Ruby/GTK+ で電卓

曇。
八時頃、寝ていたところを地震で起こされる。自分には二度あったように感じられ(震源から遠かったので、P波とS波の乖離が大きかったのだろう)、後のは結構大きく思われた(震度2〜3くらい)。下では掃除機をかける音がずっと聞こえていたので、母は気づいていないのだなと思って声をかけてテレビをつける。大阪で震度六弱とのこと。でも、しばらくテレビを見ていたのだが大したことはなさそうな感じだったのでまあよかったかなと。

NML で音楽を聴く。■ショパンのバラード第二番 op.38、第三番 op.47 で、ピアノはホルヘ・ボレットNMLCD)。申し分のない演奏。■シューマン交響曲第二番 op.61 で、指揮はジュゼッペ・シノーポリ、シュターツカペレ・ドレスデンNMLCD)。この曲はいまひとつわからないのだが、この演奏はこれまででいちばんおもしろかった。シノーポリは気合が入っている。また、シュターツカペレ・ドレスデンのやわらかい音がぴったり。■ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第四番 op.23 で、ヴァイオリンはヨゼフ・スーク、ピアノはヤン・パネンカ(NML)。すばらしい演奏。後世に残すべきとはこういうものだな。

Beethoven;Sonatas

Beethoven;Sonatas

 

OOP 本の良書として某所で挙げられていたので、Kindle 版を購入してみた。まだ読み始めたばかりだが、なるほど説得される感じ。しかしこれ、大きいアプリケーションを(仕事で)作ることが想定されていて、自分のように素人が個人でだけで小さいコードを書いている分には、本書のいうとおりにするとオーバーエンジニアリング(つまりやり過ぎ)になりそうな感じでもある。いずれにせよ、なかなかおもしろくて勉強になるところが多い。

しかし、インスタンス変数をアクセサで全部隠蔽してしまうのって、ちょっと抵抗感がある…。

読了。おもしろかった。確かに良書である。第八章と第九章は自分にはむずかしかったね。第九章はテストについてで、恥ずかしいことに自分はテストを書かないのだが、本書を読んでこれまでテストが必要なほど入り組んだ OOP のコードを書いてこなかったからだなとわかった。テストについてはもっと勉強したい。しかし OOP、むずかしいね…。


obelisk.hatenablog.comRuby/GTK+ で電卓を作ってみて消耗。思っていたよりずっとむずかしかった。

荻原魚雷『閑な読書人』

日曜日。曇。
よく寝た。起きたら PC がつけっぱなし。

NML で音楽を聴く。■ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第二番 op.2-2 で、ピアノはヴィルヘルム・ケンプNMLCD)。この曲が聴きたくて探したら、何と第二番だった。ベートーヴェン、若い時からいい曲を書いていますなあ。自分はようやくケンプがわかってきたという知能程度。誰に対してか知らないけれど、ホントにちっぽけな人間でちょっと恥ずかしい。■ラヴェルのピアノ協奏曲ト長調で、ピアノはマルタ・アルゲリッチ、指揮はクラウディオ・アバドNML)。僕はこの曲が好きで、モダンな両端楽章も好きだし、何といってもちょっと感傷的な、ワルツみたいな三拍子の緩徐楽章が悲しくてたまらない。こんな感傷的な音楽が好きで気恥ずかしいのだが、どうしようもないのだ。若きアルゲリッチは驚くような新鮮さ。アバドはそれなりだが、晩年の深みはまだ到底ない。

GASPARD DE LA NUIT

GASPARD DE LA NUIT

 

news.yahoo.co.jp日本って愉快な国だな。

以上が法案の全部です。
どこかに成果で賃金とか書いてあったでしょうか?
書いてないですよね。
それが、政府のウソですし、一部のマスコミが政府の説明を信じて垂れ流してきたウソなのです。

https://news.yahoo.co.jp/byline/sasakiryo/20180616-00086509/

たーのしいな、たのしーな。ま、無職の自分にはいまのところ関係がないのですがね。

まあね、政府が正しいのか、この弁護士が正しいのか知らぬ。しかし、「成果で賃金」というわけではないことはわかった。で、何のために「高プロ」するのだったっけ? ああ、労働者から搾取するためだった。本来の意図を忘れていたわ。え、ちがうの?


