こともなし

晴。
早起き。
 
NML で音楽を聴く。■バッハのヴァイオリン協奏曲 ホ長調 BWV1042 で、ヴァイオリンはダニエル・ホープ、ヨーロッパ室内管弦楽団NMLMP3 DL)。
 
武満徹の「ノスタルジア」で、ヴァイオリンはダニエル・ホープ、指揮はウィリアム・ボートン、イギリス交響楽団NML)。おもしろかった。武満には演奏者の背景を映し出す鏡のようなところがあるかも知れない。この曲、例えば日本人演奏家なら、もっと弦のうねりを強調した演奏になるような気もする。もちろん、この非日本人による演奏が正統でないとか、そんなことをいうつもりはまったくない。却って武満の大きさを感じるというだけのことである。

ブラームスのピアノ四重奏曲第一番 op.25 で、ヴァイオリンはダニエル・ホープヴィオラはポール・ノイバウアー、チェロはデイヴィッド・フィンケル、ピアノはウー・ハン(NML)。2015年のライブ録音。ブラームス室内楽演奏として、第一級のそれだ。終曲とともに爆発的な拍手と歓声が起きるが、さもありなんという。しかし、いまだにブラームスでこれほどの演奏ができる西洋には、敗北感すら覚える、的外れの感想ではあるが。

ダウランドのリュート作品集
 
初夏の暑さ。
銀行。餃子の王将。米屋。
 
 
暑くなってきた中、散歩。散歩がめんどうくさかったので、いかないとな。脚が弱るし。代わり映えのしない写真です。














歩いていた20人ほどのかしましい女子高生たちとすれ違ったら、次々と「こんにちはー」って挨拶された笑。
 
夜。
Re:ゼロから始める異世界生活2』第24話(最終話)まで観る。エンタメとしておもしろかったことはおもしろかったが、かなり無理に観た感じ。何といっても、主人公のナツキ・スバルとヒロインのエミリアに魅力が乏しいのがつらい。まあ、人気作品たる所以はわかるのだが、僕の好みではないなあ。まだ、1期の方がおもしろかった。

家族で滋賀(野洲・近江八幡)へ日帰り

いい季節のうちに滋賀まで行こうということで、家族で遊んできました。天気はあまりよくないという予報。
 
いつものごとく東海北陸自動車道名神高速を使い、滋賀県蒲生スマートICで降りる。家から二時間くらいで、まずは野洲苗村(なむら)神社へ。苗村神社は延喜式神名帳に名前が載る、格式高い神社だそうです。国宝の本殿あり。西境内と東境内があって、西境内から参ります。

重文の楼門。ちょっと頭でっかちで、バランスがよくない感じ。

雨乞いのときの掛け声だそうで、ちょっとおもしろい。

国宝の西本殿。残念ながら全体像がよく見えません。

神輿庫。重文だそう。
東境内の入り口です。鎮守の森は円墳の並ぶ古墳群でもあります。

東本殿。曇っているため画像が光ってしまっていますが、なかなか厳かな中にあります。重文。
 
国道8号に出て、次は大笹原神社へ。しかしここはカーナビでの探し方がわからない。途中、「道の駅 竜王かがみの里」に寄ると、無料Wi-Fi があったので、持参の iPad mini で調べると(スマホをもっていないのです)、すぐ近くだということがわかりました。

山の中という感じ。ウグイスがよく鳴いていました。

国宝の本殿。室町期の建築だという。国宝にしては小ぢんまりとしているかな。山の中で、雰囲気はあります。

寄倍(よるべ)の池。伝説があるそうです。あまり聴いたことのないカエルの鳴き声が殷々と(?)響き、不思議な感じでした。
 
すぐ近くの、野洲歴史民俗博物館(銅鐸博物館)へ。

このあたりで銅鐸が出土したらしく、そのための博物館ですが、銅鐸は一部を除いてすべて複製品です。まあ、複製品でも気分の問題だけですが。それに廉価(一人200円)なので、文句をいってはいけません。

敷地内に、復元された円墳がありました。7世紀頃のもの。
 
 
野洲から近江八幡へ。ここはわたしが行ったことがないので、リクエストしました。市営の観光駐車場に車を駐め、まずは昼食。日牟禮庵というところで、わたしは天ざる大盛(蕎麦)を頂きました。蕎麦はまずまずだったけれど、天ぷらが全然よくない。また、おろし蕎麦のつゆは後味がよくなく、舌に味が残るというものでした。

