久しぶりによく晴れた。
 

バッハのシンフォニア全曲 BWV787-801 で、ピアノはアナトリー・ヴェデルニコフ。ゴツゴツしたヴェデルニコフのバッハ。すばらしい。


ベートーヴェンのチェロ・ソナタ第三番 op.69 で、チェロはポール・トルトゥリエ、ピアノはエリック・ハイドシェック。名手たちの共演。こんな見事な演奏はめったに聴けるものではない。名演というべきであろう。


シューマンの「森の情景」op.82 で、ピアノはスヴャトスラフ・リヒテルリヒテルはこの曲は全曲を弾いているのだな。いわゆる「性格的小品集」では、リヒテルは全曲を弾かないことが少なくないので。それにしても、この巨大なピアニストが、こういうつまらんというか(いや、自分は大好きなのですよ)、ちっぽけな曲も好んで演奏するところがおもしろい。これがまたじつにシンプルで、味わい深い演奏なのだよね。底知れぬ人であるな、リヒテルという人は。

津村記久子『ポトスライムの船』

曇。
なかなかおもしろい夢を見る。それでつい寝坊。

それにしても派手にぶっ壊れたな。夕方になって何とか元気が出てくる。

図書館から借りてきた、津村記久子『ポトスライムの船』読了。僕がこの人にいちばん感心するのは、その文章である。淡々としているのに、こちらの気持ちを逆なでして、イライラした気分にさせられるくらいだ。こういう凶悪な文章を書く人は、なかなかいないのであるまいか。本書では、表題作よりも、「十二月の窓辺」の方がその文章の力を発揮しているように思える。それにしても、いまの女性たちは多かれ少なかれこんな感じで仕事をしているのだろうか。パワハラの極致なのに、自虐的になって会社を辞めることもできない。僕はよんどころない事情で人生をドロップアウトしてしまったので、社会人というのがどういうものなのか実体験するところがなかったが、どうも想像を絶する世界である。こんな目にあってまで既成ルートから下りられないというのは、大変なものであるな。とまあ、人間のクズが言っても説得力がなくて、ふつうの人生を送るのは大変ですねくらいしかいえない。最後、何とか主人公が辞められて個人的にはよかった(?)が、これって彼女は負け犬ということなのだろうか。
 表題作は芥川賞受賞作である。「十二月の窓辺」の後のエピソードだと勝手に思うことも可能だろう。主人公は前の会社を大変な「モラルハラスメント」の上に辞めて、いまでは奈良でバイトの掛け持ちをして生活している、微妙な年頃の女性である。事情が事情なだけに、ちょっと気持ちの平衡を欠きがちというか、まあはっきりいうとちょっと心を病んでいる感じだ。大学時代の友達は色いろで、バカっぽいのに結婚して幸せっぽく、それなのに(それだから?)うざそうな女(ヒドいね)とか、仕事ができたっぽいのに夫に辞めさせられ、さらにはその夫が選択ミスで離婚になりそうな女性とか、とにかく平穏でない。しかし、皆んなそんなに人生に疲れているの? まだ20代の女性でしょう、40代後半の KKNO とかに比べたらそれだけでよほど勝ち組だと思うのだが。何だかどうなっているのか、すてきな男性をゲットするという希望も捨ててしまっているのか(って自分は KKNO ですけれどね)。ただ本作は「十二月の窓辺」に比べたらまだポジティブな感じもして、そこらあたりが芥川賞なのかなとも思った。まあ人生など生まれて苦しんで死ぬだけだが、何のいいこともない一生というのもまずないですよ。仕事に疲れて自殺したって、いじめた奴らはピンピンしていてつまらないですよ。はっきりいうが、ドロップアウトする方がマシなのじゃねーかと、日本の諸問題の諸悪の根源であるとされるダメなおっさんは思いますですよ。

ポトスライムの舟

ポトスライムの舟

こともなし

曇。
 

バッハのイギリス組曲第六番 BWV811 で、ピアノはアナトリー・ヴェデルニコフ。見事なバッハだな。やはりヴェデルニコフ、只者でない。しかし視聴回数がわずか 300回あまりって、どうなっているのか。皆んなヴェデルニコフわかんないの?
 

ブリテンのヴァイオリン協奏曲 op.15 で、ヴァイオリンはジャニーヌ・ヤンセン、指揮はパーヴォ・ヤルヴィ。これは発見だった。僕はブリテンってあんまり知らないのだけれど、この演奏を聴いてびっくり。一見大したことないと思われるかも知れないが、僕にむずかしい音楽だなあ。来歴がよくわからないのだよね。で、スケールはじつはとても大きい。聴いているとシベリウスが聴きたくなってくる感じではある。ブリテンは人気があるとはあまりいえないようだが、甘さがさほどないものなあ。でも、単純なシリアス一辺倒というわけでもない。何ともいいにくい、自分には不思議な音楽である。それから、たぶん今頃何を言っているかというところなのだろうが、ジャニーヌ・ヤンセンっていいヴァイオリニストですね。全然知らなかったのだが、これを聴いてその表現力の確かさにまいりました。相当のヴァイオリニストなのにちがいない。ヤルヴィも好サポートだよ。

