大江健三郎『同時代ゲーム』

強い雨
 
スーパー。うどん用の天ぷらを買いにマックスバリュへ寄る。
 
家族もかえりみず蒐書に狂った蔵書家の話をあるブログで読んだのだが、そういえば博覧強記で知られた澁澤龍彦の蔵書数は一万五千冊ほどだったという。少なくはないが、蔵書家としては大したことのない冊数だといえよう。澁澤は晩年に日本の古典について、文章を書くようになったが、それも岩波書店日本古典文学大系本とかの、普及版を主に読んでいたらしい。洋書も、稀覯本などはなかった。博識な文章の力でひとつの時代を作った人間の、それがおもしろいと思う。
 もうひとつ、露伴のあの和漢に通じた鬱蒼たる、圧倒的な学識は、図書館によるものだったというのを読んだことがある。そうだとすれば、これもまたおもしろい。
 
ぽつぽつとした雨。
長時間、昼寝。ぐっすり眠り込んでしまう。
 
 
ミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。白いポン・デ・リングブレンドコーヒー451円。
大江健三郎同時代ゲーム』(元本1979)ようやく読了。2023.6.20 かららしいので、読み終えるのに一月くらいかかったか。わたしごときでは中身の感想など書けないことだけはこれまでも書いてきた。ただ、これまでに読んだ大江健三郎の小説の中ではもっとも遠くまで行ったものであり、その綺想の異様さは、わたしの理解を超えている、というくらいしか言い様がない。たぶん著者自身すら、自分がじつは何を書いてしまったのか、理解し切ることはできなかったのではないか、そこまで行っていると思う。何かプリミティブなものと、近代・現代。性と暴力と(国家)権力。森と隠れた共同体と歴史(ないし偽史)と神話。そんな風に仮にいってみたりするものが、ごちゃまぜになってぶちまけられている。おそらく20世紀の小説の中でも、もっとも謎めいたそれのひとつであるように、わたしには見える。そう、わたしには、その程度のことしかいえない。能力不足で読むのがほんとうに苦痛だったが、それでも何とか完走できたのは、本書の魅力によると、いっていいと思う。是非、頭のやわらかい若い人たちに、読んでもらいたいものだ。

そもそも、題がなぜ『同時代ゲーム』なのか、そこからしてわたしにはまったくわからないよね。わからないことだらけだ。次の大江小説は、『ピンチランナー調書』がいいかな。