ツィモン・バルトのピアノを聴く

曇。
明け方四時頃起床。

朝食後、しばらくうとうとする。追われる夢。何に追われるのか。死か。

肉屋。

NML で音楽を聴く。■バッハのブランデンブルク協奏曲第二番 BWV1047、第三番 BWV1048 で、指揮はジョルディ・サヴァールル・コンセール・デ・ナシオン(NMLCD)。

ハイドンのピアノ・ソナタ第十番 Hob.XVI:1 で、ピアノはツィモン・バルト(NML)。全然知らないピアニストだが、最初の一秒で耳を攲てさせられる。中間楽章の弱音が極端に小さいなど、とても変わった演奏だが、奇を衒っているのではなく、内的必然性に拠ることははっきりしていて、そこがよい。ちょっと聴いてみたいピアニストの発見だな。

検索してみると、ツィモン・バルト、それなりに知られたピアニストなのだな。ボディビルダーで筋肉ムキムキらしく、演奏も良識派の眉をひそめさせると評価されているようだ。ますますおもしろい。


昼からミスタードーナツ イオンモール扶桑ショップ。エンゼルクリーム+ブレンドコーヒー410円。『コレクション瀧口修造4』を読み始める。瀧口修造を読むと、己の「無意識の汚れ」のようなものが気になる。読んだあと、耳も目も初期化され、世界が隅々まで美しい。(このことは前にも書いた。)感覚が洗われたかのように。これは長続きするわけでなく、そこが我が凡庸ということなのだろう。それにしても、瀧口を何と呼べばいいのか。詩人? 美術評論家? 画家? シュルレアリスト? いやいや、どれも尽くしてはいない。何者でもない人、瀧口修造。1903-1979。

 
シューマンの「交響的練習曲」 op.13 で、ピアノはツィモン・バルト(NML)。ツィモン・バルトのシューマンを聴いてみた。独創的で興趣の尽きない演奏だった。第十変奏の中間部として、死後出版の第五変奏を弾いたのにはびっくり。自分にはツィモン・バルトは、速いより遅い、強音より弱音が好ましいピアニストであるようだ。ブラームスのピアノ協奏曲第一番 op.15 で、ピアノはツィモン・バルト、指揮はクリストフ・エッシェンバッハ、ベルリン・ドイツ交響楽団NML)。いやあ、ユニークで一瞬たりとも聴き逃せない演奏だった。グールド+バーンスタインのライブ録音もユニークだったが、どちらがより変態的かは甲乙つけがたい。冒頭のオーケストラはふつうだが、ピアノが入ってくるところでぐっとテンポを落としたと思ったら、聴こえないくらいの弱音と止まりそうなテンポのピアノ。この曲を徹底的にデフォルメして弾いている。しかし上でも述べたとおり、決して奇を衒っているわけではない。もしそうだったら、これほど遅く弾き続けていれば集中力が途切れてしまうだろう。ピアノと指揮はよく打ち合わせたのだと思う、エッシェンバッハはバルトのピアノに完璧に合わせている。これも、そうでなければこれほど激しく動かすテンポに、演奏が破綻していただろう。エッシェンバッハはさすがで、バルトのピアノに合わせて同じようなことをやっているのだが、正直いってエッシェンバッハのオケの方が説得力ある音楽になっていた。このあたりは、年季の差でしょうね。緩徐楽章がこのピアノにぴったり、となる筈だったろうが、意外と抒情性が増していなかったようにも思えたけれど、これはわたしがついていけなかっただけかも知れない。終楽章はわりとふつうで、感動的な音楽。さてさて、二度と聴かない録音かも知れないが、じつにおもしろかったです。演奏時間はなんと55分。 
夜。
会長はメイド様!』第23話まで観る。