長谷川四郎『ボートの三人』

晴。
ひどくぶっ壊れていた。その時に応じて適切にどうしたらよいのかわかるとよいが、それはなかなかにむずかしい。

大垣。
ミスタードーナツ大垣ショップ。ポン・デ・黒糖+ブレンドコーヒー278円。何だかすごく混雑していた。ミスド復活?
図書館から借りてきた、長谷川四郎『ボートの三人』読了。前にも書いたとおり、わけのわからない小説だったが、おもしろかった。わけがわからないことは同じなのだが、終わりから三分の一くらいのところで雰囲気が変わるね。というか、時代が変わるというか。戦後直後の雰囲気から、経済の時代に変わろうという感じだ。さてしかし、寓意なのか何なのか、わたしには著者の意図はわからない。わかるふりもするまい。でも、おもしろいですよ。へんな歌があちこちに入っているのも妙だ。何なのだろうね、これは。

 
夕方、散歩。「燃えよドラゴンズ!」を口の中でもぐもぐさせながら歩く。
20190420172351
20190420172336

ジャン・グルニエ『孤島』

晴。

NML で音楽を聴く。■バッハのブランデンブルク協奏曲第一番 BWV1046 で、指揮はフィリップ・レッジャー、イギリス室内管弦楽団NML)。

 
サブ機の Ubuntu 18.10 を 19.04 にアップグレード。でも、新しいカーネル(5.0.0)がインストールできなかったので、古いの(4.18.0)をそのままにしている。
20190419104832
 
夕方、カルコス。「すばる」の源一郎さんと斎藤美奈子さんとの対談を少し読む。「平成の文学まとめ」みたいな企画。源一郎さんにも斎藤さんにも全然共感できない。自分は、あの人たちよりも壊れているし、絶望しているし、硬直化していることがわかった。だから、自分がいけないのではある。


ジャン・グルニエ『孤島』読了。井上究一郎訳。本書を読了してもグルニエ氏にはわたしは興味はないが、訳者の井上究一郎氏には多少の興味がある。わたしは『失われた時を求めて』は古い井上訳で読んだのだった。学生のとき、文庫本で月に一冊づつ出るのを楽しみにして、買うとベッドに潜り込んで読んだのがなつかしい。香り高い訳文だった。もっともわたしにはプルーストはじつはどうでもよいので、自分のプルースト体験がただなつかしく思われるのみである。どうでもよいおっさんの繰り言だ。

孤島 (ちくま学芸文庫)

孤島 (ちくま学芸文庫)

 
エリアーデを読む。

こともなし

晴。

NML で音楽を聴く。■バッハのヴァイオリン・ソナタ第四番 BWV1017 で、ヴァイオリンはルノー・カピュソン、ピアノはダヴィド・フレイNMLCD)。■モーツァルト弦楽四重奏曲第二十三番 K.590 で、演奏はアレクサンダー弦楽四重奏団NMLCD)。

米屋。肉屋。
モスバーガーのドライブスルーにて昼食。

心がきたなくて顔が悪い。ひどい顔をしているよ。

昼から県営プール。車外は 20℃を超えていた。


まあ無職の自分などが考えても仕方ないといえばそうなのだが、何か日本の労働組合ってわけがわからないな、何で社畜になっているの的疑問が湧いてきて、濱口先生のブログとかを読んでいると自分のメッキもそろそろ剥げてきたなという感想(?)が浮かんでくる今日このごろである。しようがない、労働法、労働問題あたりをバカなりにとぼとぼとお勉強しようかしらと思っている。自分がそんなことをしても意味はないけれどな。日暮れて道遠し。

