愛知県美術館でミロ展

晴れたり曇ったり。
 
愛知県美術館へ「ミロ展」を観に行く。以前から楽しみにしていた。
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しかしまあ、ミロについて、感想など書けるものだろうか。とても感動したといえばそうなのだが…、例えば、2021.3.18横尾忠則展のような衝撃的なそれではない。ミロは横尾に比べれば、いってみれば、不遜に響かないことを祈るが、わたしに近いのだ。太陽があり月があり、鳥が飛び、大地に人が、女が生きている、そういういわば「古代的」世界がミロなのだ。この展覧会ではミロと日本の強い結び付きが強調されていたが、古代的なものがいまに残る日本という意味で、「日本的」であるといっても、まちがいではないだろう、ミロ自身が、日本と自分との深い結び付きを語っているのだし。
 古代的楽天性というのか、ミロは暗い時代を生きても、基本的にポジティブである。それは「ユーモア」という言葉で表されることもあろう。ミロに絶望はないような気がする。そして、カントのいう悟性、計算し操作する知性は、現れてこない。知的でないとはいわないが、おだやかな、深い感情が要素化している。であるから、ミロは「デザイン」ではないし、「抽象」でもないのだ。古代の弥生的埴輪が抽象でないのと似たようなものである。そして、敢ていえば、ミロは都会的でもない。それは美術館を出て、名古屋のビルの間の複雑な道路を運転していて、つくづくそう思った。これは、可能なら田舎の美術館でやった方がふさわしい展覧会であったと。
 でも、そんなことを考えながら絵を観ていたわけではなくて、何だかぼーっと観ていたにすぎない。そして書いておきたいが、ミロと瀧口修造(1903-1979)の深い交流についても展示が割かれていて、これは予想していてもよかったはずなのに、まるで頭になくて不意打ちだった。瀧口は世界で初めてのミロのモノグラフを書いており、さらに、ミロと詩画集「手づくり諺」を制作するなど、深い交流があった。わたしはみすず書房の『コレクション瀧口修造』で「手づくり諺」全篇を読んでいるけれども、そこにもちろんミロの版画は収録されていない。その一部を実際に観ることができて、ちょっと感無量というか、じつは瀧口修造の自筆原稿などを観て、胸がいっぱいになってしまったくらいである。しかしこれについては、もうやめよう。
 お客さんは結構来ていたと思う。幅広い年齢層の方々を見かけたが、男女は明らかに女性の方が多かった。愛知県美術館のコレクション展は観るかどうか迷ったが、観て現実に戻る(?)ことができてよかったと思う。アルプが2点あって、意識的に観たのは初めてだった。クレーもまとめて観てみたいなと強く思った。ミュージアムショップで展覧会図録を購入、あとで開いてみたら、全展示品が収録されていて、充実していた。それから、来年ここで、岡本太郎をやるらしい。これも楽しみだ。
 なお、ミロの代表作といわれるものも含め、数点の絵画が撮影可能、SNS掲載可というのは新しい試みだと思った。ただ、わたしはぼーっと観ていて、何となくめんどうで撮ってこなかったのだが。コレクション展も一部は撮影可能だったと思う。いろいろ、時代はかわるな。
 
清須のコメダ珈琲店春日店にて昼食。ミックストースト+ブレンドコーヒー1160円。買ってきた図録を眺めて楽しんだ。名古屋江南線を経由して帰宅。各務原に帰ってくると、田舎のこちらの方が名古屋よりもずっとミロ的だなと思える。
 
 
展覧会図録を見ていて気がついたのだが、今回の展覧会の作品だけれども、ほとんどすべて日本国内にあるそれだな。驚いた。質、量ともにじつに立派なものである。やはり日本も豊かになったということなのだろう。
 

 
しかし、こうしてネットなぞ見ておると、いま芸術なんて可能なのかとつくづく思うな。例えば、現代における「世界的な」画家って誰? そう、横尾忠則はそういっていいだろう。西洋では誰なんだろう。わたしは無知すぎて、誰も知らない。音楽もそうだ。ポピュラー音楽は全然知らないけれど、少なくともクラシック音楽で、「世界」そのものから力を汲み上げてくるような作曲家を、わたしはいまやひとりも知らない。もはや音楽は、「技術」(=知的な操作)でしかないように思える。でなければ「幼稚」。これもまあ、わたしの無知によるものかも知れないが。武満さんのいうとおり、音楽は「無名性」に還っていくのだろう、それは一方で健全な気もする。「美術」も、またそうなのかも知れない。
 
夕方、驟雨沛然。
 
夜。
NML で音楽を聴く。■バルトークの「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」で、指揮は小澤征爾サイトウ・キネン・オーケストラNML)。感覚が鋭敏になっていて、何もしたくないのでダラダラとネットを見ていたら鬱々してきたからこれを聴いてみたのだが、とんでもないものを聴いちゃったな。頭をハンマーで殴られ続けているような感じ。小澤征爾、とても尋常な演奏ではない。