ヴァージニア・ウルフ『病むことについて』

曇。
目覚めたら蝉の鳴き声。
 
昨晩は原作『僕の心のヤバイやつ』の既刊以降の話が読みたくなり、「ヤンチャンWeb」で課金して最新話(第124話)までレンタルするという、まあ弁解の余地のない恥ずかしいことをしていたのであるが、その市川と山田がつきあい始めて甘々という下らないラブコメ脳のまま寝てしまって朝起きて、さてと濱口先生の労働法ブログなんか読んでいたら、頭の中で両者が全然融通無碍していなくって、まだまだだなあと思わざるを得なかった。こういうのって「誰得」なんで、あまりやられないのだが、そんなことでいいのかなとか思いつつ、半分ラブコメ、半分最新労働法しているクソバカな頭でぼーっとしていたりする。
 
融通無碍っていうのはどこか換喩的(メトニミック)かなと思う。換喩ならざるところに換喩を見ていくというか。わたしはもとから換喩的思考が苦手だという、大したことのない人だ。
 

 
母診察。
昼食はモスバーガーのドライブスルーにて。モスバーガー、高くなったな。来るたびに値上げしているような印象。
肉屋。
 
ヴァージニア・ウルフ『病むことについて』を読み始める。みすず書房の「大人の本棚」の一冊。
 
夜。
図書館から借りてきた、ヴァージニア・ウルフ『病むことについて』読了。ヴァージニア・ウルフは高級文学で純粋培養されたような作家だ。それを考えると、評論のおもしろさは納得できる。最近はフェミニスト濫觴としてよく名前が出てくるヴァージニア・ウルフだが、まずは文学者というべきだろう。フェミニズムに閉じ籠めておくのはもったいない。もっとも、わたしはヴァージニア・ウルフの小説、何か読んだとは思うのだけれど、随分と昔のことだし題名すらよく覚えていない。たぶん、文庫本で未読なやつ、もっていると思う。