こともなし

曇。
夢。京都のどこかの小さな山。何十もの仏教の小さなお堂が点在し、山全面が黒い木道というか、テラスというのかで平面的に覆われている。わたしはそこを上からスキーのように滑空していく。お堂はポールのようなもので、それらを横目で見ながらわたしは次々とクリアしていく。
夢。何かの仏教法要が行われるため、わたしは祭壇の一部を担当し、漢文で何か書いてある仕掛けを作る。漢文の文章はわたしが熟考して拵えた。法要はすごい人出で、祭壇は広場の中央に置かれ、法要で祭壇が立体的に展開していく。わたしの担当した部分は地味で注目を浴びるわけではなかったが、重要な部分で、うまくいってわたしはホッとする。

昨晩『イタリア紀行』を読んでいて、「北方の博士」あるいは「北方の魔術師」 Magus in Norden と呼ばれたヨハン・ゲオルク・ハーマンという人がおもしろそうだと思ったのだが、日本語ではまるで読めないようだ。検索してもほぼ何も出てこないが、日本語の Wikipedia は書きかけであっても、予想外に詳しく、英語版と遜色ない。ドイツ語版はさすがに詳しそうだが、自分の語学力ではさらりと読むわけにいかないし。
 佶屈聱牙の文体といえば晩年の澁澤龍彦が愛読したサー・トマス・ブラウンも昔から何十年もずっと読んでみたいのだが、いまだに読んでいない。こちらは翻訳があるのだが、古書でたいへんに高価である。サー・トマス・ブラウンはそれほどマイナーでなく、ペンギン文庫版で出ているのをわたしも所有しているくらいで、それを読めばいいのだが、これもわたしの語学力を超えているんだよねえ。

ごろごろ。

『呪術廻戦』第17巻まで読む。おもしろい。しかし、戦いとか殺し合いとか「最強」とか、皆んな好きですなあ。まあ、皆んなじゃなくてわたくしか。

夜、雪。
吉本隆明全集19』を読む。これまで読んだことのない、短めの文章をいくつか読んでどれも感銘したが、特に「西村博美論」を読んで、西村博美って誰だ!とびっくりした。ネットで調べてみると、いまでもほぼ無名(というのは失礼か)の詩人であるが、わたしと同じく吉本さんのこの文章を読んで、実際に詩集を買った人の文章を見つけ、これもよかったのだった。さて、どうしたものか。

吉本さんがアニメやエンタメ映画を見て書いた、「幼児性の勝利」という文章は、わたしがこのブログに書いているようなことを、既にもっと正確に言ってしまっているなと感じた。吉本さんはこの「幼児性」を決して否定しているわけでない、わたしが下らないアニメを喜んで観ているその場所を、見抜いているのだ。やっぱり吉本さんだな、と思う。