森安達也『東方キリスト教の世界』

曇。
 
『東方キリスト教の世界』の続きを読む。おもしろい。本書は東方キリスト教についてだけの本ではない。後半のマリア信仰について、天国と地獄について、正統と異端、ロシアにおけるキリスト教など、簡潔ながらわたしのよく知らないところを啓蒙してくれる。我々日本人には、キリストの母、マリアに対する信仰については見当が付きにくいのではないか。これは「父性」を前面に出すキリスト教における、「母性」を担う「影」の部分であり、古い起源と大きな広がりをもっている。
 また、キリスト教における「正統と異端」の問題について。キリスト教ほど異端を生んだ宗教はないが、それはスコラ学を作り出したカトリックにおいて特に著しい。有名な異端審問も、カトリックの強い南フランスやスペインでとりわけ猛威を奮った。「正統」ということを決定する機関のない東方キリスト教では、公会議以降、「異端」を作り出すということはなかったように見えるが、もちろんわたしにそんなことは断言できない。

本書に異端のひとつとしてグノーシス主義が出てくるが、これは重要なのに、何だかわかりにくい。グノーシス主義は古代アレキサンドリアの知識人たちの主に作り出したものであり、現代に通じるところがある、確かそんなことを以前読んだ気がする(うろ覚え)。ハンス・ヨナスはかつて目を通したが、すっかり中身を忘れてしまったな。
 
森安達也『東方キリスト教の世界』読了。広大深遠な学の世界を垣間見て、めまいのするかのようだ。著者は1994年に53歳の若さで没せられた、碩学であったらしい。大学時代はロシア語と言語学を学びながら、ギリシア・ローマの古典文学に惹かれ、大学院では西洋古典学を学ばれたという奥の深さで、そのスラブ世界とギリシア文化の接点としてビザンツ文明に関心が向かった地点から、ギリシア正教(東方キリスト教)の世界に足を踏み入れられたとのことである(p.362-363)。わたしごときとは比較にもならないが、個人的にビザンツ文明には(日本から見た)辺境性とエキゾチスムを覚えるのであり(我が幼稚であり、オリエンタリズムともいえるだろう)、かねてから惹かれてきた。本書を読んでいても、著者の幅広い教養が至るところに感じられるのであり、優れた学問的文体といい、それゆえにこそ一般人が手にとって価値のある人文書だといえるのだと思う。
 
 
母検査。モスバーガーのドライブスルーで昼食を買う。結構高い、ハンバーガー一個で400~500円といったところか。
肉屋。ここのは安くてうまい。

NML で音楽を聴く。■モーツァルトのピアノ・ソナタ第六番 K.284 で、ピアノはカール・ゼーマンNMLCD)。■ルーセル交響曲第四番 op.53 で、指揮はシャルル・デュトワフランス国立管弦楽団NMLCD)。これでデュトワによるルーセル交響曲全集を聴き終える。前にも書いたけれど、近頃これほど異物感のあった音楽はない。じつにへんな曲たちだと思う。それを具現化したデュトワもすごい。
 
 
珈琲工房ひぐち北一色店。
『コレクション瀧口修造8』を読み始める。「パリのスタイン嬢」という、若い頃のガートルード・スタインを活写した文章(瀧口による抄訳である)がひどくおもしろい。ガートルード・スタインについてはわたしは名前しか知らないのだが、美術品コレクターとして有名なのだな。詩人、小説家でもある。彼女の本は県図書館に数冊あって、自伝もあるようなので、今度借りてくることにしよう。
 はてなキーワード(現・はてなブログタグ)でガートルード・スタインの語の入ったブログを見ていて(このところ、わたしは積極的にはてなキーワードを利用していろんなブログを見ている)、ヘミングウェイとの関連で言及されているのが目についた。「ロスト・ジェネレーション」の名付け親は、ガートルードなのだな。金に飽かせて好き勝手に生きたお嬢様だった、ということだったのか。しかし、いまではフェミニズムの文脈でも語られよう、ヴァージニア・ウルフとよく似た、女性モダニストということか。

 
 
レベッカ・ソルニット『わたしたちが沈黙させられるいくつかの問い』を読み始める。フェミニズム本。フェミニズム、あんまり知的でむずかしすぎるな。レイプ、DV(ドメスティック・バイオレンス)、セクシャル・ハラスメント、家父長制、女性差別ミソジニーバックラッシュ、無意識に及ぶ女性の従属化、恒常化していた、男性から女性への(肉体的あるいは精神的な)暴力、女性の声が奪われ、沈黙させられてきたこと。まったく、擁護の余地がなく、男性として「ごめんなさい」という他ない。こんなことで、男性と女性は「和解」可能なのか。
 著者は基本的にポルノを認めないし、また反フェミニズム的なコンテンツ一般を認めないように思われる。わたしは男性の一部(わたしも含む)にはポルノが必要な気がするが(男性のエロティシズムの発動には、下らないといっていい幻想が不可欠のように思える)、フェミニズムを内面化した男性は、ポルノなしで済ますようになっているのかも知れない。また、日本のアニメなども、著者のフェミニズムからすればたぶん多くがアウトだろう。著者は、「表現の自由」の規制をかなりの程度許容し、想像力を取り締まるタイプのフェミニストだと思える。まあ、アニメなんかも、時代に寄り添っていくか、でなければゆっくりと滅びていくべきなのであろう。非論理的な跳躍になるが、フェミニズムと反出生主義は、どこかで繋がっているのではないかという気もする。もちろん、本書がそんなことをいう筈はないが、フェミニズムにはどうしても男女を連帯させない何かがあって(いや、最良のフェミニズムはそうあるべきでないが)、それが出生を肯定させない、そんな感じ。実際、はてなキーワードで反出生主義のブログを検索すると、そういう例がちらほら見られる。
 

 
夜。
コードギアス 反逆のルルーシュ」第8話まで観る。OPもEDも独特の雰囲気があるな。