こともなし

日曜日。曇。


ブラームスのヴァイオリン・ソナタ第三番 op.108 で、ヴァイオリンはヴィクトリア・ムローヴァ、ピアノはチャールズ・アブラムービック。ピアニストの姓の表記はいろいろある模様。


ハイドンのピアノ・ソナタ第五十九番 Hob.XVI:49 で、ピアノはスヴャトスラフ・リヒテル


昨日 Linux Mint がおかしくなったことは書いたが、今日もサスペンド復帰後に Chrome に不具合が出る(ただ、勝手に不具合があるとのメッセージが出てログアウトするだけなので、何の不具合なのかじつはよくわからない。いずれにせよ勝手にログアウトされるのは面倒である)。先ほど Chrome のアップデートを行ったので、そのせいであろう。バージョンは 64.0.3282.186 (Official Build) (64 ビット)。そもそもこの PC と Linux Mint は、サスペンドの相性が悪いところがある。


 
先日 Ruby で解いた「絶対左折禁止」迷路の作者様に、好意的にブログを紹介して頂きました。失礼だったかなと案じていたので、とりあえずよかった(ホッ)。で、過去記事に追加記事を書いたりしていた。

『ハーバート・スペンサー コレクション』

晴。
よく寝た。12時間くらい寝た。昨日はなぜかすこぶるしんどく、早く寝てしまった。


ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第二十八番 op.101 で、ピアノはフォルデシュ・アンドール。これはめったにない優れた演奏。しかしこのレヴェルでも忘れられてしまうのか…。


シューベルトの三つのピアノ曲 D946 で、ピアノはヴァルター・ギーゼキング。リコメンドにギーゼキングシューベルトがあったので、つい好奇心で聴いてみた。驚いた、すごくよかったのである。ギーゼキングというのは変な(?)ピアニストだな。いわゆるザハリッヒなピアニストであり、何を弾いてもいわばまるで機械のように演奏するのだが、それがいいというね。何だかこの人、自我がないみたいな感じがする。こんなピアニストは他にいない。

Linux Mint に不具合が出て、マウスでのクリックが全然できないようになってしまった。ファイルシステムの不具合でもなさそうだし(GRUBリカバリモードで立ち上げてチェックしてみた)、システムを再起動してもダメで、たぶんアップデートのせいだろうとは推測されたけれど、どうも雲をつかむようでさっぱりわからない。ただ、[Ctrl] + [Alt] + [F1] で tty(仮想コンソール)には入れたので、これから $ sudo timeshift を実行したところ、再起動で正常に立ち上がった。ふう、助かった。
 timeshift は Linux Mint 18.3 へのアップグレードの際に導入を推奨されたもので、システムのバックアップを自動的に取るツールである。Windows の「復元ポイント」みたいなやつ。バックアップの実行時に CPU に負荷がかかって多少フリーズするのでちょっといやだったのだが、助かりました。しかし、何が悪かったものか。システムのアップデートには少し時間をおこうと思う。
 なお、/home 以下の個人用のファイルは定期的に簡単にバックアップが取れるように Rubyスクリプトを組んでいるのだが、今回は必要なかったけれどやはりこまめにバックアップしておかないといけないことがわかる。特に SSD は死ぬときは一瞬らしいので。HDD だとたいてい徐々に弱っていくのでわかるのだけれど。

アベノミクスはベストの方策ではなかったが、日本経済を確実に好転させたという証拠は日々様々なところで既に検証されている。もはや、まともな経済学者でアベノミクスを否定する者はほとんどいなくなった。実際、アベノミクスで日本は崩壊すると騒ぎ立てた「予言」が、どれも的中しなかったことからも明らかなことである。ちなみに、日本の「国債の借金」で日本が崩壊すると騒ぎ立てた「予言」も、まったく的中せず、その反対の結果が出ていることも明白であろう。
 しかし、前途が明るいとはいえない。安倍首相は将来のさらなる消費増税を明言しているからである。8%への消費増税は明らかにアベノミクスの中の失敗のひとつであった。これを突く野党がいないのは奇っ怪である。むしろ消費減税が必要である。
 また、アベノミクスのおかげで日本企業は一息つくことができたが、日本企業の世界的な存在感の低下は急速である。これはアベノミクスのせいというよりは、日本人の「劣化」のせいなのかもわからない。もちろん「日本人の劣化」というのは印象でしかなく、まったくの裏付けを欠いているし、まあ遊びみたいな話である。このブログでも何度も書いてきたが、日本企業は「IT革命」に完全に乗り遅れた。いまや、世界的に存在感のある IT企業は、日本にただの一社もなく、中小企業でも世界的に有望なIT企業に育つと思われる存在は 0 である。IT企業の存在感という点で、日本は先進国ではない。
 また、一般的な電気・家電分野でも、じつは日本の存在感が既に低下していることは、意外と(日本では)知られていない。日本でのイメージでは中国・韓国・台湾のメーカーの製品は低品質でも安いから競争力があると思われているかも知れないが、事実は既にそうではなく、ヨーロッパの家電売り場などでも、高級品でかつ売れているのは中国・韓国のメーカーの製品であり、日本製品はむしろ中級品で、人気も苦戦しているというのが事実のようだ。いわば、「ものづくりの日本」の「敗北」である。まあ、勝ったとか負けたとか、どうでもいいことかも知れないが。

