吉野・明日香・興福寺家族旅行(第一日)

奈良・吉野の金峯山寺にて秘仏の御開帳があるというので、それをメインに家族で観光してきました。
 
朝八時出発、いつものごとく東海北陸道から名神高速名古屋高速伊勢湾岸道東名阪道と経由して、名阪国道を針IC で降ります。そこで、キツネが目の前を横切るのを見ました。

道の駅「針テラス」にてトイレ休憩です。いい天気なので、バイクでのツーリング客も結構見ます。
 ここからは一般道で、山の中の国道369号をずっと南下します。まだ紅葉はさほどではありませんが、落ち着いた奈良の山間(やまあい)の道をずっと走って、とてもよい感じでした。わたしは、こういうところを走るのがいちばん好きなのだよなと思います。近鉄大阪線を越え、さらに南下、大宇陀(おおうだ)の町の中で昼食です。カーナビの独断で(?)途中から古くて細い街道に入ったのですが、いかにも山の中の町並みという感じで、なかなか来たことのないような絵のごとき素朴な地でした。中世は地侍の秋山氏というのが治め、現在は城跡があるよう、江戸時代は幕府直轄領だったそうです。
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大宇陀の静かな町並み。

大宇陀の蕎麦「まほろば」で蕎麦をいただきます。それなりに有名な店のようで、いわゆる古民家を改装したものなのですが、まだ古さが充分残る造りでした。わたしの家はわたしが小学校五年生のときにリフォームしたのですが、それ以前の百姓家屋だったのを思い出しました。蕎麦は十割蕎麦で、わたしは「ざる」を、豚の角煮(これがここの名物?なのだそうです)付きで食べました。蕎麦屋のすぐ近くの、道の駅「宇陀路大宇陀」にもちょっと寄りました。
 
大宇陀からさらに山の中を南下し、吉野に入ります。吉野川に出て、そのあたりでまたカーナビ関係でもたもたしたあと、下千本駐車場に到着。自宅から四時間くらいかかったと思います。ここから金峯山寺まで20分ほど歩きます。


吉野はこんな山の中です。

黒門。いわゆる「吉野」という区域の、ここが入り口です。

金峯山寺銅鳥居。室町期のものだそうです。このあたりから、道の両側に観光客向けの店が並びます。もちろん、有名な「吉野葛」を売る店もあります。

金峯山寺蔵王堂(国宝)。20年くらい前に老母と来たことがあるのですが、今回、こんな立派だったのかなと思いました。忘れてしまうもんですね。なお、仁王門はいま修復中で、見られません。

蔵王堂を別方向から。
今回のいちばんの目的である本尊の御開帳は、この中です。金剛蔵王権現三体ということで、いずれもお顔が真っ青に彩色された、巨大な憤怒像でした。お像近くに個室のようなブース(?)が仕切ってあって、その中でゆっくりじっくりと見させていただくことができました。

吉水神社への階段。ここの書院を、後醍醐天皇南朝の御所としたことがあります。また、源義経武蔵坊弁慶静御前などが頼朝からしばらく身を隠した場所でもあるとのこと。

重文の書院。

書院の中、後醍醐天皇玉座の間(ただし、内装は安土桃山期、豊臣秀吉の滞在時に再構成されたものです)。このようなところで「南朝」といっても、どうしようもないなというさみしい場所に思えました。

駐車場まで戻ります。坂道を歩いて、少々くたびれました。
 
橿原のホテルまでの途中に、明日香(飛鳥)に寄ります。最近整備された、牽牛子塚(けんごしづか)古墳を見るためです。

牽牛子塚古墳の遠景。斉明天皇皇極天皇)とその娘の墳墓とされます。出土したのは八角墳という特殊なもので、ただ、現在の姿は作り物です。

石室は間仕切りがあり、二人分のスペースがあります。

上からの遠望。これは、古代からさほど変わらないでしょう。明日香を遠くに納めるこのような見晴らしのよい場所というのは、もちろん意図されたのだと思います。
 
近鉄橿原神宮前駅隣の「THE KASHIHARA -DAIWA ROYAL HOTEL-」に朝食のみのプランで宿泊。夕食は、以前も訪れたことのある、近くの安い居酒屋「食べ飲み処まる」にて。家族三人とも歳をとって、あまり食べられませんでしたが、小さな居酒屋で楽しく飲みました。何か、西洋人年配女性がひとりで飲んでいて、たぶんメニューをスマホで調べていたりとか、目に止まりました。旅行客で、初めて来た店、って雰囲気でしたが。