PC 遊び。「最長片道切符」の算出にハマる。

黒川信重『ラマヌジャン探検』

日曜日。曇。
脳みそがリセットされてバカになったな。
 

モーツァルトのピアノ協奏曲第五番 K.175 で、ピアノはマルコム・フレイジャー、指揮はマルク・アンドレーエ。フレイジャーというピアニストはよく知らないが、早世されたのだな。
 

ベートーヴェン交響曲第四番 op.60 で、指揮はパーヴォ・ヤルヴィ
 

マーラー交響曲第一番で、指揮はクラウディオ・アバドマーラーのおもしろさとアバドの凄さを堪能した。アバドマーラーYou Tube にまだ他にも色いろ上っているみたいなので、出来れば聴きたい。それにしても、マーラーは簡単に聴けないので大変だ。どうしてこんなに長いの、って言っても仕方がないが、自分は 60分集中して聴くというのは殆ど限界にも感じる。マーラーの極めて複雑な音楽が頭にパンパンに詰まってしんどい。しかしアバドは(繰り返すが)凄いなあ。たいていの指揮者はマーラーは相当に(無理するくらいに)頑張らないといけないわけだが、アバドは自然体というか、構えることなしにマーラーの複雑な音楽を次々に音にしていく。この動画など、たぶん病気で既に痩せてしまっているが、終っても表情にはまだ余裕が感じられるくらいだ。巨大な射程をもった指揮者だったな。

昼過ぎから雨。

キム・カシュカシャン+ロバート・レヴィンの「アストゥリアーナ」を聴く。
SHADE さんに教えてもらったディスクで、スペインとアルゼンチンの作曲家の、歌曲をヴィオラで演奏した作品集である。取り上げられた作曲家は、ファリャ、グラナドス、グァスタビーノ、ヒナステラ、モンサルバーチェ、プチャルド。クラシックとポピュラー音楽を特に区別する必要はないかもしれないが、まあポピュラー音楽っぽい仕上がりになっているといえようか。特にこちたき感想はなくていいと思う。本当なら、夕食後にバーボンか黒糖焼酎でもロックで呑みながら聴いたりするのがいいかも知れない。大人っぽい、すてきなアルバムだ。一言書いておけば、優れた演奏者の弾くヴィオラは、弦楽器の中でいちばんあまやかな音を出すものなのである。なかなかよろしいものでした。

アストゥリアーナ ソングス・フロム・スペイン&アルゼンチーナ

アストゥリアーナ ソングス・フロム・スペイン&アルゼンチーナ

図書館から借りてきた、黒川信重ラマヌジャン探検』にざっと目を通す。一部を除いてさっぱりわからなかったが、別にわからなくてもいいのだ。著者の強調するところに拠れば、フェルマー予想の解決にラマヌジャン予想の解決が重要な役割を果たしたということである。そしてラマヌジャン予想は、リーマン予想に関連した幾つかの予想のひとつでもあるらしい。ラマヌジャンの数学は決して孤立したものではなく、現代数学の重要部分と大いに関係があるということ。へーという感じ。

前野ウルド浩太郎『バッタを倒しにアフリカへ』

晴。
よく寝た。昨晩寝る前に読んでいたのは南方熊楠。熊楠先生はいつも僕の遥か先を歩いておられるわけだが、1cm ずつくらいでもその距離が縮まっただろうかと思う。
 
シューベルトのピアノ・ソナタ第十四番 D784 で、ピアノはマウリツィオ・ポリーニ。何だか知らないがこの動画は埋め込みができないそうである。さて、わたくしはこの曲に取り憑かれているのだが、まさかポリーニの 70年代のライブ音源があるとは。これは聴かずにはおれない。ということであるが、結論的にいうと、やはりポリーニがスタジオ録音を残していないのは納得できる気がした。この曲は第一楽章に尽きるのであるが、その第一楽章のエートスを完璧には表現しきれていないと思う。あとほんのわずか、じつに惜しいというところ。ここはリヒテルに一籌を輸するであろう。しかし、その他の楽章は完璧。シューベルト特有のぶよぶよ肥え太ったところがまるでなく、引き締まって明晰な演奏が繰り広げられている。
 しかし思うのだが、計見一雄先生の仰るように本当にタナトスはないのだろうか。タナトスはなくてアグレッションだけがあると。事実としてはそうなのかも知れないけれど、何かシューベルトには当て嵌まらないようにも思われるのだが。シューベルトのある種の音楽は、感覚的にはとても「死」に近い気がする。そんな気がするだけ? まだまだ「死」がよくわかってない?