と、何も知らないくせに、エラソーに書いてみました。事実は皆さんでお確かめ下さい。まあ、ほんとどうでもいいことですね。

それから、アベノミクスの成功如何にかかわらず、「弱者は死ね」というのは現代日本のデフォルトになりましたね。今日も、いつも巡回するブログで「弱者を甘やかすからつけあがるのだ」という主張を見ましたが、いまやじつによく耳にする意見であります。まあ我々弱者としてもあまりこの世の中に生存していたくもないのですが、簡単に死ぬわけにもいかないですし、むずかしいですよね。でも、弱者を殺すのは強者としてもあまり得策ではないと思いますよ。いまや、ちょっとした運(のなさ)で、誰でも簡単に弱者に転落してしまい得るご時世ですから。まあそういうことはありえないという人には、関係のない話なのでしょうけれどもね。

ハーバート・スペンサー コレクション』読了。森村進編訳。

ハーバート・スペンサー コレクション (ちくま学芸文庫)

ハーバート・スペンサー コレクション (ちくま学芸文庫)

 

立場がちがえば、見えるものもまたちがう。その間を埋めることはむずかしい。
心が汚い。

こともなし

晴。


ベートーヴェン交響曲第一番 op.21 で、指揮はロリン・マゼールフィルハーモニア管弦楽団マゼールは楽譜のすべてを暗譜してから振るという緻密な仕事をする指揮者で、ここでもじつに綿密な音楽作りをしている。ちょっとコントロール感が強すぎて息苦しい感じだったのだが、いや終楽章はすばらしかった。氷が融けてきたような感じで、こちらもつい足でビートを取っていることに気づく。生命力が息づいたときのマゼールはちょっと無敵だなとか思う。Wikipediaマゼールの項はいやに充実している)を見てみると、マゼールは2014年に既に亡くなっているのだな。知らなかった。


ベートーヴェン交響曲第九番 op.125 で、指揮は小澤征爾サイトウ・キネン・オーケストラ。こういう演奏を聴くというのは自分の人生の主要目的のひとつである。めったにない体験でした。小澤征爾については、自分がまったくわかっていなかったことがわかった。どうしてわからなかったかというと単純なことで、わかるほどの器の大きさがこちらに欠けていたのである。ああ、小澤征爾ってのは大指揮者なのだなと初めて得心がいきました。それにしてもしんどくて、聴きながら命を削っているかのような心地がしたが、小澤も命を削って演奏しているかのように感じられたくらい。まあそれはどうかわかりませんが。小澤征爾サイトウ・キネン・オーケストラはできれば他のも聴きたいな。

早寝。

綿矢りさ『しょうがの味は熱い』

晴。
昨晩は中沢さんを読んで寝た。あんまり中沢さんに頼ってはいけないと思うと同時に、中沢さんをなるたけ消化しないとと思わせられる。井筒先生とは中沢さんがそんなに若い頃から交流があったのだな。井筒先生は中沢さんの中に颯爽たる若武者の姿を見られたとか。すばらしい話だと思う。


モーツァルトのフルート四重奏曲第二番 K.285a で、フルートはオーレル・ニコレ、ヴァイオリンはジャン=ジャック・カントロフヴィオラはウラディーミル・メンデルスゾーン、チェロは藤原真理。名手たちなのだが、全然ふつうなのがよい。いかにもうまく弾くなんて野暮はしないのだ。


