タルコフスキーの「惑星ソラリス」

曇。

スーパー。

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今年の初もの。ウチのイチゴ、何とか絶えずに残っている。露地ものだ。

あらゆるコミュニケーションは侵襲であるがゆえに暴力的である。危険というものから徹底して遠ざけられて育てられるいまの若い人たちは、コミュニケーションの暴力性に耐えられないかのようにも見える。社会全体が、(精神的に)「傷つける」「傷つけられる」ということを悪とし、できるだけ排除しようとするそれになりつつある。

ガソリンスタンド。

ミスタードーナツ イオンモール扶桑ショップ。もっちりフルーツスティック シナモン+ブレンドコーヒー429円。スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』を読み始める。ようやくこの本に取り掛かった。一時間かけて100ページほど読んだが、しかし、最後まで読み続けられるだろうか。ナイーブなわたしには、本書はあまりにもつらい。女が戦争に参加するということ。そして戦争が終ったあと、自分たちの声を奪われる(あるいは、みずから奪う)ということ。ソ連第二次世界大戦に勝利したがゆえに、雄々しくて輝かしい、英雄的な声(それは男性のものなのかも知れない)以外のそれは、沈黙させられてしまうのだ。それもまた、ひとつの虚偽であろう。
 まさに、戦争の言説は「嘘」に塗れている。本書はノンフィクションのジャンルに属するだろうが、著者ははっきりと「文学」ということを意識している。「嘘」に対抗する、「文学」。わたしは何となく、大岡昇平の『レイテ戦記』をはからずも思い出した。わたしは『レイテ戦記』を頭が柔軟な、若い頃に読んだが、当時はあの詳細を極めた膨大な「戦記」が、戦争が語られるときの「嘘」に対抗する小説家の「夢」として書かれたということまでは、よくわかっていなかったように思う。『レイテ戦記』もまた、ノンフィクションにして、「文学」のひとつのあり方であった筈だ。その意味においては、本書と似ているような気がしたのである。

わたしは、戦場で人を殺すということを、本書の女たちの言葉で語られた以上に、はっきりと聞いたことがないような気がする。

NML で音楽を聴く。■モーツァルトのピアノ・ソナタ第四番 K.282、第五番 K.283 で、ピアノはヴラド・ペルルミュテール(NMLCD)。■武満徹の「カトレーン」で、演奏はタッシ、指揮は小澤征爾ボストン交響楽団NMLCD)。

夜。
タルコフスキーの『惑星ソラリス』を観る。なるほど、こういう映画か。最後はよくわからなかったな。スタニスワフ・レムの原作は随分昔に読んだが、ほとんど覚えていない。

惑星ソラリス Blu-ray 新装版

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  • ナタリア・ボンダルチュク
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何十年か前の東京の首都高速のシーン(えらく長い)は、未来都市ということなのね。いまなら中国とか中東とかになるのだろうか。