『ガルシア=マルケス中短篇傑作選』 / 「映像の世紀バタフライエフェクト プーチンとゼレンスキー ロシアとウクライナの100年」を観る

曇。
 
スーパー。セルフレジ、老人に対応がたいへんそうな人もいる。どうでもいいが、油類は高いんだな。オリーブオイルとサラダ油で1200円以上した。
 
たまに iPad mini でなく、PC で NHK+ を観ようとするときがあるのだが、Firefox だと弾かれるのを決まって忘れる。非推奨ブラウザにしておけば済むことで、何でアク禁(アクセス禁止)にするのだ。そもそも Firefox をサポートしないというのは、公共的な性格をもつサイトとしてあまり見識があるとはいえない。
 
昼。
NML で音楽を聴く。■ベートーヴェン弦楽四重奏曲第十一番 op.95 で、演奏はアリアンナ弦楽四重奏団NMLCD)。■スカルラッティソナタ K.184, 87, 233, 544, 13, 20, 8 で、ピアノはアレクシス・ワイセンベルクNMLCD)。これでアルバム全体を聴いた。総じてとても美しい、ピアニスティックなスカルラッティといえるだろうが、ト長調 K.13 などには唖然とさせられた。やはりワイセンベルクは巨きくて特異なピアニストだ。あと、前にも書いたが、セレクトされた曲がいい。
 
珈琲工房ひぐち北一色店。亀山郁夫さんの『甦えるフレーブニコフ』(1989)を読み始める。第三章まで読んだ。
 
芙蓉と紫苑。


外気まだ36℃もある。この暑さ、いいかげんにして欲しい。
 
ガルシア=マルケスの中短篇集を読む。
 
夜。
『ガルシア=マルケス中短篇傑作選』(文庫版2022)読了。野谷文昭編訳。「純真なエレンディラと邪悪な祖母の信じがたくも痛ましい物語」が飛び抜けておもしろかった。中篇というところか。幻想的な、現実にはあり得ない状況を、リアリズムで語っている。例えば、殺しても殺しても死なない「祖母」。それだけでなく、主人公の少女が、どれだけ陵辱されてもいわば無垢であるところなども、下衆な男性の身勝手な欲望をくすぐるのかも知れない(サイテー)。そして、少女は最終的に俗物化し、「祖母」と変わらない「怪物」になってしまうように見える。

 
 
テレビで老父母が観て勧められたので、NHK+ で「映像の世紀バタフライエフェクト プーチンとゼレンスキー ロシアとウクライナの100年」を観る。感傷的なことだが、涙が出て仕方がなかった。ロシアとウクライナは兄弟のような国家なのに、ウクライナは三度(みたび)侵略を受け、多くの人が死んだ。レーニンとの戦争、スターリンとの戦争、そしてプーチンとの戦争。スターリンとの戦争では、ウクライナ人の多くが(スターリンと敵対する)ナチスドイツに協力し(プーチンウクライナ政権を「ネオナチ」と呼ぶのは、その歴史を踏まえている)、ウクライナに住む多数のユダヤ人が殺された。いまのウクライナ戦争でも、ロシア・ウクライナ合わせて既に50万人以上が死んでいる。戦争で殺し、あるいは死ぬのはいつでも、名もない民衆だ。政治とは何だろうか。映像を観ていて、林達夫の言葉が浮かんできて仕方がなかった。
 
「私は改めて政治というものを勉強し直さなければならぬと痛感した。私はせっせと一生懸命に生きた政治史、わけても共産主義をめぐる国際政局の現勢を扱った文献をたよりに巨大な世界政治の世界に目を皿のように馳せ廻ってきたが、その結果は小心な私をしてますます政治という政治の裏のおぞましさを思い知らされる羽目になっただけである。政治とは腹黒いものであって常に人の善意を翻弄する――というのが私の阿呆のような「小ブルジョア的」結論であった。」(『共産主義的人間』所収「『旅順陥落』――わが読書の思い出」より)
 
 
吉本隆明全集27』を読む。