『青柳いづみこの MERDE! 日記』 / 『野呂邦暢 兵士の報酬』

雨。

NML で音楽を聴く。■バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第三番 BWV1005、同パルティータ第三番 BWV1006 で、ヴァイオリンはジョン・ホロウェイ(NMLCD)。最初思っていたよりずっといいアルバムだった。聴き返せるといいな。■フォーレのレクイエム op.48 で、指揮はチョン・ミョンフン、ローマ聖チェチーリア音楽院合唱団、ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団NML)。僕はこの曲に特に思い入れがないのでよく知らないのだが、この曲にしてはえらくダイナミクスの幅の大きな演奏なのではないか。ふつう、もっと静かに演奏される曲という印象があるのだが。

IN PARADISUM

IN PARADISUM

 
大垣。
ミスタードーナツ大垣ショップにて昼食。いわしと香味野菜のペペロンチーノとブレンドコーヒーを注文したら、108円以下のドーナツを加えるとセットで安くなりますよというので、ハニーディップを選ぶ。パスタは量は多少少なめ(ミスドだから女性向けかな)だが、なかなか悪くなかった。セットで900円というのはどうなのかな。自分はよいと思うが、昼休みのお姉さんたちには高め? それからここのミスドは一般店舗なので、古くさい洋楽が流れていたりするのがおじさん向けである。確かに、若い人はあまりいない。
 コーヒーを飲みつつ、青柳いづみこさんの日記本の続き。二段組で400ページ以上あるので、なかなか読み終わらない。こういうところで読むにはぴったりの本。しかし「ホンモノが好き」(p.333)というのには大袈裟にいうと背筋が寒くなるような思いがする。「でも私は腹が立つんです。偽物がまかり通っていたりホンモノが排斥されたりするのを見ると。」(p.334)とかを読むと、もうゴメンナサイという感じで恐ろしい。もちろんわたしはニセモノなので。こういうことを言えるのは、青柳さんが自分がホンモノだということをよく知っておられるからで、まあわたしなどは「まかり通って」などいないだけ許してもらえないだろうかという感じ。こんなブログは誰も読んでいないだけ救いである(でも、本当に誰も読んでくれなかったらやっぱりさみしいだろうな)。思うのであるが、ホンモノ・ニセモノというのは、努力でどうにかなるようなものではない。しかし、一国の文化の厚みというのは、どちらかといえばホンモノはあまり関係がなく、むしろニセモノの有様にこそかかってくるものではないか。かつての日本というのは、ニセモノの有り方がすばらしかったし、それゆえ世界でも稀な「文化の厚み」(恥ずかしい言葉であるが)のあった国だった気がする。いまは、ホンモノはいるけれど、優れたニセモノが極端に少ないようになった。そんな気がするのだが。
 しかし、吉田秀和さんに、「あなた何をそう急いでるの」といわれた話はすごかった。吉田さんは、まわりに自分並の人間は見当たらないから、書いたものでも悠然として誰かまとめてくれるだろうというのを待っていたというのだ。まったく、神々の話は恐ろしすぎる。


図書館から借りてきた、『青柳いづみこの MERDE! 日記』読了。ああ、おもしろかった。感想はこれまで何度も書いてきたので省略。ウェブサイトの日記の抜粋らしいが、いまも続いているのだろうか。そういうことを調べるのは極端にものぐさなわたしである。ところで自分は家で本を読むときは、ブログ「本はねころんで」の題名ではないけれど、ふとんにもぐって読むのである。昔からそうで、むずかしい数学書とかもそれであり、じつはふとんの中が真剣勝負の場(?)だったりするのだ。で、いまはそうして読み終えたのだが、本書は多くは外でコーヒーでも飲みながら読んだもので、それとはおのずから読み方が異なる。外で読むときはわりと大雑把につかんで読んでいて、無意識に細かいところは読み飛ばしたりもしているのだが、そちらの方が却って全体をよく掴んでいる場合もあって、どちらがよいかはわからない。まあしかし、青柳さんのものなどを読んでいると、わたしなどが「音楽がわかる」とかは絶対にいえないなと思う。レヴェルがちがいすぎるのだ。でも、そんなことはそれほど気にしているわけでもなくて、自分は音楽を聴くのは好きなのだ。見栄で知ったかぶりをすることもあるが、青柳さんを読むとそういうのが恥ずかしいので、なるたけ止めようと思う。ま、しかし見栄坊はなかなか治らない。