夕食後、二時間ほど寝る。

■バッハの平均律クラヴィーア曲集第二巻 ~ 第十九番 BWV888 - 第二十四番 BWV893 で、ピアノは園田高弘NMLCD)。たまたま検索してみたら浅田さんが園田高弘に少しだけ言及している文章を見つけた(参照)。「REALKYOTO」の浅田さんの他の文章にも少し目を通してみた。浅田さんはちっとも変っていないし、一方で時代は大きく変ったなと思う。また、かつて浅田さんをよく読んでいた自分が変ったことも否めない。もはや浅田さんはわたしにはしんどい感じがする。しかし日本政府はこの人をキャプチャして、こき使うべき(?)ですよ。こういう人を真のエリートと呼ぶべきなのである。■ベートーヴェン弦楽四重奏曲ヘ長調 Hess 34 で、演奏はカザルス四重奏団(NMLCD)。これはピアノ・ソナタ第九番の編曲版で、編曲はベートーヴェン自身の手になるようである。元がピアノ・ソナタだといっても、編曲されたものに違和感はない。しかし、これ小さな軽い曲なのに、どうしてベートーヴェンは編曲したのかな。まあ気に入っていたから編曲したのだろうけれど。■リヒャルト・シュトラウスのヴァイオリン・ソナタ op.18 で、ヴァイオリンはフランツィスカ・ピーチ、ピアノはホス・デ・ソラウン(NML)。なかなかよい感じ。

Sonaten Fuer Violine &

Sonaten Fuer Violine &

シューマンの幻想曲 op.17 で、ピアノはマルク・ポントゥス(NML)。これはものすごく恣意的な演奏で、めちゃくちゃに崩している。第二楽章と終楽章が何故かアタッカで繋げて演奏されているし。人によっては一分聴いたくらいで聴き止めるかも知れない。しかし、といっておくが、自分にはこれまためちゃくちゃにおもしろかった。感動すらしたくらいである。これをもう一度聴いて、同じ感想が出てくるとは限らないかも知れないが。
Digital Booklet: R. Schumann: Fantasie, Op. 17, Kreisleriana, Op. 16 & Kinderszenen, Op. 15

Digital Booklet: R. Schumann: Fantasie, Op. 17, Kreisleriana, Op. 16 & Kinderszenen, Op. 15

片山杜秀『鬼子の歌 偏愛音楽的日本近現代史』 / アンリ・ピレンヌ『中世都市』

深夜起床。

図書館から借りてきた、片山杜秀『鬼子の歌 偏愛音楽的日本近現代史』読了。ああ、やっと読み終えた。あとがきを読んでみると、本書にまとめられた文章は最初わりと気軽な連載のつもりで書き始められたそうである。そしたら、最初の三善晃がちっとも終わらない。ちょっと読み返してみると、アニメ「赤毛のアン」の音楽の話が延々と続くので、そこで三善晃的「すし詰め」のコンセプトがようやく出てくるのである。結局、三善晃だけで本書のほぼ 100ページを使うことになってしまった。同様の感じで、本書は大著になってしまいました。しかし、ここまで書いても片山さんはまだ語り足りないのではないかという気がする。全十四章に芥川也寸志柴田南雄も入っていないし、それにそもそも武満徹が入っていないではないか。まあ、武満徹はそのうち書かれそうであるが。
 本書の感想はこれまでいろいろ書いてきたので特に新しく書くことはありません。まとめておけば、片山さんはめちゃめちゃ理屈っぽい。ここまで理屈で音楽を聴いているとは、わたしには驚きである。なので、実際の片山さんの説明が、自分にはじつはよくわからないし、疲れる。疲れるのはわたしの器が小さいせいでもあるが。それから、理屈の説明が過剰で、どんどん言葉が溢れてくる。まだ書き足りないのではというのは、そういうところから感じる。で、その過剰が、わたしにはつい笑えてしまうことも既に書きました。怒られるかも知れないのだが、片山さんは本当にマジメに書いているのだろうか、巫山戯ているのではないかという疑惑が否定できない。いまだに、本書を読んでいて笑ってよかったのか、疑問であります。
 いずれにせよ、たいへん読み応えのある大著ができあがってしまったものだ。片山さん以外、誰も書けない本であることは確実でしょう。そして、わたしには既に片山さんが「権威」として認識されている。もはやひれ伏すばかりであります。武満徹吉田秀和についてもお願いしますのです。