バッハのブランデンブルク協奏曲第四番 BWV1049 で、指揮はクラウディオ・アバド。2本のリコーダーの澄んだ音色が心地よい。それにしても何という好ましい演奏だろうか。アバドはいつからこんな指揮者に変貌したのだろう。バリバリ活躍していた頃は、知的で射程も広いがどこか音楽の楽しみが欠けているようなところがあったけれども、いつ頃からか深くて気品のある演奏をするようになった。この演奏でも、これまで聴いたこの曲のもっとも好ましい演奏のひとつと思える。しかし、映像を見ているとじつにつつましい指揮ぶりなのだけれどね。ほとんど、簡単にテンポをとっているだけみたいなそれなのだけれどなあ。


ショパンマズルカ嬰ハ短調 op.30-4、嬰ハ短調 op.63-3 で、ピアノはアナトリー・ヴェデルニコフ。たった2曲ですか。もっと聴きたいな。マズルカってショパンでもっとも深いのだが、なかなかまとまって演奏されないのが残念。

okatake さんのブログがいい感じ。岡崎さんの本はこのところ読んでいないのだが、いつか少しづつ読みたいところだ。

昼から県営プール。暖かくて人がたくさん来ていた。車外は12℃もある。


田中秀臣先生の記事。僕は田中先生のことが好きではないが、こういうことを書かれるからリスペクトせざるを得ない。それにしても「子宮頸がんワクチン」に対するメディアの対応は(あいかわらず)ヒドいもので、言語道断である。「子宮頸がんワクチン」にリスクがあるにせよ、そのメリットはリスクを遥かに上回ることが研究ではっきりと示されているのに、マスコミはいまだに非科学的な反「子宮頸がんワクチン」キャンペーンをやって恥じることがない。自分たちのやっていることがいかに犯罪的か、マスコミは完全にわかっていないのだ。まったく絶望的な国であるな、日本というのは。エビデンス(客観的な事実)が通用しない国なのだ。

しかし、自分の世代のエリートたちは何をやっているのだ。かつて同世代のエリート候補生たちをたくさん見てきたが、頭はよくてもじつに無知幼稚で自分で考える力のない奴らしかいなかったものである。いまの日本を凋落させているのは奴らではないのかと邪推している。ああ。

そうか、Ruby の「25歳の誕生日」か。まつもとさんのツイッターの TL が世界中からのお祝いと感謝のツイートで埋め尽くされている。ちょっと感動的なのが結構あるな。世界中で愛されているのだな、Ruby は。Ruby を知って初めてプログラミングが楽しくなったみたいなのが結構あって、自分もまったく同じだと思った。DHH なんかも素朴なお祝いのツイートで、いい感じ。しかし、日本人はどうも意地の悪いことをいうやつが少なくないのだけれど。こちらのかん違いなのか。やだね。

散歩。

綿矢りさ『しょうがの味は熱い』読了。うーん、これは見事な短篇二つ。綿矢りさ、やはりすごい才能だな。この人は本質的に短篇作家なのではないか。本書では結婚適齢期の若い男女を等身大に描いて、間然とするところがない。三年間同棲しつつ、結婚できない。女の方が飛び出して実家に帰るも、三箇月経って男が迎えに来、女は今度は両親と衝突して男と東京へ帰る。そんなまあ自分にはどうでもいいような小説であったが、「我々はみんなこう下らなくも平凡なのだよ」というふつうのぐちゃぐちゃっぷりがリアルだ。いや、こんなの本当の恋愛じゃないよとかいう人もいるだろうし、そういうのもわかるが、恋愛なんて人の数だけ多様性があるものであって、また同時にどれも代わり映えがしないのがたぶん現実なのだろう。その上でのリアリティがすごかった。綿矢りさは結局こうした等身大小説を一生書いていくのかもしれないし、またそれが吉な気もする。まあ、自分にはほとんど関係のない世界なのだけれど、それは自分が変人だというだけのことであらしゃいます。ほほ。

アマゾンのレヴューでは絶対にくそみそに貶されているぞと期待して(?)覗いてみたが、意外と皆さん好意的でへーと思った。たぶん、女性の読者が多いのであろうし、同性には反発されそうだと予想していたのだが。いつもの爆発がないってレヴューがあって、ああ確かにそうかも。男の背中に蹴りを入れるようなシーンはなかったですね。いや、著者もたぶん「大人」になったのですよ。小説家として。ああ、どうでもいい。

