晴。多少涼しくなったような気もする。
スーパー。
昼。
夏中咲いていた、ミニひまわり。
2023.5.11 以来、四箇月ぶりにイオンモール扶桑へ。往復に一時間かけるのが贅沢である。途中、各務原大橋からちらりと木曽川を見たり。ミスタードーナツ イオンモール扶桑ショップ。エンゼルクリーム+ブレンドコーヒー440円。
図書館から借りてきた、亀山郁夫『甦えるフレーブニコフ』(1989)読了。二週間かけてようやく読み終えた。最後にあとがきを読んで、本書は亀山さんが四十の年に、十七年間をかけた上での、青春の総決算(?)のようなものとして書き上げた、渾身の作なのだということを卒然として理解した。なるほど、それで本書そのものにデモーニッシュというか、実存的な主観的感覚の混入をずっと覚えていたのだなとわかった。これは、人文書としてむしろ長所だろう。本書はフレーブニコフの評伝として、おそらく世界最初のものだとあるが、学界の評価などはわたしは知らないけれども、わたしにはとても読み応えがあった、というか、もうついていくのがたいへんな重量級の書物だった。なかなか、こんなのはない。
夜、老父母と三人でスシロー各務原那加店にて夕食。ウチはめったに外食しないのだが、「敬老の日」つながりで、っていう口実。これで満足してしまえる我々は、何て安上がりなんだ。いろいろ注文して、楽しかった。わたしは運転手なので、アルコール抜きだけれどね笑。
今日から NHK で火野正平さんの「こころ旅」がまた始まった。いつも、これが最後の旅だと思いながら、観ている。いま、作りものでない日本のふつうの田舎が観られる、唯一のテレビ番組。
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ピケティ『資本とイデオロギー』読書ガイド - 山形浩生の「経済のトリセツ」
『資本とイデオロギー』図書館で借りられれば読むかも知れないが、この大著をきちんと読んで理解する能力はわたしにはないかも。というわけで、優秀な訳者によるクリアなガイド、これを読むのは読まないよりずっとマシそう(中身はたぶん信用していいと思う)。「左派エリート」(「バラモン左翼」だそうである)にひどく厳しい本なのだな。
NML で音楽を聴く。■ベートーヴェンのピアノ協奏曲第四番 op.58 で、ピアノはマウリツィオ・ポリーニ、指揮はカール・ベーム、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(NML)。1976年の録音。■ドビュッシーの「ヒースの荒野」「選ばれた乙女」「カノープ」、ヘルギ・ヨンソンの「フットステップス」、クリスチャン・バズーラの「水の女神」、ラモーの「ミューズたちの語らい」、クリスチャン・バズーラの「K.A.H.D.」、ヴィキングル・オラフソンの「リフレクション」、ドビュッシーの「ピアノのために」、クラークの「ドゥラゥンド・ハイク」、ドビュッシーの「カノープ」、ラモーの「ラ・キュピ」、クリスチャン・バズーラの「K.A.H.D.」、ドビュッシーの「ヒースの荒野」で、ピアノはヴィキングル・オラフソン(NML)。
ヴィキングル・オラフソンのアルバム『リフレクションズ』全体を聴いた。何のリフレクション(反映)かというと、ドビュッシーとラモー、特にドビュッシーのである。このあたりは和声理論的に分析的に聴ける能力があればもっとおもしろく聴けた筈だと思うが、残念ながらわたしにそのような能力はない。しかし、ないなりに非常におもしろく聴いた。ピアノばかりでなく、シンセサイザーを使ったりと、クラシック音楽とポピュラー音楽の混淆が見られる。
そして、ピアニストとしても現在(わたしの知る限り)もっとも才能ある人であろう。圧倒されるピアニストとしての新しさ、豊かさであり、このアルバムで弾かれるドビュッシーの「ピアノのために」は、これまで聴いた中でこの上ない見事な演奏だった。誇張なく、鳥肌が立つ、といってもいい。まとまったドビュッシー・アルバムがつい聴きたくなってしまうのであるが、そのような「つまらない」ことは、このピアニストはやらないかも知れない。ほんとうに、才能って、出てくるものなんだなあ。これまでに、ヴィキングル・オラフソンのアルバムは二枚聴いている。
●グレン・グールドの「インヴェンションとシンフォニア」、ヴィキングル・オラフソン発見 - オベリスク備忘録
●こともなし - オベリスク備忘録