こともなし

曇。

NML で音楽を聴く。■バッハの平均律クラヴィーア曲集第二巻 ~ 第十六番 BWV885 - 第二十番 BWV889 で、チェンバロスコット・ロスNMLCD)。■ブラームスの二台のピアノのためのソナタ ヘ短調 op.34bis で、ピアノはエリック・ル・サージュ、テオ・フシュヌレ(NMLCD)。題名を見て知らない曲だなと思っていたら、ピアノ五重奏曲 op.34 の二台のピアノ版だった。この二台のピアノ版から、ピアノ五重奏曲に書き換えられたらしく、ブラームスにおいてはこういうことはよくある。ル・サージュは、ロマン派を得意とする貴重なピアニストだな。現代においてこの濃厚さは稀だ。■ブラームスの十六のワルツ op.39 で、ピアノはデュオ・クロムランク(NML)。『マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法』を読んで、デュオ・クロムランクが1994年に悲劇的な最後を迎えたと知った。デュオのひとりは日本人の桑田妙子。

 
雨。
コンラッドの『ロード・ジム』(柴田元幸訳)を第六章まで読む。最初わけがわからなかったが、おもしろくなってきた。

返却のためだけ図書館へ(現在、コロナ禍にて休館中)。
和菓子餅信。

餅信の栗きんとんを食す。季節ものだなあ。

『ロード・ジム』第十章まで。熱中して読む。いまはジムのような「何事にも動じない、高貴で(精神的に)鍛え上げた男」というのが、必要とされない時代だ。(ここで「男」とか書くと、PC的に正しくないとか、マチスモだとか云われるのかも知れない。)だから、我々がこの物語に入っていくのも、またそこから出てくるのも厄介である。その男が、八百人の船員の命も自分の命も失われることを確信しつつ、どうしてゲスな船長たちの下ろしたボートに乗り組んでしまい、彼ら数人だけ助かってしまったのかが謎なのだ。それが、これからどう語られるのか。

夜。
ゆるキャン△』第10話まで見る。

■フランクのヴァイオリン・ソナタ イ長調で、ヴァイオリンはチョン・キョンファ、ピアノはラドゥ・ルプー(NML)。

オリヴィエ・ベラミー『マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法』

雨。

NML で音楽を聴く。■ラヴェルの「夜のガスパール」、「ピアノのために」で、ピアノはパスカル・ロジェNMLCD)。■ガルッピのピアノ・ソナタ イ短調 op.1-3、ト長調 ~ 第一楽章ラルゲット、変イ長調 op.1-6 で、オルガンはルカ・グリエルミ(NMLCD)。皆んな、グリエルミを聴くんだ! ■モーツァルトのミサ曲 ハ長調 K.317 「戴冠式ミサ」で、指揮はフランス・ブリュッヘン18世紀オーケストラ、他(NML)。ブリュッヘン、古典的で好きだな。Gloria とかカッコいい。

 
昼、雨あがる。
珈琲工房ひぐち北一色店。『マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法』の続き。

図書館から借りてきた、オリヴィエ・ベラミー『マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法』読了。自分に興味のないアルゲリッチ自身ではなく、彼女の周りの人間たちからの証言を元に書かれたアルゲリッチ伝。著者のことは何も知らないが、音楽についてよくわきまえている、って上から目線ですね笑。以前、アルゲリッチの娘による映像ドキュメンタリーを観たが、本書で彼女のことがさらによくわかった。ところで、アルゲリッチは奔放な女性でそれゆえ男好きというイメージがあるように思えるが(娘が三人いて、父親がすべてちがう)、本書を読むとそれはあまり正しくないような感じがする。つまるところ、彼女には音楽がいちばんなのではないか。そうでなければ、生ける伝説にはなれないだろう。

さて、こんな本を読むと音楽が聴きたくなるなあ。

進撃の巨人 Before the fall』第2巻まで読む。まちがえてスピンオフ作品を先に借りてしまった。特におもしろくないな。

 
早寝。

こともなし

曇。

NML で音楽を聴く。■ラヴェルの「高雅で感傷的なワルツ」、「水の戯れ」、「亡き王女のためのパヴァーヌ」で、ピアノはパスカル・ロジェNML)。

アクアの車検のため、ネッツトヨタへ。代車で帰ってくる。店が混んでいて結構時間がかかったな。

ブラームスの「ヘンデルの主題による変奏曲」 op.56b で、ピアノはエリック・ル・サージュ、テオ・フシュヌレ(NML)。

コープランドの四つのモテット、ライヒの「プロヴァーブ」で、指揮はマーカス・クリード、南西ドイツ放送ヴォーカル・アンサンブル(NML)。フランス編に続きアメリカ編も聴き始めたが、こちらもすばらしい合唱アルバムだ。マーカス・クリードという人については何も知らないが、今年いちばんの発見であるといってもおかしくない。 
スーパー。

マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法』を読み始める。

夕方、車検終了。あんまり乗っていないですねって云われてしまった。

夜。
ショパンの二十四の前奏曲 op.28 で、ピアノはマルタ・アルゲリッチNML)。伝説が録音という形で永遠に封じ込められたというものだな。いまでも才能ある音楽家はどんどん出てくるが、アルゲリッチのような規格外のそれが現れることはない。というか、かつてそれが現れたというのが奇跡なのだろう。

ショパン:前奏曲集/ピアノ・ソナタ第2番

ショパン:前奏曲集/ピアノ・ソナタ第2番

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ショパンのピアノ・ソナタ第二番 op.35 で、ピアノはマルタ・アルゲリッチNML)。名演。■ショパン前奏曲第二十五番 op.45、第二十六番 op.posth で、ピアノはマルタ・アルゲリッチNML)。

川上未映子&村上春樹『みみずくは黄昏に飛びたつ』

晴。

NML で音楽を聴く。■バッハの平均律クラヴィーア曲集第二巻 ~ 第九番 BWV878 - 第十五番 BWV884 で、チェンバロスコット・ロスNMLCD)。

昼食はベーコンエッグを作る。


図書館から借りてきた、川上未映子による村上春樹ロングインタビュー『みみずくは黄昏に飛びたつ』読了。ほんとおもしろかった。村上ファンでもある川上未映子がどんどん鋭い太刀を打ち込んでいくので、村上春樹もゆったりとだが真剣で応えている感じがよかった。さらにいうと、川上が途方に暮れてしまうような、村上の意図せざる躱しが愉快だった。村上春樹はついこの前書いた長編小説の登場人物の名前まで忘れてしまうのだものなあ。川上が説明していて笑っちゃう。しかし、川上、頭いいね。村上春樹がぼーっとしているのが対比されている。
 このロングインタビューを読んで、村上春樹の小説家としての圧倒的な力量がわかったわけだが、自分の話になるけれど、こういう「インタビュー」とかでそれがわかるというのが、わたしなんだなーと思う。村上春樹の小説はそこそこ読んでいるけれど、小説を読んでではないんだなあという。これまでわたしは(古典も含め)かなりたくさんの小説を読んできて、それなりに楽しんでもきたわけだが、自分が小説読みではないことを確信した。少し残念なのだけれど、たぶん本来は、小説よりも「評論」の方が好きな人間なのだ。でも、いまの「評論」はもうあまり読みたくないし、自分でも書きたくない。わたしがこの場所で書いているのは、中学生の「読書感想文」と何もかわらないし、そうありたいのだと思う。まあ、意味のないことばかり書いているのだけれど。

本書で川上がこう言うところがある。

村上さんは小説を書くことを説明するときに、こんなふうに一軒の家に喩えることがありますよね。一階はみんながいる団らんの場所で、楽しくて社会的で、共通の言葉でしゃべっている。二階に上がると自分の本とかがあって、ちょっとプライベートな部屋がある。
 で、この家には地下一階にも、なんか暗い部屋があるんだけど、まあ、ここぐらいならわりに誰でも降りていけると。で、いわゆる日本の私小説が扱っているのは、おそらくこのあたり、地下一階で起きていることなんだと。いわゆる近代的自我みたいなものも、地下一階の話。でも、さらに通路が下に続いていて、地下二階があるんじゃないかという。そこが多分、いつも村上さんが小説の中で行こうとしている、行きたい場所だと思うんですね。(p.92)

これはあまりにもおもしろすぎて、いろいろ敷衍したいところであり、実際本書でもされているわけであるが、村上春樹がこの「地下一階」というのをできるだけ見ないようにしているというのは思わず目を見張ってしまった。で、それだから自分は叩かれるのだろう、と。うーん、これはすごい。というのは、この「地下二階」というのは、生半可なことでは到達できないからだ。それこそ、極少数の選ばれた小説家くらいしか、無理なのである。つまり、近代的自我を超えていて、さらにふつう「無意識」といわれている領域よりもずっと深い(「無意識」すら、「地下一階」の話である)。
 いまは家の地上部分がガチガチに論理化されつつあるので、地下部分がどうなるのかなとわたしは思う。おそらく、「地下一階」の風景が壊れて一変しているし、そこに降りていくことすらむずかしくなっているような気がする。地下から吹き上げてくるものを、(地上の)論理で隙間なく抑え込んでしまおうということ。でも、「地下二階」の部分は、簡単には変わらない。

