佐々木敦『ニッポンの音楽』

晴。

ごろごろ。

昼から肉屋。車外の気温26℃で、もう初夏だなあ。

昔 BOOK OFF で流れている曲に「この曲何だろう」ということがよくあったが、いまは TSUTAYA でそう思うことが増えた。でも、いまのポピュラー音楽家を全然知らないので、結局誰のどういう曲か、わからないまま。

井上雄彦バガボンド』第8巻まで読む。すごい絵と迫力のマンガだな。連載は(たぶん)僕の学生の時から続いているが、2015年から中断しているらしい。

バガボンド(1)(モーニングKC)

バガボンド(1)(モーニングKC)

  • 作者:井上 雄彦
  • 発売日: 1999/03/23
  • メディア: コミック
 
夜。
図書館から借りてきた、佐々木敦『ニッポンの音楽』読了。
ニッポンの音楽 (講談社現代新書)

ニッポンの音楽 (講談社現代新書)

本書は既に五年前に購入して読了していたことが判明(笑)。何も覚えていない…。

平野啓一郎『マチネの終わりに』 / 『ドゥイノの悲歌』

晴。

昼から部屋掃除。


平野啓一郎『マチネの終わりに』読了。すばらしい恋愛小説だった。わたしは残念ながら、こんな大人っぽい恋愛はしたことがないし、精々アニメのラブコメがふさわしい程度のおっさんであるが。天才クラシック・ギタリストと、父親が世界的な映画監督で優れた国際ジャーナリストである女性の恋愛という、下手をしたら鼻持ちならないイヤミなそれになりそうなのを、著者は見事に造形してみせた。特に前半のクライマックスに「ドゥイノの悲歌」を小道具に使うという冒険には、驚かされたが、成功しているように思う(もっとも、わたしにリルケがわかると思わないで下さい)。しかし、悲恋ですねえ。第六章は痛ましすぎて、斜め読みせざるを得なかった。ラストも感動的だが、この後どうなっちゃうんだろうという危惧はわたしだけではあるまい。というか、ここからもっとひどい悲劇にしかならないような気がする。

マチネの終わりに (文春文庫)

マチネの終わりに (文春文庫)

しかし、著者は世界を股にかけた、これほど緻密でハイブラウな小説が書けるのに(イラク戦争金融工学!)、ツイッターなどでのかなり単純な政治的意見とかは何なのという感じ。小説内とリアルでは、優れた小説家でも同じではないということか。平野啓一郎さんというと、大学生のときに書いたデビュー小説がひどく話題になったことをわたしは覚えていて、それらの作品もかつて読んだのだったが、年月が経って力をつけたなあと祝福したい気持ちです。

アマゾンのレビューを見てみたら、予想どおり酷評の嵐(笑)。皆んなハイブラウが嫌いなのだなあ。ま、わたしが子供っぽいのかも知れない。
しかし、アマゾンのレビューってどうして酷評が上に来るようになっているのだろう?


手塚富雄訳の『ドゥイノの悲歌』を、ひさしぶりに読み返す。翻訳で詩を読むというのは、どこまで意味があることなのだろう。上の小説で引用されているのは第五歌の最終部分であるが、手塚富雄訳と平野氏が独自に訳したものとでは、受ける印象がかなりちがう。平野訳の方が、遥かにわかりやすい訳文になっているのは確かだ。
 それはともかく、『ドゥイノの悲歌』はこんなに「クラい」詩だったのだな。幼稚な感想ですみません。一応最後の第十歌のラストは、希望が見えるような終わりになっているのかも知れないが、最初に書かれた冒頭部の高揚は、詩が進むにつれて暗鬱になっていく。やはり、ロマン派の「天才崇拝」的な酔いが背後にあって、そこからみずからを見た苦悩というものを感じずにはいられない。彼のいう「天使」は、歴史に名を残したきらめく「天才」たちを暗に指しているようにも、わたしには読めて仕方がないのだが。しかし、時代は凡庸なものになり、天才は滅びる。そして愛。みたいな。偉大な詩ではあるが、わたしにはちょっとつきあいかねるような感じもする。
 いや、凡人のまったくの誤読ですかね笑。

ドゥイノの悲歌 (岩波文庫)

ドゥイノの悲歌 (岩波文庫)

  • 作者:リルケ
  • 発売日: 2010/01/16
  • メディア: 文庫
 
手塚富雄先生の「正解」を参考にしながら『ドゥイノの悲歌』をあちらこちらひっくり返していたのだが、あまりにも高尚すぎてイヤになってきた。全世界の愛と苦悩を一手に引き受けているようなリルケであるが、わたしのような凡人からするとちょっと病的なような感じがする。さても、我々のごときニセモノであるしかない人間は、許し難く、度し難い。