鬼子の歌 偏愛音楽的日本近現代史

鬼子の歌 偏愛音楽的日本近現代史

しかし、本書の章題になっている全部で十四曲だが、これらわたしはたぶん一曲も聴いたことがないぞ。まあ、そこまででなくとも、本書を読む人の少なからずが似たようなものなのではないかと思われる。わたしは極ふつうのクラシック音楽好きだと思われるので、日本人作曲家というのがさほどにマイナーであることが知れる。日本人の作曲したクラシック音楽は、同様の小説や絵画とは比べものにならないくらい聴かれていなくて、だから本書の「鬼子」という言葉が出てくるということになっているのだ。


NML で音楽を聴く。■バッハのヴァイオリン・ソナタ第三番 BWV1016 で、ヴァイオリンはルノー・カピュソン、ピアノはダヴィド・フレイNMLCD)。■モーツァルト弦楽四重奏曲第二十二番 K.589 で、演奏はアレクサンダー弦楽四重奏団NMLCD)。■ショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲第七番 op.108 で、演奏はカルドゥッチ弦楽四重奏団NMLCD)。何かちょっともの足りない演奏。満足できない。こちらがいけないのかも知れない。■ルクーのヴァイオリン・ソナタ ト長調で、ヴァイオリンはブルノ・モンテイロ、ピアノはジョアン・パウロ・サントス(NML)。ルクーって 24歳で亡くなっているのか。これ、既に立派な曲だが。

Music for Violin, Cello a

Music for Violin, Cello a

■ベント・セアンセンの「さびれた教会の庭」、「葬送」で、演奏はチカーダ・アンサンブル(NMLCD)。■黛敏郎(1929-1997)で、「フォノロジー・サンフォニック —交響的韻律学—」、「バッカナール(饗宴)」で、指揮は福村芳一、香港フィルハーモニー管弦楽団NML)。
黛敏郎:作品集(日本語解説付)

黛敏郎:作品集(日本語解説付)

 
曇。
午前中、散髪。すっきりした。歩いて帰ってきたとき、川に鵜がいた。いろいろいるなあ。

雨。
ミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。もっちりフルーツスティック シナモン+ブレンドコーヒー。長谷川四郎の『ボートの三人』という小説を読む。題だけ見るとイギリスのあるユーモア小説を思い出すが、この小説はまったくわけがわからない。しかし、わたしはこういうわけのわからない小説はかなり好きである。わけがわからないというだけではもちろんおもしろくないわけで、何かの魅力があるのだが、それはわかるふりをしないことにしよう。ただ、戦後ということが意識されているのはまちがいなく、その光景が「シュール」だということだ。残りを読むのが楽しみである。

アンリ・ピレンヌ『中世都市』読了。佐々木克巳訳。非常におもしろい本だった。1920年代に書かれた古い本であるが、そして翻訳もかなり前のものであるが、卓越した歴史書であることは素人の目にも明白である。わたしはアナール学派のことはよく知らないが、本書の地中海(とイスラーム世界)を重要視する観点は、アナール学派にも通じるものなのであろうか。本書の訳者あとがき、また文庫解説でも本書が現代においてどこまで学説として通用するのかという点はよくわからない。いずれにせよ名著と讃えられている。なお、訳者あとがきは立派なもので、いろいろ教えられるし、訳者の力量もまたよくわかる。文庫に付加された現代の解説は、もちろん教えられるところはあるけれども、しかしさほど大したものとは思えない(何様)。それは解説者に力がないというよりは、もはや学問に「文章」というものが必要なくなっていることを示すのであろう。ホント何様ですね。

中世都市 社会経済史的試論 (講談社学術文庫)

中世都市 社会経済史的試論 (講談社学術文庫)

こともなし

晴。
昨晩は篠田一士を読んで寝た。

NML で音楽を聴く。■バッハの平均律クラヴィーア曲集第二巻 ~ 第十三番 BWV882 - 第十八番 BWV887 で、ピアノは園田高弘NMLCD)。■ベートーヴェン弦楽四重奏曲第十番 op.74 で、演奏はカザルス四重奏団(NMLCD)。この曲は終楽章とかいまひとつよくわかっていないのだよなあ。■フランクの「前奏曲、アリアと終曲」で、ピアノはミシェル・ダルベルトNMLCD)。フランクの限界点を得るのは容易ではなさそうだな。ダルベルトはなかなかやる。

