マッカラーズ『心は孤独な狩人』

日曜日。昧爽起床。

『心は孤独な狩人』を読む。

晴。
脳みそがからっぽで何もしたくないので、パソコンでめずらしくBGMを流して(わたしは基本的に音楽を流しっぱなしにしない)ごろごろしながら iPad mini でネットを見る。怠惰だなあ。


以前購入しておいた、「アナログ音声→MP3」変換器を使ってみる。MD の音楽を MP3化したいのだけれど、アナログ出力を使っているから、空白部分などやはり多少のホワイトノイズは已むを得ないなあ。まあ、安物だし。MP3 ファイルの分割は Audacity を使ってみようかと思ったのだが、いまいちよくわからない。仕方がないから ffmpeg + Ruby とかでやってみるかな(参照)。

昨日甥っ子が自転車の鍵を忘れていったので、妹夫婦がわざわざ名古屋から取りに来る。おぼっちゃまのために大変だこと。お茶を飲みながら、甥っ子たちの受験の話とか、皆んなでいろいろしゃべる。

スーパー。

お昼はうどん。

サブ機の Ubuntu 20.04 LTS を 20.10 にアップグレードする。
20201025150024
ゴリラだからあんまりかわいくないかなあ。

珈琲工房ひぐち北一色店。『心は孤独な狩人』を読む。


図書館から借りてきた、カーソン・マッカラーズ『心は孤独な狩人』読了。村上春樹訳。

心は孤独な狩人

心は孤独な狩人

訳者は本書の主人公はミックだというが、そうなのだろうか。確かに魅力的な少女ではあるけれど。本書は空虚な中心であるところのシンガーのまわりをゆっくり回転するが、わたしはそのシンガーの心の中へ入っていくことができない。まさに聖者のように描かれる彼であるが、太った意地の悪い知恵遅れ(という単語は PC 的に問題があるかも知れない)であるアントナプーロスへの愛情には異様なものを覚える。わたしはそこにリアリティが感じられなかった。まあ、23歳のマッカラーズが後期おっさんであるわたしより人間に通じているということはふつうにあっておかしくはない。それから、黒人問題と共産主義(乃至アナーキズム)。著者はどこまで本気なのだろう。いや、それはどうでもいいのかも知れない。訳者は「筆力」という言葉を使っているけれども、フィクションの世界を作り上げるマッカラーズの筆力は、これはもうじつに見事なものだ。彼女が天才少女と見做されたのも、ほとんど当然のことと思われる。
 それにしても、小説全体がじつにクラいし、最後もまったく救いがない*1。あんなに輝いていた少女は、大人の女になって見事に凡庸化する。空虚な中心が失われ、世界は遠心力でバラバラになっていく。確かに「筆力」に引き込まれてぐいぐい読まされたが、つらい小説だった。わたしにとっては。

*1:一見救いがありそうな描写になっているが、こんな取ってつけたような終わりにダマされる者がいるのかという感じである。全然説得力がない。