妹一家が寄る。ウチで採れたジャガイモと玉ねぎを持たせて返す。

今年もプランターミニトマトが収穫できております。なぜかラグビーボール型なんですね。


NML で音楽を聴く。■ブラームスカンタータリナルド」op.50 で、指揮はジュゼッペ・シノーポリNMLCD)。■フランクの「前奏曲、フーガと変奏曲」op.18 で、オルガンはピーター・ハーフォード(NML)。いい曲だな。

Franck: 3 Chorals; Pastorale; Prélude, Fugue et Variation

Franck: 3 Chorals; Pastorale; Prélude, Fugue et Variation

ラヴェルの「夜のガスパール」「ソナチネ」で、ピアノはマルタ・アルゲリッチNML)。アルゲリッチの何という才能! ■ドビュッシーのヴァイオリン・ソナタ ト短調で、ヴァイオリンはヨゼフ・スーク、ピアノはヤン・パネンカ(NML)。スークもパネンカもよい音楽家だな。
Violin Sonatas:Debussy,Janacec

Violin Sonatas:Debussy,Janacec

 

図書館から借りてきた、荻原魚雷『閑な読書人』読了。あっちこっち行く、だらだらした文章がおもしろい。コラム向けのふつうっぽい文章はあまりおもしろくなかった。こんな生活でいいのだろうかと不安と逡巡に苛まれたとりとめもない文章が、皆んな多かれ少なかれ共感できるのではなかろうか。誰も、自分の人生に何かしらの不安を抱えているだろうから。いや、そうでもなくて、世の中には挫折も不安も感じたことのない、幸福なひともいるか。自分の高校の同級生で、生まれてから一度も挫折したことがないと豪語するやつがいたな。彼が結婚する前くらいにそれを聞いた気がする。いま、彼はどうしているのかな。

閑な読書人

閑な読書人

こともなし

晴。
実際には存在しない、愛知県一宮の古書店を数件廻るという夢を見た。それもなぜかジョギングして一宮までいくというのである。仮に実際に走るとすると、Google マップで見ると自宅から一宮市まで 16km ほどあるので、8km/h で走るとすると 2時間くらいかかるのか。何でそんなへんな夢を見たものか。冗談ぽい夢だった。

ひさしぶりにプログラミングをしていた。
http://d.hatena.ne.jp/obelisk2+marginalia/20180429/1525010003
 

NML で音楽を聴く。■ショパンの三つのマズルカ op.50、三つのマズルカ op.56、三つのマズルカ op.59 で、ピアノはニキタ・マガロフNMLCD)。■ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第十五番 op.28 で、ピアノはヴィルヘルム・ケンプNMLCD)。少しづつケンプをおもしろく思い始めている。スタジオ録音であろうにミスタッチなど気にしないという太っ腹さもまたよい。

ごろごろしているうち寝てしまう。

マルクス・ガブリエル『なぜ世界は存在しないのか』

雨。

NML で音楽を聴く。■バッハのパルティータ第三番 BWV827 で、ピアノはラファウ・ブレハッチNMLCD)。ブレハッチのバッハは結局よくわからなかったな。■ベートーヴェン弦楽四重奏曲第八番 op.59-2 で、演奏は東京Q(NML)。

ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第二番 op.2-2 で、ピアノはヴィルヘルム・ケンプNMLCD)。

昼まで寝る。

昼からも寝る。
重かったが、だいぶすっきりした。悪くない気分である。

NML で音楽を聴く。■ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第二十四番 op.78 で、ピアノはヴィルヘルム・ケンプNMLCD)。■ハイドンのピアノ・ソナタ変ホ長調 Hob.XVI:52、ヘ短調 Hob.VXII:6 で、ピアノはシュ・シャオメイ(NMLCD)。

