ロバート&エドワード・スキデルスキー『じゅうぶん豊かで、貧しい社会』 / 「トモちゃんは女の子!」(2023)を観る

昧爽起床。薄曇り。
朝食後、またベッドに潜ってうとうとする。さすがに中沢さんは、簡単に消化されてくれない。
 
スーパー。明日が五倍ポイントの日のせいか、客が少ない。出来合いの惣菜のコーナーなども、商品が少なくてガラ空きである。
 
昼。
思想の言葉:ガザは甦る 岡 真理【『思想』2024年5月号】 | web岩波
再掲。「人間性の喪失」こそが現代において普遍的になりつつあるように、わたしには思える。もはや我々は、その感情の貧しさゆえに、「人間性」とは何かが、わからなくなってきている。つまり、記号の独裁、「生命への共感可能性の喪失」に我々が見舞われているということだ。
イスラエル世論調査によれば、ユダヤ系市民の九割以上が、ガザに対する現在の攻撃に賛同し、うち四割がこれを“insufficient”(手ぬるい)と考えているという。「人間性の喪失」こそ、人間にとって真の敗北にほかならないとすれば、イスラエルはたとえハマースに軍事的な勝利を収めたとしても、人間の歴史にすでに、その敗北を深く刻んでいる。』
現在のパレスチナ紛争はその意味で世界の現実の象徴でもあり、例えば現代日本はその現実の凄惨さによってガザであり、またその「敗北」ぶりからしイスラエルであるともいえる。
 

 
ミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。ハニーディップブレンドコーヒー451円。
 ロバート&エドワード・スキデルスキー『じゅうぶん豊かで、貧しい社会』(文庫版2022)を読み始める。副題「理念なき資本主義の末路」。我々は既に充分豊かな筈だ。ケインズは1930年に、我々は将来ずっと豊かになり、週15時間の労働で満足いく暮らしが、(百年後の)2030年には実現するだろうと説いた(「孫の世代の経済的可能性」)。さて、いまは2024年、ケインズの予言した年に充分近くなったが、果たしてケインズの予言は的中したか。明らかに否である。ならば、それはどうしてなのか。
 第二章まで読んだ。著者らの問いは、確かに共感できるものである。しかし、著者らのアプローチはどうだろう。例えば、我々の虚栄心、欲望、貪欲は限りがない、なんてことをいう。そういうアプローチは、まあよくわかるが、それで資本主義的価値観が解体されるだろうか。ここまではあまりにも陳腐な、アプローチに(わたしには)見えてしまう。我々は本質的に「悪」だといったところで、資本の回転や、我々大衆の欲望をムリヤリにでも開発していくことは止められないし、経済成長の必要性を崩すこともできない。わたしにはそんな風に、これまでの部分では、思えるのだが。
 我々は、既に資本主義という現状に投げ入れられてしまっていて、生まれてからずっと、その中で生きること、(将来も)生きていくことを強制されているのである。いってみれば資本主義の奴隷だ。その中でその価値観を解体するのは、心理的・倫理的に、まったく容易でないわけだ。
 さて、我々日本人は30年間にわたる「成長なき資本主義」を強いられて体験したわけだが、いまから見ると、これは(意図せざる)貴重な経験だったと思わないでもない。我々は、ここから何かポジティブに得るものも、あるのではないか?
 
中身を見てみたい新書本があったので、イオンモール 3Fの未来屋書店に寄ってみたが、あらず。適当に何か新書本をと思ったが、棚を見るとあいかわらず気が滅入る。
 
夜。
ロバート&エドワード・スキデルスキー『じゅうぶん豊かで、貧しい社会』読了。途中から、マジメに読む意欲を失ってしまった。幸福の追求は論理的にいってまちがっている、地球温暖化の主張は科学的でない、天然資源の枯渇はない、芸術は大事である、意義ある余暇を過ごせ、エコロジーはクソである(とまではいっていないか笑)、とか、まあいろいろいっているし、それは別に好きにすればいいんだが、結局、本書は何がいいたいんだか、わたしにはよくわからなかった。著者はエリート主義といわれるのは本望でないらしいが、わたしが乱暴に要約すれば、「愚民どもよ、エリートのわたしのように、『徳』を備え、足るを知って生きよ」といっているようにしか、本書は聞こえない。それができれば、苦労しないのである。そして、資本主義の中で生きながらも、(経済)成長は必要ない、という。そんな資本主義が、可能なのか?
 残念ながら、わたしごときに読み取れた(誤読できた)のはそんな程度である。かしこい人たちは、本書を読んでいろいろ正しいことをいうがよい。わたしは、あまり興味がない。

もう少しわかりやすく書いておこうか。著者らはいろいろいっているが、結局我々愚民に対して、一片の共感もない。ただ、自分のもっている「正解」を、お前たちの役に立つのだぞ、悔い改めよと、我々に高所から押し付けてくるだけである。それがたとえいくら「正解」であったところで、そういう思想が真に人を動かすことはない。著者らが半分バカにしている例えばルソーやマルクスは、そういう思想家ではなかった。
 
 
『トモちゃんは女の子!』(2023)第13話(最終話)まで観る。トモちゃんとみすずとキャロル、いい友情物語だった。で、ラブストーリーも最後とってもうまく収まったし、満足。陳腐な話のように見えて、見応えがあったな。しかし、みすずもキャロルもクセが強くて、よく話が破綻しなかったと思う。トモちゃんと淳一郎の恋も、特にみすずがいないとうまくいかなかったんじゃないかな。陰キャで高圧的で考えすぎくらいに考える子だったけれど、いいキャラだった。