こともなし

晴。
若い人の夢を見た。なつかしい感じがしたが、さてもわたしは若い人たちから遠い。しかし、彼ら彼女らは、何でああもモダンから遠くへ行ってしまったものか。「何で」って言ったって仕方ないのだが。まあ、それが高度資本主義の展開というものであろうけれども…、でも若い人たちだって誰もが所与を消化し切れるわけではあるまい。幼稚、物語、エンタメ、まさにかつての『批評空間』の射程を完全に超えている。わたしごときには、それが何なのか、よくわからない。そして、さらにコミュニケーションの齟齬というものがある。インターネットというものもある。彼ら彼女らは、むずかしい課題を背負い込んでしまっているよ。繰り返すけれど、それが高度資本主義の現在的展開というものなのだろうが。

午前中、母診察。
肉屋。昼食はモスバーガーのドライブスルーで買おうと思っていたのだが、激混みだったので「ほっともっと」で。わたしはロースカツ丼、老父母は特のりタル。

保険屋、なんか手続きに来る。まあ向こうも商売なのだが、保険を売ろうという相手がまちがっているよ。わたしは妻も子供もおりませぬ後期おっさんですがな。保険は未来のある人に売って下さいな。

夕飯までごろごろ。


夜、佐々木孝『原発禍を生きる』を読み始める。「つまり日本の社会があまりにも規格どおりに、マニュアルどおりに、安全に、確実に、作られていること、いやそれが悪いのではなく、それにあまりにも慣れすぎているという事実こそが問題ではないか、と思い至ったのであります。」(p.61)