佐々木孝『原発禍を生きる』 / 反レイシズムの行き着く先

晴。

NML で音楽を聴く。■バッハのパルティータ第四番 BWV828 で、チェンバロはクリスティアーネ・ジャコテ(NMLMP3 DL)。第五番を聴こうと思ったら、そこに第三番が入っていた。第三番が二つありますよ。■モーツァルトの「デュポールのメヌエットによる九つの変奏曲」 K.573、アンダンテ ヘ長調 K.616 で、ピアノはシュ・シャオメイ(NMLCD)。■武満徹の「エクリプス(蝕)」で、尺八は横山勝也、琵琶は鶴田錦史NMLCD)。■武満徹の「芝生」、「手づくり諺」で、指揮は山田和樹、東京混声合唱団(NMLCD)。■ブラームスピアノ五重奏曲 op.34 で、ヴァイオリンはペーテル・アゴストン、ヤーコフ・ルビンシテイン、ヴィオラマルティン・ヤネッケ、チェロはカーメル・サラ=エル=ディン、ピアノはイリーナ・エデルシュタイン(NML)。よかった。

Brahms: Piano Quintet Op. 34, Clarinet Quintet Op. 115, Piano Quartet Op. 26

Brahms: Piano Quintet Op. 34, Clarinet Quintet Op. 115, Piano Quartet Op. 26

  • 発売日: 2010/01/26
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畑を歩いていたらあんまりいい天気だったので、ちょっと散歩してきた。


ここまではウチ。

これはお隣の畑の菊。きれいである。


セグロセキレイ











カルガモたち。

昼近くに歩くのは、犬の散歩の人たちとあまり出会わないのがいいな。


ミスタードーナツ イオンモール扶桑ショップ。エンゼルフレンチブレンドコーヒー429円。『原発禍を生きる』の続き。

佐々木孝『原発禍を生きる』読了。論創社刊。

原発禍を生きる

原発禍を生きる

 

夕飯は常夜鍋。この冬最初の鍋料理でした。うまかった。


日本にも依然としてある、レイシズムとはなにか|ちくま新書|梁 英聖|webちくま
ちくま新書の「試し読み」であるが、おもしろい。ここに「日本人も朝鮮人も同じ『黄色人種』だということ自体がレイシズムである」という文章があるが、わたしは一瞬理解できなかったですね。わたしはレイシズムというものをあまり深く考えたことがないが、自分の気づかない差別・偏見が自分の中にあることは確実であるだろう。レイシズムというのはむずかしい。グレーゾーンに居ることが許されないからだ。わたしはレイシストであるかレイシストでないか、どちらかしか許されない。そして、かかる峻別は科学と正義の名によって行われる。こうなると、わたしのように「なかよくやろうよ」的にのんびりしている人間は、そうでないと主張してもレイシストに分類されてしまうことであろう。そしてこの文章によれば、レイシストは最終的に「殺人者」、あるいは「殺人者」を許容する人間ということになる。ほんと、どうすればよいのだろう。
 まったくちがう話だけれども、わたしにはレイシズムナショナリズムはある意味では非常によく似ているように見えてしまうが、レイシズムは絶対的に許容不可能と見做されているのに対し、ナショナリズムはむしろ推奨される。ここのところも、よくわからない。いずれにせよ、一種の「論理的分断」だからである。この文章には「反レイシズムによってナショナリズムレイシズムを切り離すこと。これが本書の第三のテーマである」とある。「本書」をまだ読んでいないわたしなんかには、その区別はご都合主義のようにも見えてしまうが、それはわたしが不勉強だから、そして考えが浅いからということになってしまうのであろうな。とにかく、これらのことは継続的に考えることになるかも知れない。

それにしても、たぶん著者のような人には、レイシストの気持ちは絶対にわからないだろうな。レイシストもまた自分の「正義」を主張するが、ほんとのところで差別が「いけないこと」だということがわからない筈がない。差別が「いけないこと」だとわかっていて、その上で差別しているのである。言葉では反レイシズムに対抗できないから、フェイクニュースを信じてみたり、追い詰められて暴力を持ち出したりするのである。これこそが、今回のアメリカ大統領選挙で見られた「分断」そのものなのだ。反レイシズムは、レイシストたちを殺害・殲滅し尽くすしか、レイシズムを撲滅することはできないのかも知れない*1。そして反レイシズムは絶対的な正義だから、そこまでやるとしてもわたしは驚かない。

もちろん、わたしだってレイシズムがいいことと思っているわけではない。しかし、その解決ははっきり言ってわたしの能力を超えているのを感じるしかない。

*1:現実的には、レイシズムを「病気」と見做し、レイシストを薬物などで「治療」「無力化」するという方向に進むかも知れない。ペドフィリアなどは、既にそうなりつつある。