青柳いづみこのMERDE! 日記

青柳いづみこのMERDE! 日記

とにかく音楽の本を読むのは楽しい。吉田秀和さんは残念ながら亡くなられたが、いまでもなかなかよい人たちがいるよ、ほんと。


図書館から借りてきた、『野呂邦暢 兵士の報酬』読了。みすず書房から出ている、「随筆コレクション1」というやつである。500ページ近くあってずしりと重い。読み終えてみていろいろな思いがあるが、いまひとつはっきりいえないので書くことはできない。自分の読み方というのは声の発出点を探るというものであり、野呂の声の出処はだいたい見当がついたけれども、いまだそれを解体しきれないところがある。野呂の魅力はひとえにその文体にあり、その体臭にあるといってもよいが、それを解体しきれていないということだ。よかれ悪しかれ、これが自分の読み方である。そして、それが解体されたあと、後に何も残らないとも思えないという予感がある。何か豊饒な鉱脈への、鍵が残るのではあるまいか。そんな風に思っている。なお、巻末の池内紀さんによる解説は冒頭を読んだのみであとは読まなかった。

『エリアーデ著作集第九巻 ヨーガ1』

晴。

NML で音楽を聴く。■バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第二番 BWV1004 で、ヴァイオリンはジョン・ホロウェイ(NMLCD)。■ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第三番 op.2-3 で、ピアノは園田高弘NMLCD)。■メシアンの「シラヒゲムシクイ」、ピアノのための前奏曲(1964)で、ピアノはアレクサンダー・ソアレスNMLMP3 DL)。「鳥のカタログ」のすばらしさには最近気づいたところである。美しい曲というのはいろいろな類があるだろうが、この曲集は二十世紀のピアノ作品の中でもある意味ではもっとも美しいそれといえるかも知れない。現代音楽のきわめて複雑な書法で書かれつつも、聴き手を戦慄させるその美には脱帽である。すべての人間が死に絶えても、鳥たちは神の臨在のもと、無心の囀りを止めることはあるまい。それを思うと、それでよいのだという思いに深く襲われる。

しかし、鳥の囀りがこんなに戦慄するほど美しくてよいのかということはあるかも知れない。まあそれは自分などにはわからないが、自分も鳥の囀りは大好きだし、ウチでは結構うるさいくらい鳥たちは元気だ。いまも蜜柑を食べに来ているヒヨドリたち(多いときは100羽くらい来ている)がキーキーと叫んでいるのが聞こえる。もうそろそろ喰い尽くされそうだ。


■ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ(1926-2012)の「監獄の歌」で、演奏はツトム・ヤマシタ(NML)。こういう曲はたぶん曲の背景を知らないといけないのだろうけれど、調べるのが面倒くさい。何やらホー・チ・ミンの日記を使っているらしい。ふーん。

ヘンツェ:刑務所の歌

ヘンツェ:刑務所の歌

武満徹の「四季」で、演奏はツトム・ヤマシタ(NML)。

金柑マジうまいです。畑を歩いているとつい食べてしまう。

よい天気なので散歩。近所なのにもう三十年以上歩いていない道を歩く。このところそこいらをほっつき歩いていると痛感するが、我々はもはや「地の霊」の住む場所に対する感性をほぼ完全に失ってしまったのだな。そのような場所が、たかがわたしの近所ですら現在急速に失われつつある。例えば、日本人は神社、あるいは「鎮守の森」に対する感性を失った。例えば「磐座」(いわくら)も、もはやそれが何だか多くの人にはわからないだろう。思えば中沢さんの「アースダイバー」のシリーズは、わたしにはあまりにレヴェルが高すぎてそう思っていなかったが、きわめて現代的かつ喫緊の仕事であったわけだ。我々もまた拙いなりのアースダイブを試みる感性を養うことは緊急の課題であろう。恐らくは既に手遅れであるかも知れないが。

っていっておくが、わたしの感性だって貧しいものである。わたし自身がダメなサンプルだ。しかし、それでよいとは思っていない。ぼちぼちでもやっていこうと思う。

ところで、「地の霊」は一見平凡なところに居るらしい。例えばそれがガソリンスタンドの廃墟にいないと、どうしていえるだろう。明るい茂みにいないと、どうしていえるだろう。もちろん、これらはデタラメに挙げただけである。

