが落ちた。イギリスでは、左派がよく使う言葉だそうだが、日本にはこの三つのどれも、存在しないじゃないか! 「組合、だいじ。」(p.210-211)っていうのも、このところ考えていることを一言でいわれた気がした。ブレイディさんの皮膚感覚と「常識」は、我々一般の日本人に大きく足りないところを教えてくれる。
 が、たぶん我々は、ブレイディさんがきちんと読めていないよね。ある非常に優秀な若い人がこんなことを書いていた。

たとえば、ライターのブレイディみかこのような「サッチャーにはエンパシーがなかったから彼女は労働者階級に冷淡で残酷な新自由主義政策を実施した」的な物言いは、「思いやりのある人が政治家になれば世の中は良くなる」といった単純な世界観に基づいたものであるだろう*1

頭が超よくても、読めないものは読めないのだな。所詮この程度か、って、落ち込んでしまう。この人の方が、よっぽど単純だ。日本のかしこい学者たちの少なからずも、ブレイディさん的な皮膚感覚と「常識」をバカにして、冷笑しているのはよく見かけるところだしな。でも、ブレイディさんは頭だっていいと、僕は思ってるんだけどね。

知識人ではない、我々バカな一般の日本人の「常識」が、アップデートされねばならない。究極的に、いまの日本の没落もそこにあるように、わたしには妄想されてしまう。いや、妄想にしても、それほどひどい妄想ではない筈だ。無知と、我慢のしすぎと、あきらめ。もう一方で、そういや、「高慢と偏見」、ってのもありましたね。

夜。

たまたま iPad miniYou Tube 動画をごろ寝見していたら出会った。辻井君の「喜びの島」っていうのに惹かれて試聴してみたら、以前よりさらによくなっているような。技巧的にむずかしい曲の筈だが、つぶ立ちのよい硬質な響きで、すみずみまでクリアなタッチ。邪念というものがひとかけらもなく、ドビュッシーの音楽が純粋にみずから鳴っているような感じがする。これほどのレヴェルのピアニストは、世界広しといえど、いま他にどれくらいいるだろう。iPad の貧弱な音でさえ、とても惹かれる。

そしたら、過去のサントリーホールでの演奏会がちょうどライブ配信されているところだった。ベートーヴェンの第四ピアノ協奏曲の終楽章しか聴けなかったが、これもよかった。辻井君の四番を聴いたのは初めて。指揮の三浦文彰とARKシンフォニエッタはよくは知らないが、こちらもメリハリの効いたすばらしい演奏。若手の日本人中心(だと思う)でかほどの演奏を聴かせるとは、クラシック音楽もしっかりと日本に根付いたんだなと思わされる。

PC + USB DAC + ヘッドホンで上の「喜びの島」を聴き直してみた。ほんとすごい。辻井君の技術はあまり言われないけれど、テクニシャン中のテクニシャン。こんなクリアな「喜びの島」は初めて聴いた。あと、最後はふつうはこれみよがしにドカンって終わるんだけど、辻井君はフワっと終わっているのも、らしくておもしろい。

*1:ちなみに、指摘しておくが、「思いやりのない人が政治家になれば世の中は悪くなる」という命題から「思いやりのある人が政治家になれば世の中は良くなる」という命題は、論理的に導き出すことができない。「A⇒B」であるとき、「¬A⇒¬B」であるとは必ずしもいえないのである。この文章を書いている人は、そこがわかっていないか、意図的にごまかしているか、いずれかである。