「お兄ちゃんはおしまい!」(2023)を観る

日曜日。曇。
 
Ruby でカードゲームのブラックジャックを実装し始める。ブラックジャックは以前にも実装したのだが、今回はオブジェクト指向プログラミング(OOP)で。
 
スーパー。
かたつむりが車庫の前にいて車で踏んづけそうだったので、避難させてやる。
 
昼。
NML で音楽を聴く。■バッハのフランス組曲第二番 BWV813、第三番 BWV814 で、ピアノはマレイ・ペライアNMLCD)。■ストラヴィンスキーの「春の祭典」で、指揮はクラウス・マケラ、パリ管弦楽団NML)。心が乏しくてしばしばうるさいが、浅はかな聴き手を騙せるくらいには見事な音の塊になっていると思う。いわゆる爆演。まあ、最後まで聴けたので、それなりのことはあるんじゃないか。

 
珈琲工房ひぐち北一色店。
ショスタコーヴィチ 引き裂かれた栄光』の続きを読む。承前。おもしろい。亀山郁夫さんは楽曲分析も含めて詳細にショスタコーヴィチを論じていて感心させられるが(上から目線でいっているわけではありません)、「音楽における解釈とは、所詮、言葉の戯れにすぎず、端的にいえば、フォークロア*1であり、言いようによっていくらでも勝手にこじつけられる」(p.192)というショスタコーヴィチの信念を、根底で認めているところがあるように思える。そこがよい。逆にいえば、「言葉の戯れ」の可能性を認めながら、徹底的に音楽を論じる、ともいえるだろう。ここいらは、なかなかむずかしい。音楽を聴くのに、音楽以外のことをどこまで知った方がよいのか、という問題は常にある。わたしは、何よりも音楽(を感じる心)そのものが第一という、いわば常識的なスタンスであるが。しかし、ショスタコーヴィチにおいて政治的な問題は音楽と直結していて、ほんとにむずかしいのである、本書はそれを浮き彫りにする。さらにいえば、音楽を聴く以上に、(ショスタコーヴィチの)音楽を演奏する方に、解釈の困難があるようにも思える。
 それにしても、スターリン政権下に、豊かな(芸術的)才能をもって生きていくというのは、何と危険なことであったろうか。もっとも、いまの虚無的な世の中でも、才能をもって生まれることの(別種の)「危険」はあるかも知れない。まあ、わたしにそんな才能はないわけであり、よくわからないといえばそうなのであるが。虚無であり精神の貧しい時代の、才能。
 
 
スクリャービンの三つの小品〜op.2-1、練習曲 op.8-12、幻想ソナタ 嬰ト短調 WoO6 で、ピアノは福間洸太朗(NML)。これはよいスクリャービン。特にロマンティックな op.8-12 がすばらしい。エチュード全曲の録音なんか、あってもいいんじゃない?って期待しちゃう。2022年の録音。福間洸太朗はかつて武満さんのピアノ曲を集めたアルバムを聴いているのだな。過去の自分は、なかなか高く評価したみたい。■スクリャービンのピアノ・ソナタ第二番「幻想ソナタ」 op.19 で、ピアノは福間洸太朗(NML)。すばらしい第二番。とりわけ第一楽章に心奪われた。■スクリャービンの「左手のための二つの小品」〜夜想曲 op.9-2、幻想曲 ロ短調 op.28 で、ピアノは福間洸太朗(NML)。よい。
 
ショスタコーヴィチ交響曲第六番 op.54 で、指揮はマリス・ヤンソンスバイエルン放送交響楽団NML)。 
 
夜。
■バッハの平均律クラヴィーア曲集第一巻〜第五番 BWV850 - 第七番 BWV852 で、ピアノはツィモン・バルト(NML)。
 
『お兄ちゃんはおしまい!』(2023)第12話(最終話)まで観る。TS変態アニメだが、最後しんみりとハッピーエンドで収めたな。いや、おもしろかったー。日常系? やっぱりアニメ、ぶっ飛んでるわ。作画はカラフルお洒落で、ヌルヌル動くし、最高だった。冬アニメでいちばん盛り上がってたし、2期来そうな感じ。しかしオレ、何観てるんだよ…笑。

*1:引用者注。何で「フォークロア」? ここでこの語はちょっと唐突でわからない。