家族で犬山の古墳探訪

隣の愛知県犬山市に、「東之宮(ひがしのみや)古墳」という、めずらしい大きな前方後方墳前方後円墳ではありません)があるので、前から老両親が行きたがっていたのもあり、家族でいってきました。
 
とってもいい天気です。暑くも寒くもない。九時すぎに家を出て、車で30分あまり、犬山の成田山別院の駐車場に駐めさせてもらって、整備された遊歩道を登ります。


遊歩道の整備で露頭したチャート層。

古墳脇の東之宮社。
古墳は山の上、随分と高いところに築かれています。三世紀後半から四世紀、(古墳時代として)早い時代のものです。犬山から名古屋の方へかけて丹羽郡がありますが、古墳の埋葬者は老母によると「邇波(丹羽)の王」とも呼ばれるそうで、あるいは、木曽川の水運を握った権力者だったのでしょう。犬山の山の上にこのような大きな古墳が造られたのは、そのせいでしょうか。

森の中でわかりにくいですが、前方部です。

上に登り、前方部から後方部を見たところ。

後方部からの眺め、木曽川が見えます。
まあ、こんな感じでした。

遊歩道を降りて駐車場へ戻ります。その途中から、この広い景色(木曽川と、その向こうは岐阜県各務原市)を見ると、古墳の埋葬者の意図が伝わってくるかのようです。一種の「権力の誇示」ですね。
 犬山は各務原木曽川を隔てているだけなので、東之宮古墳の権力者は各務原(坊の塚古墳という大きな前方後円墳があります)とも関係があったと考えるのが自然です。そのあたり、まだよくわかってはいないようですが。
 
さて、東之宮古墳を降りたあと、近くに「妙感寺古墳」という前方後円墳を老母が発見し、どうしてもいこうというので、もの好きにも歩いていってみます。

猫との遭遇。近づいても逃げずににゃーにゃーいってました。
妙感寺古墳。妙感寺というお寺の裏です。


後円部から前方部を見下ろしたところ。
 
お昼時になったので、国宝・犬山城(わたしは 2023.12.6 にひとりで来ています)の駐車場に駐めて、城の前の「ことぶき家」にて冷しきしめんの昼食。
 東之宮古墳からは独特な鏡がいくつも出土していて、いまは京都国立博物館にあります。2023.6.27 に家族で京博を訪れた際に見ているらしいのですが、わたしは恥ずかしながらよく覚えていません。そのレプリカが、青塚古墳脇の考古博物館にあるといい、老父が行こうとこだわるので、いってみます。

青塚古墳。ここも 2009.10.11 に家族で来ています。

付属の考古博物館「まほろの館」。前回来たときにはなかったですね。無料で入れます。

展示は結構おもしろかったです。これがレプリカの鏡。
 
あとは一気に帰宅です。二時前到着、四時間半くらい遊んできました。総走行距離は 49.8 km。
 


 
中沢さんの『構造の奥 レヴィ=ストロース論』落掌。アマゾンで注文したもので、やっぱりアマゾンで買うのはよくないよねと思いつつ、つい注文してしまう。まあ、それはとりあえず措くのだが、それにしても、ポチッとクリックしたのが昨日ですよ。呆れた早さなので、他人にはどうでもいいことながら、配送状況を自分のためにメモしておく。便利にしても、これはさすがにやりすぎ(?)だと思う。
 4/24。14:50神奈川県川崎市に到着、18:06川崎市輸送中。4/25。01:18愛知県名古屋市、08:28愛知県一宮市の配送店に到着。15:13一宮市の配送店を出発、17:16岐阜県各務原市に配達完了。
 
夜。
思想の言葉:ガザは甦る 岡 真理【『思想』2024年5月号】 | web岩波
 
『構造の奥 レヴィ=ストロース論』第一章「構造主義の仏教的起源」、第二章「リュシアン・セバーク小伝」を読む。わたしにとって中沢さんの本を読むとは、命を養うに等しい。今年は短い間に二月に『精神の考古学』を、そしてこの四月に本書を読むことができて、こんなにうれしいことはない。人間の精神が創造力の世界的な枯渇に見まわれているいま、いまだに大きな創造的行為の可能なことを中沢さんの本は示し、わたしを深く勇気づけてくれると共に、わたし自身の貧しさを悲しませる。いや、ちっぽけで何もかも無意味だとしても、淡々とやっていくことが大切だし、あきらめることはない、そういう風にいきはじめているという感じはあるのだ。中沢さん、長生きして下さいね。
 
「日本の古本屋」サイトで、リュシアン・セバーク『マルクス主義構造主義』(邦訳1971)を注文する。『プエブロ・インディアンの創世神話』は邦訳されていないのか。