昼過ぎ、散歩してきた。
20190416163623
20190416163647
20190416163612
20190416163234
いまいちばんよい季節だな。至るところで鳥たちが囀っている。つばめたちも飛び交っていて、またつばめの水浴びを見た。これはなかなか爽快な見ものである。

早寝。

フリードリヒ・ニーチェ『偶像の黄昏』

晴。
早起きしたのだけれどずっとうだうだしていた。本も読んでいないな。ゆっくり回復中。

何もしたくないのでアルゴリズム本を眺めていて、そのうち「赤黒木」を Ruby で実装してみようかなと思う。「二分探索木」は Ruby で実装してみて、勉強になったので。赤黒木は二分探索木を改良したものだと見做すことができて、Wikipedia によると広く実用されているらしい。Linux カーネルのスケジューリングなどでも使われているそうである。ただ、二分探索木でも初心者には結構むずかしいのに、赤黒木はさらに実装が大変だ。でも、ぐぐってみたら Ruby での実装例も見つけたので、それを参考にしたりすればできるのではないか。学校の情報処理の授業で C言語で実装させられたという話も見て、なるほど基本的なアルゴリズムなのだなと思う。

アルゴリズムイントロダクション 第3版 第1巻: 基礎・ソート・データ構造・数学 (世界標準MIT教科書)

アルゴリズムイントロダクション 第3版 第1巻: 基礎・ソート・データ構造・数学 (世界標準MIT教科書)

アルゴリズムを自分なりに実装しておくのはなかなか大事で、ダイクストラ法などは Aizu Online Judge をやるときとか自分の実装をコピペして手を入れたものを重宝する。「深さ優先探索」や「幅優先探索」は超基本で、これが自由に使えないではどうしようもない。逆に、こういう基本的なアルゴリズムが書けるようになると、素人でもなかなか楽しいです。


昼過ぎ、ミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。フレンチクルーラーブレンドコーヒー378円。『鬼子の歌』の続き。大木正夫、信時潔、戸田邦雄の章を読む。本書もあと少しになったな。信時潔って誰かと思ったら、「海ゆかば」の作曲家か。僕は「海ゆかば」って典型的な軍国音楽ということ以外、よく知らないのだな。片山さんはさすがに「戦争協力者」ということで直ちに否定したりはしない。大木正夫もそうらしいしね。しかし、自分に教養というか、知識がなさすぎて困る。射程の大きな文体と圧倒的な知識で、どうも読むのは大変。疲れてあんまり笑っているわけにもいかない。これについていける人がどれくらいいるのだろう。

帰り、カルコスに寄る。ちくま学芸文庫の新刊はもうとっくに出ている筈だが、一冊もない。誰かが買ったのか、ちょっと遅れているのか、それとももう入らなくなってしまったのか。講談社学術文庫の新刊は既に入らなくなっている。岩波文庫の新刊もないので、これも入らなくなったのか。夕方のせいか、お客さんが少ししかいないし。このところ、いつもそうだな。いろんな新刊を見ていると、もう硬い本はふつうの本屋ではダメなんだなとつくづく思う。カルコスは頑張ってはいる、というかこれまで何とか頑張っていたのだけれど。まあ仕方がないのかも知れない。

