イオンシネマ各務原で「君たちはどう生きるか」を観る

晴。酷暑。
 
朝いちばんで、イオンシネマ各務原へ『君たちはどう生きるか』を観に行ってきた。この、おそらく宮崎駿監督の最後になるだろう作品については、まるで興味を抱いていなかったし、公開されることすらまったく知らなかったのであるが、ネットでいくらか他人の感想を読んだりして、どうもわけのわからない作ということで、迷ったが観てみることにした。ジブリは、ネット配信がないしね。
 確かに、支離滅裂な話ではあったな。線型的な説明のつくそれではない。宮崎駿監督の世界はこれまでも広大であり、そして何よりも意識の非常に深いところまで到達してきたものであるが、この『君たち』についてもそれはそうである。が、その意識レヴェルが作内でひどく混乱しているというのがまず感じたことだった。
 表層は太平洋戦争下の日本であり、主人公の真人(まひと)は空襲で母を失った少年である。そしてその真人と若くて美しい継母(実母の妹)が、ファンタジックな異世界(=深層世界)に入り込み、真人は継母を探す。その二つの世界が、話としてうまく関連していない。また、異世界においても、現実に近い冒険活劇と、象徴的階層、さらにもっと深い、四大のエレメントの階層が、混乱してごっちゃになっている。
 実際、この映画にうまく入り込めなかったわたしが最初に惹かれたのは、実母の象徴的存在である少女があやつる「火のエレメント」であり、大海原を満たす「水のエレメント」だった。そして、老賢者のような「大叔父」の組み立てる、積み木のような白い石(=鉱物)。この「石」には、とても惹かれた。また、「大叔父」の頭上に浮遊する、黒い巨大な岩石。しかしそれらは、物語の中で積極的な役割を主張しない。わたしにはこれらの存在は印象的であったが、擬人化された「鳥たち」と戦う冒険活劇は、なにもおもしろくなかった。何かが、ちぐはぐなのである。
 真人の探す義母が妊娠している、それもうまくつながらない。真人は彼女がきらいなのに、少女(=実母)と一緒に彼女を探す。義母は出産をまぢかに控えた床にあり、真人はその様子を見るが、それがタブーを犯したことになるという。よくわからないが、確かにこの異世界は生と死の入り混じった、中間的な領域であり、現実の裏側にあってより根源的なそれといっていいだろう。その頂点(あるいは最下部、抽象的な領域)に、「大叔父」がいて、世界を存続させている。「大叔父」は自分の世界はあと一日しかもたない、真人は自分の役割を継げといい、それが『君たちはどう生きるか』という、本作のテーマなのかとも思う。しかし、真人はそれを拒み、異世界は崩壊する。わたしは、世界は崩壊するんだと思う。
 その「崩壊」をどう捉えるとよいのだろう。まあ、あまりマジメに見做さないでほしいが、わたしは、「深い根源的世界はあとしばらくで崩壊する、君たちは、愛と友情をもって現実の残りの時間を生きよ」、そんなようなものを受け取ってしまった。それは、わたしの中の何かが既に壊れているからかも知れないが。
 なお、わたしは吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』を読んでいない。本作に何の関係があるのか、わたしにはまったくわからなかった。
 

 
映画は早朝割引で1300円、観客は20人くらいで、思っていたよりずっと少なかった。イオンモール内のコメダでいつもの昼食を食べたが、さすがに深いところが刺激されていて、ずっとぼーっとしていた。本屋へも寄ってみたが、浅はかで汚らしく感じられた。
 こういうときに運転って、ちょっとあぶないよね。駐車場の車の中は灼熱地獄で、ハンドルが灼けるように熱かった。肉屋へ寄ってから帰宅。
 
 
宮崎駿監督の作品というと、タワマンの37階で三日に一度は子供に宮崎アニメを観せて子育てしている母親、みたいなイメージがわたしにはあるのだが、この『君たちはどう生きるか』もそんな風に使われるのだろうな、って思ったり。まあそこまでではないにせよ、わたしの教え子には実際ジブリアニメで育った、優秀なマジメ人間がいたしね。自然の等価物として見做されているんだろうな、宮崎作品は。
 
夕方、ガソリンスタンド。30リットル入れたら 5000円超えたか。高くなったなー。
 
夜。
『女神寮の寮母くん。』(2021)第2話まで観る。宮崎アニメのような名作を観てしまったので、軽いバカ作でバランスを取る。下らねー笑。配信だけれど見えてます。作画ムダにきれい。マジメな人は見ちゃダメ。