晴。うろこ雲が出ている。
夢。夜遅く、岐阜の目抜き通りである神田町通りを歩いている。雨で、傘をさしている。ウチへ帰ろうと思うのだが、バスも路面電車もなさそうだ。歩いて帰らなければならないのかなと思う。遅くまでやっている店の灯りがボーッと滲んでいる。
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女が弱者だ、いや非常勤が弱者だ、黒人が弱者だ、性転換したやつが弱者だ、でもオレは貧乏。こっちとあっちの弱者カードでどっちが強い。アマルティア・センの教えは、そういうアイデンティティの強弱合戦が不毛で、一人の中にいろんなカードがあるし、最後は理性で行こうぜ、という話だったんだけど。
— Hiroo Yamagata (@hiyori13) January 22, 2022
こういうのをあんまり信じてはいけない。山形さんはえらい人だけれど、「弱者カードでどっちが強いか*1って下らん、オレは理性でいってるからえらい」ってのも究極的には感情なのである。理性は確かに大事で、理性でいけるところまではいけばいいけれど、理性よりも感情の方が根源的だというのはずっと変わらない真実だ。大きな話をすると、アメリカなどの現在の「分断」も、何でも理性で解決できるという理性主義の行き過ぎがもたらしたところが大きいように思える。
スーパー。曇ってきた。
昼から珈琲工房ひぐち北一色店。『バーリン ロマン主義講義』を読み始める。「ロマン主義」というのは錯綜した概念で、もともとは絵画において適用されたそれであるそうだ。しかしバーリンは、文学・思想方面におけるロマン主義で、それが現在に繋がる汎ヨーロッパ的な、18世紀ドイツを出発点とする大きく重要な運動として捉えている。無知無能なわたしにはかなりむずかしくて、なかなか読み進められないが、バーリンの語り口はおもしろく、決して無味乾燥でない。
第二章で、ロマン主義の原点として、18世紀ドイツのヨハン・ゲオルク・ハーマンが纏まって取り上げられているのが個人的にオッと思った。だって、つい先日ゲーテの『イタリア紀行』を読んでいて、興味深く思い、調べてちょっとだけブログに書いた人だから。何かオレって、本書を読んでいると、「反啓蒙主義」「非合理主義」としてのロマン主義者に分類されてもおかしくない感じすらする。概念での整理なんて、そんなもんだな。そして、現在におけるロマン主義者とはただの反動、それも凡庸な、と直ちに片付けられてしまうものだ。
肉屋。マックスバリュ。
時雨れて虹が出た。
オウィディウス『恋の技術/恋の病の治療/女の化粧法』読了。
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しかし、頭のいい人間が溜め込んでいるルサンチマンは大変なものだな。別に我々バカがルサンチマンから免れているとは限らないが、免れているとすれば、その点でバカの方が100倍マシだとはいえる。
理性的言説が、じつに下らない、敬意を抱けない感情によって駆動されているということは、あまりにもありふれている。
夜。
『宇宙(そら)よりも遠い場所』第13話(最終話)まで観る。エンタメとしてできすぎなくらいよくできていて、正直ちょっと苦手だったのだが、2018年の覇権アニメとして有名なので、がんばって観た。女子高生四人が、民間人として南極基地へ随行するという話で、その間にいろいろあって親友になっていくという、青春ものといっていいのかな。第12話が泣けるというウワサだったが、手もなくやられましたわ笑。絵もきれいだったし、こういうのも悪くないかな。