玄侑宗久『竹林精舎』

曇。
 

ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第十四番 op.27-2 で、ピアノはアナトリー・ヴェデルニコフヴェデルニコフの「月光ソナタ」の録音があるとは。しかしあいかわらず聴かれていないな、ヴェデルニコフは。大袈裟でなく人類の至宝なのに。これこそ「世界遺産」であろう。


ブラームスの「四つのピアノ曲」op.119 で、ピアノはジュリアス・カッチェン。カッチェンのブラームスはかなり好きだな。ブラームス最晩年のピアノ曲集がいろんなピアニストによりもっと演奏されることを望む。


チャイコフスキーの弦楽セレナーデ op.48 で、指揮は小澤征爾サイトウ・キネン・オーケストラ。まさかこの曲に感動させられるとは。小澤征爾、侮れないな。小澤はカラヤンにもバースタインにもかわいがられた指揮者であるが、そういえばカラヤンのこの曲の演奏は絶品だったっけ。まあこの曲は、チャイコフスキーの中では好きな曲です。ちなみに天皇皇后両陛下が臨席されておられるね。しかしまだ小澤征爾、このときは若いな。

なんだかポピュラー曲ばかり聴いたな。

昼過ぎ、カルコス。何か買いたい気分で行ったのだが岩波文庫一冊とおそろしくさみしかったので、ひさしぶりに BOOK OFF に寄る。いつもはほぼ文庫108円しか買わないのだが、これも吉田修一一冊とおそろしくさみしかったので、文庫半額からも幾らか買った。堀江敏幸川上未映子神林長平村上春樹綿矢りさ等、いまでは旬でない人たちばかりになったが。ひさしぶりに「ブ」の棚を見ていると、いろいろと思うところがあった。BGM としてきわめて幼稚くさい歌詞のラップがかかっていて閉口する。こちらも幼稚なので耐え難いものを感じる。「ちきりん」とか「はあちゅう」とかネットの有名人の文庫本もあったが、買うには至らなかった。フィギュアとかガチャガチャの重複ものとか売ってくれというアナウンスが流れていた。


図書館から借りてきた、玄侑宗久『竹林精舎』読了。久方ぶりに読む、玄侑さんの小説。道尾秀介の『ソロモンの犬』の続編を書きたいという動機で書かれたもので、意外にも一種の青春小説だった。若き主人公は東日本大震災津波で両親を亡くし、縁あってお坊さんになる。そして彼が福島の廃寺(?)の新しい住職になる顛末と、かつての同級生との恋愛を絡めたという小説だ。なに、坊主が恋愛? いやいや、それがおもしろいのですよ、是非読んで頂きたい。ネタバレしておくと本書はハッピーエンドだから大丈夫。なんというか主人公の坊主がウブすぎて身悶えさせられるが、ほんといいヤツだ。本書では原発事故との対峙も重要な部分を担っているが、それは玄侑師が福島の寺の住職であることからも必然という感じがした。
 それにしても、何でもないような小説ながら本書は自分の深部をゆさぶった。そして自分の抱えている虚無の巨大さも浮き彫りにしてくれた。玄侑師はやるべきことをやってきたし、いまもやるべきことを自然体でやっているおちゃめな大僧侶で、現代日本にこういう禅僧がどれだけいるのか、自分にはまったくわからない。かかるものとして、自分の知る数少ない僧である。僕はこれまでもブログで玄侑師を読んだ方がいいですよと何度も書いてきたが、まあたぶん無駄だった。でも、同じことを繰り返したいと思う。玄侑師は読んだ方がいいです。まったく、もののわかるひとがいなくなってしまった。そういう時代である。あまりにも未熟者の言で、仮に玄侑師が聞けば愚か者と腹を抱えて笑うであろうや。

竹林精舎

竹林精舎

 

 

ベートーヴェンの「32の変奏曲」ハ短調 WoO.80 で、ピアノはアナトリー・ヴェデルニコフ。すさまじい演奏。ベートーヴェンは即興演奏が得意であったが、それを聴いた人はおしなべて出版された曲よりも即興演奏の方がすごかったと言っているらしい。それがどういうことなのかはわからないが、この曲などはそのベートーヴェンの即興演奏に近いのではないかという感じがする。短いドラマティックな主題を、湧き上がるように変奏していくのを聴くと、そんな空想に囚われるのだ。そのせいかどうか知らないが、この曲はベートーヴェンの生前から人気があったのに、ベートーヴェンはこれに作品番号を与えていない(WoO というのは「作品番号のない」という意味である)。もちろんいまでもよく演奏される名曲である。(AM00:00)