こともなし

日曜日。雨。
昨晩は鈴木大拙を読んで寝た。

曇。スーパー。

晴。珈琲工房ひぐち北一色店。『王様の耳』の続き。おいしいコーヒーを飲みながらのんびりと読むにはちょっとむずかしいので、多少斜め読みさせてもらう。でも、好みのタイプの本だ。柴田先生は実力者だ。

日没前、散歩。歩くによい季節。





アオサギ

ドウダンツツジ

麦。





ところどころ筍が顔を出している。
ハナミズキ


ウチにいるモズ。

夜。
録画しておいた、東大寺二月堂の修二会の映像(第一部)を見る。生中継として放送されたもの。
20210418221107
放送としては一時間だったが、行事自体は30分くらいだった。第二部は全部で三時間ほど、深夜に亘る予定。
アナウンサーの解説がちょっとうるさかったが、これがないと何をやっているかわからなかっただろうから、あってよかったのだろうな。奈良時代から、1200年以上中断されずに続いてきた行事である。今回コロナ禍で一般人を入れずに行うため、生中継が許されたとのこと。そのうち第二部も見るつもり。

こともなし

雨。
昧爽起床。
早く朝食をとって、しばらくして少し二度寝する。

雨なのでまいまい。
20210417111342
苦手な人はごめんなさい笑。

長い Windows Update だったな。
ウィルスバスターの自動更新を解約する。


柴田南雄先生の『王様の耳』を読む。1986年の刊本であり、いったいいま本書を読む人がどれくらい居るのかと思うが、いまでも読むに値する本だろう。柴田先生は学究的理論派の作曲家で、なかなかにむずかしい曲が多い印象。恥ずかしながらそれほど聴いたことがない。しかし、奥には清新な感性が隠れているところがあると思っている。本書も似たような感じで、辛辣で時にはペシミスティックですらあるようなことをさらりと書かれるところにハッと目を覚まされるけれども、奥の感性は瑞々しいのだ。柴田先生の若い頃の作曲に係る混声合唱曲「風」については、自分の青春時代の思い出をちょっとだけ書いたことがある
 本書は市の図書館の開架にあったもので、地方の図書館らしく本が動かないゆえに、偶然手に取れたものであろう。古くさい図書館に感謝しよう。

王様の耳

王様の耳

  • 作者:柴田南雄
  • 発売日: 2012/10/10
  • メディア: オンデマンド (ペーパーバック)
本書はいまでもオンデマンド版で入手できるようだ。『柴田南雄著作集』というのもあるのだな。県図書館にでもないだろうか。

柴田先生の楽曲は、NML に収録されているものは非常に少ない。既にほとんど忘れられているということだろうか。

夜。
NML で音楽を聴く。■バッハのゴルトベルク変奏曲 BWV988 で、チェンバロはルカ・グリエルミ(NML)。現代にあってこれほどのゴルトベルク変奏曲が聴けるとは! わたしはこの曲をチェンバロで演奏したものをさほど聴いているとはいえないが、聴いた中でもっとも美しい演奏だと思う。この演奏家には、何かわからないが親近感が抱かれる。

Goldberg Variations

Goldberg Variations

  • アーティスト:Bach, J.S.
  • 発売日: 2012/08/14
  • メディア: CD

こともなし

曇。

昼からひさしぶりに県営プール。

書かでものことを書くが。
福島第一原発放射性物質汚染水の海洋放出に関して、リベラルっぽい人にほど事実誤認があるのは、左翼として残念だ。トリチウム汚染水の海洋放出については、自然科学的には問題はない。トリチウム汚染水は原子力発電の際にも必ず出てくるもので、例えば韓国であろうがフランスであろうが、今回海洋放出が決定された福島の汚染水よりも高濃度なトリチウム汚染水が、既に大量に海洋放出されているし、され続けている。トリチウム(正確には水に組み込まれたトリチウム水)自体は海水に一定濃度含まれているもので、バックグラウンド・レヴェルを考えれば、福島の汚染水が「安全」であることが合理的な判断であることは(少なくともわたしは)疑いにくい。IAEA国際原子力機関)も、科学的に問題ない旨の声明を発表している。
 そして、福島の汚染水はもはや地上に溜めておく場所がない。
 以上のことは、海洋放出に反対している福島の漁業者たちもじつは認めていることである。では、どうして反対するのか。それは、科学的に正しくない思い込みによって、風評被害が避けられないからだ。トリチウム汚染水は危険だ→汚染水が海洋放出された福島の魚は食べないぞ、こういう風評被害が程度はわからないが必ず起きる。それをなるたけ抑えるために、政府はできるだけのことをすべきだし、国民も科学的な知識をもって福島の農業・漁業生産物を「差別」しないように努める義務がある。
 最初にも書いたが、マジメな人ほどわたしは、この問題に関しては科学的・合理的にふるまってほしいと願っている。そうでないと、マジメな人が信用を失ってしまうことになる。下に、理性的な報道の一例を貼っておく。ここまで知っても海洋放出反対ならば、それはそれで仕方がないのであるが。
www.buzzfeed.com