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マルクス・ガブリエル『なぜ世界は存在しないのか』読了。まあおもしろくないことはなかったが、さほどのものとも思えない。唯一感心したのは、そのキャッチーな題名である。これはちょっと読んでみたくなるよね。このような題名で人の気を引いてみせた才気はなかなかのものかも知れない。
 以下、一時間ほどでざっと簡単に読んだだけなので、いい加減なことを言っているかも知れない。まず、著者がなぜ「世界は存在しない」と言っているのかであるが、こんな具合だろうか。わたしもあなたも、猫も PC も世界の中に存在する。これはまちがいない。では、世界そのものはどこに存在するのか。それが世界の中に存在するとすれば、それは論理の無限後退*1を引き起こして矛盾する。ゆえに、世界は存在しない。まあそういった議論だと思う。さて、これをどう思われるだろうか。すごい、これは大発見だ、世界は存在しないのだ、と思われるであろうか。そう思われるなら、本書はあなたにとってコペルニクス的転回をもたらす、無二の哲学書ということになるであろう。ではお前はどう思うかって? さて、僕はこういう議論は、正直言ってどうでもいいですね。たんなる遊びの領域を出ないと思う。まあ下らない哲学というものはこういうものなのですが。
 これだけではあっけないので、著者は議論を強化する。そこで、「存在」というものを定義してみせる。それは「何らかの意味の場に現象すること」(p.108)だそうです。まあ、「意味」をもつものはすべて「存在」すると、簡単に言ってもそれほどまちがいではないでしょう。だから、月に住むユニコーンも、著者にとっては存在する。「月に住むユニコーン」という語は、意味作用しますからね。それゆえ、著者は自分の立場を「新しい実在論」と名づけてみせる。「実在論」は伝統的に「唯名論」と対立する概念で、ヨーロッパ中世における「普遍論争」は有名です。しかし、著者の「実在論」解釈はちょっと自分には疑問なのだが。もちろん自分は哲学はよく知らないけれども、ふつう「唯名論」というのは、個物だけが存在するので、抽象概念は実在しない、というものですね。対して、「実在論」は抽象概念も実在するという立場である。著者は「新しい実在論」の説明で、「愛」や「国家」も実在するのだといっている(p.168)が、唯名論の立場でも、日本という国家、アメリカという国家は存在するので、あくまでも「国家一般」が存在しないのでは?*2 もちろん著者は「国家一般」も「実在」するという立場であろうが、こうなるとそれはもはや事実というより、信念の問題ではなかろうか。ちょっと脱線したが、さて、「意味」をもつものは「存在する」となると、「世界」という語は明らかに意味作用するので、著者の立場とは明確に矛盾するのではないか? 著者はじつはこのことに気づいていて(p.110)、これを先ほどの「意味作用の無限後退*3」の論理で否定してみせるのであるが、自分にはこれは苦しいと思う。別に自分は「世界」の語に無限後退*4を感じないからだ。著者は「感じる!」と言い張るかもしれないが、まあそれならそれでもよいであろう。遊びなのだから好きにしたらよい。
 どうも著者は、ポストモダン哲学を何とか否定したいようだ。これが本書の根源に思える。しかし、いまやすっかり評判の落ちたポストモダン哲学であるが、論理や言説というものを突き詰めていくと、どうしてもポストモダン哲学に到達せざるを得ないのである。自分は別にポモの信奉者でも何でもないが、著者のやっていることが絶えざるメタレヴェルの構築としての哲学行為である以上、絶対にポストモダン哲学からは逃れられないのだ。というか、本書は実際のところ、ポストモダン以前の反動であり、態度の不徹底としてポストモダン哲学に断罪されてもしかたがない。別に自分には、そんなことはどうでもいいのだが、とにかくこのやり方ではダメなのである。
 さらに著者は、ポストモダン否定のため、人生には意味がある、そうでなければ我々は「知性をもった肉機械」とか、「せいぜい宗教的幻想か形而上学的幻想を抱いた殺人猿」(p.200)にすぎないこととなってしまう、などと言っている(ちなみに、「形而上学的幻想を抱いた殺人猿」というのは、ポストモダニストに対する著者なりの戯画なのでしょうね)。そして、ニヒリズムを否定し、宗教や芸術の意義を強調してみせる。やれやれである。別にそれはまちがいだとは言わないが、あくまでも自分にはだけれど、人生に意味がないというのはどちらかといえば正しいのではないか? そして、「ニヒリズムを否定し、宗教や芸術の意義を強調する」というのが、そう簡単に肯定できるものでないことが歴史的経過であったことを、著者はまったく理解していない。例えばそれは、ナチズムのスローガンでもあったのだ。ドイツ人たる著者が、そんなことがわからない筈があるまいに。現代におけるニヒリズムは、そう簡単に否定できるものではない。著者の素朴な態度は、むしろニヒリズムの(不当な)軽視に近いのである。
 まあ、まだ著者は若い。肯定的に世界(著者によればそれは存在しないそうであるが)を捉えたいという、若さの希望に満ち溢れているのであろう。それはよいのだ。自分は既にもう若くないし、現代における人間にどうしようもなく絶望している。それにしても、いまだに「神は死んだ」ことさえ知らないとは…。それが現代における出発点なのに。