図書館から借りてきた、『エリアーデ著作集第九巻 ヨーガ1』読了。

エリアーデ著作集 第9巻 ヨーガ 1

エリアーデ著作集 第9巻 ヨーガ 1

 
何かこのところマジメすぎるな。くだらんことをしよう、といって、何するかなあ。Tumblr はいまでも下らなくて好きなのだけれど、エロが追放されてだいぶ健全になってしまったしなあ。Twitter は確かに下らんけれど、ちょっとちがうしなあ(むしろむかつくし、絶望するわ)。マンガとかアニメかなあ。下らんのはいいけれど、幼稚すぎて疲れるしなあ。テレビかなあ。見るのが面倒くさいしなあ。寝るかなあ。


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けものフレンズ」第9話を観る。続きを観るのは何か一年ぶりみたい。

関数解析の本を読む。むずかしい。

井筒俊彦英文著作翻訳コレクション『老子道徳経』

日曜日。晴。

NML で音楽を聴く。■バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第二番 BWV1003 で、バロック・ヴァイオリンはジョン・ホロウェイ(NMLCD)。うん、これはよいな。これだけ弾けるなら、この曲集はモダン・ヴァイオリンよりも古楽器の方が向いているかも知れない。なにより、これなら音が多く重ねられる。■ベートーヴェン弦楽四重奏曲第六番 op.18-6 で、演奏はクァルテット・エクセルシオNMLCD)。■ブラームスのヴァイオリン・ソナタ第一番 op.78 で、ヴァイオリンはエルマー・オリヴェイラ、ピアノはホルヘ・フェデリコ・オソリオ(NML)。端正な演奏。オリヴィエラという人は全然知らないが、そこそこ知られたヴァイオリニストらしく、アメリカ人ヴァイオリニストで最初のチャイコフスキー・コンクール優勝者(1978年)だという。

3 Sonatas for Violin & Piano

3 Sonatas for Violin & Piano

■アルトゥール・ルリエ(1892-1966)の「大気のかたち」で、ピアノは野平一郎(NMLCD)。

毎年恒例ながら。春が近づいて参りました。
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いい天気なので、イオンモールまで歩きました。代わり映えしない写真ですが。










ミスタードーナツ イオンモール各務原店。ブレンドコーヒー270円。日曜日なのでフードコートはひどい混雑。一時間田舎の道を歩いてきて、きらびやかで賑やかなイオンモール内に入ると頭がくらくらする。外は風は少し冷たくしかしおだやかによく晴れているのであるが、イオンモール内は生暖かい室温で、カフェのであろう甘い匂いが少し立ち籠めている。そしてフロアからして驚くような雑踏であり、どこからこんなに人が湧いてきたのかと思う(自分もそのひとりなわけだが)。
ファーイ・ミクローシュという人の『コチシュ・ゾルターン』という本を読む。2016年に亡くなったハンガリーのピアニスト、コチシュ・ゾルターンの評伝のようなものかと思って読み始めたら、(たぶん)2003年の一年間、著者(ハンガリーの新聞社の音楽担当者であるらしい)がコチシュに張り付き、コチシュの代わりに日記を書く(?)という本で、半分文学作品に近いものである。もちろんコチシュは承知の上のことである。全体の三分の一ほど読んだが、この頃コチシュはピアノをあまり弾いておらず、もっぱら指揮の話であって拍子抜けした。当然のことながらバルトーク(もちろん偉大なハンガリー人)の話題が多く、結構専門的な話もたくさんあって、このあたりは音楽をきちんと学んだ人しか理解できまい。なのでわたしも限界を感ずる。コチシュのプライベートな話も少なくないが、そのあたりはわたしはあまり関心がない(コチシュの子供が生まれる話だとか、離婚した元妻の話とか)。ちょっと面食らいつつ読んでいる。

図書館から借りてきた、井筒俊彦英文著作翻訳コレクション『老子道徳経』読了。古勝隆一訳。井筒による「老子」の英訳のさらに邦訳である。以前読んだ現代語訳とは全然ちがう。「道徳経」というのは「道徳」なのではなくて、「道」と「徳」なのだな。それだからこそ「道徳」なのでもあろうが。読み終えてみて本書が手元に欲しくなったところであるが、まあ読みたくなったらまた借りるかな。なお、訳者解説はなかなか読み応えがあった。優れた学者ってのはいまでも居るものなのだな。

やはり古典はおもしろいことを確認。あまり古典を読まないようになってしまったが、やはり読まないとね。まだまだ読みたい古典はたくさんある。この「井筒俊彦英文著作翻訳コレクション」も全部読みたい。いま、どれくらい刊行されているのだろう。完結はしたのかな?

