亀山郁夫『ショスタコーヴィチ 引き裂かれた栄光』

晴。
虚栄心や承認欲求を解体するの、むずかしいな。睡眠がめっちゃ掘っちゃった。ほんと、自分は凡人だなあと思う。
 
いい天気。
スーパー。肉屋。
 

ウチの紫蘭
 
昼からミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。ハニーディップブレンドコーヒー。
ショスタコーヴィチ 引き裂かれた栄光』の続き。承前。とてもおもしろくて、またコーヒーを二度おかわりし、一時間半くらいフードコートで読み続けた。ようやく残り三分の一くらい、スターリンが死んだあたりまで読む。オレって何にも知らないで音楽を聴いているなと呆れるくらい。まあ、ここまで深読みするのもやりすぎ(?)だろうと思わないでもないが、こういう音楽との付き合い方もあるのだ。なにせ、ショスタコーヴィチは西側の前衛的な作曲家たちから、ほとんど軽蔑に近い扱いを受けてきた作曲家だ。ブーレーズしかりであり、武満さんなどもほとんど(肯定的に)言及していない。それでもショスタコーヴィチ社会主義独裁政権下で苦労して、自分の豊かな才能を発揮せしめてきたことは、わたしには明らかに思われるのであり、亀山さんの仕事は説得力をもってショスタコーヴィチの音楽を「復権」せしめている。やはり、こういう仕事は大切なのだ。じつに、読み応えがあり、知的刺激を受けないではない。
 ショスタコーヴィチの政治的「二枚舌」。「二枚舌」とは貶下的なコノテーションをもつが、ショスタコーヴィチはそれにより、自身の音楽を辛うじて保ってきたのだった。もちろん、その「二枚舌」は、ショスタコーヴィチの心を深く刳ったのであり、(心理的な)代償も大きかった。ショスタコーヴィチは自分の才能の豊かさをよく知っていたが、それでも自罰的な態度をしばしば取っている。わたしは、ショスタコーヴィチの韜晦的な、軽く、諧謔に満ちた皮肉っぽい音楽に、あまり親和的でなかったなと思う。ショスタコーヴィチは、音楽的に書きたいものを書く自由がなかった、そうした作曲家だった。それがよくわかっただけでも、本書を読んだ価値があるというものである。それでも、内心を吐露した音楽もまたある、わたしは、室内楽を中心に、そういうショスタコーヴィチを好んで聴いてきたのだなと思う。
 
イオンモール未来屋書店にて、岩波新書の『さらば、男性政治』を購入。1月の新刊だが、まったく気づいていなかった。
夕方でも外気26℃の夏日。
 
図書館から借りてきた、亀山郁夫ショスタコーヴィチ 引き裂かれた栄光』(2018)読了。ショスタコーヴィチが好きな人にはお勧め。亀山さんの他の本も、図書館にあれば読もう。

 
 
夜。
変態王子と笑わない猫。』(2013)第7話まで観る。さすがにこれはちょっと…って思って観ていたら、途中から予想外の展開。もう負けヒロインが見えてるんだけど、小豆梓、ちょっとかわいそうだよな。