富山太佳夫『笑う大英帝国』

曇。
音楽を聴く。■モーツァルト:ホルン協奏曲第四番K.495(ピップ・イーストップ、アンソニー・ハルステッド、参照)。うーん、あんまり上手くないなあ。ナチュラル・ホルンは扱いがむずかしいのかな。■ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第三番op.30(ヴァレンティーナ・リシッツァ、マイケル・フランシス、参照)。いやあ、よかった。堪能した。やはり第二番よりはこちらの方が合っていると思う。しかし、演奏スタイルにちがいはない。ナチュラルでクールであるが、それがそのままラフマニノフになっているという印象。ホロヴィッツアルゲリッチのように思い入れを込めるのではなく、むしろ機械に近い。だから、高度な技術を必要とする部分が、爽快で特に聴かせる。それで鳥肌が立つレヴェルの部分が、幾つかあったのだから大したもの。第四番その他が楽しみだ。このピアニスト、プロコフィエフなんか、合っているような気がするし、スクリャービンなどもおもしろいかもしれない。■フリードリヒ・キール:ピアノ四重奏曲第二番op.44(トリエンドル、マテ、シュリヒティッヒ、ヤンコヴィチ、参照)。これはまた、リシッツァのラフマニノフからは如何に遠い世界であることか。十九世紀ロマン派っていうのは、現代では殆ど無効になっているのかも知れない。でも、僕にはホームグラウンドのひとつである。キールだが、まったく悪くないね。実際ここには、個性的なメロディがないだけではないだろうか。そして、個性的なメロディこそが才能だというのが、よくわかるサンプルになっている。例えばシューベルト人智を超えた美しいメロディを書いたけれど、ベートーヴェンのようながっちりした形式は、求めても遂に得られなかった。それでも史上超一級の作曲家なわけである。形式感ならこのキールの方がずっとあるし、実際キールは作曲技術がしっかりしていて安心して聴ける。まったく悪くない。それから、この作曲家は、第一番のときもそう思ったが、終楽章をかなり魅力的に書くという印象。メジャーな作曲家は聴き尽くしたという人は、キールを聴いてみるとおもしろいかも知れないよ。そうそう、忘れていた、演奏家たちはたぶん全員無名だと思うが、好演しているのは明らか。

県図書館。
富山太佳夫『笑う大英帝国』読了。長いこと積ん読にしておいて、ようやく開いた。軽そうな題だし、読みやすそうな文体で、実際多くの人にはすらすら読めるであろうが、自分にはかなり難物であった。もしかしたらわかりにくいことかも知れないが、本書は頗る知的なのである。あまりにも知的で、簡単な読書を許さない。だいたい、粋な本なのに、自分は笑えないのだもの。感性が硬直しているのであろう。町田康なら恐ろしく笑えるのになあ。そもそもイギリス流のユーモアというのが苦手で、岩波文庫のあの立派な『トリストラム・シャンディ』の翻訳も、ギャグが寒すぎて一箇所も笑えなかった。ホント、笑いってむずかしい。そうそう、本書には(当り前すぎて?)どこにも書いてなかったが、笑い自体、それがどんなものでも知的な要素を含んでいないことはあり得ない。そう蛇足しておこう。