こともなし

晴。
夢。いまから東大を受験して、合格はしたのだけれど、誰もがするふつうの手続きがめんどうで、嫌である、したくない。仕方なく東京へは行ったものの、関係ない場所を誰かとほっつき歩いている。
わたしは明らかにアンテ・フェストゥム型の人間なんだよね。事において後悔はしないんだけれど、いつになってもいまだ人生が始まっていないように感じる。死ぬまでそうなのだろうか。
 
20221110163423
ウチのイチジクと里芋。
 
昼から珈琲工房ひぐち北一色店。鶴見俊輔不定形の思想』(河出文庫版)を読み始める。いつ読んでも思うのは、鶴見さんはたいへんに頭がよいということだ。西洋哲学の観念的思考を読み砕き、整理し、それで日本の状況を分析する。いたずらに難解な言い回しはせず、平易で落ち着いた文体で語る。その「整理」のあたりが、特に優秀な感じを受ける、少なくともわたしは、こんなにクリアに西洋哲学を整理することができない。そして、抽象的タームを自在に操れるのに、抽象語に振り回されることがほとんどない。きちんと、「前言語的思考」(井筒俊彦先生が仰る、「コトバ」の如き)があることもわかっている。ここまでわかっていれば、エリートとして充分だとも言える。ま、「不良にしてエリート」ということだそうだが。これもいつも思うことだが、鶴見さんは基本的にアカデミズムの人である。たとえ見かけはあまりそう見えなくとも。

しかし、何で奈良美智かね。鶴見さんに合っていないように思えるけれど。調べてみたら対談があるようで、鶴見さんが奈良を評価していたのかな?
 
 
車を置いて、40分ほど散歩。












TSUTAYA でマンガを借りてきた。
 
『葬送のフリーレン』第7, 8巻を読む。へー、アニメ化されるんだ。
 
 
夜。
高橋英夫『京都で、本さがし』を読み始める。エッセイ集。一気に読み切ってしまってもいいのだが、そんな読み方は今日はやめておこう。高橋さんは本屋に入ると、頭が猛烈に回転し出すと書いておられる。わたしがいちばん本屋へ通ったのは京都での学生時代で、毎日のように複数の本屋、古本屋に入っていた。学生だから本に使えるお金は限られていて、買うのは文庫本が多く、立ち読みをしながら買う本を徹底的に吟味した。一度に文庫本、五六冊買うのはめずらしくも何ともなかった。
 本を買わなくなったのは、ここ数年のことだと思う。本屋に行くこと自体、減った。いまでは月に一二度だ。読書はもっぱら図書館を利用することになったが、買わないのは読まないことだと、やはり思う。読書力は随分と落ちた、わたしは読書家でも読書人でもなくなった。しかし、本屋の棚も、確かに大きく変わったけれど。わたしはもはや、本屋の棚を見て鬱々することの方が多くなった。(岐阜という田舎の図書館の書架を見ても、かなり鬱々する。)人は与えられた条件下に生きるしかない。