NML で音楽を聴く。■バッハの平均律クラヴィーア曲集第一巻 ~ BWV860 - BWV863 で、チェンバロはルカ・グリエルミ(NMLCD)。■ベートーヴェン弦楽四重奏曲第七番 op.59-1 で、演奏はクァルテット・エクセルシオNMLCD)。このところクァルテット・エクセルシオベートーヴェンを続けて聴いているのだが、どれもすばらしい。室内楽のファンは少ないのでこのカルテットはたぶんあまり知られていないが、日本に世界レヴェルのカルテットが存在することがもっと知られるとよいのにと思う。

岐阜市歴史博物館の「壬申の乱」展

晴。

NML で音楽を聴く。■バッハの平均律クラヴィーア曲集第一巻 ~ BWV855 - BWV859 で、チェンバロはルカ・グリエルミ(NMLCD)。


新海誠監督の『天気の子』を昨晩見て、でネット検索してみたら、検索ワードに「気持ち悪い」というのが第一に出てきてちょっと驚いた。それと関係するかも知れないのだが、わたしは新海誠監督のアニメは結構見ている筈だけれど、いつも思うことがある。というのは、(自分の身近な人間が世界や宇宙の運命と直接関わっているという)いわゆる「セカイ系」な上に、ヒロインの女の子がいっつも「お人形さん」なこと。キャラクターが生きている、血が通っている感じがしない(『君の名は。』の三葉は例外としてもいいだろう)。何か、新海監督の女性観というか、恋愛観が都合よくそのまま投入されている感じで、それ自体はもちろん当り前なのだが、それにしてもひどいというか、何というか。『天気の子』も例外ではなく、「気持ち悪い」で、まずそれを思い出した。


モーツァルトクラリネット五重奏曲 K.581 で、クラリネットはニコラ・ユルゲンセン、クレンケ四重奏団(NML)。ブラームスの同編成の曲とよくカップリングされる曲で、わたしはブラームスの寂寥感に満ちた曲が好きだから、比較して「かわいそうなブラームス!」と書いた吉田秀和さんがいまだに許せない。というのは冗談だが、確かにモーツァルトのこの曲を聴くと、天上的に美しい曲であるのは認めざるを得ない。いまなら、神曲(かみきょく)とでもいうところであろうか。なお、この演奏は一流のそれとはいいがたいかも知れないが、まあそんなことはいいではないか。わたしは楽しんだ。

Mozart: Chamber Works

Mozart: Chamber Works

  • 発売日: 2021/04/23
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

わたしは金井美恵子氏の文章が好きではないのだが、以下の文章はまったくそのとおりだと思う。

認知症になった長谷川医師の日常を記録したNHKのルポルタージュ番組を去年見たが、思わず笑ってしまったのは、長谷川医師等によって考えられたケア(認知症の患者たちがデイ・ケア施設で童謡をうたったり折り紙を折ったりして、輪になって踊るお遊戯のない園児のようにおとなしく過す)を、自分はあれがいやなんだと憮然として行くことを拒否する場面だった。長谷川医師は、自分は自分の書棚に囲まれた書斎で過すのが一番落ち着けるし、ああいうことは嫌いだ、と言うのだが、もちろん、テレビで医師の姿を見ている者としては、失笑しつつ、大人は誰だって不快と思うのに決まっている、そんなことさえ自分が認知症になってみるまでわからなかったのか、という深い溜息を吐いたのだった。

いつの間にか忘れられてしまうこと②|重箱の隅から|金井 美恵子|webちくま

かかる「ケア」を強制されているのは、認知症患者に限らない。そして、不快な「ケア」を促す「職員」を困らせるのも何だから、彼ら彼女らのいうとおりにしてみせているだけの人もいる。そういう意味で、その人たちはあるいは「大人」なのだ。まったく、どちらが大人らしく、どちらが子供らしいのだろうか。
 しかしまた、すべての「職員」たちが何も考えていない、感じていないというわけでもない。みなの雰囲気の中で次第に「人間の尊厳」のようなものが失われていくのが、あるいは日本的な話なのかなと思わないでもない。それは、いけないことなのか? わたしは、健常者の医師であったときの長谷川氏が正しく、下らない「知的な」プライドで「ケア」を拒絶する認知症患者としての長谷川氏を、何となく唾棄したいような倒錯した気分に襲われないでもないのだ。ホケてお遊戯、結構ではないかともちょっと言ってみたくなる。なぜ、あなたはそれができないのか。