福永陽一郎『続 私のレコード棚から 世界のピアニストたち』

晴。
寝坊。

睡眠の後始末。

昼からミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。ブレンドコーヒー270円。あと、家族の分のドーナツを買う。
福永陽一郎という人の『続 私のレコード棚から 世界のピアニストたち』という本を読む。福永陽一郎(1926-1990)という人はまったく知らないが、Wikipedia に項目が立っている。本書を読んでもわかるが、もともとはピアニストであったけれども、一般には指揮者と音楽評論家として知られていた方のようだ。特に音楽評論家としては著名だったようで、「レコード芸術」誌の新譜評などもやっておられたようであるから、もしかしたらかつてわたしは知らずに著者の評を読んでいたのかも知れない。本書を読むと著者の出発点はコルトーであったようで、冒頭で熱烈に絶賛されており、なるほどそういう方なのだなとわかる。ポリーニとグールドから出発したわたしにはコルトーはほとんど何の意味もないピアニストで、著者が聞いたら軽蔑されるところであろう。文章は、自分には特に大したものとは思えず、素人に毛が生えたようなものに見える(何様!)。批評はかなり辛口で、バックハウスに筆誅が加えられていたり(笑)であるが、音楽家であったわりには文学的な印象批評であり、それも素人くさい感じである(またしても、何様!)。本書は最後まで読んでもおそらくわたしには無意味だろうが、しかし、こういう本を読むというのも悪くない。一時代を偲ぶよすがにはなるだろう。著者はあるいは忘れられるだろうし、わたしなどはまた何も残すことはない。そういうものなのではないだろうか。

しかし、わたしはよくもこんな身の程を知らぬ、失礼なことが書けるものだ。業だなあ。福永氏を検索してみると、合唱指揮者として尊敬されていたことがわかる。合唱の CD がたくさん出ているから、そのうち何か聴いてみようかな。

図書館から借りてきた、福永陽一郎『続 私のレコード棚から 世界のピアニストたち』読了。なかなかおもしろい本だった。上では相当にひどいことを書いていて、だからひどい本と思われるかも知れないが、全然そんなことはないと付記しておこう。ただし、わたしには「認識論的切断」以前の本だというだけのことである。宇野功芳さんがお好きな方は、読んでみられるとよいだろう。きっと参考になると思う。ちなみに、わたしは宇野功芳さんはまったく理解できない。そういうわたしは、音楽というものがわかっていないと思われても別にかまわないことである。というか、実際わかっていないのであろう。

私のレコード棚から (続)

私のレコード棚から (続)

 
NML で音楽を聴く。■ブーレーズの「十二のノタシオン」、「天体暦の1ページ」で、ピアノはアレクサンダー・ソアレスNMLMP3 DL)。■シューマンのピアノ・ソナタ第一番 op.11 で、ピアノは横山幸雄NML)。シューマンには三曲のピアノ・ソナタがあるが、自分はこれがいちばん好きなのかなとこの演奏を聴いて思う。横山幸雄は初めて聴くが、日本人ピアニストの中では著名な存在、第一人者といってよいであろう。この演奏を聴く限り多少凡庸に聴こえるが(何様)、自分にはこれで充分である。
プレイズ・シューマン2014

プレイズ・シューマン2014

■ペーター・ルジツカ(1948-)の弦楽四重奏曲第三番「消失の彼方へ」で、演奏はアルディッティ弦楽四重奏団NML)。これはカッコいい曲だ。いかにも ECM っぽい感じ。ただし、現代音楽を聴き慣れていない方にはおすすめするのを躊躇するところでもあるが。逆に、現代音楽をふつうに聴かれる方には、ほお、こんなアプローチがあったのかと思われること請け合いである。演奏もアルディッティQ であるから、安心して聴けるし。ただこれ、音量をどうするかは自分は迷った。なかなか決めにくい。
String Quartets

