近江・永源寺にて紅葉を見る / 地方消滅時代

家族で近江・永源寺まで、紅葉を見に行ってきました。永源寺臨済宗永源寺派の総本山で、室町時代(1361年)の創建に係ります。
 
九時に自宅を出発、名神高速八日市IC で降りてから、永源寺まで20分くらいか、十一時前に着きました。民間の駐車場に車を駐めて、愛知(えち)川を渡ります。

愛知川にかかる橋の上から。

観光客がたくさん来ていて、参道入口でおでんなどを食べています。こんにゃくが有名なの? 紅葉はちょうど見頃、中国語もさかんに飛び交います。


山門をバックにした紅葉。

本堂。


開山堂をバックに。


十六羅漢の一。
まさに紅葉は真っ盛りで、いちばんよい時期だったと思います。天気もよく、暑くも寒くもなく、堪能しました。
 
見終えて正午前、近くでソバでも食べて、来た道を帰る予定でしたが、ここまで八日市から国道421号を愛知川沿いに上ってきたのを、さらに三重県の方へ突き抜けてみよう、ということになります。
 まさに、滋賀・三重県境の深い山の中、国道421号を東へ。しばらくすると、愛知川を堰き止めた永源寺ダムダム湖があります。景色を期待したのですが、水がとても少なく、底が見えそうなくらいで、ダム湖の景色を楽しむ、というわけにはいきませんでした。
 
さらに山の中を走ると、道の駅「奥永源寺渓流の里」に到着。

廃校を道の駅として活用しているようです。かつては、こんな山奥にも立派な学校があったんだ、って驚きました。駐車場には、意外にもかなりたくさんの車が駐まっていて、知っている人は知っているのだな。バイクも多かったです。
 販売所で、草餅や地元製の味噌(最近、田舎へ行くと地元製の味噌を買うのを楽しみにしています)、キャベツなどを購入。そして、昼食としてわたしは山菜そばをいただきました。山菜がかなりおいしかったのだが、ここで採れたものを、冷凍にでもしておいたのかなあ。
 山奥の道の駅として、ここはおもしろかったです。
 調べてみると、国道421号八風街道)はかつては代表的な「酷道」のひとつで、有名だったようですね(参照)。いまはそんなことはないです。
 
さらに国道421号石榑トンネルという 4km を超える長いトンネルを抜けると、景色が開けて、三重県いなべ市です。石榑北交差点を左折して、国道306号に入ります。ここからずっと北上すると(国道365号経由で)、岐阜県関ヶ原に出ることができます。初めての道で、マイナーっぽい国道(?)だと思うのですが、よく整備されて快適に走れます。(ここ、歴史好きな人なら知っているかも知れない、関ヶ原の合戦で西軍の島津隊が敵中突破をしたのち、伊勢方面へ抜けた道です。)
 岐阜県に入り、途中「かみいしづ緑の村公園」にてトイレ休憩したあと、大垣から国道21号に入っていつもの帰り道。三時すぎに帰宅、総走行距離はほぼ 200km でした。
 


 
夜。
「地方消滅時代」というキーワードでぐぐってみる。この言葉は、少し前に内田樹が使っていて、それは韓国の釜山かどこかでの、シンポジウムのような場所で発言されていたと覚えている(うろ覚えだから、ちがっているかも知れない)。周知のごとく、韓国は日本以上に首都(ソウル)一極集中が進んでいて、釜山は確か韓国第二の都市であったのではなかったか知らん。それはいいので、話が逸れたが、とにかくぐぐってみた。衝撃を与えたいわゆる「増田レポート」(2014)がまず引っかかってくるし、それに対する批判的言説などもいろいろ引っかかってくる。
 しかし、わたしはこういう話に、あんまり興味がない。「増田レポート」は、人口減少と東京への一極集中で、地方自治体の少なからずが「消滅する」、というお話だと、わたしは読んだ。それはとりあえず措いておくと、田舎者のわたしには、何だかよくわからないが、「地方消滅時代」という言葉は、実感として非常にしっくりくる、ということだ。「地方の人口減少」などということもそうではあるが、特に、精神的な話でもある。地方の人間も含め、日本中の日本人が「東京化」している。メディアも書物もインターネットも、すべて精神が「東京」のそれであり、日本人の精神から多様性と豊かさが、急速に失われている。また、東京も含め、世界的に都市の精神が徹底的に「人工化」し、都市的な「文化」の底が浅くなっていて、それが地方の精神にも波及している。いまや、我々日本の田舎者は、人工的に栽培された「東京人」を薄めた存在にすぎない。
 と、極端に戯画化すればそうなる。もちろんこれは、精神的に貧しい田舎者である、わたしごときの実感でしかない。それは的外れかも知れない、しかし、そういう自分の感じに、「地方消滅時代」という言葉は、非常にしっくりくるのである。もはや地方には、「薄められた東京文化」しかなく、実質的に(文化面から見て)地方の生に意味がない、極端にいえば(もちろん例外はあるだろうが)そんな感じだ。だから、地方の若者、特に若い女性にとって、地方に魅力的な職業はほぼないし、魅力的な文化もないから、地方に住む意味もなく、都会、特に東京へ流出するのは、当然の選択になってくる、といえる。
 
わたしは今日、滋賀の山の中の国道421号を車で走ったり、また先日、奈良の山の中の国道369号を走ったりして、その「雰囲気」がとてもおもしろかった。これは、例えば写真画像や動画では伝わらないように感じる。日本の地方の道路インフラはものすごく整備されていて、信じられない山の中を、よい国道や高速道路が通っている。たぶん、日本のさらなる没落と共に、この過剰な道路インフラは維持できなくなってゆくような気もするが、それまでに日本人はそこから何かを得ておきたいように思う。
 わたしは、田舎はもはや日本文化に何の意味もないのか、そこが知りたいとよく痛感する。若い人は、(田舎の若い人も含めて)地方が消滅して何が悪いのかとか、田舎に住むとか何の罰ゲーム、っていうが、それに対して我々田舎者は、反論することが可能だろうか。地方に住むことが文化的に意味がないなら、(例えば韓国で現在起きているように)人口の首都一極集中で、何の問題もないということになるだろう。もちろん、田舎者は都会に食料を生産・供給してくれなくては困る、また、都会人が癒やされるための観光地も必要だ、というような言説はあり得るかも知れないが、わたしには何かそれは侮蔑的で、身勝手に感じないでもないわけだけれども。
 
なんてことを、わたしはたいへんなむなしさの中で書く。こうしたことは、東京の人間にも、地方の人間にもどうでもよいことだろうという気持ちが抑えられない。誰もわたしを理解しない、という感情は、じつに未熟で傲慢なそれである。まだまだだな、わたしは。Noli me tangere.