なぜ世界は存在しないのか (講談社選書メチエ)

なぜ世界は存在しないのか (講談社選書メチエ)

それにしても、著者が芸術を扱う際のあまりセンスのよくない(というかダサい)やり方が、著者が芸術というものをどれほど理解しているのか、どうも疑問に思わせてしまう。いや、そんなことを言うと「芸術に『理解』など、あり得るのですか」とか、叱られてしまうのであろうが。「貴族主義です!」とかね。まあ好きにしたらよい。しかし、やはり浅田さんはすごかったよなと、懐かしのスターを回顧してみたりする。にゃお。

でもまあ、以上のことそれ自体が自分にはあまり興味のもてないことなのだ。もうさ、何でいまさらこんな哲学なんぞやるのという感じ。ヘタなパズルを解いているだけじゃん。

*1:これは著者の主張そのものではないかも知れない。むしろ、「世界」の中に「世界」が存在する、それはおかしい、という、一レヴェルだけとした方が正確であろうか。まあそのあたりは自分はテキトーに言っている。適宜読み替えて下さい。

*2:同様に、僕の愛、君の愛は存在するけれど、「愛一般」は存在しない。なお、自分はどちらかと問われたら「唯名論」(これは科学の立場である)を選択するが、正直言って別に何でもよい。天使は実在かとか、つきあいきれない。「実在」云々とか、言い出したら切りがないので、例えば電子は存在するというのは大多数の人にそう思われるだろうけれども、かつて物理学徒であった自分としては、電子はきわめて抽象的な方程式以外の何物でもないと知っている(大きさすらない。まさに点である)。なので、電子が実在かといわれると、ちょっと答えを留保したくなる。まあそうなんだけれどね…みたいな。著者の態度は、自分には明快すぎるようにしか見えない。

*3:ここも「無限後退」というのは正確でないかも知れない。

*4:あるいはレヴェルの混同。

足立啓二『専制国家史論』

晴。
早起き。

NML で音楽を聴く。■バッハのパルティータ第一番 BWV825、四つのデュエット BWV802-805、幻想曲とフーガ BWV944 で、ピアノはラファウ・ブレハッチNMLCD)。■ベートーヴェン弦楽四重奏曲第三番 op.18-3 で、演奏は東京Q(NMLCD)。■ハイドン交響曲第九十三番 Hob.I:93 で、指揮はクラウディオ・アバドNML)。

Claudio Abbado: The Symphony Edition

Claudio Abbado: The Symphony Edition

シューマン交響曲第一番 op.38 で、指揮はジュゼッペ・シノーポリ、シュターツカペレ・ドレスデンNMLCD)。■ウェーベルンの五つの楽章 op.5 で、演奏はシェーンベルクQ(NML)。現代音楽としてはポピュラー曲すぎるかもしれないが、それでも傑作と言わざるを得ない。高々10分程度の長さの中に、モダンなドラマを凝縮させている。その古典性ゆえに、あまりにも模倣され過ぎもしたが。いま聴くと、まるで映画音楽のような感じもするくらい。
Chamber Music for Strings

Chamber Music for Strings

シューマンの「暁の歌」op.133 で、ピアノは内田光子NMLCD)。この曲はシューマンが完成させた曲集としてはほぼ最後のそれであり、シューマンの病状(スキゾフレニア)を過剰に読み込んで聴かれることが多い。まあそれは聴き手の勝手だが、異常というよりは、あまり考えずに弾くと散漫な演奏になってしまいがちだと思う。特に第四曲と第五曲など。原題を直訳すると「五つの朝の歌」という感じだと思うが、どうもそんなさわやかなものではなく、もこもこと曖昧な風になりがち。ここでの内田光子の演奏はさすがというべきで、思い切った解釈も見せながら各曲の性格を際立たせたあざやかなそれであると思う。