町を歩きます。近江八幡はなかなか雰囲気のある町です。空襲を受けていないのかな。それから、陽が照ってきて暑くなってきました。

近江八幡市立郷土資料館。近代建築です。

旧伴家住宅。明治になってからは学校としても使われていました。

これはいまでも人が住んでいる、ふつうの家。

ちょっとおもしろい意匠の蔵。
下何枚かは、近江八幡というとよくテレビに出てきたりする「八幡堀」。かつての八幡山城の堀なんでしょうね。フォトジェニックであります。




屋形船があるので、季節によっては堀めぐりでもあるのでしょうか。

日牟禮八幡宮に寄りました。これは楼門。

拝殿。本殿が奥にあります。なかなか立派な神社です。「近江八幡」の名前は、この八幡宮があるためなんでしょうね。


能舞台

下二枚はまた八幡堀です。



白雲館。擬洋風建造物ですね。明治に学校として建てられました。

メンターム」の近江兄弟社が。これは意外でした。
こうして一時間ほど近江八幡の町を歩きました。いや、なかなかよかったです。
 
予定としてはまた野洲に戻って、というのでもあったのですが、午後二時になり、いまから帰って四時かなというところなので、ここで帰宅することにしました。滋賀ならまた来れるしね。行きと同じルートで、二時間くらいで自宅へ。総走行距離は 237.0km でした。

こともなし

日曜日。晴。
 
https://anond.hatelabo.jp/20220505163243
シロクマ先生の「ロボットやアリとして『現代人らしく生きる』ということ」というブログエントリで知った増田*1。増田はまさにタイトルどおりの中身で、シロクマ先生の返信は、むしろ増田のいっていることこそ正しい、仮に家庭や仕事で「自己実現」などしてみても所詮は幻想で、我々はすべて、交換可能な肉BOTとして資本主義の中でむなしさを忍し殺しながら生きていくしかない、みたいなものだ。いやこれ、現代の病だよね。そもそもわたしだって、「結婚してない、子供いない、仕事で自己実現できていない中年」じゃないか笑。しかし、わたしは、シロクマ先生みたいな返信はどうかなあと思う。まあ、未熟なわたしがここで上手い「解答」を描いてみせるつもりはまったくないが、増田はいいところに気づいたと思うよ。これは増田に書いて、ブクマをいっぱいもらっただけで忘れてしまうのではなくて、これを胸にしっかりといだき続けていくことは、充分出発点になるはずだ。いってみれば、この問題は自分で「解決」するしかない(その気がなければ、それで「終わり」だ)。他人に「正解」を教えてもらってどうにかなるようなものではないし、そもそも、唯一の「正解」があるかも疑わしい。どうか増田が、無限に乱反射する鏡を割ることができますように。
 
 
うまく撮れなかったけれど、ウチの白い芍薬
20220508101020
 
昼寝。
部屋掃除。
 
インスタントコーヒーや梅こぶ茶を飲みながらだらだらする。
 
NML で音楽を聴く。■モーツァルトのピアノ協奏曲第十六番 K.451 で、ピアノと指揮はゲザ・アンダ、カメラータ・ザルツブルクNMLCD)。■バッハのヴァイオリン協奏曲イ短調 BWV1041 で、ヴァイオリンはダニエル・ホープ、ヨーロッパ室内管弦楽団NMLMP3 DL)。
 
夜。
「鎌倉殿の13人」を観る。

古松崇志『草原の制覇 大モンゴルまで』 / 岐阜市民会館で落語

祝日(こどもの日)。晴。
夢。犯罪的行為による自己犠牲。
 
古松崇志『草原の制覇 大モンゴルまで』読了。岩波新書「シリーズ 中国の歴史」第三巻となる。北方遊牧騎馬民族史。いままでと視点がちがうので、画期的といえばそうだが、なかなかむずかしいな。中国北西部の遊牧騎馬民族は、中原と一体にして考察せねばならないということである。羅列される人名が、頭に残らない。しっかり読むには、最低限でも高校の世界史(中国史)の知識が必要だろう。というか、わたしはそれでは足りなかった。

 

 
昼から家族で岐阜市民会館へ落語を聞きにいく。「特撰東西落語名人会 三遊亭好楽桂文珍柳家花緑」というやつ。落語は 2019.10.22 以来で、三年ぶりということか。
20220505164716
文珍さんが新作落語で、あとの二人は古典。文珍さんが最高で、もう最初から最後まで、涙が出るくらい笑った。古典は話芸を楽しむものなのでしょうね。楽しかった。行ってよかったです。また行きたいな。
 
