『KAWADE道の手帖 種村季弘』 / 「PSYCHO-PASS サイコパス」(2012)を観る

雨。台風来たる。
夢。高いオフィスビルの建ち並ぶ中、そこそこの高さのむき出しの細い鉄塔に、危険をおかして徒手空拳で(?)登る。上でパフォーマンスなど、したのか? 何かと闘ったりもしたかも知れない。いずれにせよ、道ゆく多くのスーツ姿のサラリーマンたちなどは、気に留めることもなく、無関心に歩いていく。
 
先日焼きそば用の肉を買い忘れたので、風雨強い中、朝いちばんで肉屋へ。ちゃんと開いていて、お客も数人来ていた。焼きそば用の豚ロースだけでなく、しょうが焼き用、カレー肉なども買う。
 
昼食に焼きそばを作る。敗戦の日、たまたまテレビに向かって、正午黙祷する。
 
 
図書館から借りてきた、『KAWADE道の手帖 種村季弘』(2006)を読む。松山巌坪内祐三の対談、松田哲夫高山宏、高山宗東、池内紀、谷川渥、大空咲穂あたりの種村論がおもしろかった。高山宗東というのは知らない人だが、なかなかおもしろい文章を書かれる。何者なんだろうな。
 いまは種村季弘(1933-2004)のような人は出ないけれど、時代として「土台」が壊れている(参照)から、当たり前だと思う。これからの人が取り組むべきはそこだけれども、あまりにもいろいろな能力が必要で、むずかしい。まあ、いたずらに嘆いても、仕方がないわけだが。

種村さんの本では、未読の中で『ヴォルプスヴェーデふたたび』(1980)と『ビンゲンのヒルデガルトの世界』(1994)が読んでみたくなった。これが困ったことに、近くの図書館にない。どうするかな。
 『ヴォルプスヴェーデふたたび』は古書価が安いので、「日本の古本屋」サイトで購入する。ただ、状態がわからないものを注文したので、あたりかハズレか、どうでしょう。
 
 
夜。
PSYCHO-PASS サイコパス』(2012)第22話(最終話)まで観る。驚くべき傑作。作品としては『攻殻機動隊』より上かも知れないな。心情的かつ哲学的に、犯罪者である槙島に説得されてしまいそうだ。実際、管理社会はむしろ善(あるいは必要悪)であり、かつ不可避であるという考え方は、いま、特に社会科学系の学者にはめずらしくもないだろうし、そうなると、自由を重視して*1それに対抗しようとする槙島は、一定数の人にはヒーローであると見做されてもおかしくなくなる。この作品を観れば、市民を管理するシビュラシステムのグロテスクさは、わたしには疑いないように思える。正直いって、わたしは自分がこの問題に対しどう考えたらよいか、よくわからないのである*2。それくらい、この作品は重要なところを突いてきている。もちろん、シビュラシステムは極端な管理システムだが、もっとマイルドなシステムならよいのか? 現実に社会の管理化は、官民合わせて*3進行し続けているのだ。中国は、高度な管理都市のノウハウを「一帯一路」に向けて輸出しようとすらしているし。日本も管理社会化という点で、例外ではない。

*1:いや、槙島は必ずしも自由の闘士ではないかも知れない。しかしここではそれは措く。

*2:わからないといっても、わたしの心情は反管理社会にある。それはまちがいない。しかし、管理社会に反対するとして、対抗措置としての犯罪まで許容すべきなのか? そうなると、もうはっきりしなくなるのも事実なのだ。

*3:民間による管理社会化は、重要だと思う。我々は国家による管理は警戒しやすいが、資本主義の要請による民間企業による管理社会化には甘い傾向がある。我々は、自由より「便利さ」の方を好むのだ。