李琴峰『ポラリスが降り注ぐ夜』 / 「月がきれい」(2017)を観る

雨。
 
NML で音楽を聴く。■ハイドン弦楽四重奏曲第四十三番 Hob.III:58 で、演奏はサッコーニ四重奏団(NML)。

Haydn: String Quartets Op.54

Haydn: String Quartets Op.54

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ブリテン弦楽四重奏曲第二番 op.36 で、演奏はベルチャ弦楽四重奏団NMLCD)。
 
 
昼。降ったり止んだり。分厚い雲が空を覆っている。
ミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。カスタードクリーム+ブレンドコーヒー462円。
図書館から借りてきた、李琴峰(り・ことみ)『ポラリスが降り注ぐ夜』(2020)読了。承前。小説から、圧倒的な、ひさしぶりに鳥肌が立つような感銘を受けた。新宿二丁目のバー「ポラリス」のまわりを巡る、性的マイノリティの女性たちを題材にした短篇集、とでも一応いっておくか。著者の名は本書一冊で文学史に残るだろう。
 エッセイ集を読んだときにも書いたが、著者はわたしよりずっとずっと若いけれど、遥かに大人で、成熟しているから、本書をわたしごときがうまく語れるとは思わない。例えば本書を読んで、性的マイノリティの女性といっても、レズビアントランスジェンダーではまったくちがうのだなという、まあ考えてみれば当たり前のことを認識させられた。また、「Aセクシャル」だと、「恋愛」をほぼ強制される現代において、人づきあいがきわめてむずかしくなる。そんなリアルを、(すべての「理解」は誤解にせよ、)本書からわたしは学ばざるを得なかった。さても、社会経験に乏しく、性的に凡庸なマジョリティで、「男らしさ」というものを捨てられない古くさい自分などには、驚くような世界であった。
 しかし、敢て本書で強調したいのは、これが文学としてひとつの優れた達成であり、とにかく小説として巻を措くあたわざるおもしろいものであることだ。リアルな文学は、エンタメ的にも絶対におもしろい。前にも書いたが、パワフルにして繊細な日本語には否が応でも瞠目させられる。現在の幼稚くさい日本語の氾濫の中で、異彩を放っているといいたい。
 本書にも繰り返し出てくるけれど、「トランスジェンダー」や「Aセクシャル」という言葉、また最近よく流通するようになった「LGBT」でもいいが、そうした言葉は、性的マイノリティが闘うための重要で貴重な「武器」であり、先人たちの闘争によって得られた成果であるが、一方でそれらは、言葉にすぎないともいえる。仮に「レズビアン」といっても、人間の数だけ、実態は異なるのであり、そういう言葉にすべて押し込んでしまえば、リアルは失われてしまう。そのためにすぐれた文学が必要とされるのであり、著者は痛いほどそのことをわかっているのだとわたしは感じた。 

 
夜。
本日の朝日新聞(名古屋本社版)、「片山杜秀の蛙鳴梟聴」にて、ヴィキングル・オラフソンの東京リサイタルが取り上げられていた。曲はゴルトベルク変奏曲この記事で、ヴィキングルは日本人にそれなりに認知されるのではないか。なかなか優れた紹介だったが(何様!)、やはり吉田秀和さんの不在を思う。って、わたしはそのリサイタルを聴いたわけでもなんでもなく、片山さんレヴェルの批評ができるわけでもないんだから、まったく笑わせるよね、こいつは。
ヴィキングル・オラフソンのゴルトベルク変奏曲を聴く - オベリスク備忘録
グレン・グールドの「インヴェンションとシンフォニア」、ヴィキングル・オラフソン発見 - オベリスク備忘録
 
 
月がきれい』(2017)第12話(最終話)まで観る。いやー、神アニメ来たわ。これ、feel. のアニオリ(オリジナル・アニメ)かー、中学生のめっちゃリアルなラブストーリーだった。特に第10話と最終話にやられた。進路と親との関係とかも、うまく取り込んでいたな。これ、実写でもいけそう。しかし、最後は『秒速5センチメートル』みたいになるんじゃないかと、ヒヤヒヤしたわ。ハッピーエンドが約束されていることはエンディングでわかったけれど、そこに至る現実はきびしいという、容赦しない作品だった。いずれにせよ、現実感しかなかったね。しかし、『ポラリスが降り注ぐ夜』を絶賛しておいて、『月がきれい』にきゅんきゅんしているとか、どういうおっさんだよ、俺は…。中学生だよ。ああ、尊い…。