人生の意味について / 岐阜県美術館にて「越山若水が育んだ美」展を観る

曇。
 
NML で音楽を聴く。■バッハのパルティータ第一番 BWV825、第三番 BWV827 で、ピアノはイルマ・イサカーゼ(NMLCD)。これは粗削りだが、個性のあるピアニストだ。グルジアジョージア)出身。ゴルトベルク変奏曲の録音が、音がよくて話題になったらしい。バッハはいろんなアプローチを許すな。■バルトーク弦楽四重奏曲第一番で、演奏はベルチャ弦楽四重奏団NMLCD)。俺、バルトーク全然わかってないや。
 
昼。
あるブログで「人生の意味」ということに関し、某書物にたいへんムカついて怒りをぶちまけてある文章を読んで、おやおやと思った。人生の意味? そんなものがないことは明らかではないか。もっともこれは、生きることは下らない、すぐさま死んだ方がマシ、みたいなことがいいたいのではない。人生はただ生きるしかないのであり、それに意味などを付与するのはそれこそ下らない、という意味である。だいたい、仮に人生に生きる価値がないと論理的に証明され、生きる「意味」が普遍的になくなったとしたって、それでもふつうの人(?)はただ生きるしかないだろう。
 ただ、我々が自分たちの人生を、個人的なある「物語」の中で捉えざるを得ない、人間はそういう生き物である、ということは真実である。つまり、わたしたちは自分が主人公の「物語」をこしらえて、それで自分の存在を納得していくことなくしては、生きることができない。その意味でなら、人生には(個人的な)意味があると、そういえるとわたしは思う。それは、それぞれがなんとかして見出していくしかない。
 

 
いい天気になった。

ひとりで岐阜県美術館へ、「越山若水が育んだ美ー福井県立美術館・若狭歴史博物館名品展ー」を観にいってきた。


日本画がメインの展示。中身について特にいうことはない。岩佐又兵衛が結構来ていたが、さほどのものとも思えなかった。さても、わたしは日本画がよくわからないが。それはいいんだが、客がわたしひとりしかいなかった。ガランとする中をコツコツ歩いていったが、これじゃ、学芸員もむなしいだろうなあ。これが岐阜かなあ。
 「IAMAS ARTIST FILE #09 〈方法主義芸術〉―規則・解釈・(反)身体」を観る。現代アート。わたしにはよくわからない。スーツ姿の関係者らしきおっさん二名、観客はわたしと、どこかのおばさんの二人だった。まあ、岐阜で現代アートの展覧会だと、こうなるよね。
 常設展示を観る。ここもわたしひとり。
 
それほどおもしろいものはなかったかな、という感想だったのだが、外へ出てみると世界が美しくて沁みるので、やはり何かはわたしに伝わったのかな、と思う。


となりの県図書館に寄って『新潮』誌のバックナンバー、八月号を探すが、誰かが借りているようであらず。
 
帰りにコメダ珈琲店岐阜領下店へ寄る。宇野重規先生の(聞き手・若林恵)『実験の民主主義』(中公新書2023)を読み始める。梶谷先生のブログで教えられた本。さすがに優秀な学者はちがうなあと感嘆しきり。聞き手の若林恵という人も(よく知らないが)ただ者でない。でも、こんな本をわたしが読んでも何にもならないわけだが。ただ、「平等化」が互いに切り離された孤独者を産むというのは、自分のこととして、確かにそうだと思った、でも、「平等化」から何でそうなるのかというロジックは、わたしには(自分のことながら)よくわからないのだが。
 宇野先生も「アソシエーション」を連呼しておられるな。柄谷行人とはまたちがう意味でだけれど。
 ちょっと思うんだが、本書でいわれる「平等化」は、政治的身分のそれだよね。いまは確かに政治的身分は多く平等化されたけれど、新たなどうしようもない(例えば財産的)「不平等」の中で我々は生きている。ま、そんなことはいまさらわたしごときがいうまでもないが。
 社会科学の本からはちょっと距離をとって、いまやほとんど滅んでいる人文学を主にしようと思っているのだが、さすがに本書ほどわかりやすくてレヴェルが高ければ、読まざるを得ない。
 

 
夜。
U-NEXT で『劇場版 境界の彼方 -I'LL BE HERE- 未来篇』(2015)を観る。完結篇。最初の方がヤバかった、未来ちゃん、記憶がない方が気持ちがダダ漏れになっていて、うるっときたわ。後半は泣かせにきたが、予定調和でまあ感動、くらいのところ。どうであれ、残っていた伏線も回収し、秋人君も未来ちゃんも(初めて?)ふたりで笑顔になれて、ハッピーエンドで何よりだった。やっぱりラスト、エンドロール後だが、未来ちゃんのあのセリフで終わらないとね、心から幸せそうだった!

評価を見てみると、厳し目のが少なくない、これは予想どおりだな。TV版だけで終わらせておいてもよかったという声がかなりあったが、それはそう。あと、尺の関係もあると思うが、終始重い展開で、コメディタッチのところがほとんどなかったのも、TV版と比較して残念。でも、わたしはテキトーなので、好きな作品の続編というだけでよかった。ふつーにおもしろく観ましたよ。