String Quartets

 
安倍首相がトランプ米大統領ノーベル平和賞に推挙したというが、虫唾が走るし反吐が出る。おべっか使いもいい加減にしろと言いたくなる。恥ずかしい。それともフェイクニュースなの?
野党はいつまでも「アベノミクス失敗」とか下らないことを言っていないで、きちんと勉強して、真剣に政権交代できるようにしろというのだ。与党も野党も官僚も国民(わたしも含む)も絶望的である。

橋本治『いつまでも若いと思うなよ』

曇。
ものすごく汚らしい夢を見る。びっくり。でも、必ずしも悪いことではないのかも知れない。まずそういうものが自分の中にあるとわからなければ、どうしようもないではないか。

NML で音楽を聴く。■バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第一番 BWV1001、同パルティータ第一番 BWV1002 で、バロック・ヴァイオリンはジョン・ホロウェイ(NML)。美しくて力強く、聴き応えのある演奏だ。速いところはかなり速く、フレッシュな感じも受けるのでてっきり若い人の演奏かと思っていたら、じつは現在 70歳のヴァイオリニストでした。これはよいものなので残りを聴くのが楽しみ。

Sonatas & Partitas for Violin Solo

Sonatas & Partitas for Violin Solo

ベートーヴェン弦楽四重奏曲第五番 op.18-5 で、演奏はクァルテット・エクセルシオNMLCD)。■フォーレのヴァイオリン・ソナタ第一番 op.13 で、ヴァイオリンはアンドレス・カルデネス、ピアノはエリザベス・プリジェン(NMLMP3 DL)。この曲がこんなにすばらしい曲だとは迂闊だった。演奏も名演という他あるまい。ショーソンもすばらしかったが、とにかく驚きの一枚。■メシアンの「鳥のカタログ」 ~ No.4 Le Traquet Stapazin で、ピアノはチーロ・ロンゴバルディ(NMLCD)。

寒い。
昼から図書館。橋本治のエッセイ集や、音楽の本を借りてくる。ここの音楽の本はわりと充実していて、まだ読んでみたい本がいくらか棚にある。吉田秀和全集もあって、これは廃止された市内の女子商業高校の蔵書だったものらしい。ふーんと思う。吉田秀和全集を読む女子高生かあ。なかなかいいですね。ってステロタイプかな。
スーパー。

借りてきた橋本治の新書本(2015年刊行)を読んでいたのだが、最初は軽い気持ちでさらりと読み切ろうみたいなつもりだったのに、実際はあんまりしんどくなって休憩せざるを得なくなった。話がすさまじすぎるのである。バブル経済崩壊時に、「バブルなど崩壊していると言う自分が正しい」ことを証明するために高額マンションをつかまされてやって、返済が月100万円以上のローン地獄に陥る。で、「やっぱりオレが正しかった」といってオレスゲーって言っているのだが、わたしのような凡人には強がりでないというのが信じられずに読んでいてつらい。その上借金を返すためにとんでもないオーバーワークを続けた挙句、(それが原因かはわからないというが)数万人にひとりという難病を発症して入院。それもまた「こんな難病なんてオレスゲー」なのであるが、これまたわたしのような凡人には強がりでないことが信じられず、読んでいてますますつらい。というところで中断。しんどくて、読んでいるだけで病気になりそうなくらいである。なんというか、凡人にはまったく理解不能な境地だ。ああ、続きを読むのがちょっとためらわれる。


新書本を読みついでに片山杜秀さんの『国の死に方』といういかにもキワモノくさい題名の新書を発見したので、アマゾンで 1円だったら買うかな(こういうのはちょっと失礼なのだろうか)と思って見てみた。あー、1円あるあると思ってポチリとしようと見たら、何冊かある 1円本の送料がすべて 1500円なのである。出品者は「SB東京」という名前であるが、なるほど、こういうことをやっている奴らがいるのだなと呆れた。さても、いろんな人がいるな。

わたしなら『国の死に方』じゃなくて、『国民の死に方』にするだろうな。というのは冗談。

図書館から借りてきた、橋本治『いつまでも若いと思うなよ』読了。結局残りは斜め読みした。それでも「闘病記」の部分はつらい。それに、退院して歩く力がなくなり、バスに乗らざるを得ないのだが、「老いを認めたくないから乗りたくない」というのはかなわなかった。本書の前半では、「オレは齢をとんなきゃいけないと思ってきた」みたいな話が連発されるのに。で、最後は子供の頃飼っていた猫が死ぬ話。なお、本書の題名は某氏の大ベストセラー『いつまでもデブと思うなよ』の「本歌取り」である。どうでもいいけれど。

