堀江敏幸『余りの風』

休日(秋分の日)。晴。
JavaScript がわかってきたので、調子に乗って朝まで遊んでいた。いい加減にしないとね。でも、ブラウザが弄れるというのが楽しいのです。
音楽を聴く。■ハイドン:ピアノ・ソナタ第四十四番、第四十番(リヒテル参照)。何て美しいピアノの音だろう。■バーバー:弦楽のためのアダージョチェリビダッケ参照)。この曲がいいなんて云ったら侮られそうであるが、いいのだから仕方がない。チェリビダッケはさすが。■バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第三番 BWV1005(エネスコ、参照)。

もう完全に本を読んでいる時間より PC の前に座っている方が長い。これはよくないことだろうか? 必ずしもそう思わない。けれども読書というのは土台とか、インフラストラクチャのようなものでもある。決してなおざりにできない。また読書は旅である。PC は僕には、世界への窓のひとつ。ただしアディクトする麻薬でもある。
図書館から借りてきた、堀江敏幸『余りの風』読了。著者の文章を読むと、感嘆しつついつも思うのだ。あまりにも巧すぎると。気の利いた空語を読んでいるにすぎないのではないかという虞から、離れられないのである。文学など気の利いた空語でよいではないかという意見もあろうが、釈然としない。まあたぶん、自分の読解力が著者の文章に到達していないというだけのことなのであろう。シャレオツな小道具としては、最高レヴェルの本ではある。

余りの風

余りの風

どうやら既読だったらしい。まったく信用のできない読書である。既視感は、(文庫)解説などで読んだのかなと思っていた。