岐阜市・平和通り(金華橋通り)の風景。
20220505164700
 

 
夜。
『同時代禅僧対談 <問い>の問答』の第三章、第四章を読む。愉快すぎますな。こんなにおもしろい本は滅多にない。わたしのような頭でっかちポンをぶっ飛ばして粉微塵にしてくれる。

こともなし

日曜日。雨。今日も肌寒い。
 
スーパー。
 
ごろごろ。
 
雨の中、珈琲工房ひぐち北一色店。『コレクション瀧口修造2』「16の横顔」を読み始める。本は特に何も読みたくないが、瀧口修造なら読めるかと思ってもっていった。ピエール・ロワという画家はまったく知らないが、白黒写真で見るかぎり惹かれる。
愛知県美術館でやっている「ミロ展」をとても楽しみにしている。そのうち行くつもりだ。
コーヒーチケットを買う。3800円なり。
 
帰りに肉屋。豚ロース2パックを買う。
 
20220501160322
毎年同じところに咲くムラサキツユクサ
 
フーガの技法(シュ・シャオメイ)
 
夜。
「鎌倉殿の13人」を観る。僕は単純なので、この胸糞展開をおもしろいおもしろいって観ていられる人間ではないな。
 
『草原の制覇』の続きを読む。

タルコフスキーの「惑星ソラリス」

曇。
 
スーパー。
 
20220428112728
今年の初もの。ウチのイチゴ、何とか絶えずに残っている。露地ものだ。
 
あらゆるコミュニケーションは侵襲であるがゆえに暴力的である。危険というものから徹底して遠ざけられて育てられるいまの若い人たちは、コミュニケーションの暴力性に耐えられないかのようにも見える。社会全体が、(精神的に)「傷つける」「傷つけられる」ということを悪とし、できるだけ排除しようとするそれになりつつある。
 

 
ガソリンスタンド。
 
ミスタードーナツ イオンモール扶桑ショップ。もっちりフルーツスティック シナモン+ブレンドコーヒー429円。スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』を読み始める。ようやくこの本に取り掛かった。一時間かけて100ページほど読んだが、しかし、最後まで読み続けられるだろうか。ナイーブなわたしには、本書はあまりにもつらい。女が戦争に参加するということ。そして戦争が終ったあと、自分たちの声を奪われる(あるいは、みずから奪う)ということ。ソ連第二次世界大戦に勝利したがゆえに、雄々しくて輝かしい、英雄的な声(それは男性のものなのかも知れない)以外のそれは、沈黙させられてしまうのだ。それもまた、ひとつの虚偽であろう。
 まさに、戦争の言説は「嘘」に塗れている。本書はノンフィクションのジャンルに属するだろうが、著者ははっきりと「文学」ということを意識している。「嘘」に対抗する、「文学」。わたしは何となく、大岡昇平の『レイテ戦記』をはからずも思い出した。わたしは『レイテ戦記』を頭が柔軟な、若い頃に読んだが、当時はあの詳細を極めた膨大な「戦記」が、戦争が語られるときの「嘘」に対抗する小説家の「夢」として書かれたということまでは、よくわかっていなかったように思う。『レイテ戦記』もまた、ノンフィクションにして、「文学」のひとつのあり方であった筈だ。その意味においては、本書と似ているような気がしたのである。

わたしは、戦場で人を殺すということを、本書の女たちの言葉で語られた以上に、はっきりと聞いたことがないような気がする。
 

 
NML で音楽を聴く。■モーツァルトのピアノ・ソナタ第四番 K.282、第五番 K.283 で、ピアノはヴラド・ペルルミュテール(NMLCD)。■武満徹の「カトレーン」で、演奏はタッシ、指揮は小澤征爾ボストン交響楽団NMLCD)。
 
夜。
タルコフスキーの『惑星ソラリス』を観る。なるほど、こういう映画か。最後はよくわからなかったな。スタニスワフ・レムの原作は随分昔に読んだが、ほとんど覚えていない。
惑星ソラリス Blu-ray 新装版

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何十年か前の東京の首都高速のシーン(えらく長い)は、未来都市ということなのね。いまなら中国とか中東とかになるのだろうか。

河合隼雄『明恵 夢を生きる』

雨。
六時ころ目覚めるが、一時間ほど布団の中。いろいろ夢を見たが、覚えているのは友人と Rogue で遊ぶ夢。Rogue は延々とダンジョンを下りていくゲームで、そういう意味があるのだろうかと思ったり。そもそも、ダンジョンというのが夢的である。
 