いつまでも若いと思うなよ (新潮新書)

いつまでも若いと思うなよ (新潮新書)

こともなし

曇。

大垣。

www.huffingtonpost.jp僕はこの決定に反対です。著作権の侵害はよくないことですが、いくらなんでもこれはやりすぎ。著作権保護にはまた別の方法があると思います。僕はむやみにインターネット上において国家権力の伸長を許すべきではないという立場です。インターネットこそが現実である現在、インターネットにおける国家権力は慎重に扱われねばなりません。このままだと、警察による「逮捕の濫用」、いわゆる警察の「やりすぎ」がこれまで以上に容易になります。自分はそれはよくないと考えます。


NML で音楽を聴く。■ベートーヴェン弦楽四重奏曲第三番 op.18-3 で、演奏はクァルテット・エクセルシオNMLCD)。
 
obelisk2.hatenablog.comたまたま過去記事を見たら、初めて『たのしいRuby』を読んだ記録が出てきてなつかしかった。そうそう、最初は Perl から始めたのだよね。もう Ruby を使い始めてから丸四年以上経ったのだな。Ruby は大好きになって、いまでは Ruby でプログラミングをしたいからそのためにわざわざ題材を探すまでになった。また、初級者にしてはそこそこ書けるようにはなってきたと思う。Ruby 好きすぎるのだけれど、他の言語も少しづつやっていきたい。いろんな言語を使うと、いろんなコードの書き方ができるようになるので。いまは競プロ(競技プログラミング)をやって(参照)、本でいろいろ覚えたアルゴリズムを実地に使ってみるのが楽しい。


珈琲工房ひぐち北一色店。青柳いづみこさんの日記本を読み継ぐ。文筆家としてブレイクされる以前から文章を書きたくて仕方がなかったという話が本書に出てくるが、そりゃこれだけうまい文章を書く力があるのなら、書きたくなって当然ですよ。本書収録の日記でも、その頃は既に大変多忙なのに、自分のウェブサイトでこんな長い日記を書いておられるくらいだし。おもしろくてどんどん読んでしまう。クラシックのピアニストが、初めてジャズの演奏会に行く話など、なるほどと自分にもよくわかる気がした。ジャズは即興だといっても慣れてくると結局はパターンだとか、楽器(特にピアノ)の弾き方がクラシックほど突き詰められておらず、つまりは楽器の能力が充分に引き出されていないのが気になるとか、わたしもついそうそうと思ってしまうことが書いてある。はっきりいってかなり辛口だけれど、サプライズで日本人トップクラスのジャズプレイヤーが飛び入りしてくると、やはりすごいもんだとか。ジャズはクラシックとはリズムの作り方がだいぶちがうことが、クラシック音楽家の観点から書いてあっておもしろい。もちろん、それでジャズがクラシックに劣るとか、そういう話にはまったくなっていません。ところで、本書にもあるとおり、クラシックでも昔はかなり即興だったのだよね。モーツァルトは自分の曲を一度たりとも同じように弾いたことはなかったというのが自慢だったし。ショパンは即興で弾きながら楽譜に定着させたのであって、いまでは誰でも同じように弾くのだけれどいかにも即興っぽい部分がたくさんある。ベートーヴェンすら、そういうところが皆無ではない。実際、ベートーヴェンの同時代人で、ベートーヴェンは即興演奏の方がすごかったという人もいたくらい。だから、即興演奏はジャズに限ったものではないのだよね。というくらいは誰でも知っているか。

ショーソンのヴァイオリン、ピアノと弦楽四重奏のための協奏曲 op.21 で、ヴァイオリンはアンドレス・カルデネス、ピアノはエリザベス・プリジェン、ヴェガ四重奏団(NML)。「協奏曲」とあるが、実際は室内楽である。ピアノ六重奏曲とでもいうか。それほど録音が多い曲ではないけれど、極美の名曲であり、そもそもショーソンという人は真のマイナーだった。正直言って自分はショーソンの射程をもっていない。ショーソンはじつに独特の幸福感をもった曲を作った人であり、早世が惜しまれる人でもある。これまた演奏がすばらしく、とろけるような名演といってよいだろう。マイナーレーベルからの驚きのプレゼントである。フランスものがお好きな人にはおすすめできる。