夕ごはんはゴーヤチャンプルーと茄子の田楽を作る。

この素晴らしい世界に祝福を!2』最終話まで見る。

 
YMO『テクノデリック』を聴く。

上間陽子『裸足で逃げる』

晴。
朝起きたら老母が高熱を発していた。

洗濯。

かかりつけ医のところへ老母を連れていく。何か知らないが長いこと待たされて、全部で一時間四〇分くらいかかった。コロナウィルス感染の恐れがあるので、車の中で待つように云われた。診察も車で。一応ワクチンは接種済なのだが、PCR検査も受ける。

スーパー。
老父との昼食は買ってきたパックのお寿司で。


ドラッグストアで経口補水液を買う。
肉屋。

図書館から借りてきた、上間陽子『裸足で逃げる』読了。副題「沖縄の夜の街の少女たち」。男はなぜ女に暴力をふるうのか。本書を読んでいると、男と女の区別が、性というものがあること自体がまちがっているように思えてくる。人間(あるいは男)というものがどうしようもないもののように思える。著者は社会学的な調査の過程で対象(つまり少女たち)に個人的・具体的にコミットしていくが、それが彼女の生き方なのだろう。なんとか、少女たちを救おうとしているように見える。それに違和感がないくらい、本書の少女たちの現実は凄惨だ。多くが、家庭に問題があり、十代で夜の街で働き、出産し、男に殴られ続け、別れ、シングルマザーとして生きていっている。

上間さんの本は『海をあげる』を最初に読んだ。


夕飯はピーマンの牛肉炒め、はんぺんの炙り焼き、冷奴、ってところ。

内田樹『邪悪なものの鎮め方』

日曜日。晴。

NML で音楽を聴く。■ベートーヴェン弦楽四重奏曲第六番 op.18-6 で、演奏はエマーソン弦楽四重奏団NMLCD)。■シェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」で、ヴォーカルはパトリツィア・コパチンスカヤ、他(NML)。参考にした日本語訳

ブリテンの「まどろみ」、二つの小品、ワルツ ロ短調で、ヴァイオリンはマシュー・ジョーンズ、ピアノはアナベル・スウェイト(NMLCD)。

パラリンピック、結構おもしろいな。ご飯のときに見るくらいなのだけれど、車椅子バスケブラインドサッカーも、思わず見入ってしまった。こういう風に思ってはいけないのかも知れないが、すげーってつい感じてしまう。


ブゾーニの「悲歌集」で、ピアノはピーター・ドノホー(NMLCD)。■アンドレ・ジョリヴェ(1905-1974)の「祝婚歌」、ジョルジュ・アペルギス(1945-)の「ヴェルフ・カンタータ」 ~ 第二曲 Die Stellung der Zahlen で、指揮はマーカス・クリード、南西ドイツ放送ヴォーカル・アンサンブル(NMLCD)。

上間陽子『裸足で逃げる』を読み始める。


37℃だが、湿度が低めでまだ凌ぎやすい。
夕方、近くの BOOKOFF へ。いつも「ブ」は県境を越えたところへ行くのだが、今日はたまたま。伊藤計劃円城塔の文庫本と、内田樹をそれぞれ100円で購入する。最近の内田樹は、dis られたりバカにされたりするところしか見たことがない。専門家にはツッコミどころ満載なのが内田だからな。エラソーなネット人も、叩くのに丁度いい相手だ。知識人としての内田樹の存在意義ってなんだろうと、読んで考えてみたりしようか、どうしようかなあ。どうでもいいか、そんなこと。

夜。
この素晴らしい世界に祝福を!2』第8話まで見る。

内田樹『邪悪なものの鎮め方』を150ページくらい読んだが、言葉が解体してしまって先が続けられなくなった。残りは他日を期したい。

 
内田樹『邪悪なものの鎮め方』読了。頑張って読み終えた。


川上未映子による村上春樹ロングインタビューを読む(『みみずくは黄昏に飛びたつ』)。ものすごくおもしろくて、一気に半分くらい読んだ。最近浅い本が多くて読むのがたいへんなのだが(頭に入ってこない)、もう村上春樹は凄すぎる。って彼の小説はまだ読んでいないのがだいぶあるし、短篇集ではムカついて放り出したものもあるのだが、やはりその「深さ」は特別なものがあるな。僕はクラシック音楽を聴いてきて年季だけは入っているからわかるのだが、村上春樹が音楽を聴いているレヴェルはちょっと常軌を逸していて、びっくりさせられるよ。だからというわけではないが、小説ももっと読まないといけないかな。いや、本書は小説の話。川上未映子も才能ある文学者だから、聞き手もまたいいよねってことになる。