図書館。コメダ珈琲店各務原那加住吉店にて昼食。
ドラッグストア。

基本に還る。
半日ごろごろしていた。寝るまでごろごろしているか。

本も読まずに、自分のブログを一月ぶんくらい読み返してみたら意外とおもしろかった。昔から自分のブログが好きである(笑)。自分がいちばん、わざわざ過去記事なんぞを読んでいるのかも知れない。そういや「ジョジョ」の作者も10代の頃の数箇月(だったかな?)だけ日記をつけていて、それを読み返すのがすごく好きとあったように覚えている。こういうのは、ナルシシズムではないのだよね。へー、自分こんなこと書いたんだという驚きみたいなものである。僕は学生時代にブログがあったらなと時々思う。ささやかながら、あれが僕の青春時代だったので。そういう時代も、自分にはあったのだったな。

足立啓二専制国家史論』読了。副題「中国史から世界史へ」。某所で必読書ともされる本書であり、とてつもないパースペクティブへの挑戦であった。まあすごいというしかないのだが、自分ごときではどれくらいすごいのかも理解できない。中身もまるで未消化である。自分には文系の学問の蓄積がなさすぎるということである。さて、果たして再挑戦の日が来るのであろうか。

しかし、すごい学者ってのはいるところにはいるものだなあ…。いあ、芸もなく「すごい」ばっかりですね。

こともなし

晴。

NML で音楽を聴く。■ハイドンのピアノ・ソナタ ヘ長調 Hob.XVI:23 で、ピアノはシュ・シャオメイ(NMLCD)。ハイドンってホント侮れないよね。こんな曲があったのだな。■モーツァルトのピアノ・ソナタ第十一番 K.331 で、ピアノは園田高弘NMLCD)。

午前中、病院。診察とか念のための検査とかで、延々四時間くらい待ち続けたか。まだはっきりしたことは言えないが、結果はとりあえずよいものだったので安堵。しかし疲れたー。
「珈琲工房ひぐち」北一色店にて昼食。オムカレー+コーヒー900円。オムカレーもコーヒーもうまかった。今度コーヒーチケットを買おうかな。
スーパー。

夕方まで寝る。
風呂の時間までぼーっとしていた。

NML で音楽を聴く。■ブーレーズの「ストリュクチュール(構造)」第一巻、フルート・ソナチネシュトックハウゼンの「コントラプンクテ」で、指揮はピエール・ブーレーズ他(NML)。

Le Domaine Musical 1956

Le Domaine Musical 1956

ショパンのバラード第一番 op.23 で、ピアノはホルヘ・ボレットNML)。
Ballades / Barcarolle / Fantasie in F

Ballades / Barcarolle / Fantasie in F

■バッハのイタリア協奏曲 BWV971 で、ピアノはラファウ・ブレハッチNML)。
Bach, J.S.: Recital

Bach, J.S.: Recital

谷川俊太郎『聴くと聞こえる on Listening 1950-2017』

曇。蒸し暑い。

散髪。

図書館から借りてきた、谷川俊太郎『聴くと聞こえる on Listening 1950-2017』読了。詩をあまり読んだことのない人は、谷川俊太郎を読むといいよ。いまの日本で詩に出会うことはむずかしいが、谷川俊太郎ならばたいていの本屋さんにあるだろう。これほど著名なひとが本物であるとは、現代ではめったにないことではないかと思う。

聴くと聞こえる: on Listening 1950-2017

聴くと聞こえる: on Listening 1950-2017

本書には「なんにもしたくない」という詩が収められているが、自分は最近これである。何にもしたくないのだ。本も読みたくないし、音楽も聴きたくないし、ネットも見たくない。それこそ生きていたくもないし、死にたくもない。寝ているのがいちばんいい。これはむしろ、最高の状態なのじゃないかとふと思われたりもする。心配することはない。一生などあっという間に終わる。

NML で音楽を聴く。■ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第十九番 op.49-1、第二十番 op.49-2 で、ピアノは園田高弘NMLCD)。あまり演奏されない、ベートーヴェンの「やさしいソナタ」二曲。僕は結構好きですね。特に op.49-2 なんか、チャーミングじゃないですか。ベートーヴェンだってチャーミングな曲を書けるのですよ。■ガブリエル・ピエルネのヴァイオリン・ソナタ op.36(フルートとピアノ編)で、フルートはゲルゲイ・イッツェーシュ、ピアノはアレックス・シラシ(NMLCD)。


足立啓二を読む。これはすごい。