シベリウスのヴァイオリン協奏曲 op.47 で、ヴァイオリンはマキシム・ヴェンゲーロフ、指揮はダニエル・バレンボイムシカゴ交響楽団ヴェンゲーロフってたぶんよく知られているヴァイオリニストなのでしょうね。恥ずかしながらよく知りませんでしたが、こんなによく鳴っているヴァイオリンを聴いたのはひさしぶりな気がします。最初の一音から惹きつけられ、ほとんどエロティックな魅力すらあります。この曲はヴァイオリンの美感を堪能するには最高のポピュラー曲で、バレンボイム指揮の CSO といい、ゴージャス極まりないですね。クラシック音楽で 300万回以上の再生回数というのは、めったにある動画ではありません。しかし、なんというか、僕にはこの曲はたんなるポピュラー曲ではないのです。勝手な聴き方でしょうけれど、終楽章など、僕はこんなに悲しくて深い(陳腐な形容詞ですが)曲はないと思っているのですが、ヴェンゲーロフといいバレンボイムといい、圧倒的なゴージャスさで攻めてくるばかりです。天邪鬼でごめんなさい。僕の求めているのはこれではないのです。例えばフェラス、例えばチョン・キョンファ、例えば庄司紗矢香あたりがすごいと思っています。まあ、ふつうはポピュラー曲なのでしょうけれどね。(AM00:49)


ブラームスの「三つの間奏曲」op.117 で、ピアノはラドゥ・ルプー。

絶対左折禁止です

晴。

@rui314さんが、「プログラミングで書きたい部分はコードの一割か二割くらいで、残りは退屈なコードをひたすらガシガシ書いていかないと本当に作りたいものはできない」(適当にまとめました)みたいなことを書かれていて(参照)、一流のひとはいうことがちがうなと思った。彼のいいたいのは、そういうつまらない部分をガシガシ書いていけるかどうかがプログラマの能力だということである。何でもプロというのはそういうことろがあるのかも。それからいうと、自分はプログラミングに限らず全領域で使えないド素人だと思う。また、そういうところをかなり意図してやってきたのだなと思った。

ちなみに @rui314 さんは Cコンパイラフルスクラッチで 40日間でセルフコンパイルできるところまで作り上げた(参照)という圧倒的な実力の持ち主で、Qiita の Go 関連の記事でも啓蒙的なよい文章をいくつも書かれている。いまはアメリカの Google で働きながらスタンフォードの学生をしておられるようで、時々大学での授業の話を書かれているが、それはため息の出るようなレヴェルだ。本当にすごいひとはいるものだなあと思う。

しかし、そのスタンフォードの授業の話を読んでいると、自分にはあまり関係のないことながら、日本は大丈夫なのだろうかとつい心配になってしまう。自分は素人の気安さもあってソフトウェア・エンジニアのどうでもいい話を読んだりするのがわりと好きなのだが、「これはすごい」と思うより「こんなことでいいのかな」と思う方が多いような気がする。日本の情報技術関係の大学の最高峰はどこなのか、それは例えば東大なのか知らないが、たぶんスタンフォードのそれとは比較にもならないような気がする。気のせいならいいのですが。プロのプログラマでも、日本では超素人の自分レヴェルくらいの人が結構いそうで、コワい。皆んなフレームワークどうのばかりではなくて、計算機科学やアルゴリズムくらいちゃんと勉強しましょう。

しかし、そのフレームワークのレヴェルでも、日本人が作ったみたいなフレームワークが話題になることはほとんどないと思う。別にどこの国の人が作ったものでもいいのだが、それでも日本人の作った何か、フレームワークでも言語でもいいけれど、が僕程度でも知っているくらいメジャーになることがどれくらいあるのか。ほんと、Ruby 以外何があるの?といいたくなる。まあ素人の見当ちがいの発言であればいいのですが。


 
ここのサイトの「絶対左折禁止」という迷路を Ruby で解くことに熱中。ヒマ人。

 

Go言語遊び

晴。暖かい。

Go言語の本を読む。楽しい。いまや何の役にも立たないプログラミングをやっているのがいちばん心安らぐな。Go言語、なかなか気に入っています。

Go言語の本、半日かかって読了しました。

スターティングGo言語 (CodeZine BOOKS)

スターティングGo言語 (CodeZine BOOKS)

で、そのあと迷路の最短距離を求めるプログラムを Ruby から Go に移植してみました。

いや、よろしいね。