昼から、家族で岐阜市歴史博物館へ、「壬申の乱」展を見に行く。


岐阜市は中国の杭州市と姉妹都市らしく、その関係の庭園2枚。

岐阜公園内の池。

白い藤。

奥が歴史博物館。


壬申の乱は七世紀の大海人皇子大友皇子天皇位の相続争いで、大海人皇子が勝ち、天武天皇として即位した。現在の各務原市に本拠をもった村国男依(むらくにのおより)が大海人皇子側に立って活躍したこともあっての、岐阜市歴史博物館での展覧会なのだと思う。ただ、壬申の乱の関係遺物なんてもの自体があまりない。なので、建物などの遺物が展示の中心だった。
 岐阜公園の新緑がきれいだった。信長居館跡なども初めて見た。岐阜公園は昔からの公園なので(篠田一士氏のエッセイにも出てきたように覚えている)、あまりピクチャレスクではない。でも、大きくて立派なカメラをもったお姉さんがいたりもしたね。いい季節なのに人が少なかったのは、やはりコロナ禍のせいなのかな。

池内紀『モーツァルトとは何か』

晴。

NML で音楽を聴く。■バッハの平均律クラヴィーア曲集第一巻 ~ BWV850 - BWV854 で、チェンバロはルカ・グリエルミ(NMLCD)。平均律クラヴィーア曲集はわたしはできればピアノで演奏すべきだと思っているが、チェンバロで演奏したものとしてはこの録音はもっとも満足できるものになりそうだ。現代的で創造的な感性をもちながら、真っ直ぐバッハに繋がっているところがいい。チェンバリストとして、スコット・ロス以来の才能なのではないかと思うのだが、どうなんでしょうねえ。


スーパー。

何か昨日からモズがしきりと鳴いている。いまも警戒する鳴き声があまりにもうるさいので部屋から外を見たら、モズ二羽が地面にいるカラスをすごい勢いで繰り返し攻撃しているではないか。カラスは嘴で何かやっている。と思ったら、ネズミくらいの大きさのものを咥えて飛び去っていった。いまもモズはしきりと鳴いているが…。もしかしたら、雛がやられてしまったのかも知れない。

昼寝。

図書館から借りてきた、池内紀モーツァルトとは何か』読了。

モーツァルトとは何か

モーツァルトとは何か

  • 作者:池内 紀
  • 発売日: 1998/12/10
  • メディア: 単行本
 
ベートーヴェン弦楽四重奏曲第八番 op.59-2 で、演奏はクァルテット・エクセルシオNML)。よい。実力派カルテット。 
いまも音楽を聴いていたら、あまりにもモズがうるさい。どうしたのかと思って外へ出てみたら、猫が来ているではないか。とりあえず追い払ったが、頭がおかしくなりそう。
モズ、一日中鳴いている。

夜。
新海誠監督の『天気の子』を見る。特に最初の一時間くらいの退屈がひどく苦痛で、残りも大しておもしろくなかった。わたしというおっさんには、魅力的な登場人物(キャラクター)がひとりもいなかったように感じる。主人公であるカップルも、お互いに魅力がなくてどこで惹かれ合っているのかよくわからなかったし、敢て東京を水没させてしまうほどの絆にも見えなかった*1。新海監督のお好きな「セカイ系」自体、わたしはもともと苦手だし。ただ、PCで見ても背景の絵はすごくきれいで、そこはさすがかな。エンタメとして見て、前作の『君の名は。』に到底及ばないと思う。

細部について一点だけ書いておけば、小道具の指輪はもっともっと印象的に、うまく使って欲しかった。せっかく、男の子が真剣に悩んで買って、女の子に渡した*2指輪なんだから。空から落ちてくるだけ…。

*1:特にヒロインの陽菜(ひな)の気持ちの揺れ動きや葛藤があまり描かれていない。ちょっと書くのは恥ずかしいんだが、「もしかしてわたし、あの人が好きなのかしら」「ほんとにあの人、わたしのことが好きなのかしら」って感情がまるでないラブストーリーって、いまはそんなものなの? なわけないよね。いつの時代でも、好きな人が自分を好きなのかわからないから、気持ちを伝えるのがかくもむずかしいから、皆んな恋愛で苦しむのでしょう?

*2:結構あっさり渡して、またあっさり受け取っているのも謎。女の子の誕生日プレゼントに渡す指輪ですよ。おっさんは重く考えすぎかなあ。