しかし、こういうのを読むと、自分は井戸が枯れかかっているのを感じるな。結局、渾々と清冽な水が湧いてくる泉じゃないんだろうな、わたしは。いろいろ読んでも直ぐに解体してしまって、読むのがつらい。頭がよくて底の浅い文章を読むと(そんなのばかりである)、特にそう感じる。こういうのがわたしの才能がないということじゃないかと思っている。

ジョージ・オーウェル『葉蘭をそよがせよ』

晴。朝から暑い。

大垣。
ミスタードーナツ大垣ショップ。チーズミートパイ+ブレンドコーヒー393円。チーズミートパイ、なかなかうまかった。
図書館から借りてきた、ジョージ・オーウェル『葉蘭をそよがせよ』読了。うーん、そんなによい小説ってわけでもなくて、作者がオーウェルじゃなかったら翻訳されなかった気がするけれど、でも、全然つまらなかったというわけではない。主人公のゴードンは、貧乏なインテリ気取りで、せっかくよいガールフレンドがいるのに、彼女となかなかうまくいかないのを、いや、何もかもを自分の金がないせいにしたりとか、ほんとダメなやつ。で、せっかく入ったまとまったお金も、めちゃくちゃに浪費してしまって(金がない人間ほど金を使うのじゃなくて、金に使われる)、酔っ払って警官を殴ってしまい、なけなしの仕事も失ってしまう。だけど、ガールフレンドその他がせっかく親身になってくれるのに、スラム暮らしまで堕落するのに何かヒロイズムでも感じて、人の親切を無にするところなんざ、ちょっとアホすぎて、かわいそうで読んでいられなかった。最終的に彼女が妊娠したところで目が覚めて、インテリ気取りはやめて堅実な仕事に戻り、ハッピーエンド、って、下らん小説ですよね(笑)。
 正直言って、この小説でオーウェルが何を描きたかったのか、ちょっとわかりかねるところがある。タイトルに使われている葉蘭(はらん)は小説全体に出てきて、しぶとくてなかなか死なない、ありふれた観葉植物である。さて、主人公は最後、結婚の新居に、彼女が反対するにもかかわらずあくまでも葉蘭を置こうとするのだが、凡庸のしぶとい生命力みたいなものを象徴させているのだろうか。主人公はいろいろ屁理屈をつけて堕落しようとするのだが、心の底ではひどい生活もうんざりだし、彼女と結婚したいのであって、インテリのプライドか何か知らないが、凡庸なハッピーエンドでようございましたとわたしは思う。
 しかし、どうでもいい感想なのだが、主人公のガールフレンドはほんといい娘ですよ、彼にはもったいないくらい。こういうインテリかぶれのクズのどこがいいのかわからないけれど、とにかく向日的な性格で、下らないプライドに塗れた彼を見捨てないで親身になってあげるのだから。主人公は、何かわからない自分の魅力に、感謝すべきであろうかね。

 

NML で音楽を聴く。■ベートーヴェン弦楽四重奏曲第五番 op.18-5 で、演奏はエマーソン弦楽四重奏団NML)。

ベートーヴェン交響曲第九番 op.125 で、指揮はジョン・エリオット・ガーディナーモンテヴェルディ合唱団、オルケストル・レヴォリュショネル・エ・ロマンティク(NMLCD)。最初の三楽章と終楽章とでは、感想がちがう。最初の三楽章は、何よりテンポが速い、速い。せわしなさを感じるくらいだが、ベートーヴェンを裏切っているとはいえない。グレン・グールドの特殊なバッハが、バッハを裏切っていないように。とにかく、残念なところはあるが、目の覚めるような演奏だった。終楽章も同じようにやっているが、音楽がちがうので、ガーディナーほどの音楽家だから、それではいけないことがわかるのだろうな。どうも、確信なく演奏してしまっているようにも感じた。■ブラームスのピアノ協奏曲第二番 op.83 で、ピアノはエミール・ギレリス、指揮はオイゲン・ヨッフムベルリン・フィルハーモニー管弦楽団NMLCD)。第一番を聴いたとき書いたとおり、ピアノも指揮もオーケストラも超一流っていうのがこれだ。ギレリスは日本ではそれほど評価されなかったように思えるが(宇野功芳氏などは毛嫌いしていた)、おかしなことである。最近では、ピアニストのシュ・シャオメイがギレリスを高く評価していたのを思い出す。


夕方、肉屋。残暑が厳しい。


クビキリギスがいるのがわかりますかね。

■イザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第五番 op.27-5、第六番 op.27-6 ~ 第一楽章で、ヴァイオリンはルッジェーロ・リッチ(NML)。

夜。
この素晴らしい世界に祝福を!2』第5話まで見る。

E.T.A.ホフマン『ブランビラ王女』を読む。種村季弘訳。