「エンタメ考」導入

晴。
起きる前うとうとしていて(わたしはどれだけでもうとうとしていられる)、遠心力で心がバラバラに吹っ飛びそうな気がする。苦痛。医者にかかる夢を見た。どんな病気だったか、何か変わった病気だったが。
 
肉屋。
いい天気。いま、最高の季節だ。街路樹も色づき始めている。
 
 
昼から曇ったり晴れたり。
ミスタードーナツ イオンモール扶桑ショップ。もっちりフルーツスティック シナモン+ブレンドコーヒー429円。『武満徹著作集5』の続きを読む。「歌の翼、言葉の杖」は現代(といっても当然20世紀のではあるが)の作曲家たちとの対談集。ここで様々に話題にされる「現代文化の危機」が、現実のものになってしまったことを痛感する。端的にいって、例えば現在(21世紀初頭)において、世界的な大作曲家というのは、ポピュラー音楽にもクラシック音楽にも存在しない。美術においても、文学においても、思想においても同じことだ(ポストモダン的状況)。それだけ、際立った「個性」というのが存在しなくなり、しかし「才能」は一秒にひとりくらい、膨大な数が誕生している。世界がひとつになり、世界中で同じ「エンタメ」作品が消費されている。もっとも、この「エンタメ」の大氾濫というのは、簡単に理解できることではないように、わたしには思える。わたしは「エンタメ」というものをずっと考え続けているが、ちっともわかった気がしない。これが現代文化の全面的幼稚化と関連していること、それくらいはわかるけれども。

いまの「エンタメ」作品は、決して単純なものではない。むしろ極めて複雑であり、例えば快楽中枢を直接刺激してくるとでもいうべき、強度の大きさと狡猾さがある。正直いって、わたしのような田舎の古くさいおっさんには、現代の「エンタメ」作品を体験すると、その「解体」は容易でない。エンタメを享受し、解体しつづけるという無限過程を実行していると、何でこんなことをしているのかという虚しさと苦痛を感じずにはいないのである。まったく、わたしは何故に敢てこんなことをしているのか? 無意味ではないのか?
 
BOOKOFF 江南赤童子店に寄る。100円均一本に、わたしが買うようなものがほとんどなくなったな。わたしがいまの作家を知らないからであろう。とりあえず、朝井リョウさんの『何者』を100円で。文庫本一般で玄侑さんの『化蝶散華』を拾う。あと、マイケル・サンデルの文庫本があったので、買ってみる。
 
デラシネ。全面的な「都市の感性」への移行。田舎も、「都市の感性」で捉えられることになる。田舎者の消滅。大地の死。
 

 
夜。
U-NEXTで「マトリックス」(1999)を観る。監督はウォシャウスキー姉妹。 
kiss×sis」(2010)第10話まで観る。U-NEXTでマジメな映画を検索していてたまたま見つけたもの。何となく勘で観てみたが、クソマジメ菌に冒されていたところなので、解毒にちょうどよかった。ほんと、中身0で超下らないひどいアニメなので、決して調べたりしないように笑。しかしU-NEXT、何でもあるな。