こともなし

晴。
 
NML で音楽を聴く。■ブラームスのピアノ協奏曲第一番 op.15 で、ピアノはエミール・ギレリス、指揮はオイゲン・ヨッフムベルリン・フィルハーモニー管弦楽団NMLCD)。音量を絞って聴く。いろいろ考えさせられた。ブラームスは確かにダサいのだが、僕はほんとにブラームスが好きなんだよな。高さと深さ。空気の薄い高みにいたところで、誰もいないということ。登るのはそうむずかしいことではないが、降りていくのはむずかしい。高みには、それに対応した深さがないと片手落ちだということ。世界軸(アクシス・ムンディ)。世界樹
 
深さのない高さは欺瞞であり、他人を腐食させる。世界軸を作らない。アカデミズムの害はそこだ。
 
昼飯に焼きそばを作る。
生きとし生けるものへの惻隠の情を瀰漫させていないと、精神は飛んでもないところへ至ってしまうこと。ということを保って昼寝(笑)。
 
 
親戚の方に苗をもってきてもらったので、ミニトマトを植える。

まあ、幼稚園児のお遊びみたいなもんだけれどねー。
ついでに樋が檜の落ち葉で詰まっていないか確かめる。
もうアジサイが咲き出したな。
半分意図的に部屋に逼塞して精神の安定のむずかしさを実感しているのだけれど、外へ出てみれば世界は無限だ。まあ、今日なんか暑いし、蚊に食われたりするけどね笑。
 
 
スーザン・ソンタグのエッセイ「バルトの想い出」(1980)を読む。わたしはソンタグの感傷的なようなエッセイが好きなのかも知れない。若い頃にロラン・バルトは結構読んだ筈だが、たぶん何も理解しなかったし、何が書かれていたか、ほとんど覚えていない。このエッセイが書かれたのが1980年ということは、わたしが読んでいたとき、バルトはもうこの世の人ではなかったのか。それでも、日本を論じた『記号の国』、そしてその「日本の中心は空虚である」(東京の中心に皇居があるということから、着想された)という有名な文句とかは、あちこちでよく見かけたものである。バルトは当時の、知的意匠のひとりであり、現在では急速に忘れ去られた。ソンタグが最後に会ったときのバルトの最後の言葉は、「やあ、スーザン、いつも真面目だね」っていうものだったそうだ(p.191)。ほんと、スーザンはいつもマジメで、本書でもヒトラーナチス関連の文章は、非常に厳しいものである。それだけだったら、わたしはとても本書を読めないだろう。
 
早寝。