オクタビオ・パス『鷲か太陽か?』

晴。
 
スーパー。風が弱いので暖かい。
 
昼から 2023.9.19 以来の、イオンモール扶桑へ。外気12℃で暖かい。ミスドでザクザクカスタードフレンチ+ブレンドコーヒー484円。混雑していてひどくやかましい中、読書(却って集中できるくらいだ)。オクタビオ・パス『鷲か太陽か?』読了。散文詩シュルレアリスム的な短篇が収録されている。冥いといえば冥いが、こうした深層の冥さを切り捨ててしまった我々は、表層の全面的な明るさの中に剥き出しの暴力が跳梁跋扈する現実を生きることになった、という気がする。これはむしろ、後退なのではないか?

あーあー、どうでもいいですよね。わかってます、わかってますとも。
 
二十世紀の天才的物理学者ヴォルフガング・パウリの夢に関する、ユングセミナー記録『パウリの夢』を読み始める。現代においてユングは危険視され、著書を読んでいるだけで「非科学的な」人間であると見做されるだろう。ここに、我々の躓きがある。
 一方で、ユングは西洋人である。東洋的精神世界とは、随分と隔たりがあるのも事実だ。例えば日本人は(日本独自の)「アニメ文化」というものを作り出したが、それは一種の自然発生的な「精神分析の実践」と見做すこともできる。(もっとも、わたしはそのようにアニメ作品を分析・解釈しようと思わないが。既に、そんなことはネットなどでいくらでも行われているから。いずれにせよ、)そんなことが常時なされている日本人の精神世界と、ユングの「学問」は、かなりかけ離れている、といえる。そのあたりの溝は、河合隼雄先生が一生かけて考え続けたところのものであった。もっとも、河合隼雄先生自身、ある意味「危険視」(あるいは「蔑視」)されていないとはいえない、かも知れないが。
 
 
夜。
備忘録。小澤征爾さん死去。享年八十八。
大江さんが亡くなり、小澤さんも亡くなった。といっても、いまの卑小な我々に、このふたりの実際の大きさはわからないな。
わたしの指揮者というとベルナルト・ハイティンクと、マリス・ヤンソンスと、この小澤さんだったが、これで皆んな死んでしまった。
 
 
思い通りにならないことに耐えられない子どもたち――現代の不登校の背景にあるもの|ちくまプリマー新書|藪下 遊,髙坂 康雅|webちくま
ここで主張されていることが的を射たものかわからないが、いかにもありそうなことではある。しかし、あまりにも(フロイトラカンの)「精神分析学」的な話でびっくりする。上で挙げた(ユング派の)河合隼雄先生は、日本人の「父性」の弱さを指摘して、これからはある程度(西洋的に)「父性」を強化することの必要性を指摘しておられ、わたしは日本におけるフェミニズムの展開とかも、その「父性」の強化の体験だと思っていた。しかし、これがもしそうなら、「父性」の強さどころか、「母性的甘え」に呑み込まれ、幼児的全能感を克服できないという、事態かとも思える。まあ、よくは知らないけれども。テキトーにいっています。
 
【公式】『色づく世界の明日から』OP主題歌 ハルカトミユキ「17才」ノンクレジット映像 - YouTube
『色づく世界の明日から』の MAD いろいろ観たけれど、やっぱり実作の OP がいちばん上手いか。当たり前かも知れないが、さすがにプロだな。しかし、ハルカトミユキの「17才」、YouTube で合唱やら室内楽やらピアノやら、個人の「歌ってみた」やら、いっぱい動画が上がっているね。
 
 
神のみぞ知るセカイ』(2010)第7話まで観る。ひさしぶりに来たな、神アニメ。ラブコメというよりはほとんどギャグコメディだが(笑える)、ところどころにシリアスがうまく挟んである。女の子たちのキャラデザもいい。ほんと、この頃のアニメがいちばんおもしろいな、黄金時代だ。ギャルゲーの「落とし神」が現実の女の子を落とす(落とさざるを得ない笑)というのが、アホみたいだけど斬新。ポンコツ悪魔もかわいい。