高橋英夫『今日も、本さがし』

祝日(スポーツの日)。雨。
四時間くらい寝て早起き。というか、意識の全領域がゴミ溜めになったかのような不快感で、夢を見つつ意識的に目覚める。明らかにアニメの観過ぎだな。
 
自分は心の奥の奥へ、扉を開けて入ろうとしすぎなんだな。そんなことばかりしても、他人を置いてけぼりにして、孤独になるだけかも知れない。生 raw なものをもっとざっくり掴むことも大事なのだろう。アニメなんかは生なイメージを掴んでいく上で、いい材料だ。
 
そういえば今日の夢、ちょっと興味深かった。あまり覚えていないけれど、自分が「反体制的」異分子のような存在で、室内集会みたいなので警戒されていた。
 
二時間ほど二度寝して、随分とすっきりする。
 
 
曇。昼からミスタードーナツ イオンモール扶桑ショップ。ブレンドコーヒー275円。えらく混んでいるなと思ったら、今日は祝日か。家族の分のドーナツを買う。
イボ・アンドリッチ『イェレナ、いない女 他十三篇』を読み始める。アンドリッチはボスニアの作家、というより、旧ユーゴスラビアの作家といった方がよいらしい。訳者解題は山崎佳代子さん。

 
心の調子があまりよくなかったけれど、一時間ほど運転してだいぶ気が晴れた。
各務原大橋のところに、消防車や救急車や警察が来ていた。交通事故ではなさそうで、誰か川で流されたのか。
 

 
朝日新聞の朝刊一面の左下に、「折々の言葉」という鷲田清一さんのコラム(?)がある。わたしは特に熱心な読者ではないのだが、先日、二日続けて渡辺京二さんの言葉が載っていて、渡辺京二さんさすがだなーと思ったので、メモしておく。

人間はね、ある人からあてにされるということ以上に生き甲斐はないんですよ。(2022.10.6)

自分が住んでいるところが、自分が世界と向き合っている接点だからね。(2022.10.7)

蛇足しておくと、「あてにされた人」というのは石牟礼道子さん。また、渡辺京二さんは熊本在住の人。
土曜日の読書欄にも、92歳の渡辺さんの新刊が紹介されてあったな。
 
 
夜。
図書館から借りてきた、高橋英夫『今日も、本さがし』読了。書物エッセイ集。二時間ほどかけて、ゆっくりと読んでいたら、読み終えてしまった。1996年刊、この時点で、まだこんな文章が生き残っていたのだな。前にも高橋さんの本を読んで思ったが、わたしは元々こういう文章だけ読んで過ごしていたい、古くさい人だった。ちょっと堅苦しい、地味で滋養にあふれ、奥ゆかしく、「教養主義的」な文章。この「教養主義的」という言葉は、いまではまったくニュアンスが通じないだろう(知識自慢とはまったく関係がありません)。完全に滅び去り、わたしも遠いところまで来てしまった。毎日アニメなんぞ観て喜んでいる始末である。