モーツァルト交響曲第二十九番 K.201 で、指揮はジョン・エリオット・ガーディナー。出だしが印象的な曲だよね。ガーディナーの音楽作りは新鮮。モーツァルトくらいだとこれみたいに古楽器オーケストラの方が合っているかも。作曲当時モーツァルトは 18歳くらいかな。曲そのものがフレッシュでぴちぴちしているよね。

昼から仕事。

前野ウルド浩太郎『バッタを倒しにアフリカへ』読了。人生観が変わるほど楽しい本だった。もう笑い転げて死にそう。題も表紙カバーも何かふざけているのでどういう本?と思われるかも知れないが、若きバッタ研究者の奮闘記である。著者の研究対象はサバクトビバッタで、一定の条件で爆発的に発生し、進路のすべてを食い尽くす。いわゆる「蝗害」を引き起こすバッタである。昆虫学者になるのを夢見た著者が、ポストドクになって、というのはつまり自力で研究者として就職先を探さねばならなくなり、モーリタニアでバッタの大発生を研究し防ごうということに人生を賭けるのだ。本書はその顛末記であり、猛烈におもしろい。読んでいるとまさしく飛んでもない逆境つづきなのであるが、まああとは読めばわかるので書かない。それにしても本書での著者は RPG の「勇者」のように、次々に襲ってくる試練(というしかない)を乗り越えて、どんどん経験値を上げていく。ストーリーも楽しいというか感動的というか、でも思うが、これは偶然じゃないよね。著者のポジティブさがそれを招くのだ。で、たぶん少なくない人がそうなのではないかと思うが、本書の某大学における面接の場面で、僕は思わず泣けましたよ。しかし面接官も、偉い人だな。こんな学者もいるのだなあと思うが、著者もそこでは泣きそうになっていた。人生は不思議だ。
 本書は終っても、まだ研究者としての著者は安定身分ではない。レヴェルアップしても、まだまだ冒険は続く筈だ。著者の奮闘が幸運をもたらしますよう祈りたい気分です。若い人って、こうじゃなくちゃな!

バッタを倒しにアフリカへ (光文社新書)

バッタを倒しにアフリカへ (光文社新書)

こともなし

曇。

昨日見つけておいた与えられた迷路の最短経路を求める問題を解く。何の準備もなくいきなりコーディングしたわりには上手くいった、とこれは自画自賛ですね。RubyOOPオブジェクト指向プログラミング)がじつに手軽に可能で楽しい。
 
「エイト・クイーン問題」も解いてやった。これは

チェスの盤上に、8個のクイーンを配置する。このとき、どの駒も他の駒に取られるような位置においてはいけない。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%83%B3

というもの。暇人なり。

こともなし

晴。
起きるとセミがミンミン鳴いている。いや、ミンミンじゃなくてジージーとかシャーシャーとかかな。


シューベルトのピアノ・ソナタ第十四番 D784 で、ピアノはスヴャトスラフ・リヒテル。1979年東京でのライブ録音。You Tube にはリヒテルの同年のロンドンにおけるライブ録音も上がっていて(参照)、基本的にちがいはない。東京版の方がちょっとさみしい感じになっているだろうか。前にも書いたけれど、この曲は第一楽章の第二主題に尽きている。そのためにこの曲を聴くのだ。


ブラームスクラリネット五重奏曲 op.115 で、クラリネットカール・ライスター。これは何ともすばらしい演奏。演奏が終ったあと、ライスターはちょっと感極まっていたのではないか。日本の聴衆もすばらしいね。こんなに曲の余韻を大切にした演奏会はめったにないだろう。しかしこの曲、モーツァルトの同編成の曲にくらべてそんなに落ちるだろうか。僕は密かに、こちらの方を愛して已まないのだが。僕の畏敬する吉田秀和さんは「かわいそうなブラームス!」と書いたのだけれど。


リゲティヴィオラソナタ(1991-94)。こういう曲を聴くとやはりリゲティは聴かざるを得ない。リゲティは中身がいっぱい詰っている。モダニズムなのだけれど、薄っぺらでないのだ。

昼から図書館。

市民公園を歩いていたら、飛行場から離陸した F-4 が高角度で上昇していった。F-4 は実戦部隊としては既に退役している筈だが、各務原の基地(航空自衛隊岐阜基地)は飛行開発実験団ということで、いまだに使われているらしい。こういうのは少年の頃の知識で、少年というのはどうして武器や兵器が好きなのだろうかと思う。ちょっと調べてみると現在航空自衛隊で現役で使われている戦闘機は F-15J で、いまだに僕が子供の頃とかわらない。報道ではステルス性能に優れた F-35A が配備されることになっているようだが、実際にはまだ運用されていないようだ。岐阜基地には高射群があり、パトリオットPAC-3 が実戦配備されている。
 各務原飛行場は現在も使われているものとしては日本でもっとも古い飛行場で、零戦の初飛行は確かここだった筈だ。そのため、太平洋戦争時に各務原は三度の空襲を受けている。いまも飛行場が市の中央を広く占めており、市の南北が分断されているのは沖縄とよく似ている。敗戦後はアメリカ軍が駐屯し、母の話だと「パンパン」と呼ばれる米兵相手の売春婦たちがいたそうだ。
 岐阜基地が存在するため、国庫からの補助金が市に落ちるので、各務原市の財政は余裕があるといわれる。市内の学校は轟音対策として二重窓になっており、早くから冷暖房の設備が導入されていた。
 先ほどもウチの上空あたりを戦闘機が北上していった。日本海上に実験などをおこなう空域が存在するので、そういうことになっているのである。

頑張って自力でマージソートを実装してみました。