『コレクション瀧口修造5』「余白に書くII」

曇。
夢がアニメみたいになってきて、平板だなあと思う。高校の部活動みたいな夢とか。何それ。

お隣のおばさん(実際はもうおばあさんだが、ずっとそう呼んできたので)が昨晩救急車で運ばれたそうだ。老母よりも十歳年上だそうだから、もうよい歳ではあるが。朝食のとき少しお隣の話をしたが、ほんと周囲が歳を取ってゆく。否応なしだ。

NML で音楽を聴く。■マーラー交響曲第六番の第三楽章(緩徐楽章)を聴く。指揮はベルナルト・ハイティンクシカゴ交響楽団NML)。わたしは曲の一部だけを聴くことはあまりしない方なのだが、マーラー、あんまり長いものだから。この楽章だけ聴きたいのに、90分全体を聴くのはいまちょっとつらい(この曲、特に終楽章が長い)。マーラー、長すぎるのが難点。

しかし第三楽章だけで、どうも落ち着かないことは落ち着かない。続きが聴きたくなってくる。■スクリャービンのピアノ・ソナタ第四番 op.30、第五番 op.53 で、ピアノはジャン=ルイ・ストイアマン(NMLCD)。稀なレヴェルのスクリャービン

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オカタケさんのブログを読んでいたら、『ノマドランド』観たとか。わたしがめずらしく映画館に出かけた映画だ。

途中、気力を失って放浪する若者と再会。詩を暗唱して贈るシーンあり。シェイクスピアソネットだ。ぼくは吉田健一訳に頭で置き換えて聞いていた。やっぱりいいや。

へえ、そんなシーンあったかしら。さすがだな。

曇。昼からコメダ珈琲店江南村久野店。たっぷりブレンドコーヒー530円。隣の席のおっさんが、おしぼりで洟をかんで去ったのには呆れた。田舎のおっさん(あるいはじじい)だなあ。
図書館から借りてきた、『コレクション瀧口修造5』「余白に書くII」読了。もともとわたしは一時間しか続けて本が読めないのだが、最近はとりあえずの30分がつらい。読み始めてまだ10分しか経たないのかと思ったり。30分を超えると少しラクになり、なんとか読了した。「余白に書く」とは、つまりは Marginalia ということらしい。瀧口修造は、昼の人というよりは圧倒的に夜の人だ。異界とは暗闇であろう。そこでは、時間が流れているのだろうか。何か、永遠を呼吸しているような感じがする。と書いたが、瀧口修造を読むと、わたしなどは沈黙すべきだと思えてくる。凡庸は死すべき。

 
 
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老母にいわれて金柑を齧ってみたら、確かにもう食べ頃になっている。口の中に鮮烈な味が弾(はじ)ける。酸っぱ目のやつもいい。

オウィディウス「恋の技術」を読了する。西洋古典叢書木村健治訳。リズム感のあるよい訳で、この作品は岩波文庫沓掛良彦訳他もあるけれど、けしからん(笑)書物の中身がすらすら頭に入ってくる。いやあ、内容はあんまり覚えてないな、第一巻と第二巻は男がいかに女を落とすかという「技術」の指南なのだが、第三巻は逆に女性への忠告なんだよね。いや、そうだったんだ。まことに露骨な指南は、特に第三巻に見られるのである。とても楽しく読んだし、わたしにはよくわからないが笑、現在でも全然古くなっていないのではないか。恋愛ってのは、永遠だからね。

 
夜。
宇宙よりも遠い場所』第10話を観る。

大江健三郎自選短篇』の続き。800ページを超えるこの分厚い文庫本も、ようやくあと四分の一になった。文学は人を嫌な気持ちにさせるほど優れたそれである、ということがあるが、大江健三郎はまったくそのタイプの小説家だと思う。まあ、大江の小説に嫌な気持ちになるわたしが、ナイーブなのかも知れないけれども。大江の小説は、特に何か云いたいことがある、というものではないと思う。ただ、何か未知の不愉快さを求めて、掘り進んでいくという塩梅だ。そのためには、何でも使う。別に何もおもしろくないし、何も教わらないし、ただその何か嫌な感じは不思議なものである。そんな小説のどこが「すごい」のかと問われるかも知れない。でも、やっぱり非凡なんだな。こうやって、大江の小説世界が圧縮されたものを読むと、そんな風に思わざるを得ない。
 ただこの短篇集、まだ全部は読んでいないけれど、あんまりエロいのは選ばれていないね。やっぱり岩波文庫だからかなあ。