『マッカラーズ短篇集』 / フェルナンド・ペソア『不穏の書、断章』

雨。
 
心の土台である「生きとし生けるものへの惻隠の情」の涵養からやり直す。基礎をきちんとしないと、どんなに高度なことをやっても、心はとんでもないところへ至ってしまう。高い知性が、嫉妬心やマウンティングの傾向に駆動されて歪むというのは、よくあることだ。
 
スーパー。セルフレジ、上から監視カメラで撮影しているのだな。不正があったときに、確認したり証拠にするためか。いちおう、付いて見ている店員はいるのだけれど。
最近のパスタ、2~3分の早ゆでっていう商品が多くなってきた。
 
昼。
ウクライナ軍がアウディーイウカから撤退し、ロシア軍の手に落ちたことにより、国際報道の中心が、ガザからまたウクライナに戻ってきている。わたしが知ったかぶりをしてもしようがないが、ウクライナ軍は防戦に追われ士気が落ち気味、砲弾も足りず、国民は意気銷沈しているようだ。総司令官は解任され、政府では汚職がはびこって国民の支持も下がっている。アメリカの支援は滞り、仮に次期大統領がトランプになれば、それが打ち切られる可能性もある。一方で、モスクワはとりあえず平穏だともいう。って、報道をそのまま書いているだけで、わたしなんかが考えてもどうしようもないことだが。
 
 
雨の中、珈琲工房ひぐち北一色店。2.4 以来か、ちょっとひさしぶりだな。
カーソン・マッカラーズ『マッカラーズ短篇集』(文庫版2023)読了。マッカラーズというと『心は孤独な狩人』だが、村上春樹訳で 2020.10.25 に読了しているのに、中身は全然覚えていないな。と、自分の過去記事を読んで少し思い出した。この短篇集もだが、読んでいてあんまり楽しい小説というわけではない。って素朴すぎる感想ですね。

 
フェルナンド・ペソア『不穏の書、断章』(平凡社ライブラリー2013)読了。下らない本だった。いかにも深遠めかした文章が並んでいるが、まったく底が浅い。というか、ニセモノである。現実というものをペソアは自分の目でしっかり見たことがない、なのに、一見高所から、いかにも深いことをいっているかのようである。そういう意味では、まさに冷笑のネット時代にふさわしい。これこそが「知的」だといわれるところのものなのである。そう、本書は自意識過剰の記号的「知性」の産物なのだ。 
細野さんの『映画を聴きましょう』(2017)を読み始める。映画ファンってやたら知的だったり、蘊蓄がうるさくてかなわんっていう偏見が自分にあるのだが、さすがは細野さん、めっちゃ楽しい。もちろん映画音楽の話なんだが、映画そのものの肩の凝らない話もたくさんあって、気楽に読める。まあ、わたしは映画について、何も知らないんだが。
 
『精神の考古学』第八部まで読む。
 
 
第668回:「貧乏に苦しむか/貧乏を楽しむかしか選択肢がないことがおかしい」問題に、遂にひとつの回答がもたらされる。の巻(雨宮処凛) | マガジン9
悲しい話といえばそうだな。しかし、ここにはいまやほとんどなくなった、(現代日本の)可能性がまだある。ほんと、現代日本に可能性というものがことごとくなくなってしまったようにわたしには思われるのだが、浅はかな人間のかんちがいだろうか。もう、多くの人が自分の何とか守っている小さい領域以外を、あきらめてしまっている、そんな風に見える。
 
 
夜。
はたらく魔王さま!』(2013)第6話まで観る。ゲートを抜けて現代日本へ来た魔王がファーストフード店、(女)勇者がコールセンターでバイトしながら、貧乏暮らししてるって、なにそれ。魔王城は六畳一間のボロアパート。で、魔王と勇者でラブコメ(?)やってるし。よくそんな下らん話、思いつくな笑。時にバトル、シリアス展開もあり。