『コレクション瀧口修造10』 / 「色づく世界の明日から」(2018)を観る

曇時々晴。
 
スーパー。
マックスバリュ。いわし団子を買いに寄る。ここ、客が多いなあ。
 
梅の枝にジョウビタキが来ていた。
 
昼。
そういえば、「今年の漢字」は「税」であるそうだ。わたしはこの感覚、全然わからないな。今年、税に関する何があったというのだろう。インフレのことかな? でも、それは税とはあまり関係がないでしょう。
 わたしの個人的な印象を挙げてみれば、世界ではもちろん「戦」あるいは「殺」、日本(人)では「崩」でもあろうか。でもまあ、こんなことにあまり意味はない。とにかくこの一年、気楽に暮らしながら、生きることがほんとしんどかった。家族でご飯を食べるのが、毎日の数少ない楽しみだったと思う。でも、それだけで充分だという気もする。
 
 
ミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。ポン・デ・シュガー+ブレンドコーヒー451円。
図書館から借りてきた、『コレクション瀧口修造10』をようやく読了。読み始めたのが 9.27 だから、三箇月もかかったのか。一時間あまりかけて頑張って読んだが、瀧口修造をこれだけの時間読み続けるというのは、わたしとしてはかなりしんどい。特に第三部「プリミティフ芸術」がおもしろかったかな。内容としてはとっくに乗り越えられてしまっているのかも知れないが、瀧口の文体はまだ無用となってはいない。文体の偉大さは、精神の偉大さなのだから。瀧口という精神の全体性は、現在における知的な細分化と浅薄(せんぱく)化で見失われてしまった。クラシック音楽における、吉田秀和さんも同じことだ。まず最初に言葉(概念)がきてしまう、これがわたしたちの課題である。我々から言葉を取り去ってしまえば、貧弱な裸体を晒すだけのことでしかない。って、いつも同じこと、いってんですけど。ハハ。

 
帰りに肉屋。ガソリンスタンド。
 
 
夜。
リセットするとこれまで処理し切れていなかった汚い感情がたくさん湧き上がってきたり、克服できていない自分の弱さが出てきたりするが、恐れることはないのである。というか、意外とチャンスだ。それらに捕らわれることなく、出るものは出させて、根を見つめてやればいいのだ。もう一度始めからで、底も浅くなるが、いままでやってきたことがまったく無駄になるわけではない。
 
 
『色づく世界の明日から』(2018)第13話(最終話)まで観る。P.A.WORKS の大傑作、なんだけれど、このラストかー! 悲恋。ちょっとショックで立ち上がれない。
 何度も書いたけれど、まずはすばらしい作画。こんなに惹かれた絵はない。キャラデザも声優もよくて、主人公の瞳美(ひとみ)ちゃんから、メインキャラクターみんな魅力的に描かれていた。舞台の長崎の街も、透明な雰囲気が出てたし、ハルカトミユキの OP曲もぴったりだったし、これまでこんなに心奪われたアニメは初めて、よほど自分に合ったのだろうな。
 それだけに、ラストは納得はしているけれど、そのまま悲恋だった。まあ、この透明で美しい世界が、悲恋を呼び込んだような気もする。しかし、瞳美ちゃん、花をもってお参りって、ああ、あの人のだよね…。かなし。評価を見てみた。酷評と絶賛にくっきり分かれているという感じで、よくわかる。酷評は、途中まで退屈すぎっていうのが多くて、なるほどなーって思った。自分は序盤のゆっくりとした、繊細な心理描写で静かなところが大好きなんで、人の感じ方はいろいろだな。(あと、ラストに文句をつけている人はほとんどいなくて、これはちょっと意外だった。)本作はオタクアニメっぽいところはないので、そういうのを求める人はちょっとちがうと思う。
 
なるほど、こういう終わりをビターエンドっていうのか。ニュアンス出ている言葉だなー。確かに、バッドエンドではないしな。
 神作画京アニの『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』を引き合いに出している人がいたけれど、自分も同じことを思っていた。まさに甲乙つけがたい。