三島由紀夫『若きサムライのために』

晴。
三島由紀夫『若きサムライのために』読了。確かに本書には、三島の「空疎」といわれる部分が出ていると感じる。美意識とロジックが直結していて、お互いにくるくる回っているのだ。実感というものが、希薄というか。
 国家や民族と美意識を直結させるということは、判断がむずかしい。現代でのんべんだらりと生きている限り、そうしたことはまず考えなくても済むが、自分もそういうところに甘んじている部分はある。逆に、そうしたことを意識せねばならない時代は、大変な時代だということだろう。ただ、「日本」は意識から遠ざけられても、「日本文化」はそうできない場合、これはどうなるのか。「日本」と「日本文化」は分けられるのか。自分には決定不能であるが、頭から去らない問題ではある。まあ、問題が大きすぎるか。もう少し足元から考えねばなるまい。
 考えてみると、三島の晩年は、取り扱っている問題が大きすぎたような気もする。彼はロジックを操ることはお手のものだったから、自分のロジックに絡め取られていったようなものだった。彼の考えようとしたことは、確かに重要なことではあったのだけれど。

若きサムライのために (文春文庫)

若きサムライのために (文春文庫)

ドゥルーズを読む。