「生命」の核心は情報化できない、では、モノの「モノ感」は情報化可能か?

薄曇り。
心の土台と心の純粋な要素は、水とアルコールが入り混じるように混淆していると中沢さんは、『精神の考古学』で述べていたと思うが、この混淆を分離して、心の純粋な部分の中に住まうことは、ある程度必要だ。ただ、この状態は恒久的なものではない。意図的に保っていかないと、たやすく失われてしまう。それに、常に心の純粋な部分に住まうことが、必ずよいことだと、わたしに確信できているわけでもない。
 
 
昼前、ひさしぶりに散歩。


なぜかアレチハナガサに群がるモンシロチョウたち。








殺害。ここは近所でわたしが畏怖をもっていちばん濃密な雰囲気を感じていた場所なのだが(いままで一度も写真に収めたことはない)、えりにもえってきれいさっぱり、あっけらかんと樹木がことごとく伐採されてしまった。ちなみにこの小山は、このあたりでの比較的大きな神社と、またとなり村の神社の鎮守の森に接続する裏山になっているのだが、こんなざまというか、有り様である。




 
このところ、東京のタワマンの27階の「自室」にひとり逼塞しているようなつもりで、自然を遮断して生きていたのだが、いまブログを見返してみると、まだらな、端的にむずかしい文章になってるな。本とインターネット配信だけで生命力を養えるかってことだったけど、郊外の田舎ながら、外を散歩してみると、やはり「生命の感覚」は情報に還元できないのではないかと感じる。『ソードアート・オンライン』のナーヴギアのようなものが実用化されても、自分の周りを飛び回る蝶や、空を行く鳥たちや、草木の「生命感」をデジタル情報化して、インターネットで配信することはムリなのではないか。つまり、「生命」の核心は情報化できないということだ。ゆえに、我々の生命自体をサイバースペースに乗せることは、たぶん不可能なのだと思う。それは、情報量の多寡の問題ではなく、原理的にということである。
 ただ、それは(ある意味)穏当な結論で、敢て自分でやってみなくてもわかり切ったことだと思われるかも知れない。別に、歩いていて思ったのは、もう少し微妙な問題だ。生命は情報化できない。それはひとまずよいとしよう。では、モノの「モノ感」は情報化可能か? 歩いていると、石でも岩でも、またコンクリートでもいいが、モノが異様に「自己主張」してくるのに驚かされる。いや、川でも水でも、土でもよい、非生命の物質感だ。これが情報化可能なら、物質の物質たるを例えばデジタル画像化して、インターネットで送信できることになる。それは、どうなのか。
 そういえば中沢さんが、「四大の声を聴く」という修行の話を『精神の考古学』で書いておられたが、古くから認知されている「四大」のエレメントは、情報化可能かと問うてもいい。いや、生命もまた「四大」のエレメントで構成されるものであるから、それはたぶん、情報化不可能だ。では、モノの「モノ感」は、「四大」と同一階層上にあるものなのであろうか?
 
逆に(?)、ロゴス的知性は、デジタル情報化可能であり、インターネットに乗せることができる。それは、現在の ChatGPT など、生成AI の能力を見ても明らかなことである。ロゴス的知性は、生命の一部でしかなく、また AI によって操作可能でもある。

 

 
昼から珈琲工房ひぐち北一色店。土曜日なのに随分と空いていた。
『逝きし世の面影』の続きを読む。一時間かけて、第八章「裸体と性」第九章「女の位相」読了。ひとつの過去の文明の姿として、現代のフェミニストも参照してよいと思う。幕末期の日本の実相は、我々現在の日本人をも驚嘆させずにはおかない。また一方で、著者も漏らしているとおり、これだけの「異文化理解」「人類学的考察」のできる十九世紀の平均的な西洋文明人のレヴェルの高さにも驚かされる。
 しかし、本書を読んでいると、我々現代の日本人は、自国に対し(自己)異文化理解が必要だと思わざるを得ない。例えば外国における現代日本のイメージとして「マンガやアニメの国」というのは突出しているが、日本のインテリはそれをあまりよく知らないか、そのイメージを恥ずかしく思うことが多いだろう。現代日本には、もっとすばらしいものがある、と。しかしそれは、単純にひとつの無知にすぎない。
 

 
夜。
NML で音楽を聴く。■マーラーの「大地の歌」で、メゾ・ソプラノはジャネット・ベイカー、テノールはジェイムズ・キング、指揮はベルナルト・ハイティンクロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団NML)。
Orchestral Songs

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■バッハの二声のインヴェンション BWV772-786 で、ピアノはアレクサンドル・デンビチ(NML)。曲を勝手に改変して弾いていたり、自由な演奏だが、かなりよい。
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