Music of Chausson & Fauré

Music of Chausson & Fauré

 

obelisk.hatenablog.comこの問題が本質的に「最短ハミルトン路」問題ということに気づいたのはよかったが、これはノードの数が多い場合には厳密解を求めることは困難なのだった…。近似解を出すのもむずかしい。いろいろ挑戦してみたがむずかしかった。

ゴーリキー『二十六人の男と一人の女』

晴。

老母の帰りが遅くなったので、昼食は昨日の鍋料理の残りで雑炊を作る。チーズを上にぱらぱら。ちょっと焦がした(笑)。

ちょっと意外だったが、魚雷さんも橋本治をバイブルのように(?)読み込んできた人なのだな。僕は橋本さんって読まれているのかなと思っていたが、亡くなってみるとブログでもふつうの人(というのもヘンだが)が様々な発言をしていて、ひっそりとではあったかも知れないがやはり広く深く読まれていたのだなとわかった。僕などはむしろ読んでいない方であろう。でも、魚雷さんが書いている『'89』は僕も同時代的に読んだし、いまも文庫本が隣の部屋の本棚に置かれている。僕は魚雷さんとほぼ同い年なので、『貧乏は正しい!』の我々の精神への浸透力もわかるつもりだ。あれこれ思うと、確かに早死ではあったが、巨大かつ零細(?)な仕事をやり遂げた、充実した巨匠であったことはまぎれもない。そして、まだまだ本格的に読まれているとはいえないことも明白だろう。


ミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。ほわっとシュー シュガー+ブレンドコーヒー388円。気分的に現代のさかしらな書物を読む気が起きないので、古典新訳文庫新刊のゴーリキー短篇集を開いたのだが、じつにおもしろくて一気に半分くらい読んでしまった。ゴーリキーってそれほど読んだことはないが、本書で読んだところの短編はすべてロシアの下層民やアウトローを題材に採っている。それはおそらく著者は意図的にやっているので、いま先入観をあまりもたずに読んでみると、そのことが小説に迫力を与えているのはまちがいない。それに、どれも「お話」としても読ませるのだよなあ。あんまり「プロレタリア文学」ということを意識しないでも充分おもしろい。ゴーリキーがこれらを想像で書いたのかどうかは知らないが、いわゆるリアリズム小説で、迫真性を感じさせるのは確かである。続けて読む。


NML で音楽を聴く。■ハイドンのピアノ・ソナタ第五十三番 Hob.XVI:34 で、ピアノはヴィルヘルム・バックハウスNMLCD)。■リストのピアノ・ソナタ ロ短調で、ピアノは佐藤彦大(ひろお)(NML)。佐藤というピアニストはよく知らないが、2016年に「マリア・カナルス・バルセロナ国際コンクール」で優勝するなど、若手の成長株ということなのだろうか(無知)。この演奏を聴くと、リストのマッシヴな迫力の表出は大したもので、聴き応えがある。しかし、じっくり聴かせる部分はじつに弱い。それからこれは録音だからよくはわからないが、これを聴く限り、音そのものに魅力が乏しい。これは迫力ある部分でもそうで、ちょっと荒く感じられる。ただ、まあ一応聴き通すことはできたので、それなりの魅力はあるのかも知れない。まだまだ研鑽が必要なのではないか、少なくともこれを聴く限りでは。

佐藤彦大 3大ピアノ・ソナタを弾く

佐藤彦大 3大ピアノ・ソナタを弾く

 
ゴーリキー『二十六人の男と一人の女』読了。中村唯史訳。最後に収録されている「女」という短篇が特によかった。感傷的なわたしに合っているし、これはちょっとハードボイルドじゃあないかとも思う。何とも主人公にカッコよさを感じるのだ。あとは上に既に書いたとおり。ゴーリキーは自分の好みのタイプの作家だと思う。そこにはある種の真実があり、繊細でいて同時に力強い。訳者解説によればゴーリキーの弱点として、構成的な弱さ、過度の哲学的饒舌、目立ちすぎる傾向性が挙げられるという。また訳者はそれに加えて過度の感傷性も欠点に挙げている。なるほどとは思うが、たぶんわたしはそういうことを大した欠点と思っていないのかも知れない。なお、訳者解説はとても参考になった。よい文庫本だと思う。
二十六人の男と一人の女 (光文社古典新訳文庫)

二十六人の男と一人の女 (光文社古典新訳文庫)