雨あがる。午前中、散歩。溽し。

シャガ。


寝ている間にたくさん雨が降ったので、用水の水が濁っている。

水準点。




古墳。

カタバミ。ほっとする。庭に生えると強くて厄介な草だが。

祠の横にあった。気になる。




神明神社



白山神社

エンドウ。

自然をベースに繋がれなくなったので、人工物(コンテンツ)で繋がるようになったのだな。「風土」というのは我々の文化では失われたのかな、とか取りとめもなく思いながら歩いたり。愚かである。
既にこんなに暑かったら、夏になったら歩けないよな。麦わら帽でもかぶって、歩くかな。
 
 
昼から、珈琲工房ひぐち北一色店。『明恵 夢を生きる』の第六章「明恵と女性」を読む。明恵さんは一生不犯の清僧であったが、決して木石であったわけではない。

自我の強さに頼ろうとしながら、この跳躍ができずにいる人は、しばしば「石化」してしまう。石化したために女性と交わらない人々は、戒を守っているのではない。何もかも石化して生命力を失ったものに、戒などをたてる必要もないのである。明恵が非難しているような、単に「学問」にのみ熱心な学僧の中には、このように石化してしまった人もいたことだろう。多くの知識と堅い思考の中で、魂が死んでしまうのである。(p.335)

わたしは結婚できなかった人間なので、本章は自分に引き付けながらいろいろ考えさせられた。わたしももちろん木石でなく、これまで何人もの女性を好きになってきたし、わたしに好意をもってくれた人もいた。しかし、結果的にこうなったのは、まあ偶然でもあるし、世に偶然などないという意味では、必然でもあったろうと思う。そのあたりは、自意識を超えたものを感じざるを得ない。魂全体のレヴェルで、女性と縁がなかったということだろう。恋愛というのは、そういうことが露わになる場だ。
 
河合隼雄明恵 夢を生きる』を再読終了。第七章「事事無礙」を読んだ。明恵さんの到達点と死が書かれており、とても感銘を受けたが、わたしごときの語れることではないので、そのままにしておきたい。本書再読はわたしとしてはゆっくりじっくり行ったが、それに値する本だった。徹底して自分に引き付けて読んだ。また、中身を忘れた頃に読み返したいものである。明恵さんの「夢記(ゆめのき)」も所有していて読みたいとは思うが、わたしには到底読めまいという気もする。

 
 
とりあえず、文庫本の『明惠上人伝記』を読み始める。原文を収めるだけでなく、平泉洸氏によって全訳と注が付けられており、原文のすべての漢字にルビが振ってあって読みやすい。そのエピソードの多くが、白洲さんや河合先生の本に多少なりとも紹介され、論じられてあるのを読んだあとなので、かなり楽に読める。本書は特に江戸時代によく読まれたという。 

 
最近ネット詐欺が多いせいだろう、各種アカウントの verification が頻繁だ。特に iPad ではしつこいくらい Apple ID の確認を求めてくるのだが、強度の高い自動生成されたパスワードを使っているので、毎回打ち込むのが面倒くさい。Apple ID はブラウザに覚えさせておくということができないし。まあ、仕方のないことなのだろうけれどな。
 しかし、各種カード情報を不正入力させるサイトへ誘導するメールも、じつにしつこく来る。わかっていて乗ってみると、ほとんどの場合ブラウザが「危険サイト」の警告をしてくれるのがわかるが、そうでない場合もあるので困る(絶対にマネしないで下さい)。昔の Internet Explorer だとサイトにアクセスしただけでウィルスに感染することがあったが、いまの Edge だとどうなのだろうか。わたしが使っている Linux だと、そういうことはほとんどあり得ないのだが。そういや、Mac なんかはどうなんだろうね、よく知らない。
 
 
夜。
Re:ゼロから始める異世界生活』第25話(最終話)まで観る。さすがに大人気アニメで、エンタメとしてめっちゃおもしろかった。2クールを三回で観てしまったくらい。でも、好きなアニメかというとそうでもないかな。主人公のナツキ・スバルがあまり好きになれないし、ヒロインのエミリアもちょっとお人形さんっぽい。まあ、もちろん2期も観るけれど。死ぬとセーブポイントまで戻るというのは、RPG そのままだよね。ただ、簡単に戻れるとなるとおもしろくないので、主人公は実際に死の苦痛を体験するだけでなく、トラウマになるくらいの凄惨な体験をそのまま記憶しているという設定になっている。それが基本構造で、それを活かすよう物語がうまく作られているということ。主人公はその「死に戻り」の特殊能力以外、体力がふつうよりちょっとあるだけで、あとはほとんど何の力もないというのも、おもしろい設定だよな。