川上未映子&村上春樹『みみずくは黄昏に飛びたつ』

晴。

NML で音楽を聴く。■バッハの平均律クラヴィーア曲集第二巻 ~ 第九番 BWV878 - 第十五番 BWV884 で、チェンバロスコット・ロスNMLCD)。

昼食はベーコンエッグを作る。


図書館から借りてきた、川上未映子による村上春樹ロングインタビュー『みみずくは黄昏に飛びたつ』読了。ほんとおもしろかった。村上ファンでもある川上未映子がどんどん鋭い太刀を打ち込んでいくので、村上春樹もゆったりとだが真剣で応えている感じがよかった。さらにいうと、川上が途方に暮れてしまうような、村上の意図せざる躱しが愉快だった。村上春樹はついこの前書いた長編小説の登場人物の名前まで忘れてしまうのだものなあ。川上が説明していて笑っちゃう。しかし、川上、頭いいね。村上春樹がぼーっとしているのが対比されている。
 このロングインタビューを読んで、村上春樹の小説家としての圧倒的な力量がわかったわけだが、自分の話になるけれど、こういう「インタビュー」とかでそれがわかるというのが、わたしなんだなーと思う。村上春樹の小説はそこそこ読んでいるけれど、小説を読んでではないんだなあという。これまでわたしは(古典も含め)かなりたくさんの小説を読んできて、それなりに楽しんでもきたわけだが、自分が小説読みではないことを確信した。少し残念なのだけれど、たぶん本来は、小説よりも「評論」の方が好きな人間なのだ。でも、いまの「評論」はもうあまり読みたくないし、自分でも書きたくない。わたしがこの場所で書いているのは、中学生の「読書感想文」と何もかわらないし、そうありたいのだと思う。まあ、意味のないことばかり書いているのだけれど。

本書で川上がこう言うところがある。

村上さんは小説を書くことを説明するときに、こんなふうに一軒の家に喩えることがありますよね。一階はみんながいる団らんの場所で、楽しくて社会的で、共通の言葉でしゃべっている。二階に上がると自分の本とかがあって、ちょっとプライベートな部屋がある。
 で、この家には地下一階にも、なんか暗い部屋があるんだけど、まあ、ここぐらいならわりに誰でも降りていけると。で、いわゆる日本の私小説が扱っているのは、おそらくこのあたり、地下一階で起きていることなんだと。いわゆる近代的自我みたいなものも、地下一階の話。でも、さらに通路が下に続いていて、地下二階があるんじゃないかという。そこが多分、いつも村上さんが小説の中で行こうとしている、行きたい場所だと思うんですね。(p.92)

これはあまりにもおもしろすぎて、いろいろ敷衍したいところであり、実際本書でもされているわけであるが、村上春樹がこの「地下一階」というのをできるだけ見ないようにしているというのは思わず目を見張ってしまった。で、それだから自分は叩かれるのだろう、と。うーん、これはすごい。というのは、この「地下二階」というのは、生半可なことでは到達できないからだ。それこそ、極少数の選ばれた小説家くらいしか、無理なのである。つまり、近代的自我を超えていて、さらにふつう「無意識」といわれている領域よりもずっと深い(「無意識」すら、「地下一階」の話である)。
 いまは家の地上部分がガチガチに論理化されつつあるので、地下部分がどうなるのかなとわたしは思う。おそらく、「地下一階」の風景が壊れて一変しているし、そこに降りていくことすらむずかしくなっているような気がする。地下から吹き上げてくるものを、(地上の)論理で隙間なく抑え込んでしまおうということ。でも、「地下二階」の部分は、簡単には変わらない。

夕ごはんはゴーヤチャンプルーと茄子の田楽を作る。

この素晴らしい世界に祝福を!2』最終話まで見る。

 
YMO『テクノデリック』を聴く。