ニーチェの新訳を読む。自分はこれまでニーチェは我々日本人には無意味だと思っていたけれど、今回読んでみていまさらアクチュアリティが出ていることに気づいて驚いた。これも、我々日本人の徹底した「西洋化」による。いや、そう言っていいのか。「和魂洋才」という言葉があるが、明治の開国以降これまで、我々は多かれ少なかれ誰もがこの「和魂洋才」でやっていたというのが実情だと思う。しかしその「和魂」の部分は、時代が経つに次第に消滅していき、ある程度のところで閾値を超えたとわたしは思っている。それをもたらしたのが、これも漸次的な「西洋化」だ。わたしは思うが、いまツイッターなどで活躍している(わたしより若い)知識人たちには、ニーチェの言説が(すべてではないが)驚くほど当て嵌まるところがあるのだ。
 ただ、ならば我々のナニは、「洋魂」になったのか。そうだとばかりもいえない。結局、我々の「合理主義」には「神」が欠けているからだ。論証にはその根拠として「第一原因」が必要であるが、西洋はそれを長らく「神」でやってきたし、いまはその代わりにナニカを「神」とすり替えている。そこは面倒な話だから、ここで簡単に書くことはできない。とにかく我々も論証主義でいくと、何らかの第一原因が必要になる。いまのところそれはまだ若い知識人たちの中でモヤモヤしていて、とりあえず「科学的合理主義」というところでいわば「ゴマカシテ」いるが、次第にそれでは済まなくなるだろう。そのあとに、いったい何が来るのか。正直言って、自分はそれはあまり考えたくはないところである。おそらく、わたしのような時代遅れの人間は、静かに消えていくのがいちばんよいのかも知れない。まあ、自分の中だけで納得していればよい気がする。

フリードリヒ・ニーチェ『偶像の黄昏』読了。村井則夫訳。しかしニーチェか。自分がそうだからよくわかるが、ニーチェはいわば「引きこもり」であり、人生経験に乏しく、本ばかり読んで奇怪な観念で頭をいっぱいにしていた「中二病」者であったのは否めない。また「快活」や「健康」を至上の価値としていながら、「精神の崩壊」以前も始終精神の病的な状態に苦しみ続けた「弱者」であった。その意味で、彼が罵倒するカントなどはじつはまさに快活な社交家であり、(世俗的なものも含めた)世の中の様々な事象に通じていた、「真の哲学者」にふさわしい人間だったといってよいだろう。わたしなどがいうのも何であるが、ニーチェには幼稚くさい、バカバカしいところがありすぎるのである。けれども、それだけならやはり、ニーチェは後世に残ることはなかった。ニーチェの「病的なまでの繊細さ」には、驚くべき掘削力があることも確かである。もっともわたしには、それが「病」のせいなのか、それとも「病」にもかかわらずなのかは、ちょっとわかりかねるが。まあ、自分にニーチェのすべてが見極められるとか、そんなことはわたしはまったく思っていないけれどね。なお、本書の訳者解説は、ニーチェが読んだら罵倒するか、皮肉をかますか、そんな「学者」らしい穏健なものである。わたしは、訳者のそれがいけないことだとはちっとも思わないが。それがニーチェなのだ。

偶像の黄昏 (河出文庫)

偶像の黄昏 (河出文庫)

ちなみに、日本ではニーチェは大哲学者として疑問をもたれることなくこれまで受容されてきたが、おそらく西洋ではまったくの異端であると見做されている筈である。少なくとも、誰もが尊敬をもって語る哲学者などではないことは、わたしはじつのところは知らないけれども、そうであると予想している。ま、西洋でも真剣にニーチェを読み解いている者などは、そう多くはいないのではないか。

こともなし

日曜日。曇。

NML で音楽を聴く。■バッハのヴァイオリン・ソナタ第五番 BWV1018 で、ヴァイオリンはルノー・カピュソン、ピアノはダヴィド・フレイNML)。いまや古楽器ではなくモダン・ヴァイオリンとピアノによるこの曲集の演奏はめずらしいが、もちろんバッハはこれも許容する。無伴奏ヴァイオリンのための曲集に比べてこちらは意外とディスクが少ないので、これはうれしい。当然ながらよい曲ばかりですよ。しかしこのディスクは曲集の全曲ではないのだな。惜しい。

Sonaten Fuer Violine &

Sonaten Fuer Violine &

シューベルトのヴァイオリン・ソナタ ト短調 D408 で、ヴァイオリンはヘンリク・シェリング、ピアノはイングリット・ヘブラーNMLCD)。

雨。
いろいろしようもないことをする。いまだ調子はよくないけれど多少改善か。
 
20190414203805
けものフレンズ」第10話を観る。

アンリ・ピレンヌを読む。
早寝。